深読みストQの辛辣さ
コンタ
さらば箱舟
某都市の郊外に、公営住宅がある。一階の四世帯が車椅子専用住宅で、うち二世帯はずっと空き家だった。住宅の前には駐車場があり、うち二世帯は自動車を持っていない。というわけで、車椅子専用住宅の駐車場はいつもがら空きだった。
厄介なのは二階以上(八階まである!)の自動車持ちの住民である。自分の駐車場はあるのに、遠いからといって車椅子専用住宅の駐車場を無断で使用する。駐車する側は「面倒くさいので停めた」で終わり。自分勝手で非常識。駐車された側、つまり権藤徹は、ひじょうに不愉快である。スライド状の玄関扉を開けたら、無断で駐車した自動車(いま流行りのファミリータイプ)が、堂々と居座っているのだ。その日は丸一日中、機嫌が悪い。いうなれば権藤は「気分が傷ついた」のである。
足を踏んだ者は、踏まれた者の気持ちがわからない。だから踏んだ者の足を踏み返してやるのだ。権藤は表面上怒っていたが、その怒りの奥には哀しみがあった。
公道ではないので、一一〇番は使えない。住宅公社が何かしてくれるわけでもない。そこで権藤が考え出したのは、「無断駐車を見つけたら、速攻タイヤをパンクさせる。誰も傷つかないから平気だ。駐車した本人も良心の呵責などこれっぽっちもないだろう。その代わり、タイヤの修理費がかかるだけ。俺がルールだ。天罰が下るとでも言っていい」
権藤徹はネット通販で錐を買った。最初は、錐なんかでタイヤをパンクすることができるかどうか不安だった。でも不安は解消した。その翌日、無断駐車を発見したので、権藤は錐を持ち出してパンクさせた。後は知らんぷりだ。
無断駐車した連中は被害者などでは断然ない。「被害に遭った!」と堂々と言えない。ある種の後ろめたさがあるからだ。せいぜい自治会でこっそり知恵を出してくれ給え。俺は知らん。勝手にせい。その代わり俺の目の前で無断駐車をしたら天罰が下るからな! 俺は神である!
権藤の天罰モードは月に数回あった。一度無断駐車した者は二度としない。新参者ないし遊びに来た者は状況的に無知なので天罰が下るのは必須。「誰も見てないから停~めよっと」ハッピーになった帰りにパンクしたと気づいたら速攻ブルーになる。権藤が錐によってパンクさせた証拠は何もない。ざまあ! お前らのせいだからな!
権藤は車椅子専用住宅を早く出たかった。無断駐車だけでなく、二階からの騒音が酷かった。でも泣き寝入りはしない。またしても権藤はスマホ用重低音ワイヤレススピーカーをネット通販し、二階の住民と攻防した。二階の足音が響くのは床が薄いからだ。ということは天井も薄いというわけである。騒音問題は住宅公社もノータッチだ。公営住宅は一種の欠陥住宅だ。寝室に入った権藤は横になったまま読書をする。その30分後、二階が扉を荒く閉めて音を立てる。権藤は起き上がってスマホをオンにする。配信は朝方までやっているから安心だ。権藤は眠剤を飲んでいるからいつの間にか寝てしまう。二階の住民は? 後は双方の根競べである。
現代人は非人道的です
私やほかの犠牲者を非道に扱った
私の動機は復讐と―
こんな事態を二度と起こさないため
私と同じ犯罪予備軍は大勢いる
ただ勇気がないだけ
そうした人たちに関心を持ってほしい
何か対策ができるはずでしょう
次の事件を防ぐために
もし歩道で死にたくないなら
プリューゲルクナーベ(いじめられっ子)の手で
あなたの正義のためか―
不正義のせいで
自殺だってできた
そうすれば問題なく
私を排除できた
間接的に罪を強いたのは
あなた方なのよ
私がおとなしく自殺するとでも?
映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー(2016)』の科白から引用した。オルガ・ヘプナロヴァーはチェコで最後の死刑囚である。彼女の気持ちもわかるような気がするが、でも権藤徹は「一線を越え」ていない。事態を収拾する方法は「連中を殺すか自殺するか」ではあまりにも安直だ。卑怯者には生き地獄を味わってもらおう。
ある日、権藤徹は文学賞の懸賞が当たり、作家デビューする。作家になっても貧乏だが、かろうじて隣県に引っ越すことはできた。あばよ、公営住宅。あばよ、無知で怠惰な卑怯者たち。
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