ブタに翼 ――転生したところで、戦わない〇〇はただの××さ――
明日乃たまご
プロローグ
第1話
――ハァハァ、ハァハァ――
セフィロスは、茂みの中を闇雲に駆けていた。セイタカアワダチソウ、ススキ、ヨモギ、時には群生する野生のアジサイが行く手を遮った。しかし、走ることは辛くなかった。辛いのは母や兄弟を見捨ててしまったことだ。一度は一緒に脱出しようと説得したのだ。自分たちは殺されると。けれど、母も兄弟も逃げないと言った。この世界は平和なのだ。逃げる必要などない、と彼らは信じていた。
――メェー――背後で間延びしたヤギの鳴き声がした。
のんきな奴だ。……セフィロスはヤギを笑う。いつかお前も殺されてしまうのだぞ、と。
母さん、ごめん!……そう胸の内で叫び、家族を忘れることにした。すると、何故か走る足も軽くなった。
自由になったのだ。あの場所から……。聞き分けのない家族から……。格子と家族から逃れた解放感に、喜びと一抹の不安を感じていた。
――ハァハァ、ハァハァ――セフィロスは立ち止まることなく全力で駆けた。
――チュチュチュ、チュチュチュ――上空から小鳥のさえずりが降ってくる。
ボクも飛べたらあっという間に遠くへ行けるのに。……小鳥を羨んだ。
死力を振り絞って走っていると、大地は徐々に上り坂になっていた。彼の行く手を妨げるのは、草々から笹や茨といった低木へ、そしてマツやクヌギ、サクラといった樹木に変わった。
突然、目の前が開ける。道があり、〝忠魂碑〟と刻まれた巨大な石碑があった。道は石段に続いていた。それは山を這いあがるようにどこまでも続いている。
セフィロスは石段の上部に意識を集中した。そうすると、自分自身が、まるで天に昇るような感覚を覚えた。その先に人間の気配はない。
石段の先に人はいない。しかし、そこを上ったなら、遠目からでも気づかれるだろう。人目は避けたい。……セフィロスは踵を返し、林の中を石段に沿って頂上を目指した。上るほど静寂が深くなる。運動不足の足は棒のようだ。
石段が途切れた場所はぽっかりと平地が開けていて、イチョウの巨木があった。ゴツゴツした樹皮が、その歴史を物語っている。ご神木なのだろう。それを背負うように古い社が鎮座しているので、そう推測できるが注連縄はなかった。社は手入れが行き届いてなく、庇はゆがみ、板壁は所々が朽ちて穴が開いている。おかげで、具合の良いことに縁の下ががら空きだ。
ヨシ、あそこで夜を待とう。神さま、場所をお借りします。しばらく休ませてください。……社に向かって頭を下げると、頭を外に向けて縁の下に潜り込んだ。ひんやりした地面が汗ばんだ身体に心地よかった。人のいない境内に夕闇が迫っていた。
――ドスン――
それはどこか遠くから聞こえた。重いものが地面に落ちる音だ。
「ハッ!」
気合の入った低い声がした。
誰だ?……セフィロスの全身が緊張でこわばる。
――ドスン――
「ハッ!」
物が落ちる音と何者かの声が何度も何度も繰り返し聞こえた。セフィロスが知る者の声ではない。
――ドスン――
「ハッ!」
――ドスン――
どうやら自分に危険を及ぼす存在ではないようだ。……同じことの繰り返しにセフィロスの神経は慣れていった。
安心だと思うと好奇心がうずいた。その物音の正体が知りたくなって、そろそろと音の方角に身体を向けて首を伸ばした。その時だ。
「
その声はセフィロスが良く知る者だった。つい先ほどまで信頼していた
セフィロスはピタリと動きを止めて耳を澄ます。
「よお、野原じゃないか。なんだ、こんな所で?」
桃千
「うん、ちょっとね」
「そういえば、野原の家はこの近くだったな?」
「うん、あそこに見える農園がボクの家だよ……」
彼女は木々の隙間から見えるふもとの農園を指した。
「……桃千君こそ、そんな丸太を抱えて、何の遊び? それに腰のものは、木刀?……短いけど」
晴夏は、佐祐が腰の後ろに差した短い木刀を見て目を細めた。
セフィロスは、晴夏の関心が彼に向いていると知ってホッとした。
「遊びじゃないよ。トレーニングだ。変わり身の術さ」
「変わり身の術?」
「忍者の技さ。丸太を自分と見せかけて敵の注意を集め、その間に逃げるのさ」
「忍者だって?……すごいな」
彼女の声が、少し呆れていた。
忍者?……セフィロスは首をひねった。知らない言葉だ。若い彼には知らない言葉が山ほどあった。
「忍者刀は、侍の刀により短いのさ」
彼は木刀を逆手に取ると、ハチの字を描くように振った。ヒュンと空気を切る音がした。
「いつもここでトレーニングを?」
「トレーニングじゃない。修練だ」
「流石忍者だね。言葉にもこだわる。その思いを神様が認めてくれるといいね」
彼女は揶揄するように言った。
その時、老人の声がした。
「ほお、珍しい。ここの神様を知っているのか?」
ずっとそこにいたのか、イチョウの大木の陰から小柄な高齢者が現れた。仙人のような白く長いひげを蓄え、黄ばんだ白衣を着ていた。
「エッ、ボクらは……」
戸惑う晴夏。その返事を老人は遮った。
「ここに祭られているのは〝
「そうなんですか?」
「ワシは嘘など言わんよ」
そう応じた高齢者のシトシトという足音が遠ざかっていく。彼の背中はセフィロスからも見えた。妖気にも似た、異様な雰囲気をまとった背中だった。
足音がピタリと止まる。
高齢者が振り返った。
目と目が合ったような気がして、セフィロスは身を縮めた。しかし実際は、彼の顔は夕日が逆光になって見えなかった。夕日の赤を、異様なオーラと錯覚したのかもしれない。
彼はすぐに姿勢を戻して遠ざかった。
「拝んでみようぜ」
「面白そうだね」
佐祐と晴夏の声でセフィロスは我に返った。彼らが社の正面に移動するのが分かった。
ボクも頼もう!……セフィロスは目を閉じて念じた。
――ボクを自由にしてください。――
――ボクに人間と同じ自由をください――
――ボクを人間にしてください!――
祈りは天に届いただろうか。尋常ではない閃光が走った。――ドドドォーン――爆音とともに社が揺れた。電気が脊髄を走り、セフィロスは意識を失った。
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