第10話 ジューコフ生涯の好敵手現る?

=1939年5月=


 ついに日中とソ蒙が全面的に衝突した。


 ソ連軍はハルハ河を超えて満州に侵入する。ハルハ河の蒙古軍と協同して橋をかけると次々と戦車部隊、砲兵部隊、歩兵部隊がなだれ込んだ。地上部隊に呼応するが如くと爆撃機と戦闘機が空の国境線を超える。これまでの国境線の小規模紛争は前哨戦にもならない。ソ連軍による大規模で統制の取れた攻撃に日中軍は組織的な後退を繰り返した。


 非常に賢明な判断と言えよう。


 なぜなら?


 敵軍を率いるはゲオルギー・ジューコフなんだ。


「あまりにも順調すぎる。中国の同胞を殲滅したものとは思えない」


「地上戦は圧勝を重ねています。しかし、航空戦は完敗が続きました。I-16は全く歯が立ちません。SBは戦闘機の護衛なくして戦えず」


「このままでは制空権を奪うどころか逆に失われる」


 ジューコフは潤沢な重砲と野砲を惜しむことなく一挙に大量投入する。まずは大砲の火力で圧倒することで国境線の日中軍を釘づけにした。歩兵部隊が砲撃支援を糧に猛攻撃している間に両翼から快速戦車と装甲車から為る機甲部隊が突破する。ソ連軍は三方向から攻撃して包囲殲滅する作戦を採用した。この作戦は見事に的中して日中軍は状況を把握する間もなく敗走を重ねる。


 それにもかかわらず、ジューコフや副官たちの表情は苦しそうだった。


「航空部隊の再建が完了するまで大規模な攻勢はできません。ハルハ河に戦線を敷き直して反攻に備えるべきかと」


「敵が崩れている間に攻める。この好機をみすみす逃すと言うか」


「敵機が飛び交っている中で砲兵を動かす。それが愚の骨頂であることを知らんのか!」


(ジューコフのため息)


 彼らの表情を苦悶に染めた原因は航空戦の大敗北に収束する。ソ連空軍は地上部隊に先んじて爆撃機と戦闘機を派遣した。I-15(又はI-153)、I-16、SBが雪崩れ込んだ先に多種多様な戦闘機が待ち構えている。


 I-15は複葉の旧式機のため一方的に撃墜されても仕方のないことだ。I-16は単葉の主力機とスペイン内戦から活躍を続けている。登場当時はいかなる戦闘機よりも速度で上回っては圧倒したが航空機の発展は目覚ましいのだ。日中軍の新型機にバタバタと撃墜されている。直近は敵機を1機撃墜するのに10機の損害を出した。


 SB高速爆撃機は自慢の速度性能を活かすべく高高度爆撃を敢行する。日中軍の新型機は高高度を飛行するSB爆撃機に追従すら覚束なかった。最初は余裕綽々と爆弾を投下したが、未知の新型戦闘機を確認した途端に主翼を折られ、爆撃機隊は出撃する度に大損害を被る。I-16を護衛に付けても瞬時に撃墜された。爆撃機は逃げることすらできない。


 序盤は地上戦で圧倒すれど航空戦に完敗を喫した。


「敵の司令官は割れているのか」


「敵司令官の顔が割れるも何もありません。敵将はイシハラです」


「このジューコフの生涯の敵はイシハラか…」


 普通は「何を仰る」などと笑うところ誰も笑えない。中国が内戦を繰り広げていた頃から存在感を発揮するは日本陸軍(関東軍)の石原莞爾という男だ。満州の大地で知らぬ者は一人としていない。中華民国の北伐に同調して共産ゲリラを駆逐すると、小さな統治者と奉天勢力から中華民国を纏め上げ、東洋のガリバルディを自称するまでに至った。


 石原莞爾の勇名はソ連を超えてコミンテルンにまで轟いている。国際共産主義運動を東洋に浸透させるに日中は大きな障害として排除すべき対象に定めた。その中でも石原莞爾はそこら辺の政治家や外交官よりも厄介な難敵と恐れる。独ソ戦において救国の英雄と称えられるゲオルギー・ジューコフが生涯の敵と断言した。


「野営地や村を制圧しても、全て焼き払われており、手に入る物は灰ばかり」


「敵に奪われるぐらいなら、燃やし尽くし、何も残すな」


「卑劣な手段を使うことを厭わない。ヤポンスキーは満州を天国と宣伝したのに」


 実は地上戦に勝利を重ねて野営地や村まで到達した部隊もある。彼らは現地調達が不可能どころか退避を余儀なくされた。日中軍は撤収時に持って行けない物資を片っ端から焼き払う。いわゆる焦土戦術を採用した。満州に極楽浄土を建設すると言いながら非常時は躊躇せずに焦土戦術を用いる。自分達が作った物を一瞬で壊すという行為は蛮行に括られた。


 皆で項垂れている時に追撃と嫌な急報が飛び込んでくる。


「ハルハ河の砂丘がやられました! 敵は夜間に空襲を行っています! 砲兵も甚大な被害を被り!」


「なにぃ!」


「ここで航空戦で負けたことが響いて来る。どれだけ地上で圧倒しても航空機は一切影響を受けない」


「航空部隊の指揮官を更迭させるように言いましょう。このままでは空から嬲られるだけです」


 ハルハ河を超えた先の高地が夜間爆撃を受けた。詳細は不明と言うが評価は壊滅と報告を受ける。重砲と野砲の砲兵も甚大な被害を受けた。どれだけ地上戦で圧倒しようと、敵軍の飛行場を破壊ないし奪取しない限り、敵機は悠々と飛行できる。制空権の確保に失敗したことが凶報をもたらした。


 ジューコフはポツリと漏らす。


「これもイシハラの仕業か」


 昨日から今日にかけての未明に戻る。現地で何が起こったのか見てみよう。


 ソ連軍地上部隊は蒙古軍と連携してハルハ河を超えた。その先の高地に前哨基地を構える。ここに122mm榴弾砲や76,2mm野砲の砲兵隊、T-37軽戦車とBA-6装甲車の機甲部隊、狙撃兵隊こと歩兵部隊が布陣した。


~733高地~


「て、敵機だぁ!」


 ソ蒙軍は24時間体制で夜襲に備えている。敵は地上を這うことなく頭上を飛んだ。レシプロエンジンの軽やかな音が聞こえたかと思えば、砲兵陣地に次々と爆発の閃光と轟音が生じ、弾薬に火の手が回ったのか誘爆まで発生する。


「昼間は偵察と観測を行い、夜間は低空襲撃を仕掛け、直協は本当に良い機体だ」


「九九式襲撃機には出来ない芸当です。九八式直協でなければ不可能なこと」


「機銃掃射もしていこうか。敵さんは高射砲も高射機銃も無いようだ」


「一生懸命に軽機を撃っても位置を教えているようなものです」


 彼らは味方も寝静まった深夜に仮設の野戦飛行場から飛び立った。敵軍の侵入を感知した昼間は偵察任務と観測勤務に従事する。敵軍と刃を交えることは少なかった。数時間の休養を挟んで日が落ちた後に夜間襲撃が命ぜられ、昼間の鬱憤を晴らしてやると言わんばかり、主翼に60kg陸用爆弾4発を携えると、一斉に静かな夜空に飛び立つ。


 日本軍が733高地と名付けた小高い砂丘を低空から襲撃した。闇夜で見えないと雖も事前の偵察から大雑把に目星を付けておき、ここが敵軍に制圧されることを予想することで即応を可能にする。戦闘機が飛ぶことのできない真夜中に忍び寄った。敵本陣とは別に設けられた砲兵隊の陣地へ60kg陸用爆弾を重点的に投下する。翌朝の砲撃に用いる砲弾や装薬に引火したのか誘爆が相次いだ。


 夜間襲撃の実行犯は日本陸軍の九八式直接協同偵察機(夜間襲撃仕様)である。通常仕様と異なる点はオリーブ色に塗装していることだ。闇夜に溶け込むことを意識している。元より優れた操縦性と安定性を有した。不整地でも難なく離着陸できる。何かと使い勝手が良く航空偵察から砲撃観測に止まらず夜間襲撃まで担当する。


「まだまだ夜は明けない。俺たちが去っても終わらない。高速爆撃機が続くんだな」


「絨毯爆撃が始まる前にずらかりましょう」


「わぁってる。100kg爆弾の雨に濡れるなんてまっぴらごめんだね」


 九八式直接協同偵察機の夜間襲撃が一段落しても九七式高速爆撃機による絨毯爆撃が続いた。直協が敵陣に火をつけて爆撃の目印を追加する。高速爆撃機が100kg陸用爆弾の雨を降らせた。自軍が航空優勢を確保しているのだから存分に使わせていただきたい。


「おととい来やがれってんだ」


 まだまだ、序章に過ぎなかった。


「そ~ら来たぞ! 敵戦車だ!」


「徹甲榴弾! 撃てぃ!」


続く

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