フルーツサンド

雲峰くじら

フルーツサンド

 葬式を調理係でエアプする夢を見た。つまりは、あー、そういうことだ。その中であたしは焼香の列に並んでいた。遺影の中で先生は微笑んでいる。前に並んでいた教頭が妙に緩慢な動きで横にハケる。と、そこで広告が挟まった。「五秒後に報酬を獲得できます!」と左上に表記してある。広告を視聴しないと故人には会えないらしかった。なんだよ。それってなんだよ。もう諦めるしかないのかよ。

 悔しかった。ふざけんな、くそっ。


 空が矩形すぎてキレている。色はどうでもよかった。でも廊下は白かった。ガードレールの花は萎れていた。

「昨日のやつさー、映ってたよね?」

「まあ、映ってなきゃな。テレビなんて今時、幽霊見るためにあるようなもんだしな」

 お喋りする女の子たちが脇を通りすぎていく。スマホを空中でくるくると回す。幽霊はガラケーでしか呼べないらしい。教室に入る前、山田に話しかけられた。この前はゴメンて。でもさ、お前のこと心配だしさ。あたしは舌打ちを連打する。喋り続ける山田を半ば突き飛ばすようにして教室に入る。誰もこっちを見ない。後ろで山田が叫ぶ。おい!

「辞書を使うタイプのセックスはやめろよ!」

 うるせえ死ね馬鹿。殺すぞ。

 殺すぞと思ったので自動的にセーフティを解いてスライドを引いていた。シャコンとおもちゃみたいな音が鳴る。駄目だ駄目駄目。弾の無駄だ。撃つなら好きな人の心だけ撃たないと。


「なんでなの?」

 なんで全部うまくいかないの?

 イワナはそう言いながら泣く。屋上にはあたしたちだけだ。空が矩形すぎてあたしはキレそうになる。菓子パンの中にホームベースがあるからイワナは泣いていた。あたしたちは屋上の隅の土の溜まったところにスキルツリーを育てている。もちろん秘密でだ。毎日お昼に水をやる。それってきっと今までに別れた夫で星座をつくるデッキビルドみたいなことだ。

「フルーツサンド、冷めるよ」

 言ってあたしはアルミホイルの包みを取り出す。四つあるうちの半分をイワナに渡して、十二万円が手元に残る。それでイワナは今日はじめて笑った。あたしはポケットの残弾の数を手のひらで確かめる。

「ホームベースなんかさ……」

 分かるよ、とかさ。

 そういうクソみたいな言葉をクソみたいだって分かってながら言わなきゃいけないときがあるんだよな。

「うん」

「ホームベースなんか……わかんないけど。でもあんたは何も悪くない。それは確か。なのに……」

「高校最後の夏だから?」

「そうじゃなくて、いや、そうかもだけど」

 イワナは諦めたように笑った。

「たぶん、卵白だけを焼き尽くすような気持ちだよ」


 最初に屋上でふたりでご飯を食べたとき、ナゲットの横に水色の小さな袋がついていた。袋には「どこからでもきれます」と、なんだか小学生に言い聞かせるような感じで書いてあった。

「じゃあさ、試してみようよ」

 本当に切れるか試すといってイワナは雲が流れる方向に向かって屋上を走っていく。

「500メートル離れたところから、切る!」

 わざわざ電話してきてそう言った。ばかがよぉと思う。思った手の中で小さな袋がミリミリと伸びる。一センチくらい伸びて止まる。

「切れてないよ」

 あたしは電話越しにイワナにそう伝える。

 イワナは電話越しに応える。

 そっか切れなかったかー。でもさ、もし私が那姫礼岳の山頂まで登ったら、きっとその袋を切るからね。ゆーいがちゃんと泣けるように、絶対に切るからね。


 鼠色のコンクリの上を剥がれかけたペンキのヒビが放射状に走る。潮風が壁一面に描くアラベスクのその不器用な切っ先に、記憶の破片がまばらにしかし弱く白鍵を押していた。空気中に浮遊し光を映してきらめく粉塵は、きっととても有害なのだろう。窓の桟を人差し指でなぞると、飴の粉によく似た虹色がふわりと四センチほど立ちのぼって舞う。

 滑りやすい地面を握るように爪先に力を入れて、蹴り出す。狭いストライドで徐々にスピードをのせていく。曲げた肘が何度も空気を掻く。後悔だ。でも忘れなかったし、群青だった。悪くない日々だった。長い長い廊下を駆ける。係留されているみたいに、走るほど痛かった。外れかけた扉に嵌まった曇りガラスに、赤のスプレーで落書きされている。大きなバツ印だ。それはソニック・ユースの歌詞みたいだった。あたしは無視して飛び込む。扉を弾き飛ばす。体が宙に浮く。うねるような風が乱暴に全身を叩く。

 縫製工場の廃墟から、まっすぐに稜線が続いていた。まだら模様を描く萌黄色の灌木を割いて道が続く。スピードを殺さずに一直線に駆ける。空に爪痕状の筋を作る雲は寂しさの中で引き裂いたみたいだった。森林限界を踏み越えて徐々に木々が根を張る。コメツガだ。それにカラマツとスギだ。シラカバだ。曖昧だった。でも確かだった。確かにそこにいた。いつか時が過ぎてまっさらに消えてしまうものだとしても。

 途中で見るのをやめた映画みたいに防砂林が途切れて、目の前が全部海になる、心臓の音で波音が聴こえなかった、沖のほうでは水面は凪いでいた。鳥が鳴いている。慣性を殺し、肘を緩め、徐々に速度を落とす。波打ち際に体が止まる。膝に手をつくと夏の終わりみたいに汗が落ちる。目にも入り込むそれを拭いたかったけど手が動かせない。肺が空気を取り込もうと暴力的に喘いでいた。波がくすぐるように爪先を濡らす。赤いVANSのオールドスクールに沁み込んでいく。防水性のない靴だった。


〈今の高度は地上二五〇メートルなのだ。対象の深度は六世紀なのだ。冬の朝に生まれて胸の痛みを知ったのだ。鏡の中のテレビに映りこんだのだ。転調は二回なのだ。主たる構成素は和三盆なのだ。天気は快晴で昼過ぎから嵐になる予定なのだ〉

 滑らかで愛らしい合成音声が情報を羅列する。うちのAIオペレーターは空自のものをそのまま引っ張っている。ドミネが公式サイトのチャットボットに脆弱性を見つけて、そこから遡行して無理矢理パスを開いたって話だ。

 あたしは包みの中のフルーツサンドを頬張る。甘味が脳に染み渡る。あれから八年が経っていた。ずっと雨続きだった。 

 エアリグの乗り心地は最悪だ。空飛ぶ霊柩車と呼ばれているだけある。楔形の空にはいくつも皺と裂け目が走って、進路調査票みたいだった。映画の中の海に似たにおいの風が乱暴に体を叩く。髪をもみくちゃにしていく。降下指示がHUDに飛んでくる。眼下には撹拌した生クリームみたいな街が眠っている。誕生日パーティーなのか?

 その中心に転がるでかい──どれくらいでかいかというと、アメリカの野球スタジアムくらいの──コロッケの衣が、みりみりと糸を引きながら開く。最初に姿を現したのは翼だ。めちゃくちゃセンスの悪い盆栽みたいな骨格の間に、半透明の膜がぶるぶると震える。そのたびに新しい風がおきる。コロッケを様々な角度から突き破って、灰色をした七本の脚と尾が伸びる。無数の目と巨大な顎を備えるアンバランスな頭部が最後に姿を見せる。誕生日を祝ってもらえるのが嬉しいのか、鐘籃時計は咆哮する。あたしたちが騒がしくしすぎたか。でも大丈夫だ。明日からは思う存分眠れる。

 ヒトは一生の間に千の歌を憶える生き物だ。簡単にいくと思うなよ、糞野郎。

 昨日の夜イワナから来たメッセージには、明日登頂の予定だと書かれていた。でも今回もうまくはいかないだろう。別にいい。それならそれで、五回目が待ってるだけだ。大丈夫。その日まであたしが空を守るから。

 あたしは弦をミュートしたままギターのボリュームをゆっくりと上げる。レイニーの古いアンプからホワイトノイズが泡みたいに湧き上がる。手を上げて合図すると、ステージ袖のスタッフは大きく頷く。目を閉じると、帯電した空気のにおいやフロアのざわめきが全部遥か彼方まで遠ざかっていく。

 サブスクにだって並んでるような憂鬱さを飾りつけて、いかにも詩人は言うだろう。誰かを愛することは寒い夜にグラタンを焼くことだと。でも、それでもあたしは、最後の氷河期の世界で最初の一滴の赤色になりたいんだ。

 沈黙の中で、別々の軌道で周回していたふたつの惑星が重なり合う。あたしは目を開ける。光の粒子が傘を広げていた。時間は少し押してる。さっさと御簾を上げて、ショーを始めよう。

 

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