2話
「ふあぁ……。ここは……?」
目が覚めたらそこは城の一室……ではなく、ふかふかのパッチワークベッド。
狭い部屋の中に大きなベッドと鏡台、クローゼットと小さなチェスト。
窓にはオレンジの花柄カーテン。
カーテンを開けると、森と小さな畑。
首を傾げながらクローゼットを開けてみると可愛いカジュアルドレスがいっぱい入っていた。
その中からピンクサーモンのシンプルなものを選び、足首までのブーツを履く。
驚くほどすべてが今の私のサイズぴったり。
「ここは、いったい……どこなの?」
不安を感じながらドアを開けると、そこはダイニングになっていた。
ハーブの匂いが充満しているダイニングの近くには、キッチンがある。
食器、調理器具、薪、水瓶も揃っているし他の家具も一通り設置してあって今すぐ生活できそうではあるのだけれど……。
「目が覚めたか?」
「ひっ!? ……あ……だ、誰?」
真後ろから声がして、驚いて振り返る。
立っていたのは白銀の髪と真紅の瞳の大男。
彼はフン、と私を嘲笑うと、長ソファーにどすんと腰かける。
「われはハクア。金の魔女の使い魔だ」
「使い魔……」
「今日からさっそく、お前には偽名を名乗ってこの地で人間や知性を持つ魔物の願いを叶えていくがいい。そして自分自身の使い魔を探すのだ。使い魔は何人、何匹いても構わない」
願いを叶える? 人間の?
嫌だ、と心から思うと顔にそのまま出ていた。
ハクアと名乗った使い魔は、フン、と私を鼻で笑う。
「願いの叶え方はお前次第だ。恋敵を蹴落としたいという願いなら、その恋敵を殺せばいい。金が欲しいものにはその身内から財産を取り上げてくれてやればいい。王になりたい者には、王殺しの汚名をくれてやればいい。願いはどれも叶えて終わりではないのだから、そんなこともわからぬ馬鹿には相応の叶え方で構わないだろう。それと、願いを叶える前には必ず”報酬”をもらうこと。願いに応じた報酬を受け取り、願いを叶えるのだ。魔女らしく残酷に、気に入ったものは存分に贔屓して」
「魔女、らしく」
「そのあたりの立ち居振る舞いも、ゆっくり学んでいくがいい。そのための修行期間だ」
そういうことか。
では、ここで人間や魔物から対価をもらい、願いを叶えていくのが課題なのね。
そして自分自身の使い魔を探す。
気に入った者の”対価”に私の使い魔になることを条件にすれば、使い魔は難しくなさそうね。
「そしてこれも渡しておく。魔女が使える権能や魔法の使い方を教えてくれる指南書だそうだ。話しかければ、該当ページが勝手に解決方法など今お前が必要なことを教えてくれる」
「ありがとう存じます」
手渡されたのは大きな本。
でも、受け取ってみるとすごく軽くてびっくりする。
私が本を簡単に受け取ったのを見て「自分の真名はしっかり理解したのだな」と呟かれた。
不思議そうに見上げると、この本は自らの真名を知らぬ者には大岩のように重いのだという。
ハクアは金の魔女に依頼されて持ってきたから免除されているらしいけれど。
「やるべきことは自分で考えながら励むがいい。来月また様子を見に来る」
「想像以上に丸投げですのね」
「なんだ? まさか一人は寂しいのか? なら、さっさと使い魔を得ることだ。使い魔は何匹いてもいい。自分で魔物を産めるようになったら、それを使い魔にすることもできる」
「別に寂しいわけではありません」
むしろマロウド王国での生活を思い出すと、一人で生活すること自体初めてで不安と期待で胸がいっぱいになる。
食事は、と聞くとハクアに「自分でなんとかしろ」と突き放された。
庭には畑もあっただろう、と顎をしゃくられて私もダイニングの窓の外を見る。
つまり、自給自足でなんとかしろってことね。
できるかしら? いえ、やるしかないもの。
わからないことはこの本に聞けばいいってことだものね。
「わかりました。やってみます」
「じゃあな」
「はい。ありがとうございました」
ハクアは扉を開けて外に出ると狼の姿になり、天空へ向けて駆け始めた。
これで本当に独りきり。
思わず本を抱いたまま、深々溜息を吐き出す。
不安。でも、それ以上に……。
「一人暮らし……!」
あの地獄のようなマロウド王国では、夜寝ている時もトイレにいる時も旦那様との瞑ごとの時ですら人の目があった。
常に護衛という名の他人が十人以上周りを固めている。
慣れとは怖いもの人に囲まれた生活も半年経つと慣れてしまった。
まあ、三十人近い貴族や騎士に囲まれながらの閨は慣れることはなかったけれど。
アレに慣れたら人として最低限のプライドを砕かれたと思う。
だからこそ一人の生活というのには憧れが止まらない。
私、一人暮らしができるんだ……! 嬉しい、嬉しい……!
――とはいえ、産まれてこの方人に世話されて生きてきたから、どうやって一人で生活すればいいのだろう?
えっと、朝は起きたら顔を洗う。
そのあと着替えて、食堂で朝食。
食後のお茶を飲みながら家族の予定を確認して……昼間は自宅で勉強したりお茶会や夜会があればその準備。
まあ、貴族の生活をすることもなくなったから、お茶会や夜会の準備なんてすることもないだろうけれど。
そういえば、ルージェー家は今頃どうなっているかしら?
私がいなくて多少騒ぎになっているのかもしれないわね。
まあ、もう関係ないけれど。
隔離されて育っていたのでほとんど会ったことはなかったけれど、私には兄と姉がいたから家は兄が継ぐだろう。
マーゼリク王国の貴族――特に男が産まれたあとの女子はいずれ嫁に出すので、両親は元より兄弟姉妹とも分けられて育てられる。
情を持ちすぎて、手放すのが惜しくなる……そんなことにならないための教育方法。
マーゼリク王国の王侯貴族は愛情を抱くと依存気味になってしまうのだそう。
それを避けるために上納つらない育て方をする、と。
だから私の方も、親に対して情は持っていない。
マロウド王国に嫁がされた憎しみこそあれ……ね。
「もういいわ。過去……いえ、この時間軸では未来だけれど、マロウド王国に嫁ぐことは絶対にないから忘れましょう魔女として成長し、自活していくことを考えましょう」
と、するのならばなにを犠牲にしても最優先で考えるべきは食糧!!
魔女の見習いになったから食べなくてもよい、というわけではなさそうなのはキッチンの充実度を見ればわかる。
外へ出ればそこそこの畑もあるしね。
早速本を開いてみると、全部空白……?
と、思った途端、畑の使い方やパンケーキのレシピなどが浮かび始めた。
なるほど!
ハクアが言っていた魔女が使える権能や魔法の使い方を教えてくれる指南書は、今の自分が必要なことを教えてくれるってこういうことなのね。
もしかして、聖女や魔女が使える魔法の真相って、こういうことだったのかも?
まあいいわ、家の外の畑に行って作物を育ててみましょう。
本の中身を見ると、光が本から細く伸びて軒下の木棚を指す。
その棚には小袋が並んでいる。
光の紐はその中から触手豆とマンドラゴラ味人参、人面ジャガイモの種を持ち上げて持ってきた。
……これ食べられるの? なんか気持ち悪……。
ま、まあ、飢え死ぬよりましよね。
すでにある程度整えられている畑の畝に、種を蒔いていく。
手を放しても本は中に浮かび、種の撒き方の書かれたページを開いたまま見せてくれる。
なんて便利なのかしら……!?
触手豆は指で土に三センチ邸後の深さの穴を開け、その穴に一粒ずつ入れて土を被せる。
マンドラゴラ味人参は直線上に溝を作り、種を被さらないように並べていく。
それにしっかり押さえつけるように土を被せる。
人面ジャガイモは少し離れたところの畝の谷部分に芋を並べていく。
株間は25センチから40センチと、かなり広めに。
土を被せ、しっかりとスコップで土を被せる。
「……ふう……! 楽しい~~~!」
土いじり、ってこんなに面白いものだったんだ~。
一番最初に収穫できるのは、魔法水で育てた場合のマンドラゴラ味人参。
普通の水なら一カ月かかるが、魔力を込めた魔法水なら約四日らしい。
農業用の魔法水の作り方も、次のページに載っていた。
同じく木棚の下の方に置いてあった水色のシャープなじょうろ。
ここに井戸から水を汲み、本に書かれた文字を指で真似して水の中で書く。
自分の”魂”と対話を行い、自らの魂の真名を知った者は魔力を得られる。
多くの国でそれは特権であり、王族にのみ、真名を知る術は伝えられていた。
魔法はそれほど特別で、強力だったから。
だからマロウド王国に嫁いだあとも、陛下は魔法を使えても王妃や私たち側室は法的に王室に迎えられただけで真名を知る機会に恵まれることはなかった。
まあ、信用されていなかったってことでしょう。
あれだけ多くの人間に監視されていたのにもかかわらず。
だからこそ、聖女たちは王家と同等の扱いを受ける特別な存在なわけね。
しかし、この本に教わった魔力文字……じょうろに広がる魔力が水に宿る。
そのじょうろで水を畑にまく。
虹色の光を宿した水が土に染み込んでいくのを確認してから、じょうろを木棚の横に置いた。
「これで野菜を育てるのね。他にもなにか植えておくべきかしら?」
作物を育て、日々の食事を用意しつつもう一つ……魔女の修業のことも考えないとね。
確か、知性のある魔物と人間の願いを叶える。
叶え方は私の自由にして構わないし、贔屓もしていいし、適当にしていい。
そしてもう一つは私の使い魔を探すこと。
人間の使い魔か、魔物の使い魔でもいい。
ハクアは金の魔女様の使い魔。
使いまって、小間使いや使用人って感じの存在なのかしら?
使い魔は何匹いてもいいって言ってたし、家自体は小さいけれど畑担当やシェフやお掃除係がいてくれると助かるんだけれど。
つまり最低三匹くらい?
ハクアは乗り物としても活躍していたから、そういう魔物もいた方がいいのだろうか。
じゃあ四匹?
「それに使い魔ってなにか……雇用契約とかするのかしら? ――あ?」
私の呟きに反応して、指南書がパラパラとページが捲れていく。
とあるページで止まると、そこに文字が浮き出る。
使い魔とは――という章題から説明文が丸々一ページびっしり書いてあった。
掻い摘むと、使い魔とはその名の通り魔女に使える小間使い。
魂の真名を魔女に捧げることで魔女と同じ寿命を得る。
魔女が次代に受け継がれる時、前の魔女と次代の魔女が合意すれば使い魔の引継ぎも可能。
つまり、金の魔女様が私にハクアを渡してもよいと言ったらハクアが私の使い魔になるってことね。
そこに使い魔の意思が介在しないのがちょっと怖いところだけれど。
魔女は使い魔をいくら増やしても構わない。
使い魔は魔女に血を与えられれば霊格という格が上がり、魔女に近い存在となり使い魔自身の使い魔を得ることができるようになる。
ただし、魔女に近しい存在になると魔女からの支配力が強まり逆らう意思を持てなくなる。
使い魔が使い魔の意思で魔女の使い魔を辞退したい場合、魔女に許可を得て転生するしかない。
魔女の使い魔になるには、使い魔予定者の同意が必要。
使い魔はいついかなる時も魔女の呼び出しに応えなければならない。
「使い魔になることを同意した者の真名を覗き、一文字を奪い、自分の魂に取り込む。それにより使い魔は魔女に逆らえなくなり、かつ魔女は使い魔の魂の一部を取り込むことで魔女としての力を増し、霊格が上昇する」
度々出てくるこの霊格とは?
再びページが捲れると、霊格についても見つかった。
霊格とは魂の格のこと。
まずこの世界を創った女神マアテラと五人の魔女たちの魂の格は霊格の上の神格と呼ばれるらしい。
その名の通り魂の格が”神級”だと神格で、それに準ずるのが”霊格”と呼ばれる。
真名を知る前の私は”凡格”。
指南書曰く真名を知っていることが凡格から霊格に上がる条件であり、魔法を扱えるようになるための最初の条件ということらしい。
なるほどね。
「勉強になるわ、ね……あ……」
顔を上げたら空がオレンジ色に染まっていた。
いやだわ、いつの間にこんなに時間がかかっていたのだろう?
本を閉じて、宙に浮かべたあともう一度は畑を眺めてから家の中に入る。
次は夕飯作りだけれど、地下の食糧庫に小麦粉や野菜がたくさん入っていた。
指南書に声をかけると材料が表示される。
階段を下りて人参とジャガイモ、タマネギ、天井につり下がったソーセージを取ろうとして――背が届かなくて一時停止。
あ、そ、そうか。
私、七歳の体に逆行していたんだった。
どうしよう? 今のままでは届かないわ。
辺りを見回すと、指南書が目の前に下りてきてとあるページを開く。
魔法文字を使うと体が浮かび上がる。
階段近くの壁にハサミがつり下がっていたので、それを取りに浮遊するが……バランスを取るのが難しい。
それでもなんとかハサミを取って、再びソーセージのところに戻り、一本をハサミで切って他の材料とともに揃えてから一階へ戻った。
鍋に水瓶から水を汲み、材料をそのまま入れると指南書に魔法文字が浮かぶ。
それを鍋の上で指を滑らせ書き上げると、鍋が光り始めた。
「えーと、このまま五分放置するのね。で、その間に小麦粉と砂糖と塩、酵母、オリーブオイル少々をボウルに入れる。魔法文字を書き上げて、濡れ布でボウルを覆って十分放置……」
五分後、鍋を開けるとポトフが出来上がっており、十分後に濡れ布を取るとパン生地が完成していた。
パン生地は適当にちぎって鉄板に載せて窯へ入れ、再び魔法文字を書き入れて窯を閉じる。
十分後に、パンが完成。
「すごーい……! 簡単!」
きっと野菜は皮を剥いたり、カットしたり味つけしたりと作業があるだろうにポトフは全部終わって出来上がりだけが鍋の中にある。
パンも同様。
魔法を使わないレシピを教えて、と指南書に頼むとパン生地は一日くらい放置しなきゃいけないんだって。
へええ、やっぱりかなり時間がかかる作業だったのね。
「魔法のおかげで一人でも十分やっていけそう。体が縮んでしまったから、ちょっと感覚が慣れないけれど……」
さっきのソーセージを取る時のような。
でも、生活自体は魔法文字のおかげでやっていけそう。
なんなら魔法文字で魔法を使うのすっごく楽しい~!
「むしろこれなら他人の願いを叶えるという課題も楽しくできそう。でも、あれよね……こんな幼い姿だと馬鹿にされそうなのよね。変身魔法解かないのかしら――」
なんて焼きたてのパンをちぎりながら、夢中になって指南書を読み続ける。
これ、しばらく寝不足になりそう。
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