第6話 優しい犯罪者
後ろ髪引かれながらも警視庁を出た葉月は、改めて時計を見た。
十六時過ぎ──。
今日は七時に登庁した為、丁度定時である。帳場が立っているのにいいのだろうかと思いつつ、休校になった学生のように気持ちが浮き立つのは否めない。
「あ。そうだ」
ふいに思いつき、葉月は木陰でスマホを出して検索を始めた。
「ん~。ここがいいかも」
歩道の端に寄って、地図から今度はウェブサイトを開き、『ご利益』を確認する。
招福除災の神と書いてあった。そして──。
『縁結び』の文字に、思わず葉月の顔がほころんだ。
いやいや、西島さんの厄除けに行くのよ!
事件解決まで、ずっとあのブルトーザー班長と戦わなきゃいけないんだから。
誰に聞かれる訳でもないのに、心の中でそう言い訳すると、葉月は警視庁から歩いてすぐのところにある『虎ノ門金刀比羅宮』へと向かった。
今から自宅近くの帝釈天に向かったところで、帝釈天は十七時に閉まってしまう。ここから一時間以上掛かってしまうのだから難しい。
この金毘羅宮も十七時で閉まってしまうが十分もあれば到着するのだ。お参りするには十分だろう。
ついでに自分用で縁結びのお守り買っちゃおうかな。
自然と緩んでしまう口元をハンカチで押さえ、葉月は足取りも軽く金毘羅宮へと向かった。
* * *
虎ノ門金毘羅タワーの足元にある鳥居をくぐり、手水で手を洗い、口をゆすいで行く。
社務所は虎ノ門金毘羅タワーの一階と、さすが都会の神社らしい。
お守りは後で買う事にして、まずはそのまま社殿へ向かった。
社殿の前にはもうひとつ鳥居があり、その足元には百度石があった。この百度石と本殿を百回往復して願掛けするのがお百度参りである。
石で出来た太いポールのような百度石はてっぺんがつるつるしており、お百度参りで願掛けした人たちが、この石にたどり着く度に撫でたのであろう事を思わせる。
葉月もそっと触れてみた。
「熱っ!」
夏の日差しに炙られたそれは酷く熱く、葉月は反射的に手を引っ込めた。
「火傷しますよ」
「あはっ、そうですね」
背後から急に声を掛けられた葉月は、情けない顔をして振り返り目を剥いた。
「間宮……さん」
そこに立っていたのは、フードを目深に被ったマスク姿の白パーカー。間宮廉だった。
驚きのあまり、心臓の鼓動が早鐘を打つ。
「夏場は墓参りに行って、墓石で火傷する人もいる。この時間で、こんなグレーの石じゃ、それほど酷い火傷もしませんけど。気を付けた方がいい」
そう言うと、間宮は躊躇なく葉月の手を取った。
「……うん。大丈夫そうだ」
そう言うと、また手を引っ込めパーカーのカンガルーポケットに手を突っ込む。
葉月は間宮をまじまじと見た。
色白で、背はかなり高い。西島も背は高いが、ほんのちょっと間宮の方が大きく見えるのはフードを被っているせいだろうか。
それにしても、一体何故ここにいるのだろう。被疑者に不用意に接触などして、ヘタを打つ訳にはいかない。
しかし、葉月は聞かずにいられなかった。
「ええっと、あの、間宮さんは何故ここ──」
「ハングマンに狙われたと思ってる?」
間宮は被せるように言った。
「え? いや、あの……すみません」
葉月はしどろもどろになった。そしてそっと顔を上げてフードの中の間宮の目を見る。
マスクで顔半分が隠れているが、その目は微笑んでいるように見えた。
「今日は、ここの直ぐ後ろにあるビルで会合があったんだ」
間宮の視線は、社殿の真後ろにある大きなビルに向けられている。
「会合……?」
葉月はオウム返しをし、小首をかしげた。
一体何の会合なのだろう。間宮は現在無職のはずだ。
「きっともう調べてるんだろうけど、『被害者遺族の会』と言うのがあって。僕もその会員なんだ。今日はその会員が集まって……」
なんと言っていいのか分からなかった。葉月はただ、そうだったんですねと返すのが精一杯だった。
「裏取りっていうのかな? 別にして貰って構わないよ?」
言いながら、間宮は財布から小さなカードを出した。
そのカードの表には『殺人事件被害者遺族の会・空の会』とあり、裏には事務局の連絡先が書かれていた。
「すみません、お預かりします」
「どうぞ」
被疑者に裏取りのお手伝いしてもらうなんて。
葉月はなんだか恥ずかしくなった。
「ところで、お参りに来たんじゃないの?」
「はっ! そうでした! 早くお守りも買わなきゃ、閉まっちゃう!」
葉月は慌てて社殿へと向かう。
そして、石段を上がったところで見事に踏み外した。
「ひゃっ……」
身体が、がくりと前に倒れ込む。
しかし、葉月の身体は白いパーカーの腕にすっぽりと抱きとめられた。
そのままひょいと、引き戻すように姿勢を直される。
「あんた、随分とおっちょこちょいなんだな」
それだけ言うと、間宮は葉月から離れ、先に賽銭箱の前に立つ。
そして陰になっていることを確認するとフードを下ろし、二度礼をした。
手を叩く音と沈黙。それを葉月はぼんやり間宮の整った横顔を眺めていた。
「お参りしないの?」
間宮がフードを被りながら言う。
「あっ……。します……」
間宮の隣に立ち、葉月も手を合わせた。
暫しの無言の後、何をお祈りしたのか聞かれ、葉月は秘密ですと答えた。
だが、本当のことを言うと、葉月の頭の中は真っ白で、何もお祈り出来なかった。
なんだか心の中がモヤモヤしたのだ。
「気を付けて」
石段を下りようとすると、間宮が言う。葉月は素直に「はい」と答えた。
間宮は葉月が石段を下りきるまで、下で待っていた。
「妹も──」
葉月が隣に並ぶと、間宮は歩きながら口を開いた。
「妹も、君みたいにおっちょこちょいだったよ。だから注意して見ていたのに──」
間宮はそれ以上何も言わなかったが、葉月は何を言いたかったのか分かったような気がした。
間宮はいいお兄ちゃんだったのではないだろうか。
この人は、ハングマンなんかじゃないのではないだろうか。
それとも、自分はサイコパスの罠に嵌っているのだろうか──。
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