黄色咬ませ犬と真紅の英雄


 戦闘機はゲオルク特有の甲高いエンジン音を響かせながら、ヨハンの持つ敷地をなぞるように空を周回している。


 彼にはその姿が、酷く見覚えがあった。


「あ、あああっ」

「こ、こんなことがあるんですのッ!?」

「ほほう?」


 セメタスが声にならない声を漏らし、ドロシーが驚きの声を上げる中、ドリストンは一人、面白そうに目を細めている。残った面々も、先ほどの空賊襲撃以上の動揺が広がっていた。


「あれ、は」


 それは新郎席にいたヨハンも同じだった。

 しかし彼の驚きは、他の面々とは意味合いが違っている。彼には見覚えがあったのだ。それも新聞等ではなく、実際に見た覚えが。


「まさか」

「また空賊か? 全く、食事に似つかわしくない」


 ヨハンの呟きの後に声を上げたのは、一人で炒飯を食っていたイエローだった。

 巨漢の彼はのっそりと立ち上がると、ドタドタと自分の航空戦闘機の元に駆け寄って乗り込み、離陸させる。

 垂直に離陸した黄色い機体は、真紅のゲオルクの後ろへとついて機関銃を発砲した。


「食事は静かにするべきだ。一人で、自由で、気ままで、わがままで、お淑やかで。お前みたいな賊が辱めていいもんじゃない。落ちろ」


 黄色い機体が備え付けられた二十ミリ機関銃を放っている。真紅のゲオルクが振り払おうと空を駆けるが、彼はピッタリと後に食らいついていた。

 何を言っているのかイマイチ理解できない言葉とは裏腹に、その腕前は見事なものである。


「……やるわね。でも、こんなとこでノンビリしてられないの」


 真紅のゲオルクから声が響いた。女性のものだ。

 その声を聞いた時、セメタスが、ドロシーが、ドリストンが。誰よりも、ヨハンが目を見開いていた。


 彼らが知っている声だったからだ。


「振り払ってや」


 女性が言葉を切るのと同時に、真紅のゲオルクが加速する。それは爆発的な加速であった。

 旋回するゲオルクの後を追ったイエローだったが、速度で負けて逆に後ろを取られてしまう。周回遅れになったようであった。


「なァッ!?」

「あんのロリコン眼鏡ェェェッ!」

「ろ、ロリコン眼鏡?」


 真紅のゲオルクから機関砲が放たれた。二十五ミリ口径の弾丸が二、三発エンジンを撃ち抜いて、黄色い航空戦闘機が煙を上げる。

 イエローが首を傾げる中、彼の機体は段々と高度を下げていき、遂には会場から少し離れた海へと着水した。


「こ、怖。ここまでなんて……ま、結果オーライね」


 真紅のゲオルクが周回をやめ、敷地内へと垂直着陸してくる。周囲に激しい風を起こしながら機体が地面に降り立ち、コックピットが開かれた。そのすぐ下には「Queen Ruby」という文字が白字で書かれている。

 席に立ったのは、真紅のボディースーツに身を包んだ一人の女性だ。ゲオルク特有のコードをついたフルフェイスヘルメットを脱いだ時、真紅の髪の毛が風に靡いた。


「悪いわね。結婚式、邪魔しに来たわ」


 青い空に真っ向から対立するかのような真紅のルージュの唇が開き、よく通る声が辺りに木霊する。勝ち気に釣り上がった黒い瞳は、群衆の姿を捉えた後に、たった一人へと向けられた。

 我に返った聴衆の一人が、声を上げた。


「す、す、真紅の英雄スカーレット・イレギュラーだァァァッ!」


 かつての国の英雄。そして今や指名手配犯にまで身を落とした、紅の例外と呼ばれた彼女。

 マグノリア=アルスカーレットこと、スカイだった。


 先ほどの空賊襲撃とは比べ物にならない騒めきが会場に広がった。

 何せ現れたのが、かつて機械竜ドラゴロイド数十体を一人で葬り去り、英雄とまで呼ばれた犯罪者なのだ。


 我先にと逃げ出す者を尻目にしながら、スカイは声を張り上げる。


「安心なさい、有象無象に興味はないわ。何やら見知った顔もいるけど、どうでもいいわね。アタシがこの結婚式を邪魔しに来た理由はただ一つ」


 スカイはゲオルクの操縦席で仁王立ちしたまま、真っ直ぐに指を指した。その先にいるのは、ウェディングドレス姿のドロシーがいる。


「ドロッセル=ファランドール、アンタに決闘を挑むわ。決闘内容はゲオルクによるドッグファイト。賭けの対象は」


 スカイの指が動き、続いてヨハンを指さした。


「ヨハン=エルスハイマー、アンタよ。アタシが勝ったら、彼をいただくわ。結婚はなしね」


 放たれた言葉に、また別のざわめきが起きる。全国指名手配されている人物が、何故新郎であるヨハンを狙うのか。客としてきた人々には、全く理解ができなかった。

 しかし、当事者は別だ。名指しされたドロシーは息を整えると、ウェディングドレス姿のまま、一歩前へと歩み出す。


「初めまして、ではございませんわね。久しぶりね、お空」

「ええ、久しぶりねドロシー。リベンジに来たわよ」

「まさか貴女が真紅の英雄スカーレット・イレギュラーだったなんて。驚きのあまり、季節前に花が咲いてしまいそうですわよ。しかも花婿泥棒とは、また良い趣味をお持ちのようで。一つ、聞かせなさいな」


 一度そこで、ドロシーは言葉を切る。その瞳には、真剣さが宿っていた。


「貴女が指名手配中のかつての英雄だなんて、昨日のティータイムの御茶菓子くらい気にしませんわ。わたくしが聞きたいのは、一つだけ……貴女は何の為に飛びに来ましたの?」

「知らないわ、そんなこと」


 かつてと同じ問いかけをしたドロシーに対して、スカイは鼻で笑った。


「あらあら。リベンジの為にかつての栄光を引っ張り出してきた割には、随分と投げやりですのね。そのやりで、オリンピックでも目指すので?」

「誰の為に、なんてのは今でも分からない」


 スカイは「でも」と続ける。その視線の先には、ヨハンの姿があった。


「果たさなきゃならない約束があるのよ。交わした約束を守れないカッコ悪い大人なんて、アタシは認めない。その為に、全てを持ってしてアンタを撃ち落とす。それだけよ」

「おーっほっほっほッ!」


 話を受けたドロシーは笑った。心底愉快そうに、開けた大口を隠そうとする手を上回る勢いで、笑っていた。


「ええ、ええ、そうですかそうですか。随分と不器用で難義な性格をされておりますのね、英雄様。しかし、十分ですわ」


 ドロシーはスカイに対して指を指し返す。


「ファランドール家が跡取り、ドロッセル=ファランドール。決闘の申し出、お受けいたしますわッ!」


 ドロシーの宣言によって、状況は一層の混乱を迎えることになる。当事者以外が置いてけぼりになっている中、ドロシーは着替えの為に屋敷へと戻り、スカイは機体の再確認を行っている。

 そんな彼女らを尻目に、セメタスは恐る恐るといった様子でドリストンの元へと寄っていた。


「も、申し訳ありませんドリストン様。ま、まさか指名手配犯が来るなんて思ってもなくて。す、すぐに軍への通報を」

「いや、良いさ。このままで」

「へぇ?」


 しかし返ってきたのは、セメタスが予想もしなかったものであった。彼の素っ頓狂な声を意に介さず、ドリストンは続ける。


「人竜戦役以降、空軍のパイロットの質は落ちる一方だ。機械竜ドラゴロイドという相手がいなくなった、というのももちろんだが、一番は危機感の欠如だろう。死ぬかもしれないという生存本能に突き動かされて、生きようとする気持ちが、人を次のステージへと成長させる……その先駆けともなったのが、彼女だ」


 ドリストンの目は、ずっとスカイを見ている。


「報告を受けても信じられなかったよ。たった一機で、数十体の機械竜ドラゴロイドを殲滅したなんて。現場へ赴き、海に沈んだ大量の残骸を見て、ようやく事態だけを飲み込めたくらいだ。英雄と呼ばれた彼女だが、その真価を見た者は誰一人としていない。そんな彼女が今、理由は知らないが、本気になろうとしている。こんな絶好の機会は、またとないぞ。見てみたいのだよ、真紅の例外と呼ばれた彼女の飛び方を。その真の実力を。しかも、相手は竜機兵ドラグーンのドロッセル君だ。ゲオルク同士のドッグファイトなんて、見たことあるかね? 私はないぞ」

「は、はあ」


 熱っぽく話しているドリストンの言葉を、セメタスはあまり理解できていなかった。


「それに決闘になるのだろう? 貴族の決闘は決闘裁判。言わば、公的な裁きの場だ。戦時中でもない今、そこに割って入るような権限は空軍にない。手を出そうにも出せないのだよ、わかるかね?」

「し、しかしですね」

「もっとも」


 食い下がったセメタスに対して、ドリストンは言葉を被せた。


「決闘後までは保証せんがね。おい、包囲網を張っておけ。だがくれぐれも、私が指示するまでは、手を出さないようにとな」

「了解しました」


 彼の後ろに付き従っていた一人の兵士が、指示を受けて走り出した。セメタスが目で追ってみれば、兵士の足は迷いなく敷地内を後にしていってしまう。近くの軍の駐屯場に報告に行ったと、容易に想像ができた。


「さあ、憂いはもうないだろう。ゆっくりと、ゲオルクの喰い合いを堪能しようじゃないか」


 セメタスはすごすごとドリストンの元から下がるしかなかった。結婚式に乱入した指名手配犯であれば、すぐにでも捕まえてくれると期待していたが、当人が物見遊山なこの調子ではアテにできない。

 しかも彼の口から、決闘裁判と言い切られてしまった。この決闘で娘のドロシーが負けるようなことになれば、正式に結婚が取り下げになってしまうことになる。


 そんなことを認める訳にはいかない。セメタスは心を持ち直すと、着替え終わって出てきたドロシーの元へと駆けて行った。


「ドロシー」

「あらお父様。わざわざ激励に来てくださったんですの? ご心配なく、一度は勝った相手です。英雄か何かは知りませんが、所詮は指名手配犯。丁寧に摘んで、ファランドール家の勲章棚の一つに加えて差し上げますわ」


 漆黒のボディースーツを身にまとい、左腰に祖父のベルをつけたドロシーは、いつもの調子であった。

 急に結婚式に乱入され、戦うことになってしまったことに対する動揺はないのだろう。戦い前のコンディションとしては、申し分ない。


「あ、ああ。もちろんだとも。ドロシーのことは、心配、してないさ」

「お父様、いかがなされて?」


 逆に落ち着きのないセメタスの様子を不審思い、問いかけてくるくらいである。彼は慌てて被りを振った。


「い、いや、なんでもない。勝ってこいよ、ドロシー。お前の肩に、ファランドール家の未来がかかっている」


 セメタスが手を上げると、ドロシーはその手をパンっと叩いた。ハイタッチを交わした彼女は、ニヤリと口角を上げる。


「これで百人力ですわ。わたくしにお任せあれッ!」


 ドロシーは迷いない足取りで自身のゲオルク、シルバーベルへと乗り込んでいった。フルフェイスヘルメットを被り、各種の計器の点検を始めている。

 しかし彼女の様子を見ていたセメタスは、小さく零していた。


「……あれは犯罪者だ。あんな奴に、我がファランドール家の未来を潰されて堪るか」


 その顔には、強い決意の色が滲み出ていた。

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