菊池家にはカレーの祭壇がある

みこと。

菊池家には、カレーの祭壇がある

 菊池家には祭壇がある。


 それもちょっと、見ないたぐいの。


(なんでレトルトカレーをまつってるんだ?)


 親の再婚で、新しく出来た"姉"の生態に、早翔ハヤトは首をかしげる。


 その祭壇を自室にしつらえたのが、姉の心春こはるだからだ。

 "推し"の祭壇とかならまだわかる。キャラのグッズや写真を並べるなら。


 でも飾ってあるのは前沢牛カレー。


 端正な印刷の紙箱に、箔押しのキンキラ文字が高級感を出している。そんなひと箱が、本棚の一角にずっと、鎮座ましましている。


 はっきり言って意味不明。牛が好きだとしても、謎すぎる。すでに肉だし。


 いつも疑問に思っていたが、今日は部屋のヌシがいることもあり、思い切っていてみた。


「……なぁ心春コハル、あのカレーって食わねぇの?」


「"お姉ちゃん"って呼んで!」


 キッと振り返ったのは、大きな瞳が目を惹く少女。肩にかかる艶やかな黒髪を揺らした彼女は、やたらと"姉"呼びを強要してくる。


 思春期真っただ中なのか、ケンカ腰なことも多い。

 威嚇してる猫みたいで可愛い。


 そう思ったことは微塵も出さず、早翔は冷静に返す。


「いや、無理だろ。同級じゃん俺ら」

「でも私のほうが先に生まれてるもん! 4月と3月なんて、ほぼ1年差よ」


「えぇ……、でもなぁ……。"姉"というなら威厳を示してくれないと……」

「誰がちっこいのよ」

「ちっこいなんて、誰も言ってないよ」

「じゃ思ったでしょ。目を逸らしてるもの。私は標準フツウよ。あんたが無駄にデカすぎんの。"可愛い弟が出来る"って聞かされてて、顔合わせで20cm以上見上げた時の私の気持ち、わかる?」


 ショックだったらしい。

(それで"姉"と呼ばせることに意固地になってんのか?)

 とはいえ。


「ごめん、わからん。文句は親に言ってくれ。で、カレー……」


「食、べ、な、い! 手を出したら承知しないからね!」


「てか、どうしてずっと飾ってんの?」

「! っ、関係ないでしょ。乙女の部屋のぞかないでよ」

「なんで真っ赤に……。はっ、もしかして彼氏からのプレゼントとか? えっ、牛が??」


 だとしたらすごいセンスだ、彼女にレトルト・カレーを贈る彼。

 いや、給餌なら、ある意味原点回帰なのだろうか? 自然界では、女子に食べ物を贈るのが定番だ。


 心春が即、否定する。


「ち、違うわ。あれはクラスのプレゼント交換で貰ったの」

「あ゛ー、去年のクリスマス会か」


 心春のクラスはやたらと仲が良い。専科ごとに分かれ、クラス替えがないせいか、行事といってはクラス内でイベントを催している。


「プレゼント交換なら、輪になって偶然回ってきたやつだろ? そんなにカレーが好きなん? それか牛ファン?」


「何よ、牛ファンって。バッカね、あれをその辺のレトルトカレーと一緒にして貰ったら困るわ! プレゼント予算1000円。つまりあれは1000円のレトルトカレーよ。超高級ってこと」


「……へえ……」


 やっぱカレーが好きなんじゃん。とは思ったが、早翔は口に出さない。

 心春はなおも続けた。


「センスあるじゃない? 今日び1000円で何選ぶのかーって時に、普段自分じゃ買わないような美味しいカレー。当たりも、当たり。大当たり」


「そうかぁ……」


 本気でカレーが好きなんだな、と確信したが、だが飾って眺めるほどとは。


(さっさと食べればいいのに)


 早翔の表情に、改めて心春が念を押した。


「とにかく、あのカレーには絶対手を出さないでよ。勝手に食べたら、一生許さないから!」

「へぇへぇ」


 許されないのは困る。心春のカレーには手を出すまい。


「あ、でも、賞味期限までには食べた方が──」

「うるさいっっ!! あっち行け!!」



 そんな会話があって、しばらくして。

 帰宅した早翔は、ダイニングテーブルで例のカレーを泣きながら、口にぶっこんでる心春を目撃した。




「な、なななに。どしたん??」


「っぐ。えぐえぐっ。おかえり……っ」


 泣きながらカレーを食べてる姿、はっきり言って異常である。


「そのカレー、食べないんじゃなかったのか? 何があったんだ。泣くほど美味ってこと?」


「っちがぅぅぅぅ。ううん、カレーは美味しいけど、違うのぉぉぉぉぉ」


「いやいやいや、だからどうしたんだ」


 食べるか泣くか、どちらかにした方が良いのでは。そう思いながら箱ティッシュを差し出した早翔に、心春が打ち明けた。


「私、失恋しちゃったぁぁぁぁ」



 心春が語るには。

 あのレトルトカレーを"プレゼント"として持ち来んだ人物は、同組の有野 勇。


(有野って、確か他校に彼女がいるって噂の?)


 部活経由で、以前、そんな話を聞いた。


 有野は、やたら大人びた雰囲気で、ハイスペックなイケメン。何かと話題にのぼる人物で、彼女の話もさもありなんと聞き流していたが、まさか身内が片想いしていたとは。

 しかも絶対モテるだろう相手に。


("彼女持ち"だって、心春は知らなかったのか?)


 彼女の存在を知ったのか、それとも告白して玉砕したのか。

 とにかく悲しい結末に、祭壇のカレーをヤケ食いしてたようだ。


(好きだったのはカレーじゃなくて、それ持って来た相手かよ)

 なんだか苛立つ。


「なるほど。それで恋心を消化してるってわけか」


「うわあああああああん!!」


(しまった、つい)


 こぼしてしまった失言に、心春が一層激しくカレーを攻める。


「わ、悪かった。そんなつもりは……。そうだ! 夏休み、カレー巡りをしないか?」

「カレー巡り?」


 スンスンと鼻をすすりながら、スプーンを咥えた心春が返す。


「ああ。あちこち回ってさ、いろんなレトルトカレー探そうぜ。そのカレーより美味うまいカレー見つけて、味を上書きしてさ。さっさと今日のことなんて、忘ちまえばいい」

「……上書き……?」

「そう。俺もつき合うから、手あたり次第、食いつくそう!」

「──それって単に、あんたがカレー食べたいだけでしょう?」


 呆れたように言う心春は、少し元気を取り戻したように見える。なら。


「……そう言うことでいいよ……」


「何? いま声が小さくて、聞こえなかった」


 慰めたいとは、照れくさくて言えない。

 早翔は、心春の勘違いに乗っかることにした。大声で肯定する。


「そーだよ、心春ばっかり高級カレー食べてズルイだろ」


「ほらやっぱり! あと"お姉ちゃん"て呼びなさいよ!」


「ゼッテェ呼ばねー!!」






 菊池家のリビングには、祭壇がある。


「ねえ、ママ、あのカレー食べてみたい」

「え、どれ」


 壁にそって並ぶのは全国各地のご当地カレー、の、空箱。


「あの可愛い牛さんの絵の箱」

「ああ、可愛いわよね。あるかな。通販で探してみてあげる」

「うん! ね、パパがプロポーズに贈ったカレーってどの箱? あの金色?」

「えっ、なっ」

「カレー巡りで仲良くなって、何度目かの旅行で告白されたんだよね」

「ちがっ、えと、違わないけど違うわ、プロポーズはちゃんとホテルディナーで指輪を──」


 菊池家のそれは、祭壇ではなく愛の記念碑モニュメントかもしれない。

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