第38話

お互いに挨拶を交わす。どうも見合いは既に終わったようで、


「僕は彼女を馬車まで送ってくるから」

そう言ったハリソン様の表情はとても柔らかかった。


……これは、好感触って事なのかしら?そう思うと、私もなんだか嬉しくなって、つい笑顔になってしまった。




レナード様がお仕事へ戻られて、私は自分の部屋で刺繍糸とにらめっこをしていた。


「せっかくの刺繍をやり直すのですか?」

バーバラがお茶の用意をしながら私に尋ねる。


「やはり本だけの知識と実物を見た後では、印象が違いすぎて……。うーん……でもあの見事な毛並みをこの糸だけで再現出来るのかしら」

私は森で見たセルの煌めく銀色の毛並みを思い出していた。

王都で購入した糸は、私が子どもの頃に見た本の狼の描写に使われていた色を参考にしたのだが……どれもセルの毛並みを再現するには物足りない気がした。

どの糸も、品は良いのだが……。



夕食後、その事をレナード様に打ち明けると、彼が『作業部屋』と呼んでいる部屋へと連れて行ってくれた。


「ここにある物はなんでも好きに使って良い。足りない物があるなら言え。直に商人がやって来る」


その部屋の壁一面の引き出しにはありとあらゆる刺繍道具や色とりどりの糸がぎっしりと詰め込まれていた。


「凄い……っ!!これは全てレナード様の?」


「そうだ。色々と揃えているうちにこんな風に」


少し恥ずかしそうにそう答えたレナード様だが、私は素直に感心してしまった。


引き出しを一つ一つ眺めながら、


「これならセルの毛並みに合った糸を探し出せそうです」

とウキウキして話す私に、


「ゆっくり選ぶといい。時間はたくさんある」

とレナード様は頭を撫でた。



あの後、何度かミューレ嬢が屋敷に招かれているのを見かけた。だが、縁談が整ったとの話は聞けていない。


そんなある日の夜、私はまた厨房でハリソン様に会った。

最近は魚中心のメニューとなったお陰か、ハリソン様が食事を残す事はない。お腹が空いて……というわけではなさそうだが……


「ハリソン様?」

私に声をかけられ、肩をピクッと揺らしながらハリソン様が振り返る。


「エリンか……」


「どうされました?」


「いや……少し眠れなくてな。酒でも飲もうかと」


ハリソン様は殆どお酒を嗜まれない。下戸というわけではないらしいのだが、あまり好んで飲むことはないと聞いていた。

そんなハリソン様が酒を……と言う。


「お付き合いいたしましょうか?」

気づけば私はそう口に出していた。


「明日……ミューレ嬢から返事を貰うことになっているんだ」

ハリソン様は私が尋ねる前に、そう自ら話し始めた。


「返事ですか?」


「あぁ。出来れば僕の為人を知ってから、今回の婚約をどうしたいか……ミューレ嬢に決めて貰おうと思ってな」


「そうでしたか……。ハリソン様のお気持ちは?」


貴族なんて政略結婚が殆ど。もちろん私だってその内の一人だ。

ただ、政略結婚でも上手くやっている夫婦は多い。私は運良くレナード様を好きになる事が出来たし、レナード様も私に好意を持って下さっている。これはとても幸運な事なのだと、私は胸を張って言える。

ハリソン様はミューレ様のお気持ちを大切にしたいのだろう。それがミューレ様にも伝わっていれば良いのに……私はそう思いながら質問を口にした。


「ミューレ嬢はとても素敵な女性だ。話してみてそう思ったよ。何度か顔を合わせただけで、彼女の全てを知り得た訳ではないが、彼女とならクラーク子爵領を二人で盛り立てていけるのではないかと考えている」


言葉は固いが、要するに『気に入った』という事なのだろう。私はそれを聞いて素直に嬉しくなった。


「それは何よりです。良いお返事が貰えると良いですね」


私の言葉にハリソン様はグイッと酒を呷った。あまり強くないのに……とつい心配になってしまう。


「そうなると良いなと思うよ。情けない事に不安で眠れない程度には緊張している」

自嘲気味に笑うハリソン様に簡単に『大丈夫』などとは言えないが、私は何度か見かけたミューレ様の姿を思い出し、


「何度かお庭の散策をしているお二人を見かけただけの私が言うのも何ですが……お二人はとても良い雰囲気に見えましたよ」

とハリソン様に微笑むと、彼は少し顔を赤くして


「そうか?……そう言って貰えると、嬉しいよ」

と素直に喜びを表した。


此処に来た時とは随分違う印象になったハリソン様に、


「ハリソン様の優しさが、きっとミューレ様にも伝わっていると思います」

と思わず力強く私はそう言っていた。



ほんの少しのお酒とハリソン様の良い変化を知った幸せな気分が相まって、ちょっとふわふわとした足取りで寝室に戻る。


しかし、扉を開けて


「ヒャッ!!レナード様?!」

暗闇の中、扉の前に立つレナード様に驚いて、私は声を上げた。


「また……兄上と二人で話していたのか……」


……今はハリソン様より、こっちの方がフォローが必要そうだ。私は笑顔で、


「ハリソン様がですね……」

と今聞いた話をレナード様に話して聞かせるのだった。


翌日、無事にレナード様とミューレ様との婚約が整った事が発表された。

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