極致の果てに見えるもの

神田(kanda)

極致の果てに見えるもの


「もし、将来、私の言うことが分かるようになったら、もう一度ここに来てみてください。」


ほとんど朧気で曖昧な記憶。だけど、ずっと忘れることの出来なかった一言。

ここに来ることは、もう、ないのだろうと思っていた。ただ、やはり私は、この場にいずれ来る運命だったのかもしれないと、今になって思う。


「カランッ」

ドアを開けると、鈴の音が鳴った。それと同時にマスターの「いらっしゃい」という声が聞こえてくる。

「奥の、あっちの部屋の......」

「ああ、なるほど。分かりました。」

久しぶりに人と話したからか、ろくに話せなくなっていた。あれだけ磨き上げたはずの話術はとっくに消えていた。もう、私には無理なのだろう。私はもう、マジシャンとして生きることは出来ないのだろうと、頭が結論づけようとする。だが、その思考を止めるように、感情が叫ぶ。

ここ最近はずっとこの繰り返しだった。ああ、そうだ。この抜け出せない思考と感情の攻防を止めるために、ここに来ているのだ。

目的を思いだし、少し冷静になった。


店員さんに案内をしてもらったものの、ここは何も変わっていなかった。10年前と、何もかも。


「はい、それではそちらのお客様、お好きなカードを選んで下さい。」


その部屋の奥のテーブルに、その人は居た。10年前と同じように、数人のお客さんたちの前で、マジックを披露していた。

その人自身も、何も変わっていなかった。相変わらず、とんでもない技術を持っていた。私が世界で競い合ったマジシャンたちに匹敵するほどのものだ。だが、それを決してメインにすることはなく、あくまでも、話術をメインとして、お客さんに楽しんでもらえるための立ち振舞いをしていた。

その変わらない姿を見て、いつの間にか、涙が出ていた。安心したのだ。彼のマジックを見て、今の私にもマジックを楽しいの思える心があることに、感動した。嬉しかった。


テーブルの周りに居た人たちがぞろぞろと席を立ち上がり、帰ろうとしていた。次のマジックショーが始まるまでには、観客が集まらないといけないが、ここに残っていたのは、私一人だけだった。

あの人と、いや、先生と最後に会ったのは10年も前のことだ。だから、私のことなどきっと覚えているはずもない。ただそれでも、そうだと思っていても、ここに来てしまったのだ。

私は、なんだか気まずくなってしまって、無言で部屋を出ようとした。その時だった。


「トランプマジック、見ていきませんか?あなたが好きだった、選んだカードを色んな場所に移動させるトランプマジックです。」


私の目は、ドアしか見えていなかった。だが、分かる。後ろにいるあの人の、優しく微笑んでくれている顔が、見える。

私は、

「はい......ぜひ、ぜひ、お願い、します。」

と言って、振り返りながら歩き、席についた。


私は、先生の顔を直接見ることができず、やや俯いていたのだが、先生は何か特別なことを言うわけでもなく、いつも通りに、お客さんに接するように、マジックをしてくれた。私がまだ小さかった時、好きで好きでしょうがなかったネタをやってくれた。選んだカードが、色んなところから何度も何度も出てくる、というものだ。


「ご覧いただき、誠にありがとうございました。」

先生は、軽くお辞儀する。私は拍手を送った。

「どうでしたか?久しぶりの、10年ぶりのマジックは。」

「そう、ですね......。全部、タネも仕掛けも分かっているし、自分でも何度もやったネタなのに......とっても、とっても......楽しかったです。楽しくて仕方がなかった。ワクワクが止まらなかったです。」

「そうでしたか。それは、良かった。」

先生は綺麗な手つきでトランプをしまう。それがとても神聖に感じられて、私は、先生にこんなみっともないことを言うのは、どうなのだろうかと思い、今悩んでいることを言い出せなかった。

そんな私のことを、先生はお見通しだった。

「マジックが、マジシャンとしての生活が、苦しいですか?」

「え......あ、えと.........。」

私は狼狽してしまったが、先生は見守るように、穏やかな目で、優しく私の目を見てくれた。その瞬間、私は、今まで抑えていたものに耐えきれなくなって、子供のように泣きじゃくりながら言った。

「はい......つらい、です。つらくてつらくて、しょうがなくて、もう、これからどうしていけばいいのか分からない、です......。」



私は、先生に色々なマジックを教わった。それが中学生の頃の話だ。父親が先生のマジックが好きで、私も一緒に見に行って、初めて見たその時から先生のファンになってしまい、よく見に行くようになった。あまりにも頻繁に見に行くものだから、先生と少しずつ話すようになって、ある時、ふと先生が、

「よかったら、少しやってみますか?」

と言って、マジックの手ほどきをしてくれた。そこから一気にのめり込み、ずっとマジックをやっていた。しかし、高校に上がると同時に、両親の仕事の都合で遠い場所に引っ越すことになり、先生に会えなくなってしまった。だが、ずっとマジックをしていた。

先生の教えてくれた基本があったお陰で、どんどん実力がついていき、世界的なマジシャンとなった。名誉と名声、どちらも手に入れた。

だが、それと同時に、焦りも手に入れた。


お客さんを、笑顔にしなければならない。

世界に名を轟かせるマジシャンとして、その名誉と名声に見合うように、完璧なものを見せなければならない。

最高のマジックを見せなければならない!


その先にあったのは、恐怖だった。

お客さんの視線が、怖い。お客さんの顔が、怖い。回りのマジシャンたちと比べられることが、怖い。自身の積み上げてきた名誉と名声が、怖い。


マジックが、怖い。



「先生、私はもう、マジックをするのが怖いです。先生と最後にあった日に、先生が仰っていたように、誰かに向けてマジックをするのが、怖いんです。」

私はテーブルに突っ伏しながら、言った。

先生は、そんな私の肩に優しく手を置いた。

「ここまで、よく、頑張りましたね。」

ありきたりな言葉かもしれないけれど、私には、これ以上ない賛辞だった。結局、私は何だかんだと言って、ただ、先生に認められたかっただけなのかもしれない、とか、そんなことを考えたその時だった。


「ただね、一つ、君は大きな過ちを犯しているよ。」


雰囲気が、違った。

言葉づかいが何だか、違う。

私の知っている先生では、ない。


「君は小さい頃、言っていたね。たくさんの人をアッと言わせてビックリさせるようなマジックをして、人を笑顔にしたい、と。先生のように、人を笑顔にしたい、と。」


私はゆっくりと顔を上げて、少し安心した。言葉の重さは違うが、やっぱり先生だった。表情、仕草、目、何から何まで、先生に違いなかった。いつもの優しいその姿だった。


「私はね、君の言うような立派な人では、ない。むしろ、とても酷い、醜いマジシャンなんだ。」

「な...!そんなわけ...!」

「ふふふ、ありがとう。否定してくれて。ただね、これは事実なんだ。本来、立派なマジシャンというのはね、君のような人のことを言うんだよ。懸命に技を磨き、誰かの為に、誰かの幸せの為に、誰かの笑顔のために、マジックと正面から向き合い、エンターテイナーとしての矜持を持つ。そんな人こそが、ね。」

そこで私は初めて、先生の悲しげな顔を、見た。

「ですが先生...私は...結局、駄目でした。誰かの為に、何かの為に、と思ってマジックをしていたはずなのに、自分の名誉や名声やらに取り憑かれて、誰かからの期待に応えられないんじゃないかと思って......自分が、出来ないやつだと思われるのが、嫌で、怖くて、もう、マジックと向き合えません......。」

嗚咽をこぼしながら、先生に言った。

声を荒げるだけの力もなく、ただ、消え入るような声で、ボソボソと、言った。

「ああ、君は本当に素敵な人だね。」

私は顔を上げる。

なんで?どうして?と、疑問が湧く。

どうして先生はこんなにも利己的な私を褒めるのだろうか?

「さっき言ったね、私は君と違って、酷いマジシャンなんだって。」

「はい......そうです、ね。」

「私はね、正直なところ、マジックに対して、何も特別な感情を抱いていないんだ。」

「え、それは、どういう...」

「私にとって、マジックは、生きるための単なる道具でしかないんだ。」

「そう...なのですか...?」

「うん、そうなんだ。私にとって、マジックで人を笑顔にするなんてことは、無意味で虚しいことでしかないんだ。」

私は、わけが分からなかった。

私の知っている先生は、マジックの大好きな人だったはずだ。だって、マジックの楽しさを教えてくれたのは、先生なのだから。

「人を笑顔にしたところで、何の意味もない。一瞬の幸福という幻影を見せたところで、その人を、本当の意味で幸福にするなど出来ない。ましてや、マジックショーなどの催しで、競い合うなど、正気の沙汰では、ない。狂っている。確かに、競い合う中で、より良いものが生まれていくのも分かる。ただ、だから何だというのかね?より良いものを生み出して、マジシャン達にさらに高い技術を求めて、強要して、勝手に期待をして、勝手にがっかりされて、誰も幸せにならない。惨い、惨すぎる。」

先生の頬には、涙がつたっていた。

先生の言っていることは、10年前の私には、絶対に理解できなかったはずだ。ただ、今の私には、良くわかる。先生の言葉は、ナイフのように、私の心に深く、鋭く、刺さった。

ああ、先生も、私と同じだったんだ。

今、ようやく、ハッキリと、先生のことを捉えることができた気がする。

やっぱりこの人は、優しい人だ。

そして、やっぱりこの人は、マジックが好きなんだ。

「でも先生は、やっぱりマジックが好きなんでしょう?何とも思っていない、そう、思いたいだけなんですよね?」

先生は、悲しそうな顔から、少しだけ、ほんの少しだけ、嬉しそうな顔になった。

「......ええ、そう、です。そうなんです。すいません、私のさっきの発言は、正確ではなかったです。私は、マジックで人を笑顔にしても、本当の意味で幸せになどできないから、勝手な妄想で、自身の行いに罪悪感を覚えています。その罪悪感を忘れないために、私は、マジックで人を笑顔にする事は、無意味なことだと、思いたいのです。

......ですが、やっぱり、出来ません。私は、人の笑顔を見ると、嬉しくてしかたがない。そして、みんな私に感謝の言葉を、「楽しかったよ」という一言を送ってくれる。だからこそ、マジックで、人を、本当の意味で幸せに出来るのではないかという、幻影にすがってしまうのです。」

先生の心からの思いだった。

だからこそ、私も、心の底からの思いを、伝えなければいけないと、そう、思った。

「先生、私は、少なくとも私は、先生のマジックで、本当に幸福になれたと思います。確かに、ここ最近は、すごくつらかったです。ですが、それでもやっぱり、マジックから離れられないんだと思います。先生と同じように。

これは、つらいことではないです。むしろ、マジックという運命が私にあるということが、私の生きる希望になっているのです。先生、先生が、私に運命を導いてくれたんです。確かに、こんなことも、結局は無理やり幸福だと思い込みたいだけ、というものなのかもしれません。ですがそれでも、それでも、この感情は、私の心は、幸せだと、言っています。」

先生は、私を抱きしめてくれた。

そして、ただ一言、「ありがとう。」と言ってくれた。

私と先生は、同じものを見ている。

その事が分かっただけで、もう、余計な言葉はいらない。


私は、自身の名誉と名声に縛られて、マジックをすることが苦しい。そして私は、それなら、そんなものは気にしなければいいといって、割り切れる程、強い人間ではない。だから、マジックから逃れようとした。だけど、やっぱり出来ない。どうしようもない人間だ。

だから、これからもきっと変わらない。

今まで通り、続けていくのだろう。

ただ、それでは、今までと同じで、つらい。

だが今は、一つだけ、違う。

先生の言うように、私たちが与えている幸福は、幻影に過ぎない。これも、一つの事実なのだ。しかし、それと同時に、その幻想に対して、特別な感情を抱き続けるのをやめられないというのもまた、一つの事実なのだ。

だからこそ、この、つらく苦しい営みを、し続けるのだ。

これすら幻影、無意味なことだから。

やってもやらなくても、意味はない。

ただ、運命に導かれれば、それでいい。




私と先生はその後、一緒にお酒を飲んだ。もちろん、一緒に飲むのは初めてだ。

「ふー......それにしても、すいません。語気を強く、威圧的に話してしまいましたし、何度も矛盾したことを言いました。感情的で、お恥ずかしいばかりです。」

「先生、それを言うなら自分もです。似た者同士、これからも頑張っていきましょう。」

「そう言っていただけると、嬉しい限りです。」

先生と同じお酒を飲む。

そのことが、先生と同じ景色を見ているように感じられて、嬉しくて嬉しくて、しょうがなかった。

ああ、たとえ幻影だとしても、幸せはいいものだなと、そう、思った。

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