勇者とわたしのアニソン制作記
傘木咲華
プロローグ
プロローグ
ピピピ、と何の変哲もないアラームの音が鳴る。
「うぅ、ん」
眉間にしわを寄せながら、彼女は手探りで目覚まし時計を止めた。
時刻は午前七時。休日にしては早めの起床時間だ。
「んえぇ、まだ七時じゃん」
半分寝ぼけた状態のままむくりと起き上がる。ミントグリーンのカーテンを開けると、当たり前のように眩しい日差しが彼女を襲った。
「……眩しい」
そのままの感想である。
だいたい、休日だというのにどうして昨日の自分は七時にアラームをセットしたのだろう。馬鹿じゃん、と彼女は笑う。高校を卒業してから早一ヶ月。一人暮らしにもまだまだ慣れていないし、昨日は珍しくバラエティ番組の収録もあった。
だから今日はゆっくり休んだって何も問題はないはず――。
「あ」
と、思っていたのだが。
もう一度ベッドに戻ろうとした彼女の動きがピタリと止まる。
「いやいや駄目じゃん何もう一度寝ようとしてるの今日は大事な日じゃん」
早口でまくし立てながら、彼女は自分自身に突っ込みを入れる。
確かに今日は家の外にすら出る予定もない、言わば引きこもりの日だ。だけど彼女――自他ともに認めるアニメオタク系アイドル・
アイドル歌手としてデビューして三年。
翠奈にとって初めてのアニメタイアップの話が舞い込んだのだ。
プロデューサーから話を聞いた時は夢だと思ったが、翌日になっても覚えているということはどうやら夢ではないらしい。
しかもタイアップ先は翠奈が元々好きだった漫画『
嬉しい。
それはもう、嬉しくてたまらない。
だって趣味と仕事が交わる瞬間が来るなんて思ってもみなかったのだ。嬉しくて嬉しくて、昨日は一人でスキップまでした覚えがある。
しかし――残念なことに翠奈は重度のネガティブ人間だった。
「今までアニタイのなかったアイドルが主題歌を担当、ねぇ」
ぽつりと呟くと、翠奈の中に潜んでいたネガティブモードが加速していく。
自慢の琥珀色の瞳も今は半眼状態。とてもじゃないがファンに見せられる表情ではなかった。
「無理。無理だよ無理無理。わたしだってアニソン実績のないアイドルが好きな原作のオープニング曲歌うなんて不安になるもん。今からでも信頼できるアニソンシンガーとか声優アーティストに頼んだ方が良いって」
ぐちぐちぐちぐち。翠奈の本音は止まらない。
だって仕方がないではないか。アニソンは競争率が高いのだ。
アニソンシンガーや声優アーティストだけではなく、一般的に知名度のあるアーティストも年々アニソンを担当することが増えている。しかもちゃんとアニメの世界観に寄り添ってくれて、翠奈も度肝を抜かれることが多かった。それだけ、ファンが求めるアニソンのハードルは上がっているということだ。
「はあ」
小さくため息が零れる。
さてはて『アイドル・祝井翠奈』はどうだろうと問われると、翠奈は微妙な表情になってしまう。
祝井翠奈は決して売れないアイドルではないのだ。幼い頃から歌うことと踊ることが大好きで、小学一年生の頃からキッズダンサーとして活動を始めた。中学生を卒業するまでは人気アイドルグループのバックダンサーを務めていて、翠奈の才能を見出した今の事務所にスカウトされ――今に至っている。
地上波の音楽番組やバラエティ番組にも度々出演するようになったし、ライブも五千人ほどが収容できる会場を埋められるようになった。
だけど今までアニメが好き! 漫画が好き! ゲームが好き! とファン目線で言っているだけで、それらのコンテンツと関わったことは一度もない。
だからこそ、批判されたらどうしようという思いが芽生えてしまうのだ。
「何が『一生に一度かも知れないので、わたしに作詞をさせてください!』だよ。何を馬鹿なことを言っちゃってるんだよ昨日のわたしっ」
うがーと頭を掻きむしる。
翠奈の悩みの種は「アニメソングを担当すること」だけではないのだ。
作詞なんてプロに任せれば良いのに、昨日の翠奈はテンションが上がった挙句に作詞がしたいと名乗り出てしまった。翠奈は原作ファンだ。作詞をしたいと思ってしまうのは仕方のない話……なのだが。
(どうしよう)
翠奈の半眼状態が止まらない。
作編曲はアニソン業界でも有名なクリエイターが担当してくれていて、すでに曲は完成している。あとは歌詞を付けるだけだった――ところに翠奈が手を挙げてしまい、プロデューサーやマネージャーも背中を押してくれた。
とりあえず頑張ってみなければ何も始まらない。
そんなことはわかっているのだが、
(ひえぇ、誰か助けて)
頭に浮かぶのは弱音ばかりだった。こんな時に限ってなかなかネガティブモードから抜け出せず、翠奈は一人苦笑を浮かべる。
「とりあえず、朝ご飯食べなきゃ」
何とかして気分を変えようと翠奈は動き出す。
グレーのスウェットワンピースに着替え、スキンケアを終わらせて、ロングの黒髪をトレードマークであるツインテールにする。それからキッチンへと向かい、朝食を作り始めた。
とはいえ、翠奈は別に料理上手な訳ではない。いつもトーストにちょっとしたおかずを合わせるくらいで、今日は目玉焼きとソーセージにしようとフライパンを用意した。……ところまでは良かったのだが。
「…………?」
一瞬、何が起こったのかがわからなくて翠奈は首を捻る。
確かにネガティブモードは続行中だが、顔も洗ったし目は覚めているはずだ。なのに何故だろう。
今まさに割ったばかりの卵が――空中で動きを止めている。
まるで、卵が落ちる瞬間をカメラで収めたかのような状態だった。
(なっ、何だ何だどうしたどうした)
と、翠奈はようやくこの異変が現実だと気付き始める。
だってどう考えてもおかしいのだ。半分に割れた卵の殻もやはり空中で固まっていて、まさかと思って壁かけ時計を見てみると秒針が止まっていた。
(じ、時間が止まってるううぅ……? なんちゃって)
心の中でノリ突っ込みをして、翠奈は一人ほくそ笑む。
いくら作詞がプレッシャーだからっていくら何でも現実逃避をしすぎだ。翠奈だってこれが夢であることくらい気付いている。
「無意味かも知れないけど、写真でも撮っておこうかな」
一周回って冷静になってしまった翠奈は、スマートフォンを取り出しシャッターを切った。宙に浮く卵をSNSのネタにするためである。
「やっぱり『皆見てみて! 卵が落ちる瞬間撮れちゃった!』が妥当かなぁ。あ、でも一人でできる荒業じゃないよなー。わたしが一人暮らしを始めたことは皆知ってるし、誰かと同居してると勘違いされたら大変だ」
やはりSNSに上げるのは却下だなと、翠奈は目を閉じながらうんうんと頷く。
「っていうか、やっぱりこの状況の謎を解明した方が良いのかなぁ…………あ?」
夢ならきっと頬をつねれば覚めるはずだ。
だからさっさとつねれば良いのだが、今度は翠奈の身体が動きを止めてしまった。
(魔法陣……?)
そう、魔法陣である。
翠奈の立っている真横の床に魔法陣らしきものが現れたのだ。
次から次へと何なんだと思いたいところだが、翠奈としては先ほどの卵よりは現実味を帯びていると思った。
きっとこれはライトだ。インテリアだ。
翠奈もアニメ好きとして魔法陣には惹かれてしまうし、ほぼ無意識のうちに魔法陣ライトをポチっていた可能性がある。そうだ。そうに違いない。
「もう。わたしったらキッチンになんて置いちゃって。せめて寝室とかにしないと……ぅわっ」
魔法陣ライトを寝室へ移動させようと、翠奈はそっと手を伸ばす。
瞬間、魔法陣は目も開けていられないくらいに眩しい光を放った。反動で尻もちをつくと、さっきまであっけらかんとしていた翠奈も流石に恐怖心を覚えてしまう。
(いや本気でやばいってこの悪夢……お願いだから早く覚めてぇ)
ぎゅっと瞳を閉じながら、翠奈は祈るように両手の指を絡める。
すると翠奈の願いが届いたのか、光は徐々には薄れていった。
良かった。少なくとも目を開けられる。
少しだけ安堵しながら、翠奈はゆっくりと瞳を開く――と。
「…………っ!」
翠奈は声にならない悲鳴を上げた。
女性だ。魔法陣がなくなった代わりに見知らぬ女性が立っている。……いや『見知らぬ女性』というのは少々違うかも知れない。
「やぁ、初めまして。助けを求めていたのは君かな?」
アイスシルバーのポニーテールに、スマートな印象のある銀縁眼鏡。
クールな切れ長の目は右がルビーレッド、左がターコイズブルーのオッドアイ。
鎧から覗く絶対領域は筋肉質でたくましく、サファイアブルーのマントは爽やかさを演出している。
そんな彼女の姿はどう見ても、
「私の名はミラ・ラエトゥス。君の心を救いにきた勇者だ」
――翠奈がオープニングテーマを担当する『何でも屋勇者のサブカルライフ』の主人公、ミラ・ラエトゥスそのものだった。
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