音を鳴らす。澄み切った、392Hzよりは少しだけ周波数の小さい音。他の音よりずっと、透明で透き通って聞こえる音。他の人がどう思ってるかは分からないけど。

 ハ長調よりト長調の方が好きだ。ハ長調は単調すぎて、子供っぽく聞こえるような気がする。ト長調の方が綺麗な感じがする。ただの主観でしかないけど。

 短調はあまり好きじゃない。一概にそうとは言わないけど、長調の流れるような美しい旋律にこそ心を奪われる。短調もかっこいいという意見も分からなくは無いから、その意見を否定するわけじゃないけど。


 音楽、というより芸術には、それぞれの感性が必要だと思う。感性というか、好み。この音が好きとか、絵画ならこの色が好きとか、なんでもいい。人間の感情がなければ、きっと芸術は成り立たない。人間の欲が見えるからこその芸術だ。

 と、たいそうに語っている俺は、別に何者でもない。ただのしがない高校生だ。ピアニストでもなければ画家でもない、吹奏楽部でも美術部でも、さらに言えば演劇部とかの部員でもない。ただ日々を普通に生きているだけのつまらない人間。芸術、特に音楽に人より関心はある。それ程度の人間だ。

 関心があると言っても、コンサートに通ったり、美術館巡りをしたり、そんな時間とお金がかかるようなことはしたことがないし、したくもない。美術館の作品なんて特に、良さが分からない。

 ただ、人間関係とか自分の不甲斐なさに病んだとき。漠然と、自分を取り巻く全てが、それを生み出すこの世界が、不安だと思ったとき。小さな自室の隅に追いやられた、安価な電子ピアノの音を鳴らす。

 綺麗な音じゃなくていい。だって俺はピアニストじゃないから。思いのままに、機械的に作られたその音を鳴らす。弾く曲は九割以上がJ-POP。クラシックは難しくて、むしろストレスが溜まるから弾かない。このピアノがグランドピアノであればどんなに良いか。そう思いながら、重みのない鍵盤を叩く。

 少し前、と言っても三年ほど前だが、その当時は音楽以外にも芸術を嗜もうとしていた時期があった。それこそ、ピアノを弾く代わりに絵を描いたり、小説に触れたり、あるいは動画配信サイトにアップロードされた劇を見たり。映画館にもよく通っていたかもしれない。けど、どれも刺さらなかった。絵画も文章も劇も、どれもよく分からない。結局音楽しか残らなかった。

 ――ふと、考えたことがある。精神的に多少不安定なとき、俺が芸術を求めてしまう理由は何なのだろうかと。

 そして出した結論は、「俺は芸術に縋っている」ということだ。その理由は、存在を肯定してほしいから、とでも言おうか。

 昔からなんの特徴もない人間だったから、長所もなければ短所もなかった。明るく溌剌とした主人公タイプでもなければ、悲劇のヒーロー的なものでもない。存在感が薄いかと言われればそうでもない。クラスメイトの名前を挙げていったときに、二十番目ぐらいに名前が出るような人間。村人B、みたいな。キャラ立ちもしてないような。

 だからこそ、なのだと思う。テストの点が悪かったり、理不尽に教師に怒られたり、無性にむしゃくしゃして心に蟠りができたときに、ただ思うがままに、ある意味力任せに、芸術に縋ってしまう。行き場のない思いを、言い表せない感情を、どうにか表現できないかって、もしくは浄化できないかって。セオリーなんて無視して、基本なんて無視して、ただ好きなようにピアノを弾いたり絵を描いたりする。

 セオリーや基本が大事だということも、一応理解しているつもりだ。幼稚園児の頃から高校生になるまで、ピアノを習っていたとき、それは散々教えこまれてきた。顔つきがそんなに良くなかった先生と、何故か熱心に言い聞かせてくる母親に。ピアノ歴に比例しない稚拙な技術しか持たない俺でも、力任せに鍵盤を叩いてはいけないとか、ペダルを強く踏んじゃいけないとか、そんなことはさすがに分かっている。

「先生の言う通りにしなきゃダメでしょ」

 そうやって、何度も何度も言われてきたから。

 現に、俺は絵画や文章の良さは分からないし、明確に「好みはこれ」と言い切れるのは、音楽についてだけだ。芸術に縋るためにも知識は必要で、その知識とはセオリーであり基本である。

 だけど、芸術の本質はセオリーとか、そんな堅苦しいものじゃない。人間の欲、つまり感情だ。それがあってこその芸術。

 今の時代、音楽とかの芸術で、お金を稼いで生きていく人が増えたような気がする。多分、誰もがみな最初は、自らの欲を全面にさらけ出して、それで生きていけることを目指す。

 でも皮肉なことに、感性を詰め込んだ作品が評価され、売れていくにつれて、求められるものは商用の、芸術の本質とは程遠い作品になる。そうやってできた作品は、美しいかもしれないが、欲も感情も何も無く、もはや芸術ですらないと思うのだ。

 人間の美しさ、醜さ、欲望、言い表せないもの全部、無理やりにでも表現したものこそ芸術だ。形はなんだっていい。それを作ってるとき、完成とは行かなくても、それをこの世に紡ぐとき、俺の存在は間違いなく肯定されていると感じることが出来る。だから俺は感情のままにピアノを弾く。

 そうやって、芸術に縋るしかない俺の欲と感情を、ここに紡ぐ。

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