2-9


(――リリーベル・ミーハニア子爵令嬢についての報告書……。ちょっと待て、子爵令嬢だと? ……四歳のときに、実母のマーガレットがせいきょ。リリーベルじょうの養育のために、子爵はすぐに知人のしょうかいにより、夫を亡くしたラウラ嬢とさいこん。連れ子ふたりもむかれる。しかしふう仲は非常に悪い。ミーハニア子爵は真面目な領主で、領地における農作業の手伝い、町の整備工事のための確認などで不在がちであり、上司であるはくしゃく周辺での滞在が増える。その間に、ラウラは我がもの顔で屋敷を支配)


 エリアスは苦虫をつぶしたような顔で、二枚目の便びんせんをめくる。


(リリーベル嬢は町に出ることを禁じられ、納屋に居住させられていた。納屋は屋敷の裏庭にあるため人目に触れず、子爵は何度かリリーベル嬢を連れ出そうと試みたが発見に至らず、屋敷を追い返される。リリーベル嬢が七歳のとき、子爵は町の宿において急病に倒れ死亡……なんだ、これは)


 エリアスは内容の不快さに、ますますけんみぞを深くする。


(子爵家に出入りしていた商人によると、夫人は子爵が外に愛人を作って帰宅しないと公言。リリーベル嬢にもお前は捨てられたと説明し、逃げないようにしていた。なお、子爵が死亡時に共にいたのは、愛人ではなく仕事を手伝っていた侍女。その後、ラウラが女子爵となり財産を継ぐ。リリーベル嬢と義姉に当たる連れ子のエイラ嬢、シイラ嬢との折り合いは継母ラウラと同様に非常に悪く、幼いころから下働きを強要され……?)



「――なんてことだ!」


 いきどおりのあまり、エリアスは大声で吐き捨てた。


(リリーベルはミーハニア家の、れっきとした子爵令嬢だったのか。それなのに継母はあんなボロをまとわせて、髪すらろくに手入れさせず、自分たちの侍女扱いして納屋に住まわせていたというのか……!)


 リリーベルの細い手首や顔色の悪さも、ろくなものを食べさせてもらえない、栄養不良からきていたのかもしれない。

 そう考えるとなぜか腹の底から、いかりが込み上げてくる。


(継母による、ままいじめか! なんてみにくおろかなこうだ。それでリリーベルはいつもおどおどしているのか? 言いたいことも言えず、𠮟しかられるとしおれた花のようになって……)


 エリアスののうに、馬車で眠ってしまったリリーベルを抱き上げたときに、あまりの軽さに驚いたことと、子どものように愛らしい、無防備ながおが浮かんだ。


(ろくな食べ物も与えられていなかったんじゃないのか。ひどい話だ。……あんなに可愛らしいのに……)


 うん? とエリアスは自分が思いもかけないことを考えていると気が付いて、報告書から顔を上げた。


(と、ともかく、ジニアの様子を見に行こう。リリーベルが本当に魔獣を助けたのか、悪戯ではなく好意からりょうしようとしていたのか、それを確かめなくては……人柄を判断するのは、それからだ)


 エリアスは報告書をデスクの引き出しに仕舞うと立ち上がり、魔獣舎へと向かった。




「クォーン……ウウ……」

「ウォルルン、クゥン」


 エリアスが魔獣舎に入っていくと、魔獣たちはいっせいに彼を見て、丸太ほどもあるふさふさとした銀色のしっを振った。

 魔獣舎の半分は、屋敷の中からもよく見える鉄柵で囲んだ牧場のような広いしきになっていて、もう半分の眠ったり食事をとったりする場所は石造りの頑丈な建物になっている。

 壁の高い場所には、規則正しく並んだランプがともされているので、夜間でも真っ暗にはならない。

 いつも餌は魔獣舎の外までは、係のものが台車にせて運んでくるが、直接提供するのはエリアスだった。

 使用人が与えるのでは食べる量がずっと減ってしまうくらい、魔獣たちは警戒心が強い。

 エリアスは台車から、きちんと整列して座って待っている魔獣たちの前に、それぞれの食事を配っていく。


「ミルクもたっぷり飲むんだぞ。もう少ししたら寒くなる。今のうちにぼうをつけておかないとな」


 餌を与えるたびに、エリアスは一頭ずつ、よしよしと頭を撫でて声をかけてやる。


「いい子だ、ボールサム。今日はよくどくへびを見つけたな、おかげで助かった。……ロータス、もっと野菜も食べないと駄目だ」


 そうして一番気にしていた魔獣、ジニアの前にエリアスは餌を置いた。


「さあ、ジニア。どうだ、食べられるか」


 食欲を気にするエリアスだったが、刻んだ野菜や肉類、チーズをどっさり載せたボールを目の前に置いた途端、ジニアは顔を突っ込んできた。


「おっ、おい、そんなに慌てて食べたら胃がびっくりするぞ。……今朝までは、はちみつ入りのミルクを、ほんの少ししか飲まなかったじゃないか」


 エリアスの言葉を、魔獣たちはほぼ理解している。

 ジニアは、ガフッ、ガフッ、と餌に夢中で食らいつきながら、大丈夫、と言うように首を縦に振った。



「キューン……」


 と、別の魔獣が、そっと鼻先でエリアスを押してきた。


「なんだ。……こっちに来い……?」


 誘導されるようにして、外の柵の中に向かったエリアスは、そこにカボチャほどの大きさの、銀色のまゆのような毛玉を見つける。


「なるほど、これをジニアが吐き出したのか! そのおかげで、もうすっかりよくなったんだな。……そうか、確かに魔獣医学書に記述があったな。通常ははいしゅつされるが、歳を取った魔獣は吐き出せずに胃腸障害が起こることがあると。ただ、治療方法の部分が解読できずに、父上は油を飲ませて排出を待ったと言っていた……。リリーベルは、いったいどうやってこれに気づいて治したんだ……?」


 考えながらつぶやくと、魔獣がぴくっと反応した。

 そして上を向き、ウォルルーン、と高く鳴く。


「うん? どうした、急に」


 わけがわからずくすエリアスの前に、建物からぞろぞろと魔獣たちが出てくる。

 それからエリアスを取り囲み、口の周りにミルクをつけたままのジニアが、しきりと額を押し付けてくる。


「こら、どうしたと聞いてるんだ。リリーベルの名前を出した途端に、なんで……」

「キュウン、クーン!」

「ウォン! キューン、キュウン」


 ジニアに続くように、他の魔獣たちも身をくねらせるようにして、エリアスに摺り寄ってきた。


「わっ、待て、口の中に毛が……わ、わかった」


 長く柔らかな、もふもふの被毛に埋もれるようにして、エリアスはあえぐ。


「ジニアを助けたリリーベルに、お前たちは好意を持った、と言いたいんだな?」


 その通り! と言うように、魔獣たちは鼻先を空に向け、キュオーン、クゥン、と甘い声で吠えた。


「そ、そうか。……お前たちが気に入ったのなら、本当に悪い娘じゃないんだろうな」


 エリアスがそう思ったのは、魔獣が人の心に敏感だからだ。

 自分たちに敵意を向けられなくとも、常に悪意をみなぎらせているもの、強い負の感情を抱いているもの、心根のくさっているものなどにはこうげきてきだ。

 逆に心が清らかで優しい人間には、危害は加えない。

 もっとも、ふいに近づいて驚かせたり、無神経に触られたりすれば別だが。


(俺はこいつらが可愛くてたまらないが、慣れないものが恐怖を感じることは理解している。リリーベルも怖かっただろうに、ジニアが具合が悪いのを見て、看病してくれたというのか。……子爵令嬢だというのにれいぐうされて育ち、いきなりこの屋敷に連れてこられて、ごういんな俺に文句も言わず……)


 自分の思いにとらわれてしまったエリアスの頰に、ぽむ、とジニアが前脚の肉球で触れてきた。

 それからしきりに片方の前脚を動かして、エリアスの腕に触れてくる。


「前脚をどうかしたのか? ……違う? ……俺の手か?」


 違う、とジニアは首を振り、顔を上げて悲しそうに鳴いた。


「キューン……クウーン……」


 その視線の先には、リリーベルの部屋の窓がある。


「リリーベル? まさか、リリーベルの手に怪我でもさせたのか?」

「キュウウン……」


 世にも申し訳なさそうな小さな声で、ジニアが肯定するように鳴く。


「そうだったのか。それは……悪いことをしてしまったな。しかし、悪気はなかったんだろう? お前がそんなに気落ちすることはない。体調が悪いと苛立つのは、よくあることじゃないか」


 エリアスはそう言ってジニアを慰めた。

 すると、ふにゅ、と別の魔獣もエリアスに鼻先を押し付けてきて、こちらはキュオーン! とこうするような鳴き声を上げる。


「キュオーンン!」

「クーン、クゥーン……」

「ウォン、ウォンッ」


 どうやら魔獣たちはエリアスが、リリーベルをいじめたと思っているらしい。

 魔の獣と呼ばれるだけあり、通常の動物では考えられないくらいきゅうかくも視覚も鋭い彼らは、他者の思考に対してもえいびんだ。

 離れた場所にいるリリーベルのなげきも、感じ取れているようだ。


「いや、お、俺は別にあの子を苛めたわけじゃない。怪我をしたこともジニアを助けたことも知らなかったし……お前たちだって、いつもなら知らない人間がうろうろしていたら、怒るじゃないか」

「ウォンッ!」


 助けてくれた恩人だ、とでも言うように、ジニアは吐き出した毛玉を前脚でつついた。

 魔獣たちは決して噓などつかない。

 明らかに自分が誤解していたと悟り、エリアスは後悔する。


(……つい、きつい言い方をしてしまった。……体調を崩した魔獣は、いつもより警戒心が強く苛立っていることが多い。噛みつかれたりしたら大変だと思って……)

 

 困ったことになってしまった、とエリアスは深いため息をついた。

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