保健室の野良猫
ひっちゃん
前編:せんせ、来たよ
「せーんせ。来たよー」
保健室の扉をカラカラと開いて入ってきたのは、ふわふわとした明るい茶髪の女子生徒。彼女はデスクに向かっていた私にかまうことなく、鞄を肩に担ぐようにしてベッドのほうへと無遠慮に歩いていく。
「来たよ、じゃないでしょ松野さん。もう終業式も終わったんだから、早く帰りなさい」
「むーりー、こんな暑い中帰れないってー」
「時間が経ったらもっと暑くなるわよ」
「知らなーい」
彼女――
私はため息混じりにに立ち上がると、簡易的なシンクの脇に置いている小さな食器棚から湯呑を取り出しつつ、彼女が恨めしそうに見ている窓の外へと目をやる。
太陽はまだ真上よりもやや東にあるのに、十分すぎるほどに熱せられた空気はアスファルトから湯気を立ち上らせているかのようで。彼女でなくても外に出るのをためらうような熱さなのは間違いない。
「せんせー、なんで夏はこんなに暑いのー」
「夏だからでしょ」
白衣の袖を軽く捲り上げ、水にも溶けやすいと謳ってある緑茶の粉を投入した湯呑に注ぎ入れつつ、小学生のような質問を適当にあしらう。
「うー、夏なんて嫌いだー。早く冬になれー」
「あなた、去年の冬は『早く夏になれー』なんて言ってたじゃない」
「そんな昔のこと知らなーい。私は今を生きてるのー」
校則よりも短く詰めたスカートからすらりと伸びる両足をばたつかせて駄々をこねる彼女は、半年以上前から
「はい、これ飲んだら帰りなさいね」
「はーい。さっすがせんせー、離しがわかるー」
今となってはお盆を用意することもない。直接手渡した湯呑を彼女が両手で包み込み、中で氷が揺れてカランと微かに音を立てた。
「んーいい音だねぇ。夏って感じー」
「夏、嫌いなんじゃなかったの?」
「せんせーがいればへーきへーきー」
「はいはい」
コロコロと意見を変える彼女は、さながら気まぐれな野良猫のようだ。
彼女の軽口をこれまた適当に流してデスクに戻ろうとすると、白衣の裾がくいと引っ張られる感覚があった。
「せんせーも休んだらー? 真面目過ぎると疲れちゃうぞー」
ポンポンと自分の隣を叩きながら、彼女がじっと私を見つめてくる。……どうにも私は、こういう時の彼女の、じゃれつきたがっている猫のような瞳に弱い。
「……少しだけ、ね」
生徒に対して甘すぎる、と自分で自分に飽きれながら、私は彼女の隣に腰かけた。
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