第四章
ラルフをスピアーズ
迎え入れた当初、読み書きすらも満足にできなかったラルフに、私はかつてないほどに
というのも、
このままではいけない。私が前世を思い出したせいでこの子の人生を大きく
ラルフが公爵家の
このような状態で学園に通うことになれば、ラルフはおそらくとんでもない
「私のことを
うのであれば、それはあなたの自由よ」
私は常々、ラルフにそう言ってきた。そんな私の言葉を、ラルフは
ラルフの成長自体は
『ガクレラ』の設定通り、嫌われてしまった可能性すらある。
もちろん、ラルフを「
それでも、だ。
義理とはいえ弟ができたことに
そんな時、私は自分に言い聞かせる。「私は悪役なのだ」と。攻略対象者に感情移入しすぎてはならない。善良な彼らが、ゲームの強制力によって私に
ラルフに嫌われてしまうことも、ある程度承知の上で彼に接してきたのだ。もしもこの先、ラルフが私を
厳しく指導したとはいえ、
忘れてはいけない。私は〈悪役〉なのだ。
「やあ、見違えたな」
ジェラルド
「前回は大変失礼いたしました。殿下の
殿下の手を
おそらく、「将来義弟になるのだから」というジェラルド殿下の言葉に押し切られて、引き取った直後のラルフと殿下を引き合わせた時のことを思い出しているのだろう。その際ラルフは、「え……本物? すご……」と言ったきり
自分とは住む世界が違うと思っていた人間を目の前にして、直前まで言い聞かせられていた
「いや、気にするな。あの時はあまりに
そう言って美しく笑うジェラルド殿下も、この二年ですっかりと大人びて、感情をあらわにすることもほとんどなくなった。
とはいえ、彼らはまだ十三歳。前世で二十八歳まで生きた私からすると、まだまだ子どもだ。目の前で
「ラルフもこれほど立派に成長したのだ。我々の
そう言って
たことを、ジェラルド殿下は
しかし現状、殿下とは月に二回は会っている。以前よりは減らしたといえども、少なくない回数だと思う。
「ええ、まあ構いません。ですが、殿下がお
ジェラルド殿下だって、年を重ねるごとに王太子としての職務も増えているはず。私との交流のために、これ以上時間を
そんな私の心配などお構いなしに、殿下は
「全く問題ない。国の
殿下のその言葉に、まあそう言うのならば……と思った私が口を開くよりも先に、ラルフがずいっと前に進み出る。
「ジェラルド殿下にお
あまりの出来事に目を見開く私を背中で
「……我々の会話に割って入るのは、あまりにも無礼ではないか?」
「それは、大変失礼いたしました。しかし、私がまだ勉強不足であることがおわかりいただけたことでしょう」
しかしさすがに、ラルフがあまりにも失礼だ。相手が王太子であることを、忘れているのではないだろうか。
「ちょっとラルフ!」
「エリス。今日から私のことは〝殿下〞ではなく、〝ジェラルド〞と呼ぶように」
「はっ?」
しかし殿下はそんなことを気にする
「前から気にはなっていた。
「呼んでみろ」と
「うむ、まあいいだろう」
ジェラルド殿下はそう言うと、どういう訳か
結局、ジェラルド様の強い希望もあって、婚約者交流会の
頻度が多すぎることはわかっている。私だって、彼の負担になるだろうと思って父に相談した。しかしその結果、国王から
ちなみに、交流会の会場も、国王達が住まう王居内を指定されることまで増えてきた。多くの貴族が出入りする王宮と違い、完全にプライベートな場である王居は、ゲーム内でも登場したことはなく、初めて足を
そういう訳もあって、今日も私はジェラルド様と向かい合ってお茶を飲んでいる。用意されている紅茶は、以前私が「好きだ」と言ったことのあるもので、そのたった一言を覚えてくれていることに、幸福感のようなものと共に気恥ずかしさを感じる。
「ところで、ミアはどうしていますか?」
そんな思いを
「ああ、よく
ミアは、我がスピアーズ領内の
現状、孤児院で保護できるのは十五歳までの子どもと決まっており、十四歳のミアも来年には孤児院を去ることになっている。しかし、後ろ
そこで、
条件が合えばそのまま
まずは発案者である王太子の家、つまりは王宮での受け入れが、つい先日始まったばかりで、その記念すべき一人目として選ばれたのがミアだった。
「エリスが
ジェラルド様からそう言われ、私は胸を
「それはよかったです。王宮の方々のご
この取り組みを聞いた時、一番に心配したのは「孤児が
貴族目線での幸せを押し付けることで、彼らの人生を狂わせることだけは絶対に避けたい。これは、ミアを推薦した際にも、ジェラルド様に伝えたことだった。
「エリス、
おそらく私の心配を
「エリスが彼女のことを大切に思っていることは知っている。要望があれば聞こう」
問い掛けるような視線を向けるジェラルド様の
「ありがとうございます。では、もし可能でしたら、彼女と話をさせていただけませんでしょうか?」
「もちろんだ。今すぐにでも呼び出せるが?」
「いえ、仕事の
「そういうことなら、メイド長に話をしておこう」
ジェラルド様はそう言うと、部屋に
「すまないが、ミアの今日の予定をメイド長に聞いてきてくれないか」
「はい、承知いたしました」
「ありがとう、助かるよ」
ジェラルド様と使用人のやりとりをぼんやり眺めながら、改めて彼のすごさを
生まれた時から王族である彼は、人から敬われるのが当然の環境で生きている。それにもかかわらず、彼の城内の使用人への態度には、相手への敬意が感じられる。もちろん城内の人間のみならず、城外に出ても彼のそんな態度は変わらない。私は、彼のそういうところを心から尊敬している。
「殿下、ありがとうございます」
私がそう言うと、ジェラルド様が少しムッとしたのがわかった。
「〝殿下〞ではない。〝ジェラルド〞だ」
交流会の後、城外での公務があるというジェラルド様を見送った私は、一人でメイド長に伝えられていた場所へと向かった。一階のホールから階段を見上げると、そこには階段の
「ミア」
周囲に人がいないことを
ミアが
「ミア。ジェラルド殿下があなたのことを『頑張っている』とおっしゃっていたの。あなたを推薦した身として、とても誇らしいわ」
階段を上り切った私は、ミアに頭を上げるように言った上でそう声を掛ける。
「そんな、もったいないお言葉です。みなさんとても親切にしてくださって、たくさんのことを学ばせていただいています」
ミアのキラキラと
「それはよかったわ。この先もしも困ったことがあって、助けが必要になった時には言ってちょうだいね」
「ですが、公爵家の
私の言葉を聞いて
「ねえ、ミア聞いて? 確かに、平民であるあなたが公爵の
たとえミア本人であったとしても、私の大切な
「大切な人の力になりたいと思うのは当然でしょう? 特に今回は新しい政策の可否を決定するためにも、あなたの意見が必要なの。何かあれば、きちんと報告してちょうだい」
私がそう言うと、ミアの瞳が僅かに
しかしミアが何かを言う前に、数人の足音が近づいてくる音が聞こえた。
今回は私がわざとその時間を
ミアがたじろぐように半歩下がったその先に、足場はなかった。その
ミアが、落ちちゃう。
「ミア!」
そう
幸いにも、階段から落下したミアの
「ミア、本当にごめんなさい」
「そんなっ! 違います、エリス様のせいではありません! 私が勝手に、階段から落下したのです!」
頭を下げて謝罪する私に、ミアは慌てたようにそう言った。
ミアの言葉が彼女の本心であることはわかるし、私が彼女だったとしても、おそらく同じように言っただろう。けれども、私に想像力が足りなかったのも事実なのだ。
私が声を掛けたことで彼女は手を止めることとなり、時間内に仕事を終えることができなかった。もしもミアが時間内に仕事を終えていれば、彼女はあの場で焦ることもなく、階段から落下することもなかったはずだ。
王宮内での彼女の立場と、私に声を掛けられて
「いいえ、私に
私がそう言ってミアの手首をそっと持ち上げると、ミアは今にも泣きだしそうな顔をした。そんな彼女の顔を見て、私まで鼻の奥にツンとしたものを感じる。しかしここで、私が
そう思って、
何事かと思い
「……何を、なさっているのでしょう?」
「キャンベル
慌てて立ち上がろうとする私を、彼は手で制し、眉間の
「何を、なさっていたのでしょう」
その言葉の冷たさに、
「おっしゃる意味がよくわかりません。知り合いである彼女と、話をしていただけです」
しかしキャンベル侯爵は、私の言葉を鼻で笑った。
「話をしていた? 私には、あなたが使用人を
彼の言葉に、そして冷ややかな
「誤解です。彼女はスピアーズ公爵領の領民で、旧知の仲なのです。侯爵閣下がご心配なさるような
私はなるべく冷静に、彼に事実を伝える。
しかしそんな私の言葉など聞こえなかったかのように、キャンベル侯爵はわざとらしく
「私は最初から、こういった事態が起こることを危惧していました。ですから、特待生制度にも孤児の受け入れにも、反対していたのですよ」
彼のその言葉を聞いて、それらの政策に反対する
頭の中が
「
「……どういう意味でしょうか?」
「ご自身がよくご存じなのでは? あなたが、彼女を階段の上から突き落としたように見えましたが?」
キャンベル侯爵のその言葉に、血の気が引くのを感じた。
おそらく先程聞こえた足音は、キャンベル侯爵達のものだったのだろう。階段から落ち行くミアに向かって手を伸ばす私を見た彼は、どうやら私が故意にミアを突き落としたと
……
公爵の娘である私と、侯爵家当主の彼。私が王太子の婚約者であることを踏まえても、子どもである私よりも彼の方が社会的な
今この場においても、キャンベル侯爵の後ろに立つ人々は、彼の主張を支持していることが見て取れる。悪役であることの
そして何よりも、最も厄介なことは、キャンベル侯爵が私を陥れようとしている訳ではないということだ。彼は、私がミアを傷つけたと本気で思っており、ただただ平民であるミアを守ろうとしている。これは彼にとって、彼自身の正義に従った行動なのだ。
しかしここで、
「違うんです! エリス様は、私を助けようとしてくださったのです!」
発言を許可されていないにもかかわらず、
しかしキャンベル侯爵は、ミアの無作法を咎めることはせず、代わりに優しげな笑顔を浮かべた。
「心配しなくても良い。真実を述べてほしい」
「違います。本当に、私の不注意で足を
「事実がどうであれ、君はそう言うしかないだろう」
キャンベル侯爵はそう言って、
ミアもそのことを感じ取ったのだろう。
キャンベル侯爵が言うことも、理解はできる。もしも私がミアを階段から突き落としたとして、ミアはそのことを正直に話せないだろう。現実的に考えて、貴族に理不尽に傷つけられた時に、平民は泣き
そう考えると、キャンベル侯爵の弱者に
キャンベル侯爵達の手によって、身に覚えのない〝事実〞が形作られるのを聞きながら、私はぼんやりとそんなことを考える。ここでもまた、当事者の関係性を元に、第三者によって〝事実〞が決定されてしまうのか。そう思うと、いろいろなことが急激にどうでもよくなってしまう。だって私は、ここでも〈悪〉なのだから。
こうなってしまったら、私ができることなど何もない。キャンベル侯爵が私を陥れようとしているなら
そう自分に言い聞かせ、対話を
「発言を、お許しいただけませんかっ!」
突如として医務室に現れたその人物の悲鳴のような声が、部屋中に
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