第14話

急な話に驚きっぱなしだが、何とか身の回りの物を整理し、クレイグ領へと向かう為の準備が出来た。

レナード様の為人を尋ねようと兄の元を訪れても、兄は兄で書類に掛り切りで忙しそうだ。


正直、あの栞はレナード様の手作りではなかったのでは?と考えていた。だってあの大きな手で……あんな小さな花を綺麗な栞にするなど至難の業の様に思えていたからだ。

あの体躯では騎士を続けた方が良さそうに思う。子爵を継ぐのが少し勿体なく感じた。



「お嬢様、何とか準備出来ましたね」


「バーバラ手伝ってくれてありがとう。でも、バーバラと一緒に嫁げるなんて、本当に嬉しいわ」


「私もです。辺境に行ってしまえば、そうそう会う事は叶わないと諦めておりました。レナード様のお心遣いに感謝しかありません」


「急に結婚式を一週間後に……って言われた時には驚いたけど、お兄様も戻って来たし、私としては卒業後無駄にここで我が物顔で過ごすより良かったと、今になるとそう思うわ。ナタリーに『ごめんなさいね、お姉様より先に結婚して』なーんて言われて過ごすのは居心地が悪かったと思うし」

私の少し自嘲気味な言葉にバーバラは少し眉を下げて、


「お嬢様……出来ればお嬢様の本心をお聞かせ願いたいのですが……ジュード様が戻った今、ハロルド様の言っていた状況が変化してしまいました。今ならお嬢様がパトリック伯爵家に嫁げない理由はありません……本当によろ」


「私がハロルドとの婚約を解消されたのはそんな理由じゃないわ。あれはハロルドの心変わり……いえ、最初から私の事を愛していたわけではないだろうから、心変わりと言うのも変な話ね。

ハロルドはナタリーが好きだった。そこに丁度良い理由が見つかったってだけの事よ。それに……私もハロルドを愛していたわけじゃなかったと、最近気付いたの。もちろん婚約者として好意は持っていたし、好きだったと思うわ。でも私が一番悲しかったのは、ハロルドがナタリーを選んだ事よ。心の狭い姉だと呆れられるかもしれないけど、赤の他人を好きになったって言われた方がマシだったと思うの。私って凄くナタリーへコンプレックスがあったのね、それは認めるわ」


『よろしいのですか?』と続きそうなバーバラの言葉を私は遮った。

私の言葉にバーバラは、


「一定数、ああいった女性を好きな殿方はおられますしね。……仕える家のご息女に対しては不敬だと思いますけど、私から見れば『見る目がないな』としか思えません」

とケロッと言った。

本当なら咎める立場なのだろうけど、私はバーバラのこういう所が大好きだ。


私とバーバラは一緒になって笑った。



私は父の部屋へと向かった。


静かにノックをすると、扉を開けてくれたのは母だった。

母は微笑んで私を部屋へと招くと、父の寝台の横へ椅子を用意して私を座らせた。


「お父様に挨拶に来たの」

私がそう言うと、母は『そうだと思った』と言わんばかりに頷いた。


私は寝台で休む父に向かって


「お父様、私明日にはここを発ちます。辺境の地ですので、そうそう戻って来る事は難しいかもしれませんが、気持ちはいつもお父様の側にあります」

そう言うと、シーツの中にある父の手を探って握った。もう骨と皮しかないのではないかと思うほど痩せてしまった父の手に、涙が込み上げてきた。

父は本当に領民の為に身を粉にして働いた。だからこそ、ここには毎日領民達からのお見舞いの品が届く。領民に父が慕われていた証拠だ。


「お父様……今までありがとう」

私はそう言うと、涙をシーツにポトリと落としてしまった。


「貴女には本当に色々と苦労をかけたわ。私を助けてくれてありがとうね。ジュードも心を入れ替えた様に真面目に執務に取り組んでくれているし、安心してレナード様の元へ嫁いでちょうだい」

と母が私の頭を撫でた。まるで子どもに戻った様な扱いに、少し照れてしまうが、その手の温もりは私を安心させるのには十分だった。



涙を拭った私は、父の手をそっと撫でて離した。

胸は上下している。手も温かい。だけど父は目を開ける事はない。もう私の名を呼んでくれる事はないのかもしれないと……そんな予感が胸を過った。


「お母様も準備は出来た?」

私は悪い予感から逃れる様に話題を変えた。


「ええ。結婚式、楽しみだわ。突然過ぎて招待客は居ない様だけど……でもどうしてレナード様はあんなに急がれているのかしら?」

と母は首をひねる。


「あら?お母様も理由は知らないの?」

てっきり母にはその理由を話しているのだと思っていた。


「ええ。あの日の朝早くにレナード様から話があると言われて。私もジュードの件もあってお礼をと思っていたので丁度良かったのだけど、急に『一週間後に結婚式をしたい』と言われて……」


「理由は訊かなかったの?」


「もちろん尋ねたわ。でも頑なに『とにかくそうさせて欲しい』とだけ」


「……どうしてかしら?」

と私も首を傾げるが、当の本人が居ない為、真相は闇の中だ。

私はふと……


「あら?そう言えば明日にはナタリー達が戻って来るのではない?」

と思い出した。


「ええ。でも私達は明朝早くにここを発つしナタリーは夕方頃になるから入れ違いね。どうせナタリーを結婚式に出席させるつもりはなかったから……」

と言う母の言葉に


「あら?そうだったの?」

と私は尋ねた。


「元々……貴女が結婚する頃にはナタリーは既にパトリック伯爵家に嫁いでる予定だったでしょう?ほら……パトリック伯爵家の仕来りがね?」


思い出した。パトリック伯爵家の謎ルールの一つ。結婚したら嫁は実家との関わりをなるべく断つべき。……里心が付かないようにする為なのだろう。これがバーバラがパトリック伯爵家に付いて来れなかった理由の一つだ。


「そうだったわね。なら姉の結婚式に出席するのも不可……って事ね」


「ええ、そう言う事。今回は日取りが早まった事で実質結婚式への出席は不可能になったのだけど、私は……良かったと思っているの」


私がその答えを少し不思議に思っていると、


「まーた、新しいドレスを強請られる事間違いなしだもの。今回の旅行でもワンピースだのカバンだの靴だの、帽子だのと随分と散財してくれたわ。あの娘にはもう少しお金を大切に使う事をこれから教えないとね」

と母はため息混じりにそう言った。


パトリック伯爵家はお金持ちだが、だからといって嫁いだばかりのナタリーが散財すれば、あちらも良い顔はしないだろう。パトリック伯爵はかなり厳しい方だ。ハロルドがナタリーをコントロール出来る様にならなければ、パトリック伯爵からナタリーがどう思われるか……それは容易に想像がついた。

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