Swallowtail Butterfly

名古屋ゆりあ

退屈な日常

退屈過ぎて笑えない。


「行ってらっしゃいませ、正宗様」


メイドの送り迎えを無視すると、俺は車に乗り込んだ。


俺が車に乗り込んだのを確認した後、執事兼運転役の車が音を立てて発車した。


本当に、退屈だ。


人間はあまりにも退屈過ぎると、あくびが出てこないらしい。


「もう少しでつきますよ、正宗様」


執事――谷田部が後部座席に座っている俺に向かって声をかけた。


雇われてる身分のくせにいいもんだと、俺は心の中で谷田部に毒づいた。


「なあ、谷田部」


俺はそれまで閉じていた口を開いた。


「はい、何でしょう?」


そう聞いてきた谷田部に、

「俺が家柄とか財産なんかを捨てるって言い出したら、お前はどう思うんだ?」


俺はジョーダン半分、本気半分でそんなことを言ってみた。


そのとたん、谷田部が考えるように黙った。


いや、俺がそんなことを言い出したから驚いているんだろうな。


そう思いながら彼からの答えを待っていたら、

「いけません」


何とも予想通りの回答をしたから、俺は笑えなかった。


そう言うと思ってた…と、口には出さずに心の中で呟いた。


「正宗様は由緒正しき黒川家のご子息です。


そんなあなたが伯爵家を捨てると言ったら話になりません」


谷田部が言った。


由緒正しき黒川家の御子息で伯爵家か…と、俺は谷田部に気づかれないように息を吐いた。


伯爵家なんて、所詮は名ばかりの名誉なうえにそんなものは俺に必要がない。


金持ちのパーティーに呼ばれては金持ちの自慢話に相づちを打って、金のことしか頭にない色ボケのお嬢様のお相手をして後はなしだ。


本当に夢もカケラもないうえに退屈だ。


「それに、正宗様がそんなことをしたら優しい婚約者様が悲しまれますよ」


谷田部が言った。


優しい婚約者とは、日向章子(ヒュウガアキコ)のことである。


あんなヤツの皮をはがせば、ただの金の亡者だ。


俺じゃなくて金と名誉を愛している、ただの色ボケクソ女だ。


優しい婚約者だなんて、よくそんな心にもないことを表現できるなと思った。


パーティー会場は、いつも通り金持ちが集まっていた。


これだけ集まっても自慢話しか話のネタがないのかよ。


あまりの退屈ぶりに、笑うことなんて無理な話だ。


もう帰ろうかと思っていたら、

「正宗様」


名前を呼ばれた瞬間、俺はチッ…と心の中で舌打ちをした。


せっかくの帰るタイミングを壊しやがった。


「これはこれは章子お嬢様」


派手なドレスに身を包み、下品な化粧をした婚約者――章子が俺に向かって微笑んでいた。


彼女から漂う香水の匂いが俺にまとわりついてきて、鬱陶しくて仕方がない。


「正宗様も参加していらっしゃいましたのね」


章子は嬉しそうに俺に声をかけてきた。


彼女がどこの家柄かなんて忘れたが本当によくやるよなと、俺は思った。


化粧をしている顔の下はとっくの昔にお見通しだ。


金と家柄のことしか考えていないくせに、それを手に入れるために演じる努力をしていることだけは褒めてやろう。


「でも今から帰るところだ、この後に予定があるからな」


そう言っている俺も、人に平気で嘘をついて演じている。


我ながらバカバカしいのもいいところだ。


「それなら、吸血鬼にお気をつけください」


章子が言った。


「吸血鬼?」


その言葉の意味がわからなくて、俺は聞き返した。


それは一体、どう言う意味なのだろう?


「そんな事件が最近流行っているみたいなんです」


章子が言った。


何だ、事件か…だったら、そんなたいした話な訳ないな。


だけど、章子は俺の気持ちに全く気づいていないと言うように話を始めた。


「ちょうど1ヶ月前、血のない死体が発見されたんです。


その後も2週間に1回、血のない死体が発見されるようになったんですって」


そう言えば章子の父親は警察署のお偉いさんだったなと、俺は彼女の話を聞き流しながらそんなことを思った。


「男女関係なく無差別で死体が見つかるものですから、お父様は必死ですわ。


“これ以上被害は出したくない”って」


男女関係なく、無差別で血のない死体か…。


「どんな物好きか、ぜひともお目にかかりたいものだ」


俺の心の中の呟きが、思わず口に出てしまった。


「ダメですわ!」


ピシャリと、章子が言った。


「正宗様も吸血鬼のエサにされますよ」


…それなら、大歓迎だ。


退屈過ぎる日常から抜け出すことができるなら。


家柄も身分もバカな婚約者も捨てることができるならば、この躰を吸血鬼にくれてやる。


自分から望んで吸血鬼のエサになってやる。


自分から喜んで吸血鬼の前に現れてやる。


どうせ金持ちのロクでもない自慢話につきあわされて、金のことしか考えてない色ボケのお嬢様と結婚して、跡継ぎと言う名の子供を産んで、伯爵家の継続を目指すだけなのだ。


そんなバカバカしいことをするくらいなら、吸血鬼に血を渡してやった方がまだマシだ。


何だったら、自分から吸血鬼に魂を売ってやる。


「じゃ、これで失礼する」


俺は章子に向かって背中を見せた。


「えっ、正宗様?」


後ろからコツコツと追ってくるヒールの音に、

「それと」


俺は振り返った。


「章子お嬢様も、吸血鬼にお気をつけくださいませ」


俺は章子に向かって言った。

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