第32話






 馬車から降り、屋敷まで歩く。まだまだ日の落ちない明るい空が、雲の見えない綺麗な青空が、どうしてだか私を腹立たせた。その苛立ちを振り払うようにいつもより早く歩いた。玄関に着き、扉を開けると、ちょうど掃除をしていたネイビーの姿が見えた。


「あれ? おかえり、ルイス。今日は帰ってくるの早いね。何かあったの?」

「まあ……」


 さっきの出来事がまだ飲み込めきれず、曖昧な返事しか返せなかった。そんな私の気も知らず、ネイビーは明るく話しかけてくる。


「とりあえず、お風呂に入る? 最近暑くなってきたもんね、さっぱりしたいでしょ?」

「……ああ、そうする」

「分かった。用意してあると思うからそのまま行っていいよ。着替えは後で持っていくから」

「ありがとう」


 そうして帰ってきて早々、私は浴室へ向かった。1人で考える時間が欲しかった。思えば、前世も含めて今までの人生で挫折という挫折を味わったことなどなかった。そもそもそんな風に思えるほど何かを頑張った経験もなかった。だから私は、これに対する解答を持ち合わせていなかった。



 結局お風呂の中では答えを出せなかった。どこかぼーっとした頭で、夕飯を食べ終え、ベッドに入る。明日も学園はある、何も分からずともどうせ行くしかないのだ。


「ねえ、大丈夫? さっきからちょっと上の空だけど、今日何があったの?」


 どうやら心配をかけてしまったようだ。——あ、そういえばネイビーは私の剣の稽古を見ていたっけ。なら何か分かるかもしれない。私はこの気持ちの答えが知りたかった。


「ネイビーは、俺の剣の稽古見てたよね?」

「う、うん。それが?」

「先生たちは俺を褒めてくれてたよな? 今日のことは何かの間違いだよね⁉」


 言っているうちに感情が昂ってしまい、声を荒げてしまう。支離滅裂な文章になっていることは分かっていたけど抑えられなかった。だって、あれだけ剣の修行をしたのに、剣の先生たちは私のことをあんなに褒めてくれたのに、私はアランの足元にも及ばなかった。その矛盾が私を苦しめる。だから今日のことは何かの間違いで……そう、ゲームの強制力、それが働いて私が負けただけ。そんな一縷の希望を私は抱いていた。


「ん? ああ~、なるほどね。なんとなく分かったよ。はあ、こんなことになるなら先に伝えておけば良かったね」

「ネ、ネイビー?」


 その反応は、欲しくなかった。続く言葉を聞きたくない、ひどい事実を私は知りたくない。なのに、耳を塞ぐことも、ネイビーを止めるように動くことも私にはできなかった。


「落ち着いて聞いてね。あれはだいぶ誇張したお世辞だったよ」

「お、世辞?」

「そう、お世辞。ルイスのやる気が出るならと思って、私も奥様も指摘しなかったけど学園に上がる前に伝えておけば良かったね。あっ、でも誇張してただけで、剣が下手ってわけじゃないからね。あくまで言い過ぎなだけで」


 はっ、ははは、ははははは! そうか、そうだよなあ。きっとどこかで私も分かっていたはずなんだ。でも、あれだけ頑張ったんだから、私の人生で初めて努力と呼べるほどに頑張ったものだから何かできるんじゃないかと勘違いしちゃったんだ。言われてようやく分かった。私の気持ちが。私はきっと怒っていたんだ。自分の不甲斐なさに。私はきっと悲しかったんだ。努力が実を結ばなかったことが。そして私は悔しいんだ。


「でも気にしなくて大丈夫。奥様もおっしゃってたけど、ルイスが戦わなくちゃいけない場面なんてそうそう訪れないんだから。それにいざとなれば闇魔法を使えばいいんだからさ、そう気を落とさないで、ねっ?」


 ネイビーが何か慰めてくれているが気休めにもならなかった。それじゃ、そんなんじゃ意味がないんだって。そういうことじゃないんだよ。


「ごめん、ごめんね。泣かないで」

「泣、いて、すぅー、なんか、ない」

「——そうだね。ねえ、ルイス、今日は一緒に寝ようか」

「……うん」


 そうして、ネイビーがベッドの中に入ってきた。私は顔を見られないようにネイビーの胸に抱き着いた。柔らかい感触が私を包んだ。ネイビーも私の頭を抱いて、撫でてくれた。いつもなら私を興奮させるネイビーの甘い香りが、今は私をどこまでも安心させてくれた。


「大丈夫、大丈夫だから」


 ああ、心地よい。まるで赤子に戻ったかのように私はネイビーを抱きしめる。ネイビーの言葉は脳の奥まで入り込んでくるようだった。私はいつの間にか意識を手放して眠ってしまっていた。




 次の日の朝、目が覚めるとすでにネイビーはおらず、体温だけがそこに残っていた。少し残念に思ったが、却って良かったかもしれない。すぐに顔を合わせたら恥ずかしくて仕方なかった。


 ネイビーのおかげですっかり頭も冷えた。私1人のままだったら、ずっとネガティブな気持ちを引きずったままだった。でも、今はもう違う。よく考えてみれば剣にそこまで愛着はないのだ。確かに悔しい気持ちは今もある。でも、別に剣に全てを捧げてるとかそういうわけじゃないし、そもそも始めた理由も追放された後に役に立つかも、みたいな曖昧な理由だったからね。剣の道はすっぱり諦めよう。人生、諦めが肝心って誰かが言ってたし。


 私はルイスという悪役をこなして、ヒロインたちを幸せに導く。追放された後のことはその時に考えればいい。きっと上手くいく、そう考えてた方が私には合う。今から不安になっていても何にもならないんだから。改めて現状を確認したことで私のやるべきことがはっきりした。これからどんどん忙しくなる、へこたれている暇はないぞ、と自分に発破をかけて私はベッドから出た。





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