第49話
「どうりで伯爵夫人が屋敷の中に見当たらなかった筈だ」
レナード様は頷く。そう言えば、見かけたか?と尋ねられた事を思い出した。
「夫人の部屋に書き置きが置かれていた。……正直それを見せてくれとは言えなかったが、執事との会話で何となくわかった事は、あの余興は夫人が仕組んだものだという事。ナタリーの性格を見越して結婚式をぶち壊したかったらしい」
兄の言葉に母は、
「そんなにナタリーは嫌われていたのね……」
と俯いた。
「まぁ、ナタリーが嫌われていた事は間違いない。だが……」
そこで言葉を切った兄は私をチラリと見て
「エリンと自分を重ねていた様だ」
と続きの言葉を口にした。
「私と?」
「らしい……としか言えんが……すまん、それ以上の事はわからん。だが、パトリック伯爵家が嫌になって飛び出した事は確かな様だ」
と兄が言えば、母は目を丸くした。
「あの人がそんな事をするなんて……学生の頃から大人しくて……誰かに逆らうなんて考えられないのだけど」
学園で一緒だった母は夫人のそんな姿を想像できない様だった。
結局、私とレナード様は夜遅くに王都のクレイグ伯爵邸に戻って来た。『泊まったら?』と言う母の顔に疲労の色が濃く見えた為、これ以上厄介になるのは遠慮しよう……というレナード様の意見に私も同意した。
二人で寝台に横になると、私は自然とため息を吐いた。
「疲れたか」
「はい……さすがに。パトリック伯爵から……何か要求されるでしょうか?」
ナタリーのやった事は許されない。損害を支払えと言われても仕方ない。
「どうかな。パトリック伯爵家も金に困っているわけではないだろうが……ただ、どちらにもこの縁談はあまり有益ではなさそうだな。ジュード殿も、ストーン伯爵家の有責でも良いから婚約解消して貰えば良かったと後悔していた」
「でも……ナタリーはその……ハロルド様と……」
「初婚の相手には純潔も大切だろうが、気にしない者もいる」
「まさか……兄はナタリーを誰かの後妻にと?」
「いや……それも含め考えていれば良かったと後悔を」
驚いた。兄がナタリーに厳しい目を持っていたのは、この前の家出騒動での対応をみても理解していたが、そこまでとは……。
「無理矢理、王都に連れ帰らない方が良かったのでしょうか?結果レナード様にまで迷惑をかける事に……」
そう言う私をレナード様は抱き寄せた。
「気にするなと言っただろう?これでも王族の血を引く者だ。黙らせる事ぐらい可能だ」
「レナード様がそんな事を言うとは思っていませんでした」
王族の血を引く事をひけらかしたりしないレナード様が、それを口にする事を珍しく思っていると、
「たまには特権を使わなきゃな。腐る」
とレナード様は口角を上げた。
「冗談を言うレナード様を初めて見ました」
そう言って私が笑えば、
「愛しい妻の曇った表情が晴れるのなら、冗談の一つや二つ言ってみせるさ」
と抱きしめた私の額に口づけをした。
レナード様との会話で心が少し軽くなった私は、日中の疲れも相まって、いつの間にか眠りについていた。
私とレナード様はそれから三日をかけ辺境伯領へと馬車で戻った。
ナタリーの事、ハロルドの事、そして行方不明となったパトリック伯爵夫人の事。心配は尽きないが私が王都にいた所で何の助けにもならない。
それにもうすぐレナード様のクレイグ辺境伯の譲位式が行われる……その準備も大詰めだ。
数日が経ち、兄から手紙が届いた。パトリック伯爵がハロルドに伯爵位を譲る事になったと。
「まさかパトリック伯爵がそんなに落ち込まれているなんて、思いもよりませんでした」
そう言う私にレナード様は、
「夫婦の事は本人達にしか分からない。だが、本人達もお互いの気持ちを知る術はなかったのかもしれないな」
と私から渡された兄の手紙を読みながらそう言った。
パトリック伯爵は厳格で夫人にも厳しい一面があった。私もパトリック伯爵家に嫁ぐ心構えを夫人からくどいくらいに教え込まれたものだ。
夫人はずっと……逃げたかったのかもしれない。
しかしパトリック伯爵は夫人が居なくなった事で、二十程老けてしまったようだと兄の手紙には書いてあった。心労が祟って今では床に臥せっているという。
「伯爵夫妻の気持ちはすれ違ったまま……という事ですね」
「俺も態度で示していればそれで良いと思っていたが、言葉にする事が大切なのだと心からそう思ったよ。これからはきちんと気持ちを言葉で表すことにしよう」
と決意を新たにするレナード様に、
「レナード様は、ちゃんと言葉にしてくださっています。きちんと伝わっていますよ」
と微笑めば
「そうか……。無意識だったが、俺がそうなれたのはきっと君のお陰だな」
とレナード様も表情を柔らかくした。
それからは譲位式の準備等で忙しく、実家の事は気になりつつも、頭の片隅に追いやられてしまっていた。
式典は騎士団の団員の皆様が見守る中、大々的に執り行われた。皆が温かくレナード様を団長として迎える。
「「おめでとうございます」」
という祝福の声が、揃って聞こえる。私もその様子に思わず笑顔になった。……が、今日から辺境伯夫人……。そう思うと、途端に緊張で胃が痛む。
そして何より胃が痛む存在が……
「レナード!おめでとう!!」
「殿下……お忍びでこんな所まで来ないでください」
満面の笑みでレナード様に抱きつこうとする殿下をレナード様は手を伸ばして遮った。
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