第48話

次の一瞬、ナタリーはその女性に掴みかかった。


「きゃあ!!」


「あんたでしょう?!!ハロルドの浮気相手!!」


ナタリーはその女性の髪の毛を引っ張る。その女性は痛みを訴えながら、ナタリーの手を引き剥がすのに必死だ。

ハロルドはポカンと口を開けてその様子を見ていた。……驚きすぎて呆けている様だ。


私の隣にいたレナード様は素早く動くとナタリーの腕を掴んで、彼女から引き剥がす。

それが合図になったかの様に、ハロルドは髪を乱して尻もちを付いていた踊り子の彼女……イライザさんの元へと駆け寄った。その他の踊り子は二人から距離を取り遠巻きに見ていた。


レナード様に羽交い締めにされながら、ナタリーは寄り添う二人に叫ぶ。


「ハロルド!!どうしてその女の肩を抱いているのよ!!貴方の妻は私でしょう!!」


「いい加減にしてくれ!!この場で暴れる様な君を、妻として向かい入れる事など出来ない!!君だって僕とは結婚したくないと言っていたじゃないか!!」

二人の言い合いに、


「煩い!!黙れ!!」

とパトリック伯爵の怒鳴る声が聞こえ、皆が一瞬静まり返る。


レナード様の腕を振りほどこうと暴れていたナタリーも、ハロルドの胸に縋り付くイライザさんも、イライザさんを抱きしめるハロルドも、驚きすぎて目を丸くしていたうちの母もミネルバも……そしてナタリーの元へと駆けつけようとしていた兄も、そして私も、その他の招待客もその怒鳴り声に固まった。皆の視線はパトリック伯爵へと集まる。


パトリック伯爵は、


「皆様、今日はお開きとさせていただく。不快な思いをさせて申し訳なかった」

と頭を下げた。屈辱なのか、肩が震えている。

母と兄もそれを見て同じ様に頭を下げる。慌てて私とミネルバも頭を下げた。

招待客は皆一斉にざわつき始める。


私は、


「み、皆様、本当に今日はお越し頂きありがとうございました。お帰りはこちらとなりますので……」

と言いながら、会場の入口に現れたパトリック伯爵家の執事へと頷いて合図を送った。

執事は他の使用人に指示を出し、招待客に退出を促していく。

……明日から、色んな茶会で今日の事が面白おかしく話題に上るのだろう。そう考えると心は一層重くなった。

レナード様はナタリーを引っ張って、屋敷へと連れ戻す。ナタリーはジタバタとまた暴れていた。まだハロルドを口汚く罵っているが今はそれを咎めている暇はない。

私は帰宅する招待客に頭を下げながら、パトリック伯爵夫人の姿が目の端に入った。

彼女は私達と同様、頭を下げながらもその口元ははっきりと笑っていた。



全ての招待客を見送った。正直クタクタだ。


「ナタリーは?」

ミネルバに尋ねると、


「お義母様が側に。ジュードとレナード様はパトリック伯爵と話しているけど……この結婚どうなるのかしら」


ミネルバは結婚前から『お義母様』と呼んでいた。母もミネルバを本当の娘の様に可愛がっている。


ナタリーとハロルドの結婚証明書は教会へ提出してしまった。もう白紙には戻せないだろう。


「ねぇ……そう言えばパトリック伯爵夫人は?」

私はそう言って周りをキョロキョロ見回した。

確かに招待客を見送るまでは居た……気がする。

私はパトリック伯爵夫人が今日、妙に機嫌が良かった事に不安を覚えた。



パトリック伯爵の屋敷へと足を踏み入れると、


「あいつはどこへ言ったんだ!!早く連れてこい!」

という伯爵の怒鳴り声が聞こえた。


「だ、旦那様!これが奥様のお部屋に……!」

とメイドが手紙の様なものを手に伯爵へと走り寄った。


その様子を私とミネルバは目を丸くして見ていた。レナード様が大股で私に近寄る



「パトリック伯爵夫人は外か……?」

と尋ねるレナード様の声と、


「はぁ?!これはどういう事だ?!」

と声を上げたパトリック伯爵の言葉が重なった。


「レナード様……何か?」

と尋ねる私の声をかき消す様に、


「直ぐに連れ戻せ!!探してこい!!」

とパトリック伯爵が使用人に指示を出す。


伯爵と話していた執事が早足でこちらに近づいて、


「今日の所はお帰り下さい。今後の事は追ってお知らせいたします」

と私達に頭を下げた。


「今後のこと……」

不穏な言葉に思わず私は眉を顰めた。




一応、私の実家へと戻った私達は、パトリック伯爵家に残ってまだ話し合いをしている兄が帰って来るのを応接室で待っていた。


「ナタリーはどうだった?」


「『もう離縁する!!』と言って大変だったけど、何とか宥めて置いてきたわ。もう結婚した身だし、連れ帰る訳にはいかないもの」

私の質問に答える母の声は暗い。大勢の前であんな事をしでかしたのだ。大変な事になるのは目に見えていた。



「ただいま……」

重苦しい空気の中、兄が応接室へとこれ以上ない程に疲れた表情で入って来た。


「おかえりなさい」


どうなったのか直ぐにでも聞いてみたいが、兄の言葉を待つ。


兄は徐ろに椅子に腰掛けると、足を擦った。痛むのだろうか?ミネルバが心配そうに側に寄り添う。


「ハロルドとナタリーだが、このままパトリック伯爵家で暮らす。婚姻関係は継続だ。

だが、今回の失態はどうせ社交界で面白おかしく噂されるだろうから、一年は夜会もお茶会もなしだ。正直、僕達もそしてクレイグ辺境伯となるレナード様にも、色々と言う者が出るかもしれない。すまない」

そこまで一気に言うと兄はレナード様へと頭を下げた。私や兄は身内の恥だから我慢出来るが、レナード様は関係ないのにと思うと、私も申し訳なさを感じた。


「気にするな。俺も社交は苦手だ。そんなに貴族と喋る機会もない。それにエリンは俺が守る。心配するな」


「そう言って貰えて正直ホッとします。今回は愚かな妹のせいで本当にすまなかった」


「私の育て方が悪かったのよ。本当にごめんなさい」

兄も母も頭を下げる。レナード様は困った様に


「謝る必要はない」

と言葉少なにそう言った。


「それと……ナタリーから暴行を受けた踊り子だが、ハロルドが随分と贔屓にしていたらしい」


「それって……ハロルド様が浮気していたって事?」

兄の言葉にミネルバが反応する。


「さぁ?はっきりとは認めなかったが、パトロンとでも言うのかな?どちらにせよ、ナタリーはそういう所でプライドが高い。帰りにナタリーとも話をしたが、ハロルドを許さないと言っていたよ」

と兄は頭を抱えた。


「あの余興……。あれを計画したのはハロルド様なの?」

もしそうなら、ハロルドが愚かだとしか思えない。自分の浮気相手を結婚式の余興に呼ぶなど。


そう質問した私に兄は顔を上げて


「いや。あの余興について、伯爵もハロルドも全く知らなかった。あの時間は演奏会の予定だったと。あれを計画したのは伯爵夫人だ。そして伯爵夫人は今、行方不明だ」

そう答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る