第44話


「イライザ・コーエン様?……どこのご令嬢なのかしら?コーエンという家は聞いたことがないのだけれど……」


全ての貴族の名前が頭に入っているわけではないが、パトリック伯爵家に嫁ぐのだから……とかなり勉強はさせられたので、ある程度自信がある。


「調べてもどこの貴族かは分からなかったの。でも女であることは間違いないわ。だって贈ったのは大ぶりなルビーの付いたネックレスだって話だったもの」


「宝石商にそんな事まで訊いたの?」


「当たり前でしょう?私の他にアクセサリーを贈るなんて……許せないわ!!」


「……例え女性に贈り物をしていたとしても、浮気だと決まったわけでは……」

そう口にしながらも心の中では『ルビーのネックレスは……ちょっと……』と思っている自分がいる。


「じゃあ何だって言うのよ!!」

ヒステリックに叫ぶナタリーに、私も何と言って良いか分からない。


「だからと言って家を飛び出す必要はないでしょう?それに、何故辺境伯領へ?」


仲の良い姉妹……では決してないと自負している。ナタリーが私をズルい人間だと思っていた事がわかった今、何故私を頼って来たのか私には理解できなかった。


「ハロルドをお姉様に返そうと思って」


ナタリーがサラッと言った言葉に私は耳を疑った。


「返す?何を?」


「ハロルドよ。もう要らない。お姉様に返すわ」


……私も『要らない』んだけど?私が唖然としていると、ナタリーは続けて、


「だから、レナード様を私に返してよ」

とさも当然といった風に、私にそう言った。


「な、何を馬鹿なことを!」


「だってぇ。レナード様って良く見たらかっこいいし、次期辺境伯だし……。確か、クレイグ辺境伯邸って王都にもあるんでしょう?」


「……王都に社交で来ることがあるから、その宿泊用に置いてあるけど……」


社交シーズンは案外長い。その間ずっと宿に泊まるというのは不便なのだ。……だが、だから何だというのか。


「最初からそれが分かっていれば、わざわざハロルドを誘惑なんてしなかったのに。クラーク子爵になるんだとばかり思っていたし、あんな美丈夫だと知っていたら、断らなかったわ」


「貴女……貴女からハロルドを……?」


「まぁね。パトリック伯爵家はお金持ちだし、ハロルドは皆が羨む程の美丈夫だし、優しいし……私にピッタリだと思ったの。お姉様には勿体ないと思って」


……この娘……本気で言ってるの?


「ナタリー様!!あんまりなお言葉!!撤回してください!!」


バーバラが声を荒げた。こうしていつもバーバラは私の代わりに怒ってくれるのだが、私は怒りを通り越して既に呆れ果てていた。


「バーバラっていつもお姉様の味方ね。そんなんだから結婚出来ないのよ」


……私の味方をする事とバーバラが独身な事と、何が関係あるのか……と言いたくなったが、辺境の地まで付いてきて貰った事でバーバラがますます縁遠くなっているのかもしれない……と思うと私も何も言えなくなってしまう。すると……


「お言葉ですが、私にも結婚を考えている方ぐらいおります!!」

と言うバーバラの言葉に、


「え?!バーバラ、お付き合いしている方が居るの?!知らなかったわ!どなたなの?」

と私は素直に喜びの声を上げた。今はナタリーがハロルドを誘惑していたことなんて、頭の中からすっかり消え失せた。


バーバラは顔を赤くしながら、


「……庭師のトミーです……」

と小さな声で相手の名前を告げた。


「トミー?まぁ!全然知らなかったわ。え?いつからお付き合いを?」


ついつい好奇心から尋ねてしまう。


「辺境伯領に着いて少しして……。奥様のお部屋に飾るお花の相談に乗っていただいていて仲良くなりました……」

恥ずかしいのか、消え入りそうな声でそう言うバーバラが可愛らしい。


「トミーは真面目で優しいもの。二人お似合いよ」

私は日焼けした顔に、白い歯を見せて笑うトミーの顔を思い出していた。

彼はバーバラより少し歳下だが、とても真面目でレナード様も褒めていらした。私は姉のようなバーバラの幸せに心から喜んでいた。


しかし、それを面白くないと思う人間が一名……。


「ふん!!馬鹿馬鹿しい。庭師?そんな人と結婚したって、贅沢も出来ないし、一生働き続けなきゃいけないのよ?それじゃあ、何の為に結婚するのよ」

そう言ったナタリーに私は


「ナタリー……。楽をする為に結婚するわけではないのよ?貴族には貴族の、平民には平民の役割がある。それは結婚しても変わらないわ」


逆に結婚してからの方がやるべき事が多くなるのだけど、ナタリーはそれすら理解していないのかしら?


「辺境伯に嫁いだ人にそんな事を言われても、何とも思わないわ。結局、何にもしなくても贅沢出来る人に何を言われても響かない」


「ナタリー、貴女、結婚したら何もしなくても貴族は贅沢が出来るとでも思っているの?」


「領地を経営したりするのって旦那さんの仕事じゃない。私達女性は、お茶会開いたり、夜会に参加したりすれば良いだけでしょう?まぁ、貧乏な貴族に嫁いだらそうはいかないかもしれないけど、私は伯爵令嬢よ?それ以下の家に嫁ぐ気ないもの」

そう言ったナタリーはプイッと横を向いた。私はナタリーの綺麗な横顔を眺めながら、どうしてこんな娘になってしまったのだろう……と不思議に思っていた。


「ナタリー様……。私は一生奥様に仕えるつもりですし、トミーだって体が動く限り庭師としてグレイグ辺境伯にお仕えするつもりです。もちろん歳を取って仕事が出来なくなる時は来るでしょうが、それまでは一生懸命働きます。しかし、それは私達にとっては『生きる事』なのです。お金を稼ぐ手段である事は間違いありません。でもそれと同じぐらいに仕事を生き甲斐としています。決してそれは不幸せな事ではありません」


バーバラの言葉にナタリーはこちらに視線を寄越すと、


「そんなの口だけよ。皆、楽して贅沢したい。当たり前じゃない。綺麗事を並べたって白々しいとしか思えないわ」

とバーバラを馬鹿にした様にそう言った。


ストーン伯爵家は特別裕福という訳ではないが、決してお金に困った事はない。ナタリーがここまでお金に執着する理由が私にはさっぱり分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る