② 地下シェルター街、藤の粛清の真相、クローバーの絶叫――示された新たな犯人像

 明石氏の屋敷では難なく迎え入れられ、私たちは煌びやかな応接室に通された。使用人に勧められた上等な椅子は、体を呑み込もうとする柔らかさで、背もたれに囚われれば上体を起こすことが難しい。そうと知らずに座ったウェールスは、びっくりしてジタバタしたが、今は諦めて椅子の父性的な接遇を受け容れている。低い座卓の向こうにある主人の椅子は、座面の位置がこちらより高い。都合、仰ぎ見る格好になるだろう。その心理的効果に思いを馳せた。


 明石前途氏とは多少の面識がある。理知的だが、瞳の奥に残忍さが宿る嗜虐的な人だ。覚醒能力は干渉系の技能に長じ、抵抗力の低い者であれば自覚することもできずに(すなわち主観的には実に主体的に)彼女の意のままにされるだろう。


 ウェールスが派手な内装を少々眩しそうに眺めていると、開き戸が心地の良い音を立てて滑り、明石氏が現れた。黒々とした髪を切り揃え、黒地に大きな牡丹の刺繍が入った袴を穿いている。白い着物の衿にそっと指を這わせる。妖力とでも言うべき雰囲気を放ちながら、悠然と私たちの前まで歩き、向かいの椅子に腰掛けた。


「随分酔狂な格好をしている。開道殿」


 血のように赤い紅を引いた唇から蠱惑的な声が流れた。


「お気に障るようでしたら申し訳ありません」

「良い。生まれの不幸は如何ともしがたい。苦労していらっしゃる」

「恐縮です」

「私はおまえの随筆がとても好きだった。同情しているのだよ」ウェールスに視線を向ける。「それが異人の探偵かな」


 彼女には極力黙っているよう事前に頼んでいた。代わりに私が答える。


「ええ」


 こちらの警戒など見え透いているのだろう。私に一瞥寄越して、じっと彼女を見つめたまま唇を歪めた。


「美しいな。ありとあらゆることができる、捨てるところのない肢体だ」


 ウェールスがびくりとする。迂闊な反応だ。明石氏が一層昂る。


「来たのが今で良かった。学府には異人の血肉が滋養になると言われた時期があってな。おまえなら数多の者たちが情熱の限りをぶつけたろうよ」

「あまり脅さないでやってください」

「失礼。興が乗ってしまった。殺人犯に狙われていると知って狼狽えているのだ」


 言いながら、獲物をなぶる獣の顔をしている。私は咳払いをして、


「逢坂氏とお知り合いとは驚きました」

「知り合いも何も。私はあれの妾よ」


 その明け透けで自嘲的な言葉には取り合わず、


「事件のことは」

「逢坂から聞いていた。さわりだけな」ゆったりとひじ掛けに体を預け、私に挑発的な眼差しを向ける。「自警団を支える女どもは、みな逢坂に抱いてもらいたくて競うように金を積む阿婆擦れだ。此度の事件は、その阿婆擦れの愚かな財布が逢坂を恨んで起こしたもの。憐れよなあ。彼奴は自分の愛情を嘲弄した売女を逢坂が本心から愛するはずがないとすがるような心持ちで、あれの盟友をこそ手にかけた」一呼吸置いて、「そう思われたことでしょう。開道殿は」

「明石様も同じようにお考えだったわけですね」

「犯人が三人目に私をご指名下さるまではな」

「逢坂氏からフーマニット、クローバーが犯人ではないかと聞きました」

「私がそう言った」

「理由を教えて頂けますか」

「なるほど。逢坂は何も言わずにおまえをここに寄越したのか。存外、可愛げがある。そうさな。まずは前提の話をせねばなるまい」

「前提」

「そも、私が逢坂と出会ったのは大家の紹介だ。今日おまえたちが来た理由のな、フーマニットの日記。逢坂はその中身を知りたがっていた。大家では応えきれなんだ。そこで私と引き合わせた。私としても面白い題材だった。ご存じないかな。私はここ数年、藤の粛清を研究している」

「伺っています」

「その日記こそ発端だよ。藤の粛清の実行者はフーマニットだったわけだ」


 やはりそういうことだった。隣で息を呑む声が聞こえた。


「おや、気になるのか」

「ウェールス」太腿の上の彼女の手に手を伸ばし諌める。

「分かってる」


 小さく答えたその声が思いのほか凛としていて驚く。明石氏が冷やかすように口笛を吹いた。抗議の眼差しを向けると、肩を竦め愉しそうな笑顔を返してくる。


「証拠も無しに言いはせん」古い日記帳を差し出して、「これが件の日記だ。海向こうの言葉だが、おまえなら読めるだろう」


 受け取り検める。仕掛けは施されていない。ウェールスが肘掛けを頼りに体をぐいと起こした。彼女にも見えるようにそれを開く。日記はそもそも藤の粛清の記録として始まっていた。当時の学府の状況、頽廃勢力の猛威、西の荒地の情報。さらに、


「これは地下ですか」


 顔を上げて明石氏に尋ねる。日記に一枚の地図があった。蜘蛛の巣のように張り巡らされた通路が描かれている。


「この都市には地下にもう一つ街があるのだ。私はシェルター街と呼んでいる。前時代末期から頽廃期初期にかけて建設、拡張が続いていたと見ている」


 もう一度、それに視線を落とす。地下の蜘蛛の巣は通路が欠落あるいは単純には連絡しない、意地の悪いあみだくじのような形態をしている。これら巣を構成する太い通路から細い通路が無数の触手のように延び、


「この細い通路が地上の入口に繋がっている」

「当時、富者たちはこぞって自分の家にシェルター街への入口を設けていた。我が身を貧者から守ることにご執心だったのだろう。それが自分たちの影だとは気づかなかった」

「頼む」日記をウェールスに渡し、「地下シェルター街は藤の粛清の対象だった」

「物は主を選べんでな。シェルター街は頽廃勢力に掌握された。彼奴らはこれを利用して、縦横無尽に誰彼構わず食い散らかした。歴とした病巣だったのだ。さあ、シェルターへの入口は富者どもの家への入口になったぞ」


 明石氏の説明を聞いた上で改めて室内に視線を這わせる。


「こちらに越してきたのは」

「日記を調べるようになってから。左様、この屋敷には地下シェルター街への入口がある。もはや言うまでもないことだろうが、地上の地図と突き合わせると栄の屋敷にも大家の塔にも入口があることになる。どう思う」

「だとしてクローバーは何のために」

「逢坂のやろうとしていることを止めるためだ」

「やろうとしていること」

「逢坂は日記を公表したいのだ」

「逢坂氏にとってこの日記の主は親代わりでは。一体、何故」


 学府で大量虐殺を行った事実を公表しようとは考えにくいものがある。


「そう思うだろう。だが、隣の探偵殿は理由が分かるようだ」


 ウェールスが私に日記を見せる。クローバーが僚機と共に作戦を実行している最中の記録だ。


――低出力で波状槌を使用。焼却完了。


 それは、フーマニットたちの断末魔だった。


「人非人の私でも少々胸を打つものがあった。人類を救うために造られたはずが、その救うべき相手を草の根をかき分けて探し尽くし皆殺しにせねばならない。クズばかりならまだ気も楽だったろう」


 武器を手に抵抗する者を撃つことにさえ過大な苦痛があったと見える。無抵抗の者、老人、女、子供、他の生き方を奪われた青年たち。こういった人々を殺す時、彼らに与えられた人間的なプログラムは筆舌に尽くし難い巨大な圧力によって潰され、発熱し、焼けて壊れた。クローバーの僚機たちが人間で言うところの錯乱のような挙動を次々に取り始めたことが克明に記録されている。


 このような事態は事前に予測されていたようだ。機能不全に陥ったフーマニットを処理する部隊が用意されていた。クローバーは掃除屋(スイーパー)というこの部隊の所属だった。


 藤の粛清が実施された一週間で大量のフーマニットが失われた。最終的にはクローバーも実行部隊の任務に就いたようだ。だが、この間のフーマニットの損失は全て自壊によるもので、人類によって傷つけられたものは一機も無かった。


「この一週間の地獄と数多の犠牲の上に今の学府は成り立っている。逢坂はこの事を学府に広く知らしめ、フーマニットの犠牲と貢献、さらに言えば、貴族に罪を認めさせたいのだ」


 逢坂氏が自警団を結成した動機もこれに通ずるのだろう。非市民はかつての頽廃勢力の末裔であり、言わば相似形の勢力だ。非市民の自立と自律。殺されなければならない者がいないなら、殺さなければならない者も生まれずに済む。しかし、


「仮に日記を公表できたとしても逢坂氏の望むようにはならないでしょう」


 私が指摘すると明石氏は愉快そうに哄笑した。


「それが我々の感性だ。無論、私もそう思う。今の学府は教養派の中でも頭の粗末な連中が牛耳っている。自分たちのことは棚に上げてフーマニットの虐殺を喧伝し、排斥運動だの言いかねん。厳然たる事実として、学府はW.S.の諸技術無しには存続し得ないのに、だ」

「逢坂氏にそのことは」

「言ったに決まっている。そんなことをすれば学府におけるW.S.の立場を悪化させるだけ。おまえの大切なフーマニットにとっても何も良いことは無いぞと何度も言ってやったのに」ため息を吐き、首を横に振る。「どういうわけか私を信じようとしない」


 仕方のないことではある。明石氏は貴族、藤の粛清を行い、その恩恵を最も享受している身分だ。不都合だから止めるのだと逢坂氏が捉えても不思議はない。単純に彼女の性格の問題もある。


「逢坂氏があなたの忠告を無視したとして、協力を拒むことはできたでしょう」


 彼は日記を巡る葛藤を自分と貴族の二者関係で理解していた。W.S.がどう受け止めるかの視点が欠落していたのだ。だが、この人は違う。


「あれがやると言うなら付き合うまでよ。その先に破滅しかなくともな。何もかもが滅茶苦茶になった最後に獣のように互いを求めあうのも破戒的で良い」

「その結果、クローバーは日記の公表を阻止するために殺人を犯すに至った」


 逢坂氏のやろうとしていることをクローバーは学府とW.S.の関係を破壊しかねない行為と捉えた。私たちと同じように。


「断っておくが、私に非のあることではない。私はただ一人の悲劇役者を愛したに過ぎぬ。努めて誠実に、な」


 私の問いを明石氏はそのように認めた。大家氏は言うに及ばず、栄氏も逢坂氏の計画に協力的だった。彼女に言わせれば、クローバーは藤の粛清を実行した哀れな、しかし高度な殺戮兵器だ。予め入力された大局的な目的――学府全体の利益とそれを担うW.S.の地位を守るため、冷酷な殺人を実行している。逢坂氏を直接攻撃しないのは、特別な関係が認識能力になんらかの重みを与えているからだ。見解に付け加えて、


「そう考えると大家の塔が燃え落ちたことも合点がいく」

「と言うと」

「クローバーの日記には大家の手による写本が何冊かある」

「その写本を処分するために塔に火を放ったと」

「おうとも。まったく、一人でしゃかりき何冊も書き写したりせなんだったら。報われんやつよ」

「他に写本の持主をご存じですか」

「ご存じも何もそれがその一冊よ。品質は私が保証する。本物と寸分違わぬ。さすがは大家よ。おかげでこの屋敷も燃えるやもしらん。私と一緒にな」

「そうならないためにもこれをお借りできますか」

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