王女は鎧を射抜けるか―彼方に集う獣たち―

小野寺かける

第1話

 父が宰相、母が宮廷魔術師を務めているヴェルニアにとって、王宮は生家せいかの次によく出入りする第二の家のようなものだった。とはいえ決して居心地がいいわけではない。物心つく前から母に連れられて何度も訪れている場所ではあるけれど、周囲の人々から向けられる視線に冷たく鋭いものが混ざっていると気づいてからは、出来るだけ長居したくない場所になってしまった。

 十歳の誕生日を迎えた当日、ヴェルニアは国王夫妻からの贈り物を受け取るために王宮を訪れていたが、挨拶を済ませて早々に両親をはじめとする大人たちの前からさり気なく逃げ出した。王宮に張り巡らされた隠し通路やその出入り口は、父が以前こっそり教えてくれたため知っている。それを使えば人目に触れることなく、静かで落ち着いた場所を目指せるはずだ。

〝絵画の間〟と呼ばれる部屋には異国の農村を描いた絵画が飾られている。それをどければ正方形の穴が姿を現すと聞いた覚えがあり、果たしてその通りだった。おずおずと覗けば当然ながら明かりは無く、中がどのような構造をしているのか分からない。

「一人で抜け出すなんてずるいぞ、ルニ」

 突然背後から声が聞こえ、びくりと肩が跳ねる。慌てて振り向けば、黒髪に紅の瞳をした男子がいたずらっぽく笑っていた。鏡で映したがごとく、彼が自分と全く同じ顔立ちをしているのは、血を分けた双子だからだ。

「なんだ、リオンか。驚かせないでくれ」

「ルニが勝手に驚いたんだろ。僕はただ声をかけただけ」

 不満もあらわに眉を寄せたヴェルニアに対し、弟のダンドリオンはちろりと赤い舌を出して肩をすくめるだけだった。反省している様子がまるで無い。文句をさらに連ねかけたところで、そんな場合ではないと頭を振った。

 祝いの場から主役が二人とも消えたとなれば騒ぎになるのは間違いない。しかし大人たちは政治や国内外の情勢の話題に花を咲かせていたはずで、しばらくはそちらに夢中になって子どもに目を向ける暇は無いだろう。

 つまり今のうちが絶好の機会だ。通路の穴は四つん這いでなければ入れない。ヴェルニアはこの日のために仕立て上げた一張羅が汚れるのも構わず、躊躇なく暗闇に突入した。

「ちょっと待ってよルニ、どこ行くんだよ。ていうかこの穴なに?」

「父さんが教えてくれた内緒の道」簡潔に答えながら、つま先でとんとんと通路を叩く。「どうする、お前も一緒に来る?」

 弟はヴェルニア以上に好奇心旺盛でわんぱくの塊で、断るわけがないと分かった上での誘いだった。予想通り、ダンドリオンが自分の後ろに続く衣擦れの音がする。間もなく通路が完全に真っ暗になったため、ダンドリオンはちゃんと蓋代わりの絵画をもとに戻してくれたらしい。

 このまま進むのはいささか危険だろう。ヴェルニアがすいすいと指を振れば、目線の高さに拳と同じ大きさの光のたまが現れる。

「おー、さすがルニ。いつの間にそんな技覚えたの」

「母さんの部屋にあった本読んで覚えただけ。簡単だったから教えてあげる」

「嬉しいけど、あとでね。まずは出口探そうよ」

 それもそうか、とヴェルニアは前方を見すえる。明かりを頼りにしばらく進めば、通路は立って歩ける高さになった。横に並べるだけの広さはどこまで行ってもなく、二人は一列になったまま道の分岐をいくつも乗り越えていく。ちょっとした冒険気分だ。

 不意にどこからか風を感じた。耳をすませばかすかに音も聞こえ、はやる気持ちを抑えながらそちらに進む。通路は再び這いつくばらなければいけない高さになり、なかなか思うような速さを出せないのがもどかしい。

 やがて突き当たりに到着したが、風と音は確実にこの向こうから漏れている。光の珠を消せば、暗闇にぼんやりと四角い枠が浮かび上がった。

 ここが出口と予想して、ヴェルニアは四角の中心に両手を当てて力いっぱい押しこんだ。しかし長年使われていなかったのか、簡単に外れそうにない。ダンドリオンの力も借りながら根気よく押し続けると、ごと、と鈍い音とともに手ごたえを感じ、視界が白く染まった。

「外だ!」

 ダンドリオンの嬉しそうな声で、ヴェルニアは予想が正解だったことを悟った。目がまだ明るさに慣れないなか「早く早く」と急かされ、転がるように外へ出るとざらりとした感触が掌に伝わる。驚いて手を引っこめそうになったが、落ち着いてよく見るとただの土だった。

 二人は草木が豊かな場所に辿り着いていた。はるか遠くにレンガ造りの城壁が見えるため王宮の敷地内ではあるのだろう。季節の花々が互いの美しさを誇るように咲き乱れ、甘い蜜を求めて蝶や蜂がひらひら舞うさまはさながら童話の一場面だ。八角形の四阿あずまやは純白の柱と屋根が美しく輝き、それでいて花の観賞を邪魔しない慎ましさがある。四阿のそばには大樹が寄り添い、枝葉をめいっぱい広げて陽光を受け止めていた。

「ここは庭園かな」

 ヴェルニアは辺りを見回しながら立ち上がり、衣服に付いた埃を払った。隠し通路は想像以上に汚れていたようで、いくつかの汚れは手で叩いたところで落ちそうにない。

「多分そうじゃない? あっちの生垣の向こうには薬草園があるって叔父さんから聞いたことある」

「すごく広いんだな。隠し通路の一部には王宮の外に出られるものもあるって言われてたから、てっきりどこかの村にでも出ちゃったかと」

「そうだったら面白かったのに。そのまま家まで戻ってさ、帰ってきたお父さんとお母さんをびっくりさせるんだ。絶対楽しいよ」

「びっくりしたあとでものすごく怒るとも思うけどね」

 両親の怒った顔はほとんど見たことが無い。それぞれどんな顔で叱ってくるのか想像して、二人はくすくすと肩を揺らした。

 あちこちから降ってくる愛らしい囀りに視線を上げれば、名前も知らない小鳥たちが飛び交っている。足元を素早く通り過ぎていったのはトカゲだろうか。自然に溢れた庭園は、人間にとっても動物にとっても癒しの場所なのかもしれない。

 小鳥たちの歌声は姦しいが不愉快ではない。鳴き声からどれだけの種類が集まっているのか探るべくヴェルニアは耳を傾けて、ふと違和感を覚えた。

 ぴぴぴ、ちちち、と弾む声に、しくしくと人間の泣き声らしきものが混じっている。

「……あっちかな」

 呟いてヴェルニアが四阿の方に一歩踏み出せば、ダンドリオンも不思議そうについてくる。

「どうしたの。なにかあった?」

「誰か泣いてる気がする。聞こえない?」

「んー……ああ、確かに。向こうの方から聞こえる気がする」

 あのへん、とダンドリオンが四阿を指さす。意見が一致した。

 なるべく静かに、けれど素早く二人はそちらへ走った。近づくにつれ泣き声がよりはっきりする。明らかに子どものものだ。

 四阿に壁は一切ないため、中の様子がよく分かる。ゆえに誰もいないのは手前で判明し、それでも声が聞こえるのだから出所は別の場所だ。

 二人は息を合わせ、大樹の裏に左右からそうっとまわりこんだ。足音に気づいて怯えたのか、声がぴたりと止む。

「誰かいるの?」

 ヴェルニアの問いかけに、大樹の根元近くから「ぐすん」とはなをすする音が返される。そちらに視線を落とせば、珊瑚色のドレスに身を包んだ幼い女の子と目が合った。

 まだ五歳にもなっていないだろうか、瑞々しい白い頬には涙のあとが残っている。緩く波打つ黒髪はほんのりと赤味がかり、若草色の丸い瞳は大きく見開かれて今にもこぼれ落ちそうだ。

「だ、だれ?」

 かすれて弱々しい声から察するに、かなり長い間泣いたのだろう。女の子はヴェルニアとダンドリオンを見比べ、同じ顔をした人間が二人いることに混乱したのか、瞳になみなみと涙を溜める。

「怖がらないで。大丈夫」

 威圧してしまわないよう、ヴェルニアは地面に膝をついて穏やかに言葉を紡ぐ。

「俺はヴェルニア、そっちは弟のダンドリオン。散歩してたら泣いてる声が聞こえて、君を見つけたんだ。こんなところでなにしてたの?」

「……かくれんぼ……」

 警戒しつつではあるが、女の子は嗚咽の合間に答えてくれた。

「一人で?」

「……サラと、ふたりで……でもなんか、ひとりに、なってて……」

「寂しくて、悲しかった?」

 こくん、とうなずいて、女の子が膝を抱える。

 さらに詳しく聞けば、〝サラ〟とはどうやら彼女の世話係で、ヴェルニアたちより少し年上らしい。最初は楽しく遊んでいたけれど、隠れる場所を探している途中で蜂に追いかけられ、逃げるうちにいつの間にかここへ迷いこんでしまったようだ。

 このまま放っておくのは良心が痛む。サラの方も彼女を捜しているに違いない。ヴェルニアがダンドリオンと目を合わせれば、弟は心得たとばかりにうなずいて走り去る。きょとんのその背中を追う女の子に、ヴェルニアは手を差し伸べた。

「あいつはサラさんを呼びに行ってくれた。君は俺と一緒に王宮へ戻ろう」

「いっしょに? ……おこられたりしない?」

「どうかな、分からないけどその時はその時でちゃんと謝ればいい。俺も一緒にいてあげるから」

 それに怒られる確率が高いのは俺たちの方だよ、とは言わないでおく。

 手を取っていいものか迷った様子で、女の子はヴェルニアの指を掴もうとしては動きを止める。焦らず、急かさず、じっと待っていると、やがて人差し指と中指をまとめてふんわり握られた。そのまま立つのを促して、気分が晴れるよう声をかけてやりつつ、よたよたと進む彼女の速さに合わせながらヴェルニアは王宮まで戻った。


 彼女が国王夫妻の一人娘――つまりヴェルニアたちの従妹いとこだと知ったのは、両親たちから叱られる直前だった。

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