第87話:情けの力
「私を……私たちを奴らから助けて欲しいんです」
息の混じった微量な声量ながらも、芯を持った声音で敵はそう言った。暗がりに見える彼女の表情は強く訴えかけるように強張っている。
全くもって予想だにしなかった発言に俺は暦に顔を向ける。彼女もまた驚いた様子でこちらを見る。互いに目を合わせながらも、敵の発言を処理するのに必死で口を開くことはしなかった。
「奴らって一体誰?」
先に口を開いたのは暦だった。俺から視線を逸らし、敵の方に向きながら問いかける。暦の視線の動きに則るようにして俺も敵の方を向いた。
敵は暦、俺へと視線を走らせる。
「私たちに命令を下す奴らのことです。私はそいつらの指示であなたを拐おうとしたんです」
強張った表情のまま話し始めた。
目の前にいる敵はあくまで指示をされて動いているに過ぎない。そして、それは本意ではない。彼女は何らかの弱みを握られて指示に従わなければならない状態にあるみたいだ。
自分を信じて正解だった。情けの力は絶大だったようだ。彼女をこちら側に取り込むことができれば誇誉愛さんに大きく近づくことができる。
「あなたはどうして指示に従っているの?」
暦も俺と同じ考えを抱いたのだろう。話の深掘りを始める。
「私が彼らに半ば強制的に雇われているからです。孤児院にいた私を彼らが引き取ってくれたんです。その際、お兄……私の兄を含めた数人の仲間も一緒に引き取られました。そして、私たちは彼らから仕事を任されたんです。指示に逆らえば、連帯責任として自分たちの仲間が痛い目に遭わせられてしまう。だから指示には従うしかないんです」
身寄りのない可哀想な子供たちを卑劣な仕事の道具として引き取るなんて。彼らは同じ境遇同士、傷を舐め合い友情を深めてきたに違いない。その友情を逆手にとって強制的に働かせるなんて。なんて畜生な奴らだ。
俺は内側に湧く怒りを抑えるように拳を強く握った。その横で暦は手を前に出し、彼女の膝の上にゆっくりと置いた。傷ついたものを宥めるようにその手を左右に動かす。
「ごめんなさい。私、あなたがそんな背景を持っているとは知らずに酷いことをしちゃったね」
「っ……謝る必要はありません。私はあなたを拐おうとしたんですから憎まれるのは当然です」
敵は自分の膝を摩る暦の手を握りながらしみじみと言った。暦は彼女の返答を受け、その身体をぎゅっと抱きしめた。
「私が必ずあなたを救ってあげるわ」
暦の言葉に敵は目を見開く。溢れた涙は彼女の抱えていた辛さを表しているようだった。その涙を見て、彼女が言ったことは嘘ではないと分かった。
「だから教えてもらっていい? あなたが持っている敵の情報を」
抱きしめた腕を解くと、暦は再び彼女に向き直る。彼女は涙を拭うと、大きく頷いた。
「できる限り話します。ただ、私は下っ端なので多くのことは知りません」
実行役である以上、彼女には捕まるリスクが伴う。今のような状態に陥った時、下手な情報を与えないように彼女には最低限のことしか教えていないのだろう。
「そうだね……」
暦は左手を顎に添えながら考えに耽る。
「あなたたちのアジトについて教えてもらっていい? この学校にやってくる前、あなたはどこにいたの?」
まずは一番重要な情報を探ることにしたらしい。攫われた誇誉愛さんがいるとすれば敵のアジトになるだろう。その場所を知ることができれば後の計画が立てやすくなる。
「申し訳ありません。アジトについては私たちもよく分かっていないんです。アジトに初めてやってきた時もアジトを行き来する時も【瞬間移動】の能力によってでしたので」
そう簡単にはアジトを突き止めさせてはくれないみたいだ。そういえば、今回と前回のどちらも【瞬間移動】の能力者がいた。彼が彼女たちの移動を担っているのだろう。
「ただ、アジトでは日の光を受けたことがないので、地下にあるとは思います」
一切の情報なしかと思われたが、意外なヒントを得ることができた。とはいえ、地下のある場所は多数存在する。アジトを絞るには心許ないヒントだ。
「地下ね。ありがとう」
それでも情報を教えてくれたことには感謝しかない。暦は素直な気持ちを彼女に伝えた。役に立てたことが嬉しかったのか、彼女の顔が少し和らぐ。
「次に聞きたいことなんだけど、どうしてあなたたちは私を連れ去ろうとしたの?」
次の質問も重要なところではある。どんな人物をターゲットにしているのか分かれば、狙われそうな人物をピックアップして見張りをつけることができる。
「あなたを連れ去ろうとしたのは主人から指示を受けたからです。私たちは主人からの依頼を受けて動いているに過ぎません。ただ、主人曰く『君たちのやっていることはこの国にとって必要なものである』ということでした」
暦を連れ去ることがこの国にとって必要なこと。随分と馬鹿げた話だな。
今の情報も生かすのは難しいだろう。『この国にとって必要』という規模が大きく曖昧な情報では誰を見張ればいいのか検討もつかない。
「ごめんなさい」
あまり役に立たない情報だと自分でも感じたようで、彼女は眉をハの時にして謝る。
「気にしないで。あなたは諜報員ってわけじゃないんだから。でも、今の2つの情報だけじゃ、敵の核心には到底近づけないわね。遥斗は何か質問ない?」
暦は俺に話を振ってきた。俺も一緒に聞いているのだ。2人で知恵を絞った方が良い情報が得られると思ったのだろう。
俺は少し考えてからありきたりな質問をすることにした。
「さっき主人に指示を受けたと言っていたな。その主人の名前は知っていたりするか?」
もし、俺たちが知っている名前であれば、その人に接触すれば何か掴めるかもしれない。
「名前ですか……確か『前嶋』だったと思います。前に彼の部下がうっかり名前を漏らしたのを聞いたので」
俺はてっきり『君島』が出てくるものだと予想していた。しかし、出てきたのは違う名前だった。
「前嶋……」
拍子抜けしていた俺の隣で暦が名前を繰り返す。その声音は恐怖を抱いているように息が多く混じっていた。
暦は前嶋のことを知っているのか。もしそうであれば俺も知っている可能性があるかもしれない。俺は自分の記憶を辿り、前嶋という名前が出た場所を探していく。
案外簡単に見つかった。それだけ俺は『前嶋』という名前をはっきりと聞いていたのだ。
「この学校の理事長の名前が『前嶋』だったな」
俺がそう言うと暦はゆっくり頷いた。
「これで学校側が敵だとはっきりしたね」
最後の最後に思わぬ情報を得られたな。ただ、知っている名前ではあったものの、接触するのはかなり難しい相手だ。
「ひとまず、今の情報を神巫先輩や久世先輩に報告しよう。会長や副会長であれば、もしかすると理事長と話す機会があるかもしれない」
「彼女についてはどうするつもりだ。ありのままを伝えるか? それとも当初の予定どおり『空腹に耐えきれず情報を吐いた』って告げるか?」
「2人には『空腹に耐えきれず情報を吐いた』って言うよ。そっちの方が情報を信頼してくれると思うから。彼女が私たち側であることは2人の秘密にしておこう」
「2人ではなく3人ね」
了解。その言葉は別の声によって堰き止められた。声のした方を向くと、先ほどまで寝ていた我妻が身体を起こしていた。
「いつのまに起きてたの?」
「遥斗が来た時からよ。でないと警備はつとまらないでしょ。誰か来たと思ったけど敵意を感じられなかったからしばらく聞き耳を立てることにしたの」
「趣味が悪いな」
「夜中に女子部屋に入ってきた人に言われたくないけどね」
ごもっともだ。俺は何も言い返すことができなかった。
「かなりややこしい話になったみたいね」
敵が敵でなかったり、真の敵が理事長だったり、我妻の言うとおり本当にややこしい話だ。
「巻き込んでごめんね」
「気にしないで。むしろ何も知らずに学校生活を続けなくて良かったわ。こんな居心地の悪いところ、さっさと潰してしまいましょ」
我妻の言葉に俺は頷く。生徒を拐う悪党が身内にいる。そして、ここは閉鎖的な空間だ。早くなんとかする必要がありそうだ。
「とはいえ、無防備で行くのはリスクがある。今は神巫先輩たちと話し合いつつ、タイミングを探していきましょう。そういえば、あなたの名前をまだ聞いていなかったね」
暦は我妻に向けていた視線を目の前にいる少女に向けた。
「ミズキって呼ばれてます」
「ミズキ……うん、よろしくね。ミズキ」
話が終わったところでこの日は解散となった。
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