第4話 秘匿
その日、西島は間宮を伴い、横井犯罪心理学研究所へと向かった。
間宮を捜査に同行させるなど、班長の渡邉に知れたら懲戒免職だと騒がれかねないが。
横井の研究所は、靖国神社と日本武道館の間にあった。コンクリート打ちっぱなしの洒落た外観の建物だ。
エントランスを入ると、ロビーは黒い大理石で作られており、天井を見上げるとシャンデリアが下がっている。
──シティホテルか高級ラブホみたいだな。
西島は内心そう思った。間宮もぽかんとロビーを見回している。
受付にはモデルのような女が立っていて、西島に気付くと、タイトスカートがぴったりと張り付いた形の良い尻をわずかに振りながらこちらへとやって来た。
「いらっしゃいませ。アポイントメントはお持ちでしょうか」
「あ、いや」
西島は身分証を提示し、所長に会いたいのだと伝えた。
往々にして警察が訪問を伝えると動揺する者が多いが、流石警察の訪問に慣れているのだろう、受付嬢は承知しましたと言うと、西島と間宮にソファーを勧めた。
「落ち着かないな……」
「ですね。なんか、研究所と言うより──」
「ラブホ」
西島の答えに納得したか、間宮は声を押し殺し、肩を震わせて笑っている。
その後も間宮と小声で話していると、間もなく案内すると受付嬢がやって来た。
視線のやり場に困るような鏡張りのエレベーターに乗せられ、三階のフロアへ向かう。
横井は所長室にいた。
「失礼します」
西島と間宮が室内に入ると、例によって高そうなスーツに身を包んだ横井が、満面の笑みで執務机から立ち上がった。
「いやあ、どうも。確か──そう! 西島さんでしたね」
そう言って手を差し出す。
握手という物に慣れていない西島は、困惑しつつも差し出された手を握った。
やたらと力強く握られ、思わず顔を顰める。
そんな西島の二の腕を叩くと、横井はにやりと笑った。
「先日の捜査会議ではどうも……ご迷惑をお掛けしました」
西島がそう言うと、横井は白い歯を見せて笑い、凄い大立ち回りでしたねと、小さくファイティングポーズを取ってウインクした。
「はあ……」
実際は渡邉が興奮して机を倒して回っただけで、西島自身は大立ち回りもないのだが。
そんな事より相変わらずの芝居がかった言動が癇に障る。やはり西島はこの男が苦手だった。
「今日はどうされましたか? 例のサイコパスを追っているのでしょう? お力になりますよ」
そう言いながら、所長室の応接セットを勧める。
西島と間宮は並んでソファーに腰を下ろした。本革の柔らかなシートに尻が沈み、否応なく体が後ろに倒れ込む。
革のシートに包み込まれる感覚が気持ち悪くて、西島は思わず浅く座り直した。
「ええっと、そちらは? 刑事さん?」
気になっていたのだろう。横井は間宮を掌で指し示した。
「いえ、彼は捜査に協力頂いている方で、間宮廉さんです」
横井は頷くと笑顔で間宮に手を差し出し、二人は握手を交わした。
「間宮……です」
「どうも。横井です。間宮さんは──随分とハンサムですね。それで美意識が高いのかな? しかしこの季節に厚手のパーカーは暑いでしょう」
「ええ。暑いのですが、僕は肌が弱くて……」
横井はなるほどと言うと、案内してきた受付嬢にアイスコーヒーを持ってくるよう命じた。
その様子を眺めながら、西島は、やはり横井にとって捜査会議は只のショーでしかないのだと確信した。
あの日の捜査会議で渡邉が憤慨した際に、間宮廉の名は重要参考人として西島の口から上がった。渡邉に至っては、まだ確信が持てないにも拘らず、間宮を「ホンボシ」と称したのだ。
それなのに、横井の記憶に残っている様子は全くない。
「で、ご用件と言うのは?」
組んだ手に顎を乗せ、楽しい話でも聞こうかと言うような横井を前に、西島は三五年前の話ですと口火を切った。
「三五年前?」
「そうです。三五年前、こちらの研究所で、生後間もない新生児にサイコパス遺伝子の検査を行った事があるはずです。その時の事についてお聞きしたい」
突拍子もない話に横井は眉間に皺を寄せたが、直ぐに半笑いを浮かべて言った。
「西島さん。三五年前と言うと、私はまだ小学生ですよ?」
「そうでしょうね。ですから、検査を行ったのは横井儀一さんです。あなたのお父上ではありませんか?
その時の検査結果を確認したいのです」
「……そう言った事実は有りません」
横井はきっぱりと言った。
「何故隠すんです?」
「隠してなど。そのような事実はないと申し上げています。あったとしても、個人情報に関わる事。令状がない限り──」
「言えないんですよね?」
間宮はそう言って横井の言葉を遮ると、横井の目をじっと見つめて続けた。
「当時、横井儀一は自身の研究目的のために遺伝子検査を行った。しかし、研究目的の検査には倫理委員会の承認が必要です。
それを得ていない違法な検査だったから、認めたくないのではありませんか?」
間宮の言葉に、所長室がしんと静まり返る。気まずい空気が流れた。
すると、突然パチンと横井が指を鳴らした。
「いや実に面白い。まるでドラマのワンシーンですね」
「横井さん。答えてください」
西島に窘められると横井から笑顔が消えた。西島と間宮を順に睨み、鼻からふんと息をつく。
「分からん人だな。認めるも何も、そんな事実はないと言っているんだ」
そう言うと組んだ足を落ち着きなく揺すり始めた。
完全に化けの皮が剝がれたな。
これまでも、ちらほらと見え隠れしていた横井の本性。
最早、横井自身もそれを隠す気は無いようだ。
今、西島たちの目の前にいるのは、プライドの高い、アメリカかぶれのただの成金──いや、まだその下に本当の素顔が隠れているに違いない。
「横井さん。あなたのお父上、横井儀一氏が行った検査についてお聞きしたい」
西島が繰り返す。横井は舌打ちをすると、どさりとソファーの背に体を沈め、天井を仰ぎ見た。
「全く……。次から次へと面倒を……」
横井はそう言ったきり黙った。
「横井儀一氏にお会い出来ますか?」
「会っても無駄ですよ。あんなジジイ」
横井はネクタイを緩めながら横目で西島を見やると、そう言い放った。
「どういう事ですか?」
「母が亡くなってからすっかりしょぼくれましてね。
昔は大先生だったかもしれんが、今じゃ小便たれの惚け老人だ!
やっと入居出来た施設でも、他の入居者に暴言を吐くわ、杖で叩くわ、介護士に犬のように噛み付くわ……」
横井の怒りのボルテージがぐんぐんと上がっていくのが、膝の上で握り締めた拳の震えで分かる。
「少しは……少しはこの俺の立場を考ろって言うんだ!
俺がどれだけ頭を下げたか! どれだけ恥ずかしい目にあったか!
あれじゃあ……、あれじゃ、そこらの犬の方がよっぽど賢い……」
最後は消え入りそうな声だった。
自分の父親が犬以下だと、自ら言いつつも悲しんでいる。
捜査本部で、マイクを手に話していた横井とは別人のようだ。
しかし西島には目の前の、感情を爆発させ、そして項垂れる横井の方がリアルで、人間らしく感じた。
「──です」
「え?」
横井の言葉が聞き取れず、西島と間宮は思わず顔を見合わせた。
「すみません、今なんと?」
「上祖師谷。父が入居している高齢者施設があります」
横井は立ち上がると、執務机の引き出しから一枚のカードを取って戻って来た。
「当時の事は私も良くは分からない。父が、まともにあなた達の質問に答えられるとも思えないが、直接聞いて下さい」
そう言うと、横井はカードを差し出した。小さな小花とクローバーのイラストで縁取られた施設の名刺カードだ。
「私が今出来るのはこのくらいです」
「有難うござ──」
「すみませんが気分が悪い。失礼させて頂きます」
西島の礼もそこそこに、横井は部屋を出て行った。
「横井儀一が認知症……」
間宮は少しがっかりしたようだ。
確かに認知症の人間の証言の信憑性については判断が難しい。裁判においても専門家の評価が必要になるくらいだ。
「どのくらいの話が聞けるかもまだ分からん。でも、俺はアンタが白か黒か、はっきりさせたい」
「なぜ?」
「俺は──」
西島は口ごもったが、意を決して間宮に向き合った。
自分は過去の誤認逮捕の一件から抜け出せずにいる。
あれ以来、自分の判断に自信が持てず、前にも後にも進めない。
だが確実に、ひとつずつ疑念を潰して排除していけば、きっと真実に辿り着けるはず。
だから、間宮がサイコパスかもしれないと言う些細な事も排除したい。
急がば回れと言うやつだ。それに、何かしら足がかりになるような情報があるかもしれないと──。
「なるほど。起死回生ですか」
西島の心の内を聞いた間宮は、にやりと口の端を上げる。西島もニッと歯を見せた。
「是非とも重要参考人の間宮廉に、協力頂きたい」
「望むところです。真犯人を捕まえて頂かないと、このままでは僕が犯人にされてしまう」
西島と間宮は拳を合わせると、立ち上がった。
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