第36話 対英米(蘭)開戦の件

【前書き】

 本作は架空世界のフィクションです。一部過激な表現があります。あくまでも、フィクションの架空戦記であることにご留意ください。受け入れられない場合はブラウザバックを推奨します。


【本編】


=1941年12月1日=


 私は生まれ変わってから一番の緊張に襲われていた。いつも辻参謀が隣に立って絶妙なタイミングで援護射撃を貰えるが、今は対英米開戦を決める御前会議のため、辻でさえ入室を許されない。


「米政府コーデル・ハル国務長官が提示した最後通告は苛烈を極めました。我が国ひいては東亜連邦がとても呑み込める内容ではありません。これに外務省は非公式ながら幣原さんの名前を借りました。通称になりますが『幣原通告』を返しています」


「フィリピン、グアム、ハワイを順次独立させる。幣原さんのご尽力に感謝したい」


「非常に忸怩たる思いでありますが、後輩の吉田君を見捨てるわけにもいかず、私も英米強硬派の一員になりました。外交は難しく一筋縄ではいかぬ。よく頑張ったと褒めてやりたい」


 米国政府は日本時間11月27日(米国時間11月26日)にコーデル・ハル国務長官を代表に合衆国及日本国間協定の基礎概略(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)を提示した。いわゆる『ハルノート』と呼ばれる最後通牒と認識し、その内容は言うまでもないが、微妙な差異を確認でき以下に纏める。


 1.中華民国の汪兆銘政権を認めない(蒋介石政権のみ中華民国と認める)

 2.日中泰三国同盟の破棄(事実上の東亜連邦の解体)

 3.香港等の英国領を返還


 これら以外は特別変わらないため省略した。


 ハルノートの提示を受け取って直ぐに政府関係者は一様に落胆の意を示す。天皇陛下の慈悲たる外交努力の解決を試みた。米国政府は一考の価値も無しと一蹴する。これ以上の外交努力は徒労に終わり、米国の知日派を動かしてもどうしようもなく、誰もが日米開戦やむなしの論調に乗った。


 日本政府は落胆して直ぐにカウンターの幣原通告を発する。米国が最後通牒を提示してくることは想定内だ。表向きの最後通告である乙案を引っ込めた代わりに苛烈な幣原通告を叩きつけてやる。これを痛快か愉快と言う前に幣原通告は文字通りで前外相の幣原喜重郎男爵の名前を借りた。


「駐米大使と特使、外交官は日米交換船で順次帰国させます」


「彼らは最大限労ってあげてほしい。私や吉田君は直接的に対面しないが、現地の大使と特使、外交官は真っ向から挑んでくれた。彼らの働きこそ称賛に値しましょう」


「幣原さんも丸くなりましたね。一昔は烈火の如く叱っていたのに」


「昔話は要らない。外交が邪魔をしてはならない」


 現外相は吉田茂氏でも実際は幣原喜重郎元外相が外交の舵取りを担う。両者は外交の先輩と後輩の関係だが、巷では不仲と犬猿の仲と言われていた。日本ひいては東亜の権利を守ることは共通する。日米交渉では米国の知日派を動かして内側から切り崩しを試みた。見事な連携で日米交渉の時間稼ぎに成功する。ハルノートの提示に対する幣原通告の返答が交渉を締めた。


「米国政府は主張を一切譲らず、妥協案は一蹴に付された。吉田外相並びに幣原男爵のご尽力を賜り、なんとか日米の大戦争を回避しようと努めてきましたが、ここに已む無く日米開戦に至ったのであります」


(米内さんも陛下の前では縮こまらざるを得ない。よくぞ今まで日本を引っ張ってこられたが限界も近いだろうに。次の首相は阿南の叔父かな)


「東亜連邦は東亜の枠組みを超えて太平洋の市民に真なる独立をもたらす。12月8日に対英米に宣戦を布告する」


「蘭印はどうするのか? 未だ交渉中であるか?」


「その通りです。日蘭交渉のみ継続中であります。武力を伴う進駐は最終手段とし、原則として、外交による平和進駐を第一に掲げています」


「まずもって無理です。オランダ政府はドイツに屈しましたが、亡命政府と現地政府は共に健在であり、武力を以て進駐する以外に手はない」


「石原君が言うのだから、無理なんだろう」


「承知しました。とりあえず、筋は通しておきます。手を尽くしたことを証明しなければ正当性を得られません」


 現時点では対英米開戦となってオランダは除外している。オランダ本国はドイツの侵攻から降伏するもイギリスのロンドンに亡命政府を設けた。すでにポーランド亡命政府があるようにドイツの魔の手から逃れている。絶好の好機と認識しては進駐を目論んだが現地政府は意外と頑固だった。亡命政府の許可を得ない独断専行を多用して交渉の机にも来ない。現地政府は市民の独立運動を徹底的に弾圧して蘭印の現地政府は英米側に立つわけだ。


「海軍は第一弾作戦を予定通りに実行します。ダッチハーバー作戦、ウェーキ作戦に加えて陸軍の南方作戦を支援する予定です。英海軍が迎撃に出動することは織り込み済みであります」


「陸軍は南方作戦を宣戦布告に合わせて開始する。マレー作戦と蘭印上陸作戦、グアム上陸作戦、フィリピン上陸作戦と各方面に大兵力を展開した。マレーは中華民国軍とタイ王国軍の助力を得ている」


「すなわち、陸軍と海軍は予定通りに進める」


「一点だけ修正を挟ませていただく。ハワイ奇襲攻撃は欺瞞情報に変えました。これに信憑性を持たせるため、一個水雷戦隊にミッドウェー島を砲撃させ、米海軍太平洋艦隊の進出を遅延させる」


 天皇陛下の慈悲を汲み取る。我々は外交努力による日米開戦の回避に尽くした。もはや、日米関係は不可逆的に陥り、ハルノートが止めを刺し、幣原通告が縁の切れ目となる。天皇陛下は言葉こそ発せられないが御心中は察するに余りあった。しかし、対英米開戦を決めた以上は勝たなければならない。どんな手段を講じてでも勝たねば賊軍に落ちた。


 海軍は第一弾作戦に独自のダッチハーバー奇襲作戦とウェーキ島攻略作戦を据え、陸軍の南方電撃作戦を支援する。ダッチハーバー奇襲作戦は一種の陽動作戦を為し、主に米国市民に「日本軍が上陸して来る」という意識を植え付けることで、彼らに対日戦が対岸の火事でないことを教え込んだ。厭戦気分の蔓延に期待したいが米国政府の情報統制は恐ろしい。これと時を同じくする予定のウェーク島攻略作戦は連合艦隊の打ち合わせを覗いた際に把握できた。山本長官の秘蔵の案ことハワイ奇襲攻撃作戦は立ち消えたるも旧暗号を用いた欺瞞情報に活用する。さらに、信憑性を持たせるために水雷戦隊がミッドウェー島を砲撃した。


「石原陸軍大臣、一つよろしいか?」


「何でしょう。私が答えられることであれば何なりと」


「フィリピンを内側から崩せない時は猛爆撃を加える。それも無差別爆撃を行うと噂が飛び込んで来たので真偽のいかほどを」


「なるほど」


 この会議は外側は閉鎖的でも内側は意外と開放的である。日本の行く末を決める以上はオープンに議論を交わすことが奨励された。海軍軍令部総長の堀悌吉大将が石原莞爾陸軍大臣に昨今の噂について問い質す。石原莞爾は天皇陛下さえ「あの男は分からない。信頼できないが優秀かもしれない」と述べる程の謎多き人物だ。彼は内に秘めたる冷酷さをチラチラと見せてくる。


「私は絨毯爆撃を選択肢の一つに置いている。もちろん、最初から絨毯爆撃を行うこともなく…」


「選択肢の一つ? それは到底許される行為では無かろうに」


「東亜連邦の盟主たる陛下に仇為す者には等しく裁きを与える。我らと志を同じくする者は等しく迎え入れた。しかし、我らに仇と害をもたらす者は賊に過ぎない。一応と申し上げるが、井上成美中将は賛同してくださっており、海軍の了解は得たものと認識した」


「井上め…」


「この戦いに勝たねば全てが水泡に帰す。私はありとあらゆる手段を講じる。自ら進んで修羅の道を歩む覚悟だ。いつか死して地獄へ参ることは甘んじて受け入れる。その覚悟も無くして戦争に突入しようと言うのか」


 石原莞爾は修羅を進んだ。


続く

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