十三日目

① 炯の出自、学府の仕打ち、復讐と絶望、夕暮れ――動き出す決戦への計画

 出来ることはやっておこうと、頼まれていた現代語訳を進めているうちに、窓から差す朝日に気づいた。結局、どうにも落ち着かないだけなのだと苦笑いしながら服を着替え、机の上に手紙と折った鍵の弁償代を入れた封筒を置く。部屋を出ると、ちょうど同じように出てきたウェールスと鉢合わせした。目を丸くした彼女に、


「おはよう。よく眠れたかい」

「う、うん」私を眺めて、「今日は女装しないんだね」

「橘さんの大切なものだ。汚したり傷をつけるわけにはいかないからね」


 階段を降りて、リハイブではいつも通りに橘さんが支度をしており、


「おはようございます」

「おはようマスター」

「おはよう炯ちゃん、ルーちゃん」


 数年来、あるいは数日間の習慣だった挨拶を交わし、一日の始まりの朝食を摂った。


 橘さんと別れの挨拶を済ませ、私たちはまずワァルドステイトの支所に向かった。ウェールスの状態と情報剤の開発状況を確認するためだ。回答は、対コア用の武装は使用可能で戦闘に支障はない。情報剤の進捗は完成目前。つまるところ彼女を取り巻く状況はなんら変化していないということだ。


 次いで、明石氏の屋敷を訪ねる。今日この場の段取りは、地下シェルターを通ってここに来たあの後に大まかに決まっていた。その決定どおり、逢坂氏は明石氏の屋敷で待機していた。大家美央氏の手勢はこちらに移動しており、訊けば一人を残して全員が来たとのことだった。その一人とあの四名の団員だけが今も彼女の屋敷に居るわけだ。私はウェールスと顔を見合わせた。人員の配置は明石氏の周囲を自警団、大家美央氏の手勢は屋敷の周辺の警戒に当たる。


 大家美央氏が地上から来た場合の戦い方も確認しなければならない。彼女の家から明石氏の屋敷に向かうには北を走る大通りに一度出て東に進むことになる。


「戦闘となれば莫大な瀝青が発生する。当然、周囲にも影響が出る」


 実際に大通りに立って東西を見渡し、


「東、つまり明石氏の屋敷を目指しながら戦闘を続けるのは難しい。比較的人口の多い居住地だ、弾性効果で認識されにくいと言っても限度はある。君をどうにか負かして計画を続けたいなら、より人のいない西に一旦、君を引きつけようとするだろう」

「それは僕にとっても願ったり叶ったりだよね」

「そうだ。君には相手に付き合うふりをして出来ればここに誘導して欲しい」


 地図と周囲の景色を照らし合わせつつ空地に向かう。


「分かった。でも出来るかどうか分からないよ」

「もちろん。相手のいることだからね。私なら瀝青の濃度分布を探知しながら向かうことは出来る。ただ、それだけでは時間がかかりそうだから、他にも手がかりが欲しい。そのくらいのことさ」


 一日をこのように過ごし、私たちは西の荒地に向かった。木々に囲まれた廃墟の群れを抜けて、瓦礫の山が立ち並ぶ鉱山に足を踏み入れた。


「あんまり治安が良くなさそうだね」

「ちゃんと悪いのさ。同じD級街でも支所のある南のそれとは別物だ。全員が基本的に解体業者だと思ってくれて良い」

「団長さんはここ出身なんでしょ。子供の頃をこの場所で過ごして、今はたくさんの人を束ねてる。凄い人だね」

「ああ。私もそう思う」


 そのまま進んでいく。何度となく人の気配がし、その度に物を投げてこちらに力のあることを示した。迷路じみていたものが次第に単純になり、瓦礫の山は疎らになっていく。ふっとそれらが姿を消して、荒涼な平地が現れた。鉱山と荒野を東西に分かつ胡乱な道を北へ行くと、程なくして緩やかな傾斜を感じるようになる。丘になっているのだ。


「昔は、ここもあの瓦礫の山も、最初に見た木々で囲まれた廃墟のような空間だったんだ。富裕層が好んで暮らす住宅地だったそうだよ。それが頽廃勢力に占拠されて彼らの支配地になった」


 なだらかな丘を登りながら、この地の経緯を概説する。


「私の知る学府の歴史では、藤の粛清はその地域ごとに異なる作戦が取られた。この辺りは廃墟もそれを隠した植生も徹底的に破壊された。今もって草が生えていないのはその作戦の名残だ。あの瓦礫の迷路はここと同様の作戦が取られた後、その過程で発生した廃棄物を集積したのが発端だ」


 丘の上にある石畳が敷かれた敷地に入った。建物などは何も無い。粗雑な石の階段を上りきると展望台になっていた。眼下に藤の粛清の舞台となった土地が広がっている。それらを見渡す頃には夕焼け空となっていた。風が強く吹いた。


「ここは」


 髪を手で押さえ、目を細めながらウェールスが言った。


「藤の粛清を記念した石碑があった跡地だ」

「盗まれたの」

「移動したんだ。克服記念日が制定され、式典が行われるようになったことでね。旧幹線道路沿いに立派な記念公園がある。ほら、あそこだ」


 指を差す。荒地の向こうを走る黒々とした道路。それを幾らか西に追った所に、勇壮な建物を戴く公園が、辺りから浮かび上がるように存在していた。


「記念公園はA級街の扱いで私では君を連れていけない。それに、君が見たいものはあれではないとも思った」

「うん。正解だよ」


 そう答えるとウェールスは指を組み、黙祷した。しばし静謐な時間が過ぎた。すっと顔を上げた彼女の背中に声をかける。


「さて。何か訊きたいことがあるんだろう」


 振り向いて私を真っ直ぐに見つめる。一呼吸置いて、


「蔵書館区事件、君が按察官を辞めさせられた事件。犯人の三好綺羅星って人が白の媒介者なんでしょ」

「ああ。さすが名探偵」

「誰だって分かるよ」慎重に窺いながら、「君は白の媒介者に復讐がしたいの」

「どうしてそう思うんだ」

「恨んでる」

「恨んでいないよ。確かに蔵書館区事件で私は按察官を辞めさせられたが、それはただのきっかけだ。私が三好さんを追っているのは単純に助けたいからだ。コアから彼女を解放したい」

「どうして」

「それはもちろん隣人愛さ」


 この十数日間で築いた信頼関係から、彼女は嘘を吐くなと言わんばかりの目で私に本当のことを言うよう無言で要求した。私は笑って、


「彼女は鏡に映ったもう一人の私なんだ。似た者同士ということさ。だから、助けたい。執着だよ。私の個人的なね」

「そっか」少し俯いて押し黙った。顔を上げ、もう一度私を見る。先ほどより悲痛な表情で、「じゃあ、君はその為に、コアを破壊する為だけに、今、僕とここにいるんだね」

「そう思っていないんだろう」

「君は僕に全てを話してない。ジャンとどこか似てるんだ。だけど違う。ジャンは嫌味なだけだ。君はもっと悲しい」


 堰を切って紡がれた言葉は消え入るように止まった。


「察しが良いな。案外、本当に名探偵かもしれない」

「そんなんじゃないよ」伏し目がちに言う。「君は僕がいなくなった後、何をするつもりなの」

「何をするつもりもない。ただ、何かするだろう不安があるだけだ」

「不安。どういうこと」

「そうだな。私が恨んでいるのは三好さんじゃない。学府だ。私は学府に復讐を果たさなければならない」

「学府に復讐」


 真っ赤に燃える空を仰ぎながら、私は話し始めた。


「昔、この都市は開道家が治めていた。私の父が最後の市長だった」


 父、開道一成は良く言えば才気煥発、悪く言えば協調性を欠く独善家だった。他の貴族との摩擦や軋轢を一切顧みない。その性質の言わば集大成が異人の留学者、サラ・オレリア・バーネット――母との結婚だった。今もって異人を妻に迎えた貴族は父以外に無い。まして開道家は由緒ある名門貴族だ。凄まじい反発が起きた。


 結婚を皮切りに統治の質は更に向上した。反骨心の賜物と言える。市の蔵書館区の整備が進み、記念館の数が増えた。前時代の書籍の一部が複製され、それらの閲覧が市民や留学者に開放された。母が強く求めた孤児院の創設を筆頭に貧者の救済も推し進められた。非市民に対しては市民格の取得条件を緩和し市民になり易くもした。


 だが、これらの急進的な都市運営と、それが一定の成果を上げた事実が、多くの人々の私たち家族への憎悪を決定づけた。


 克服記念日の前夜。母は私を連れて孤児院の子供たちと夜を過ごしていた。そこに暴漢が押し入り、射殺した。


「母の暗殺時、私はその場に居合わせた。他の子供たちと違って、あの時点で多少の力が使えたからね。母は私も含めた子供たちを奥の部屋に逃して暴漢と対峙しようとしたが、私だけ戻ってきたわけだ。一応、そうした意味はあった。彼らを一度は叩きのめすことができたから。ただ、私は彼らを殺さなかった。私が力を使い果たした後に一人が立ち上がり、


――万歳。


 思い切り叫んで引き金を引いた。運が良いのか悪いのか。母に庇われた私は一命を取り留めた。一年間の昏睡状態に陥ったけれどね。その間に父は混乱の責任をとって自裁死。開道家は市長の権限を没収。先生、課長の御父上が手を尽くしてくれて、私だけ殺されずに済んだ。その数日後に行われた克服記念式典でこの街は父と母の死に歓喜の声をあげた」


 私の話を茫然とした様子でウェールスは聞いていた。


「私は学府に両親を殺され、人生を破壊され、正当な地位を奪われ、今も名誉を汚辱され続けている。学府には記憶に対する刑というのがある。罪を犯した者を記憶し続けるという刑、早い話が吊し上げる刑だ。これを科せられると、決められた都市からの移動も、名前を変えることも禁じられる」

「君が女装してる理由って」

「姿だけは変えられるからね」

「そんな」

「ウェールス。それが不当な略奪である以上、復讐は果たされなければならない。それを放棄することは、自分さえもその仕打ちが自分に相応しいものだったと認めることに他ならない。だが、この復讐は致命的なものだ。私は能う限りの力で人間を傷つけるだろう。その愚かしさは私から全てを奪った者たちのそれと選ぶところがない。人間としての尊厳、私としての尊厳。二つの間に楔を打ち込まれた者は、これほどにも惨めに生きることになる。私はこの問題をずっと先送りにして生きてきた。しかし、いつまでもは続けられない。この明らかな偽善と欺瞞に、私の若さゆえの弾力が失われて耐えられなくなる時が必ず来る。不安というのはそのことだ」

「どうにもならないことなの」

「今の私を見て、どうにかしようとした成れの果てだとは思わないか。私は彼らを許す方法を探した。だが、彼らは私が差し出した手をその都度払い除けた。それが何であるのか確かめようともしないで。もはや、どうすれば彼らを許してやれるのか私には分からない」


 烏が数羽、黒ずんでいく空に飛んでいく。その後ろ姿を見送りながら、


「善く生きるということは、私に、許されたことではなかった」

「今日まではそうでも明日のことは分からないよ」

「君は自分のいない明日を私に約束するつもりなのか」


 笑いながら指摘する。彼女は押し黙った。


「すまない。君を困らせたいわけではないんだ」


 懐中時計で時間を確かめる。


「そろそろだな。この話は終わりだ」革製のホルスターに収められた一丁の拳銃を差し出す。「これから君は一人で夜の街に立たなければならない。何も脅威はコアだけじゃない」

「これって」

「親の形見だ。業者を倒すなら十分だし、相手は選ぶが形式的な威力はそれ以上だ」


 そっと手を伸ばし、それを受け取る。


「ごめん。僕は、君になんて言えば良いのか分からない。だけど、もし犯人が地上から来るなら、僕は君が来る前に必ず倒してみせる。もし地下を行ったなら、必死に駆けて、辿り着いて、君が傷つく前に必ず倒してみせる。その後、僕は消えてしまうけど、第二、第三のルーチェ・グラックス・ウェールスが君の前に現れて、三好さんを助けて、君に明日を約束するから。僕に言えるのはそれくらいだ」


 魔王みたいなことを言うと可笑しく思った。


「ありがとう。一昨日も言ったが、特に犯人が地下を選んだ場合、君が急いでくれれば私の生存率は上がる。残念ながらね」


 もう一度、眼下の景色を見渡して彼女に向き直る。


「さあ行こう。どうあれ。これが誰かの、最後の戦いだ」

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