王子とセシールのおだやかな日々

九月ソナタ

1 星の王子がやって来た

     

〇ここはパリ、石畳を雨が濡らしている九月の暗いお昼過ぎ、アパートの部屋で、セシール(二十歳)は「ラ・メール(海)」というシャンソンをかけながら、泣いている。


〇階段を上がってくる音。人(子供らしい)の息遣い。

木のドアをノックする音。

子供(男子)の声「ボンジュール」

 

〇誰も出ないので、もう一度、ノックする。

「ボンジュール、誰かいませんか」と男の子がかわいい声で言う。


〇鍵が内側からあけられる音。

古いドアがギィーッと開く。


「あらっ、誰もいない」とセシールが言って、下を見ると、足元に、ボロを着た小さな男子が立っている。

「(小声で)わっ、ちっさい子供。どなたですか」

「ここはアントワーヌさんの家ですか。パイロットのアントワーヌさんのアパートですか」

と男の子が泣きそうな声で言う。


「そうですけど。そうでしたけど、っていうのかな」

「ぼく、アントワーヌさんに会いにきたんです」

「あのう、アントワーヌは私のおじさんで、わたしはセシール。あなたはおじさんとどこで会ったのですか」

「砂漠で」

「いつ?」

「一年くらい前」


「変だな。おじさんは七十年くらい前に死んでいますけど」

「えっ、七十年も前」

「えっ、あなたはいくつですか」

「ぼく、時間のことは、よくわからない」


セシールが、急に何かを思い出す。

「あっ、あなたって、もしかしたら、星の王子さまじゃない?」

「そうてすけど、どうしてわかるんですか」

「うそっ。とにかく、中にはいって。雨で濡れちゃっているじゃない。風邪ひいたら、大変よ」

セシールはその小さな手をひっぱるようにして、部屋の中にいれる。



〇王子が部屋の中にはいる音。


「ほら、この壁の絵を見て」

とセシールが壁のスケッチを指す。


「これ、ぼくです」

「パイロットのおじさんが、昔、砂漠で遭難した時に、星の王子さまと出会ったんですって。その話を親戚の子供たちに話してくれて、スケッチも描いてくれたって、パパが言ってた。わたしのパパは、その子供たちのひとりだったの。おじさんには子供がいなかったから、パパがこのアパートをもらった時に、記念に、この絵を壁にはったままにしておいたのよ」


「アントワーヌさんが描いてくれたこの服、なつかしいなぁ」

「スケッチを貼っておいたままにしておいて、よかったぁ。まさか、王子さまが現れるなんて、思わなかったわ。それに、洋服が違うから、すぐにはわからなかったわ」

星の王子はボロを着ている。

「そんなにじろじろ見ないでください。こんなボロ服しか、なかったんです」


セシールがホンモノの王子とスケッチを見比べている。

「本当に星の王子さまだわ。あの王子の制服、というのかな、王子服はどうしたの?」

「前に、星に帰る時・・・・・・」

「ああ、そうだったわね。星に帰る時に、重すぎるから、砂漠においていったのよね」

「砂漠に行ってみたけど、もうなくなっていて」

「それはそうでしょ。何十年もたっているんだから。ちょっと待っていて」


 セシールが引き出しをあけて、ごそごそと中を掻きまわし、下からTシャツをもってくる。

「これはXSのサイズだし、新品だから。雨に濡れたままじゃ、風邪をひいちゃうわよ」

王子が広げてみると、白いTシャツの真ん中に男性ロックシンガーの写真がプリントされている。


「いいんですか?」

「いいのよ。こんな小さなサイズ、もう着れないしね。遠慮しないで。トイレはあそこ。そうだ、シャワーにはいらない?」

「シャワー?」

「お風呂のほうがいい?ここのバスタブ深いんだけど、ひとりではいれる?一緒にはいろうか」

「ひとりで、はいれますよ。何歳だと思っているんですか」

「何歳?」

「わからない」


〇セシールがバスタブに見ずをいれる音が聞こえる。

「用意ができたわよ」


浴室から、お風呂にはいりながら、なにやら歌が聞こえてくる。

「王子もお風呂にはいる時には、歌を歌うんだ」


〇浴室のドアが開いて、王子が出てくる。


「よいお風呂だった?」

「すごく気もちがよかったです。ありがとう」

「王子さまの髪、ぴかぴかの金髪ね。とてもきれい」

「ぼく、地球に着いてから、ずっとホームレスだったので、髪がきたなくなっていたんです」

 

王子が新しいTシャツを着ている。

「かわいい。よく似合ってる。(小声で)でも、失敗だったかな。あいつの顔が見えちゃう」

「えっ。シャツがどうかしたんですか」

「いいの、いいの。気にしないで」


「そうかぁ。アントワーヌさんは、死んじゃったんですか」

「とっくの昔にね。人間は死ぬのよ。星の人は死なないの?」

「わかりません。死んだから、星になったんじゃないのかなぁ」

「ああ、そうなの。変なこと訊いて。ごめんなさい」


「いいですよ。アントワーヌさんは病気だったんですか。ぼくが会った時には、すごく元気だったんですけど」

「でも、みんな死んでも、(悲しい声になり、咳をして)、わたしの心の中に生きているわ。パパが言っていたけど、おじさんはね、そこの窓からいつも星を見て、この空のどこかに、王子さまの星があると思うとうれしいって言ってたそうよ」

「ぼく、どうしても、アントワーヌさんに相談したいことがあってやって地球にやって来たんです。でも、砂漠にも、どこにもいないから、ホームレスになってあちこち探して、ようやくパリにいるってわかったんです。アントワーヌ・ド・サン・デグジュベリさんって、有名な人なんですね」

「そう。本を書いているから。パリまでわざわざ探しに来てくれて、ありがとう。おじさんは王子さまのことが大好きだったってパパがよく話していたから、来てくれたのを知ったら、きっと喜んだと思うわ」


「はい。セシールさんのパパはどこですか」

「その話をすると長くなりそうだから、お茶でもいれるわね。長い旅で疲れたでしょう。コーヒー、紅茶、王子さまなら、ミルクだわね」

「(怒ったように)ぼく、紅茶。(恥ずかしそうに)でも、クリームをたくさんいれてください」


〇お湯を沸かす音。

「この部屋、油絵がたくさんありますね」

「(キッチンから叫ぶ声)そうなの。わたしのアトリエよ。わたし、絵を勉強しているの」

とセシールがキッチンから叫ぶ。


〇お湯が沸き上がり、ピーというケトルの音。

お湯を注ぐ音。


〇テーブルにカップが置かれる音。

「どうぞ。熱いから、気をつけてね」

「ありがとう(フーフー言って、飲む音)」

「(小さな声で)そうそう、マカロンがあったわ。いただいたものだけれど」

「マカロンって、何ですか」

「マカロンはね」


〇セシールが立ち上がり、戸棚をあける音

「食べてみて」

「はい。・・・・・あっ」

「砂糖と卵白とアーモンドでできているらしいわ。甘すぎる?」

「ぼく、こんな甘いもの、食べたことないです」

「やっばりね。わたしは、甘いのは好きなんだけど、今は我慢の子」

「どうして」

「いろいろあるのよ」


「ぼくの星には、お菓子屋はないから、甘いものはあんまり食べたことがないんです」

「全然?」

「たまに、蜂さんが蜜をくれたりすることがあります」

「そう。パリには有名なベイストリーがたくさんあるわ。あとで、おいしベイカリーに行ってみる?」

「行きたいです。セシールさんはやさしい人ですね」

「さんはいらない。セシールでいいよ。王子さまの名前はなに?」

「ぼくの星にはぼくとローズしかいないから、名前はないんです」

「そうかぁ。おもしろいね」

「笑わないんですか。名前がないとかって」

「笑うわけがないでしょ」

「やっぱり、セシール、セシールちゃんはやさしい人です」


「わたし、やさしくなんかないの。(悲しそうに小声で)きついって、言われたばっかりだもの。しつこいって。きらわれているのよ」

「だれですか、そんなひどいことを言う人。ぼく、行って、抗議してきます。パンチをくらわせます」

「ありがとう。余計なこと、つぶやいちゃった。それはいいの。忘れちゃって。ねえ、王子さまはなぜおじさんに会いにきたの?」

「ぼく、どうしても相談したいことがあって」


「その相談、わたしじゃ、だめ?」

「だめじゃないけど」

「どんなこと」

「ぼくの星にいるローズのことです」

「そういう相談なら、わたしのほうが向いているわ。わたしのほうが、女心がわかるもの。男の人って、女心がなかなかわからないから」


〇お茶をカップに注ぐ音。

シャンソンの「ラ・メール」が流れる。


「悲しい歌ですね」

と王子がため息をつく。

「海、という歌なんだけど、これが悲しく聞こえ時は、恋がなくなった時よ。わたしには、わかる。わたしもそうだから」

「セシールちゃんも」

「雨が上がって、外が明るくなってきたわ。ねっ、お散歩に行かない?パリの町を案内するわ。モンマルトルの丘に行けば、パリ中が見えるわよ」

「ぼく、行きたいです」


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