十二日目

① 蔵書管区、学府観光、前時代の遺産――かつての上司が語る炯の過去

 ウェールスは車の助手席に座って流れる外の景色を眺めていた。眼前に広がる鈍色の街とは対照的に、琥珀色の目は期待を豊かに湛えて輝いている。現在、蔵書館区への立ち入りは原則貴族のみに認められている。それ以外は貴族の同行者が必要だ。以前は貴族の紹介状で済んだが、蔵書館区事件を受けて厳格化された。とは言え、


「規則を守らない奴も都合良く使う奴もいてね。貴族でも立場関係次第で突っぱねたり、酷いところは賄賂で通すし。上に政策あり、下に対策ありと言うけど、上に対策ありじゃどうにもならないわ」


 向かう車中で課長が嘆く。事実ではあるが、異人相手に明け透けに話すところが彼女らしい。


「わあ」


 目の前に広がる景色にウェールスは思わず声が漏れた。隣で課長が自慢げに、


「まあ、この都市で何か見るならまずはここよね」


 二人は蔵書館区にある博物館を訪ねていた。丘の上の広大な敷地に複数の建物が並ぶ小さな街の様相で、前時代の高等教育機関だった「大学」が前身であることに由来する。統一感のある建造物、広い中庭と高く伸びる木が青空と放つ朗らかな気品は、敷地の外では見出すことが難しい。辺りも同じくA級街ではあるが、隔絶された異質な壮麗さがある。


 補修中や収蔵物の重要度が高い展示館には入れなかったが、いくつかのものを見ることはできた。古今東西の彫刻や絵画、建築様式と空間的なものが多い。比較(学府と海向こうの対比)に重点を置き、類似性や個別性、文化の交流による双方向的な関係性の観点から整理した展示となっている。通底しているのは学府がこれらを保有する正当性の主張だ。手放さなかった他人の持ち物でなく、自分の持ち物で賞賛を得たいという欲求も透ける。しかし、全体的に我欲に対して抑制的であろうと努めており、それらをどう見るかは見た者に極力委ねようとしている。


 最後の一つから出てきた頃にはすっかり日も傾いていた。ウェールスは大きく伸びをした。力を抜いて腕を下ろす時、弾みで少しよろけた。咄嗟に課長が彼女の背に手を添える。


「ありがとう」

「疲れたんでしょう」

「うん。正直」


 笑みに確かに疲労が滲む。ちゃんと見たという感じがあったのは初めのうちだけで、次第に見るもの全てが列車の窓から流れる景色のように駆け抜けていった。どんなにじっとその前に立って見つめてみてもそうだった。


「そんなもんよ。生み出すことに比べれば、消費にかかる時間や労力は小さいけど、ここにあるもの全てを創るために注がれたものを考えたら、費やすだけでも大変よ。きっと一人の一生では無理なほどね」

「すごいね、人類は」

「不思議な感慨の持ち方をするわね」


 彼女の独特な言い回しに課長がきょとんとする。慌てて、


「歴史に思いを馳せたと言いますか」


 嘘は吐いていない。課長は笑って、


「そう」とだけ言い、「また来たら良いわ」

「うん。また」困惑が浮かばぬように笑顔を作る。

「少し歩きましょう」


 散策は敷地を分かつ細い道を渡って、広場に差し掛かった。収蔵品だけでなく、博物館自体も今や一つの巨大な美術品だと言える。ウェールスは辺りを眺めながら歩いた。しばらくそうした後、噴水の脇にある石造の長椅子に腰掛けた。


「今日はありがとう。楽しかった。学府に来た甲斐があったよ」


 そう言って彼女は満足そうに笑った。課長も愉しそうに、


「どういたしまして。開道君に頼まれた理由が分かる気がするわ」

「叶子って面倒見が良いね」

「誰にでもこうじゃないわ。開道君だからよ」

「あの、もしかして。炯のことが好きなの」


 ウェールスがおずおずと尋ねる。気まずそうなのは、それが好奇心と言うよりは、好意を体良く利用されていないかという心配からの問いだからだ。


「そうね。家族だもの」

「そうなの」予想外の答えに目を丸くする。

「十二の時にうちに来て、それからずっと。まあ、その時々で義兄(あに)だったり部下だったり、具体的な関係は色々と変わったけど、根本は変わらないわ」

「へえ」と感心してから引っかかる。「兄」

「私の姉の夫だったのよ。歳下の義兄さんってわけ」

「あ、そうだったんだ」とりあえず表面的に納得した。少しの間を置いて、「炯って結婚してたの。だったってことは別れたの」一息で捲し立てる。


 彼女の無邪気な振る舞いに課長は一瞬呆然とした。空を見上げ、


「お似合いの二人だったのよ。別れたのは、三年くらい前ね」


 ウェールスはその横顔にはっとして俯いた。


「ごめん」

「別に気にすることじゃないわ。言ったでしょ。私にとっては家族。それが全てよ」

「ありがとう」


 安堵の笑みを浮かべる。課長はため息を吐いた。真剣な面持ちになり、


「それに何も恥ずべきことは無いもの。二人は無理やり別れさせられたんだから。陥れられてね」

「どういうこと」

「中央の蔵書館区で大きな事件があってね。開道君は共犯者の汚名を着せられたの」

「もしかして按察官を辞めさせられたのも」

「ええそうよ。この一件で義兄さんは全てを奪われた」

「そんな」ウェールスは絶句した。抗議するように、「共犯者だって証拠は」

「無いわ。でも、無実を証明する根拠も無かった」

「そういうのって有罪の証拠が無いなら無実なんじゃ」

「前時代的ね」

「なんでそんなこと」

「それは。開道君に聞いて。私が言えるのはあくまで部下がクビになった経緯だけよ」

「そっか。ありがとう」そう言うと気落ちした声で、「この前、訊いたんだ。犯罪者に手を貸して辞めさせられたって冗談めかしてたけど、そういうことだったんだ」

「そんなこと言ったの」

「うん。その時はてっきりこんな仕事は自分に相応しくないとか言って辞めたのかと」


 課長がすっと視線を逸らす。咳払いを一つして、


「もう一つ言えることがあったわ。あなたが助けた津田という男ね。失踪する前にこの事件を調べてたみたいなの」

「えっ」


 その情報は彼女の感傷を吹き飛ばすのに十分だった。


「コアを植え付けられてたんでしょ。もしかしたら、今あなたたちが追いかけている事件と蔵書館区事件には繋がりがあるのかもしれない」

「蔵書館区事件ってどんな事件だったの」


 課長は事件の概要――蔵書館区にあった前時代の遺産が狙われたこと、管察官が殺されたこと、犯人が三好綺羅星という按察官だったこと、犯人を突き止めたのが私だったこと――を説明した。その上で、


「公には三好は仲間割れを起こして開道君に殺されたことになってる。でも、死体は見つかってないの。崩落した建物の残骸から左腕が見つかっただけ」

「左腕」


 白の媒介者の姿が脳裏を過った。彼女の左腕は義手だった。


「心当たりがあるの」

「あ、いや。その。口止めされてて」


 申し訳なさそうに言い淀む。もっともそれが答えではある。課長は笑って、


「それなら、あなたから何かを聞き出そうとはしないわ」

「ごめん」

「別に良いわ。開道君が希望を失っていないなら、良いのよ」


 微笑みかける。内心で、


(自分の口で言わなければならないことがあるわ。あの人にも、私にも)


 と、呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る