53.小さなお茶会①

 結局、ろくな準備もできないまま茶会サロン当日を迎えてしまった。話に聞いたのが昨日で、当日が今日なのだから準備も何もないのだが。

 昨日のうちにできたのは、茶会サロンで何の物語を聞かせるかを王女の希望に沿って話し合うことと、急いでジュラーク公爵邸からトゥーリーンに運んでもらったハープで曲を練習するくらいだった。

 そうして慌ただしく準備している間に、ヴァイセンに会うことも叶ったのである。


「本当に、ちょっと驚いてしまって……」


 ここのところ多忙を極めていて会えなかったヴァイセンと、しばらくぶりの再会だった。だが、挨拶もそこそこにこの状況を説明すると、彼は弱ったように息をついたのだった。


「すまない。私も姫さまのことはしばらく団員に任せきりだったんだ。こんなことになっているとは」

「いえ、ヴァイセンさまがお忙しいのはわかってますから。それより、よく今日はこちらにいらっしゃいましたね?」

「急に警備の強化が必要だと連絡があってな。どういうことかと来てみたら既にこうなっていた。姫さまやあなたの護衛なら団員のみでも構わないが、今回は少数とはいえ公爵家と伯爵家の方もいらっしゃると聞いている。団員ではなく私が直接護衛として出ていかなければ納得しない者も多いからな」


 ベルディン騎士団の手腕の程度を問われているのではない。大貴族の目に触れるところで護衛をするのなら、それ相応の地位の者が担当しなければ納得できない、という人がいるらしい。実に面倒なことだが、地位が高くなればなるほど実力より肩書を重視する、という構図は日本にも腐るほどあった。


 セーラはげんなりとした顔をした。


「姫さまのご友人方を悪く言いたくはないですが、その、権力を笠に着るタイプなんですか?」

「いいや。彼らはそのようなことを気にする人ではないよ。だが、どこからこの茶会の話が露出してもおかしくはない。そのときに、公爵夫人や伯爵夫人が参加していたのにベルディン騎士団は一般の兵士だけを配置したのか、と口を出す者がいるとも限らないからな。だから最初から私が警護にあたることにしたんだ」

「関係のない外野が何もしないのに口出しだけはするってこと、ありますよね……」

「貴族社会とは常にそんなものだ。セーラ殿には煩わしい思いをさせてすまない」

「ああ、いえ。わたしが直接面倒を被っているわけでもないのに愚痴っぽくしてすみません。ヴァイセンさまもお忙しいのにと思ったら……」

「ありがとう。だが私の心配は無用だ。実のところ、この警備の任務を引き受けたほうが息抜きができそうだと思っていたところだったんだ」

「そうなんですか?」


 セーラが目を瞬くと、ヴァイセンはすぐに肩をすくめた。


「もちろん、姫さまとあなたの護衛をおろそかにしようというわけじゃない」

「もちろん、わかってますよ。ですけど息抜きになります? 護衛だって何事もなければただそばにいるだけで、でも警戒はしてなきゃいけないお仕事だから大変そうなのに」

「お偉方と不毛な腹の探り合いをするよりはずっと気楽だ」

「ああ……」


 気持ちはわかる。セーラは思わず笑ってしまった。つられたようにヴァイセンも吹き出すから、束の間、穏やかな心持ちになれた。

 彼にはしばらく会えていなかったが、やっぱりヴァイセンがそばにいると心強い。あの夜の直後は次にどんな顔をして会えば良いかわからない、などと恥ずかしく思っていたが、今はそんなちっぽけな羞恥心よりも、ヴァイセンがいることの心地よさのほうが勝った。


「わたしも、ヴァイセンさまがいれば心強いです」


 ほっとして素直にこぼせば、ヴァイセンはちょっと面食らったような顔をする。

 それから嬉しそうに破顔したのだった。



 *



 そんな話をしたのが昨夜のこと。今日はいよいよ招待客がやってくる。とはいえ、実際に客人に会ってみれば何のことはない。雰囲気としては、孤児院のときと似たような感じだった。

 それどころか、もっと規模は小さいと言える。本当に、友人数人が集まったただのお茶会、という言葉がぴったりだ。


 約束の時間十四時ぴったりにやってきたのは、現グリンスター公爵の子息であるビルス・グリンスターと、その母親のグリンスター公爵夫人だった。

 ビルスは今年六歳。王女よりも少しばかり年上の少年だが、先日の孤児院の子供たちと同年代とは思えないほど大人びた印象を抱かせた。

 ほとんど金髪に近い茶髪は肩までの長さがあり、柔らかな癖っ毛は彼の大人しい人柄をよく表している。

 襟付きのシャツにスラックスのような出で立ちでやって来た彼は、姿こそカジュアルさはあったものの、立ち居振る舞いは大人顔負けの洗練された所作だった。丁寧に名乗り、招待してくれたことへの礼を述べ、王女への気遣いもすらすらと言葉にしてみせる。

 彼は年相応に、決して難しい言葉使いはしていない。だがその言葉には温かみがあり、ただ大人に口上を覚えさせられたものを諳んじているのではなく、自身の心からの気持ちを述べているのだと見て取れた。


 そんなよくできた六歳児に気を取られている間に、もうふたり、客人がやってきた。

 こちらはセルレント伯爵令嬢のフューリア・セルレントと、その母親であるセルレント伯爵夫人。フューリアは王女と同じ四歳で、赤みの強いまっすぐな茶髪に愛らしい髪飾りをつけていた。

 この伯爵令嬢も今日の誘いに対して丁寧に謝辞を述べたが、こちらはいささか大人が考えた言葉を丸暗記している感が否めない。四歳だというので、大人が決めたとおりのことができるだけでも十分賢い子供だと言えるだろう。


 そして、その付き添いで一緒にやってきたグリンスター公爵夫人とセルレント伯爵夫人は、どうやらもともとは王妃の友人であるようだった。

 口々に王女が元気になったことに喜びの言葉をかけているが、実に親密な態度だ。身分としては王族である王女のほうが上に当たるが、彼女らの目は、生まれたときから知っている友人の子供へ向ける、母親のような温かさがあった。


「まあ、あなたが姫さまのお側付きの吟遊詩人トルバドゥールさま。お会いできて光栄ですわ」

「お噂はかねがね。先の姫さまのご公務でも大変ご活躍なさったとか」


 ふたりとも右手を胸に当て、一歩片足を引き、丁寧な礼を取ってくれる。この世界に来てから何度も見ている、女性がよくやる礼の仕方だ。

 だが、あいにくとセーラはその仕組みをよく理解していなかった。

 どの身分でも関係なく幅広く行うものなのか、どういう作法が正しい礼になるのかがわからない。慌てたが、わからないものを真似して失礼なことをしてしまっても嫌なので、諦めて日本人流に精一杯お辞儀を返したのだった。


「初めまして。セーラと申します。その……トル……呼び方は慣れませんので、どうぞセーラとお呼びください。こちらこそ、今日はわたしのお話を楽しみにしてくださっていたとか。お越しいただきありがとうございます」

「セルレント伯爵夫人のオルガと申します。こちらはわたくしの娘のフューリア。フューリア、ご挨拶できるかしら」

「はい。フューリアともうします。セーラさま、おあいできるのを、たのしみにしてました」

「グリンスター公爵夫人、マイヤですわ。こちらは」

「ビルス・グリンスターです。僕もセーラさまのお話をお聞きしたくて、ずっと今日の日を楽しみにしていました」

「ありがとうございます。皆さんに楽しんでいただけるお話をお届けできるよう、昨日のうちに姫さまとどんなお話をお聞かせするか話し合いましたから。ぜひ楽しんでいただければ嬉しいです」


 簡単に挨拶を済ませ、まずは用意された席につく。もちろん今日の招待客はセーラの歌と語り聞かせを楽しみにやって来たのだが、それよりもまず、長い間会えなかった王女との再会を喜びながらお茶を楽しむのが先のようだった。


 グリンスター公爵夫人もセルレント伯爵夫人も、どちらも権威を笠に着るタイプではない。セルレント伯爵夫人のほうがはきはきとお喋りなのに対し、グリンスター公爵夫人はおっとりと天然な部分がある。

 だが、ふたりとも聡明で温かく、部外者のセーラにもわかりやすいように王女や王妃との出会いを聞かせてくれた。


 ふたりが話してくれたところによると、どうやらグリンスター公爵夫人とセルレント伯爵夫人のふたりが、子供時代からの友人なのだという。十代後半でどちらも結婚して夫の家に入ったが、ふたりの友情は結婚後も途切れることなく密に続いていた。

 そうして、数年前に外国から嫁いできたアディリマ王妃とも夜会での出会いをきっかけに意気投合する。王妃と王女はそれ以来の仲なのだそうだ。

 三人ともちょうど年齢が近く、生まれてくる子供たちの年齢もほぼ同年代だった。そういう経緯もあって、貴族の夫人方が頻繁に開催する夜会や、大々的な茶会サロンとは別に、今日のような小規模なお茶会を開いていたらしい。


 ――つまり、王妃さまを含めて三人で仲良しのママ友をやってたわけだ。ついでにグリンスター公爵夫人とセルレント伯爵夫人は幼馴染同士と。


 実際には貴族の付き合いなので、セーラの考える庶民のママ友とは異なるのだろうが、関係性は似たようなものだろう。そうして三人の間に途切れない友情があったからこそ、その子供である王女たちは生まれる前からの幼馴染になったのだろう。


「今日はセーラさまの物語も楽しみにしていますけれど、わたくしたちからも何か姫さまに目新しいものをお届けしようと思いまして準備しましたの」


 思い出話や近況を肴においしい紅茶に舌鼓を打っていると、不意にセルレント伯爵夫人がそんなことを言い出した。


「占いなのですけれど。最近、夜会などでも流行っておりますのよ。よく当たると有名な占者さまがいらっしゃって」


 グリンスター公爵夫人がおっとりと微笑む。

 王女がお茶菓子を食べる手を止め、興味深そうにふたりに尋ねた。


「うらない? それは魔法をつかってうらなうものですか?」

「ええ、そうです。少し前、陛下に招かれて王宮に上がって以来、あちこちで引っ張りだこだとか。今日は姫さまにも体験していただきたくて、無理を言って同行していただきましたの」


 ――なんだ、その聞き覚えのある経歴の占者は。

 驚きと嫌な予感のあまり、口に含んだ紅茶が気管のほうへと迷い込む。盛大に咳き込みたいのを堪えながら必死に咳払いで軌道修正していると、図ったかのようにこちらへ向かってくる人影があった。


「お呼びですかな? 奥様方」


 見事な金髪をさらりと揺らしながら、気取った仕草で大仰に一礼して見せる。

 サプライズだと喜ぶ夫人たちを他所に、思い切り鼻の頭にシワを寄せてしまった自身をどうか許してほしい――とセーラは誰ともなく頭の隅で懺悔した。


 そこには、占者・エルストラが芝居がかった得意げな笑みを浮かべて立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る