アレクサンダーとリッチーの意外なつながり 3

 アグネス・ナルツィッセ。

 アレクサンダー様の六つ下の妹である。

 アレクサンダー様と同じ若葉のような緑色の髪と、黒曜石のように美しい黒い瞳を持った、とんでもない美少女だ。


 ……あれ、でも……。


 前世のゲーム情報を思い出していたわたしは、そこではた、と気が付いた。

 アグネス・ナルツィッセは、アレクサンダー様ルートにのみ登場する登場人物だ。

 だが、彼女は眠りの魔法に囚われていて、アレクサンダー様ルートの終盤までずっと眠ったままだった。


 ……つまり、その「眠り」の魔法に、つい最近かけられたってこと⁉


 ゲームの中のアレクサンダー様は、妹の眠りの魔法を解く方法をずっと探していた。

 そんなアグネスにかけられた眠りの魔法を解く方法を探しているアレクサンダー様に、ヒロインのリコリスが協力を申し出て、二人の心の距離はだんだんと縮まっていく――アレクサンダー様ルートはそんなストーリーだ。もちろん、悪役令嬢(わたし)の妨害があったり、他にもたくさんの困難が待ち受けていたりするが、最終的にアグネスの眠りの魔法を解く薬の調合に成功する、という流れである。


 ……そっか、このタイミングなんだ。


 ゲームのはじまりは来年だ。だというのに、一年も前からアグネスは眠りの魔法にかけられてしまったらしい。

 アレクサンダー様が今年十九歳になるから、アグネスは十三歳になる年よね。十三歳で眠ったままになってしまうなんて……。


 しかし、これはゲームに必要なストーリーなのだろう。

 わたしの目標は、お兄様と契約結婚して悪役令嬢のポジションを回避した後で、ヒロインであるリコリスが攻略対象の誰かと結ばれるのを見届ける、というものだ。

 ヒロインが幸せになるまで見届けておかないと、どこかで悪役令嬢としての断罪劇が待っているような気がして落ち着かないからである。

 よって、ヒロインを攻略対象とくっつけるためには、(わたしが悪役令嬢になること以外を除いて)ゲームの進行を邪魔してはならない、と思う。


 だからアグネスには、ヒロインとアレクサンダー様が力を合わせて彼女を救うまでは、眠り姫のままでいてもらわなければならない、はずだ。


 ……この考えは間違ってないわよね?


 それなのに、チクチクと胸が痛い。

 わたしはゲームのストーリーから逃れて悪役令嬢にならないようにしているのに、他の登場人物はゲームのストーリーに則って、一時的な不幸を甘受せよと言っているも等しい気になって来る。

 わたしは幸せになりたいけれど、他の人は最終的には救われるんだからいいよねって、そう思って見捨てているような気がするのだ。


 ……ああ、わたし、最低……。


 胸が痛くてうつむいたわたしの頭上で、リッチーとアレクサンダー様の言葉がぽんぽんと飛び交う。


「アグネスちゃんが眠ったまま起きなくなったって、どういうこと⁉」

「わかりません。魔法医も、原因は不明だとしか……。叔父上、叔父上が仕入れた薬の中に、アグネスを目覚めさせることができるものはありませんか?」

「さすがにそんな都合のいいものは持ってないわよ~! いやあ! アグネスちゃん‼」


 リッチーが野太い悲鳴を上げてスキンヘッドの頭を両手で抱えた。

 リッチーにとってもアグネスは可愛い姪っ子だ。真っ青な顔をしておろおろしている。


「殿下にお願いして、お城の侍医の力は借りられないの?」

「すでにお願いしたが、ラヴェンデル侍医長にもどうすることもできないと言われました」


 ……そうじゃないのよ。


 わたしは胸の上をそっと抑える。


 ホルガー・ラヴェンデル侍医長は、ラヴェンデル侯爵家出身の若き侍医長だ。その治癒魔法の能力の高さが認められ、二年前に二十六歳という若さで侍医長に就任した天才である。

 紫がかった銀髪に、濃い緑色の瞳を持った美丈夫で、攻略対象の一人でもあった。

「ブルーメ」の中でも数少ない眼鏡キャラで、銀縁の眼鏡がクールだと人気の高いキャラでもあった。


 そのホルガー様だが、ホルガー様のルートを解放するにはある条件があって、それがアレクサンダー様ルートをプレイし、アグネスの眠りの魔法を解いてハッピーエンドを迎えるというものだ。

 ホルガー様は当初はアレクサンダー様ルートの協力要因として登場するのである。


 ホルガー様はアグネスが眠りの魔法にかけられてからずっとその原因を研究していた。

 ヒロインとアレクサンダー様はアグネスの眠りの魔法を解くためにホルガー様に協力を頼み、ホルガー様が城の地下にある閉架書庫に連れて行ってくれる。

 そこで、「ヒロインにしか読めない」本を発見し、その中にかかれていた情報をヒントに、アグネスの眠りの魔法を目覚めさせる薬の材料を探しに行くのだ。


 ……でもわたしは、ヒロインにしか読めないその本の内容を知っている。


 だから、材料と作り方さえわたしが教えれば、ホルガー様でも薬の調合が可能だ。というか、ホルガー様にしかできない。あの薬の調合には、最高難度の治癒魔法を要し、その魔法が使えるのはこの国ポルタリアの中では、ホルガー様ただ一人なのだ。


「ホルガーちゃんで無理なら……そうね、あたしにはどうしていいのわからないわ」


 リッチーの「ホルガーちゃん」呼びに驚く冷静さは今のわたしにはなくて、ただただ同じ言葉を自問し続ける。


 ……わたしは、間違っているのかしら。それとも、間違っていないのかしら。


 ゲームの進行のために、アグネスをこのままにしておくのが正解だと頭の隅ではわかっているのに、その考え自体が間違いに思えて仕方がない。


 二人が深刻な顔で話を進めている間、わたしは何度も何度も、自分自身で答えの出せない問いを繰り返し自問し続けた。



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