連なり蓮根

静谷 清

本文

 あっ、頬を叩かれると痛いのです。最近できたにきびが顔を赤く染めているので。ぷっくり膨らんだ黄色い詰物つめものが肌の下に潜んでいます。そこに手をぴしゃりと打つと、痛いと住人が騒ぎ立てて、その騒音で頰が痛くなるのです。


 何事もためになる。そんな事をよく言いますが、失敗から立ち直るための言い訳にしてはいけませんよ。ころんだ事を糧とするのです。立ち上がるための言葉ではありません。失敗を失敗と思わない生き方をしていては、私のように怠慢と恥と不満に溺れながら六畳の部屋で惰眠だみんする様な人間になりますよ。それでも良いのなら、眼の前から逃げたって誰も責めません。そのうち、責めても叱咤しったしても立ち上がれない場所に来ますから。


 私は朝になると鏡の前に立ち自分の顔を眺めます。そうするうちこの事態が嘘ではないかと思い始めるのです。そうしたまま、動かないでいると足がしびれてきますので目が覚めます。もし、覚めないまま立ち尽くしていたとしたらどうなるのか。そう考えない日はありません。現状の把握は鏡の前でするべきではありません。顔を見れば自分を責めてしまうので、苦しい思いをするだけです。鏡の前では、変化を求めるべきです。変わらない表情と変わらない現状。それを、目の前をそのまま映す鏡台の前で破壊してしまう。現状を破壊してから想像が始まるのです。さもないと鏡は何も映さなくなってしまうので。


 誰も居ないと寂しいのでよく部屋に友達を招きます。といっても私の部屋にはなにもないので、することもなくただ喋っています。


 ドアを開けて入り込む外の空気が、私を苦しませます。室内にもる私の空気を薄めてしまい、私の世界は破綻していきます。会話を始めては、止め、また初めて、止めて、また笑って、また黙る。そうした空気の連なりが、私を私だけの世界から皆の世界に呼び戻すのです。そうすることが自然の状態だと私を正気に戻してしまいます。ここに居ることが幸せなのです。ここ以外では私はおぼれてしまいます。


 時々友だちに誘われて外へ出ます。部屋の土壁とは違うコンクリートで出来た建物を見ると、倒れることを想像してしまい、嫌な気持ちになります。街は大半が高い建物で埋め尽くされており、歩く人びとはこの街で生きていると顔に表れています。その風景を拝むたびに人工物が地球上にある限り人は死なないのだろうなと思います。とてもじゃないですが、私にここで住む度胸はありません。


 店に入ると店員に横暴な態度でまるで自分が崇拝されるべき偶像であるかのような自惚れをした人間が居ました。その人の目を潰して、わたしのところへ持って来て下さい。こちらから見る世界の醜悪は随分低俗ですよ。体に染み付いた泥のような罪を、一度洗い流してきてはどうですか。


 善意や悪意で塗り固められているこの世界は、実を言えば全て表面で取り繕われた偶然の産物でしかないのです。人が人を愛し、憎み、悲しみ、愛おしく思うその感情は決して美しいものばかりではないので、善意や悪意はそれを恥じる人間たちの手によって作り出されたものなのです。


 私はろくな人間ではないですが友人達は違います。私の友達はみな素晴らしい人間です。なので、この人工物の街で友達が心を消費して生きていくことが耐えられないです。まともな人間より屑が多いこの街で、邪な心の漂うこの街で生きていて本当に大丈夫でしょうか。辛かったら、こんな所出ていきなよと私はよく友達に言います。すると友達は困った様な表情で私にこういうのです。


「僕はここでしかいきられないよ」と。私も、友人も、この街の住人も、すべていきていられる場所を探しているのかもしれません。ここでしか生きられない場所で過ごしているのです。そこで、友達や趣味嗜好しゅみしこうや恋人や家族を見つけることが人生なんですね。


 人は、ひとりでは生きられないとはどういうことなのでしょうか。そんな事あるわけ無いでしょう。信じられません。ここでしばらく立ち尽くして思うことはひとりでも出来ます。私にも貴方にも。つまり生きていられる場所には常に誰か先客が居るのです。一人ひとりの鼓動は時々、とても似通っています。感情でいきる人間だからこそ、なのですか。想いやりと建前を装飾品の革にして生きていくことが幸せなのです。だから人は一人では生きられないなどと大ぼらを吹くのです。


 日が暮れてきました。影が私の背後についてきています。友達の影も、建物の影もみんな一緒の色をしています。今日も楽しそうに遊びました。私は漸く家に帰る事が出来ます。友達は次の約束をしているので、私も約束しました。


 家に帰ると、とても安心するのです。匂いや空気の温度が私を包みこんで、家にいることを実感させてくれます。心地よい空間の波が縞模様の掛け布団に混じり合い、私を夢の世界に誘うのです。


 だから私は夢をみました。


 とても気味の悪い夢です。柘榴ざくろの周りを黒い猫が跳び回り汚れたマントを纏った歌唄いがたのしい歌を唄っています。空は青く、蒼く、碧く、中心の旋毛つむじが目玉に似た虚像を創り出し、御詠歌ごえいかを唄っておりました。私も唄っておりました。心の内でわたしは幸せを願っているのです。蝉の鳴き声が掠れて聞こえてきたと思ったらひゅうと風流れ、世界すら戸惑う美しさの朝焼けが宇宙をいていました。気味の悪い美しい夢でした。時が止まったかのように永遠に感じて、終いには涙がとまらなくなって渇ききった顔面を穿くような痛みが差し、私を起こしました。


 夢から醒めた夢もみました。私はいつものように鏡の前に立つのですが、いつまで経っても足が痺れてこず何時迄いつまでも鏡の前で立ち尽くしているのでした。そのまま眠ってしまい、起きたら枕元に超立方体的肖像画が落ちています。それに触れるとまた意識を失い、目覚め、失い、起きて、眠る。この無限の繰返しの最中でも私は笑っておりました。なんだ、このつまらん夢はもっと面白い夢を持って来い。そんなふうに横暴な態度をとっていました。水がバシャッと頭に被さり、後ろを振り向くとなんともでかく黒く凶暴さうな鴉が見つめていました。私は震えが止まらずうつむいて黙っていると「おい、なんとか云わねえか」と鴉が喋るのです。驚いて「すみません」と声に出すと、鴉が「わかりゃ良いんだ、なんか面白い話はねえか」と云いやがるのです。私はウンウン唸ってあ、と思い先程から色んな夢を見る話をしました。すると、「そりゃあお前、死が近いぞ」と鴉が云いました。「走馬灯たあ違うけどな、死ぬ間際人はよく夢をみるんだそうな」私は怖くなってどうにか助かる方法はないか聞いてみました。すると鴉は嗤いながら「んなの簡単だよ。夢から醒めりゃいいんだ。ちったあ、長生きできるだろうよ」と云い、それを聞いた私はぐるぐる体が廻り、洞窟から抜け出してどこかへ飛んでゆきます。寒いと思うと雪山へ行き、暑いと思うと熱林に行きました。どうとも思わずいると、全く知らない場所へ飛ぶのです。ここは何処だといっても声が出ない。目に見える限り巨大な雲が辺りを覆い、岩肌が見えたと思ったらそれは亀だったりする変な場所です。しかしとても気に入る場所でした。何も無い、善も悪もない、屑も私以外は居ない。まるで楽園のようでしたが、すぐに夢から覚めてしまいました。目が覚めたらそれは私の家でした。六畳の普通の、時々蝿が飛ぶ音がしている部屋です。私は少しがっかりしました。


 私の匂いが立ち籠める孤城は、私しか存在していない。その他の――蜚蠊ゴキブリか―蝿か―もしかしたら鼠かその生物はこの一室に住んでいるという自覚はないのです。在るのは、生きていい場所だと安心する心だけなのでしょう。


 窓の方を見、薄い赤色のカーテンを開けると、少し灰色の空にまばらに眩い光が差し込んでいました。眺めるうちにそれらを愛おしく感じてきて、この風景に街が映り込んでいるのを見て、私はその時、初めて、この街で生きていると感じたのです。そうして何時迄も窓の外を眺めていました。一時間も二時間も同じ場所に居ました。傍目に見るとおかしな奴に見えましょう。脳内に響く世界の虚像は本当の世界の、本当の実像のたった一部に過ぎなかったのですからおかしな話です。いつもこの目で見ている、私たちの世界は私たちの目でしか見れていないのですか。本当に、ああ、本当にそうなのですか。酷い話です。なんとも哀しい話です。世界の本当の姿は私達自身の手に依って捻じ曲げられていたのです。


 ふと窓を開け、ベランダへ素足で出てみると、これ又不思議なことに空気は淀んでいるのです。世界はきれいなのに、空気は汚いのです。この不可解さが世界を難解にしている理由の一つなのでしょう。そう考えると私は居ても立ってもいられなくなり、外へ飛び出したのです。朝七時くらいの世界、不可思議や世界。不明なことばかり起こり、戸惑う暇も無く、眼の前をただ見続け、そうしていつの間にか飲み込まれるているのです。不可解なこと、それは役に立つ筈なのに汚れていて見て見ぬふりをされる電柱、それは薄汚れている筈なのに可愛らしい野良猫、それは既に自我の崩壊が如実にょじつにあらわれているのにその挙動をおくびにも出さず平穏無事といいながら歩いている人間。


 学校へ向かう小学生たちが、私にも挨拶をしてきました。「こんにちはー」と。そのこんにちは、に私のことを認めるその言葉に、期待していなかった筈の言葉に、私は世界を信じるきっかけとなったのです。空よ、憐れんで下さい。私のことを、気遣わないで下さい。どうしても私に何か言いたいのであれば先ず、殺して下さい。あの世で何時迄も――――


 緊張がつばとなり、喉を通りました。少し咳き込み、私の体の一部となりました。今、私は何も持たず家から離れた場所までぷらぷらと歩いています。なぜだか散歩する気分になりました。見ず知らずの人達が私を見ているような気がします。スポットライト効果――本当はだれも見ていないのに、見られている気分になってしまう。私はそれに――スポットライト効果に悩まされています。歩く姿は平常でしょうか。息はちゃんと吐けていますでしょうか。それならば気にする必要は無いのですが―――しかし、私の欠陥を世界に直されては面目が立たんのです。とはいえ私に面目など有りはしないのですが。


 私にも人並みの不安を感じさせて下さい。苦しませてくれなければ、他の人たちより私は世界と対等に居られないのですから。


 少し立ち止まっていますと、私を取り囲む、民家の塀がそこら中に散らばっておりました。こんなに住宅街があったとは知りませんでした。私の家から数百―千メートルまで離れた場所に、人はコロニーを築いていました。


 そのコロニーの中を歩いておりましたら、何処からか焦げ臭い匂いがしてきました。そして、少し奥の家から煙のようなものが出てきていました。私は驚いて、火事かしら。ああ、何故私が散歩している時に、いやそんな事を言っても仕方ありません。とにかく通報を。そう思いましたが、私は携帯を家に忘れてきたことに気づきました。こんな時に、いつも私は時が良くない。どうしてこのタイミングで、といったことが私の人生に何度――いやそんなことを後悔している暇はありません。早く誰かに教えなければ。


 私は急いで近くの家のインターホンを押しました。軽い音が鳴り、中から老人が出てきました。私はその老人に「近くで火事が起きました。通報していただけませんか」と言いました。そしたら老人は驚きながら、家の奥の方に戻って行きました。奥から「はい、近くで火事が。はい、はい」といった声が聞こえてきたので、私は老人の家から離れ、他の家にも呼びかけました。「火事が近くで起きました。逃げて下さい。通報はしました」と言うと、皆さんは驚いて現場に見に行きました。私もついて行きました。


 やはり燃えていました。家に車や自転車などは無く、中から声も聞こえなかったので、燃えている家に怪我人はいないでしょう。周りはざわざわしながら「ここ、山本さんちよねぇ」「ええ、朝から仕事やら小学校行ってたわ」「誰か消防車呼んだの?」「えっ、呼んだよね?嘘、あれ、私が通報しないといけない感じ?」「ほら、えっと何番だっけ?」「119でしょ?」「え、それ救急車じゃないの?」といった様に焦っておりました。私も内心、焦ってはいましたが死人は出ないらしいので、少し落ち着いてきました。


 そうしてしばらくすると、大層サイレンが響き渡り、赤の消防車が消火を始めました。白い粉末水を家々に吹きかけると火が静まってゆきます。


 火が消えたら、私の方に消防隊員たちが来ました。「あなたが最初に火事が起こっていることに気づいたんですね?」と言われ、私は「はい、この辺りを散歩していたら偶然火事が起こっていることに気づいたんです」と言ってさらに気づきましたが、ここらの住宅街は入り組んでいて住人たちぐらいしかこの場所には来ないのです。知らない奴が火事を見つけたことに、何かしらの不信感を抱いているようでした。それに居心地の悪さを感じていました。


 知らない人間の知らない火の不始末の、知らない不幸を目の当たりにしても、私の世界は綺麗なままでした。


 家に帰ると、いつもの空気と埃の匂いがお出迎えしてくれました。キップル化した昨日の残り物が机で反乱を企てている様でした。私はそれをすぐにゴミ箱に捨てました。


 ねさらねさら、ねさらさら。と声が聞こえた、様な気がしたので眠りました。ですが、すぐにテレビの音で起きました。


 猛烈に不機嫌でしたがよくテレビを見ると、私が今日出会った火災事故が映っておりました。そこで「偶然通りかかった男性により通報され、消防隊が駆けつけ消火されました」と言われていました。


 私は嬉しくなって先の不満の気持ちを消しました。しかし、すぐにまた顔色を悪くしました。


「その火事で、体調不良で学校を欠席していた次女の舞依花ちゃん8さいが火事で死亡しました」


 そんな、そんなまさか。私は呆然としました。私が、助けていれば、いや、あの状況では――というより中に人がいるなんて知らなかった!そんなの、無理に決まっているじゃないか!と私は思いました。しかし、言ってしまえば私は、あの場にいた大勢の『外人』たちに疑われたくなかったのだ。


 私達は私達以外の人間を拒否する。そうして我々か我々以外かで別けなければ、安心できない。あの場で私が「本当に中に人はいないんですか?」と聞いてしまったら、「お前はここの人間ではないくせにここの人間を俺たち以上に知っているのか?」と無言で言われただろう。私はそれが怖いのです。


 ですから、今日私が救えなかったいのちは、私のせいで死んだいのちではないに違いないのです。


 そう言って、しばらく黙っていたがそのうち私は気を悪くして、トイレに駆け込んでいきました。そしてゴキブリの私設プールのような便器に吐きました。とても、良い気分ではありません。


 私が朝会った、小学生は私に挨拶をしてきて、そしてそこに私はゑも言われぬ感動を感じました。


 その尊いいのちと同等のいのちを、私の目の前の炎が奪ってゆきました。それを、眺めていました。私はいつから、この美しい世界と同じ清らかな生き方を私自身ができていると思っていたのでしょうか。


 私は、消えてしまいたい。炎が包んだのが、あの子ではなく私であればよかったのに…。


 喉元の熱さを必死に飲み込もうとしました。けれどそのいびつな熱さが喉から離れていきません。


 寝ても覚めても、私は部屋から出られなくなってしまいました。 


 もどりもどり寝返りを売って布団が埃を立て、何日も部屋の掃除をしていないためか私自身の匂いも机や布団に染み付いていきます。その染み付いた匂いが、乾燥した皮膚を細かい粒子として、削るような音がしました。


 まだ音がしていたらまだ耳が聞こえているということなのでしょう。目も鼻もまだ脳と繋がっています。というよりは私の体のそれぞれの部位が、私の脳と繋がっており、肉体が生きているように欺いているだけではないか。私をそう、動かしているだけではあるまいか。


 私はわたし自身と何十年も向き合ってきました。ですが、もしかしたら私という人間は、私の考えが遠く及ばないものではないでしょうか。本当に私は私のことをちゃんと理解できているのなら、この不可解な悩みに対する罪悪感も解明できているでしょう。そうして、また今日も不安とともに溜まった埃を脱ぎ捨て、この部屋から飛び立っているのです。そうあるべきなのです。


 友達もこういう気持ちだったのでしょうか。本当は私といるときすら、苦しい気持ちで生きて笑っていたのでしょうか。脳の中では炎を燃やしていたのですか。この前まで私はわたしより不幸な人はいないと考えていました。気丈に振る舞っていた孤独の男は、今の私より幸せでした。今の私すら、世界の苦しむ人間より幸せでしょう。からっぽの頭でいくら考えたところで私に知り得ない答えなど浮かぶ筈もなく、ただ薄汚れた体で小汚い布団の中にくるまって生き延びているだけなのです。


 翌日私のもとに友人たちがやってきました。


「最近連絡もくれないけど大丈夫か?」と私を呼ぶのです。ドアの外で心配そうに佇んでいました。私は「全然、少し風邪引いただけだよ」と嘘をつきました。その嘘は今までついたどの嘘より私を苦しませる嘘でした。


 そうやって一人でいても、何も変わらないとおもったので後日友人を部屋に招きました。友人はひどく顔色が悪く腐り木のように痩せ細った私を見て、悲しそうな顔をしました。そして私は罪の告白をしたのです。


 何時間も二人の友人に話をしました。声を枯れても涙が出ても私は話し続けました。涙を流し続けていても、罪を語り終えようとするその、自身の保護を優先する本音に、私は少しがっかりしたのです。


 とにかくこの話を終えようと急いで話終わりました。そして友人は吐き出すようにこう言いました。「ごめんな、少しでもお前の変化に気づけてたら」と息を吸い「こんなにお前を苦しませることはなかったのに」


 違うのです。貴方達のせいでは無いのです。全く総て私が罪を犯したせいなのです。私が助けられていればあの子供はまだ生きていたはずなのです。


「お前がやったことは恥ずべきことじゃないよ。もう一回やっても君は火事をどうにかしようと動くだろう?」と言い、それからまた友人は少し黙って「そこにいた大人たちが――いや、もちろん君を除いてだがその場にいた大勢の人間たちは家にいた女の子に何故気づいてやれなかったんだ」


 私は涙ぐみながら「うん、ごめん、ごめんなさい」と「私があの場にいた張本人なんだから、私があの火の中に飛び込むべきだった」と友人に言いました。すると友人は「そうかもしれない。でもお前は確かに人の命を救った。奪われるべき命なのは君を恨む数人の大人たちだ」とこちらを向いて言いました。


 何か恩返しがしたいと思うことは悪いことでしょうか。こんなにも私に親身になって考えてくれる友人のことを疑えません。私に罪の意識があったのは私以外のの場にいた誰かが、こうやって罪の重さに耐えきれず人にこぼした罪なのです。とするなら私のこの罪悪は決して私をころすものではないのです。


 私はありがとうと言って友人たちを送り出しました。そして部屋を見回し、そのごみだらけの孤城を一刻も早く消し去らなければなと笑いながら、考えました。


 ごみを片付け終えると急に部屋が澄んでみえるのです。この場にいた生命の面影を光が消し去ってくれるみたいに太陽が窓からこちらを照らしました。なので太陽を部屋から出さないように、部屋を暗くしました。


 暗闇の部屋の中で、また布団の海に落ち、惰眠をむさぼりました。それは幸福な惰眠でした。


 ですが私は悪夢を見たのです。生きることすら悪だと錯覚させるような人の本性を描いた夢。


 孤城のなかでは私を誰も傷つけることはできないのです。だから私は孤独なのです。そうすれば、私は私を嫌いにならずにいられると思いました。


 しかし、それは甘かったのです。私自身の罪は私を嫌いな私が操作していた悪魔の感情でした。生きることは後悔することと勘違いした自分の選ぶ普通の生き方が、私をこんなに苦しめていました。なのでやはり一人で居ては駄目なのでした。


 一人で居ると、塞がれた環境の中で私自身に責められるからです。私のことが嫌いな私がいつしか、自分だということに気付くからでした。


 こうして私の中にある連なった私たちが、私自身を責め立て今日も息を吸うのです。この世のすべての人達も自分の中にある自分を喜ばせようと、必死に、ご機嫌取りのような生き方をしているのです。


 なので、私の今までの独り言すら、正当化されるでしょう。そうじゃなきゃおかしい、これまでの不安と葛藤かっとうの数時間が馬鹿みたいですから。


 なので、私の今日の独り言すら、不審に思う人は居ない筈です。自分を理解しない自分は、とっくの昔に死んでいるでしょうから。今日も鏡の前で今日一日を詠います。不完全な人間のままで、私は生きていきます。

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