第11話 元勇者、猟犬に追撃される

「……人の寝顔を、あまり覗くものじゃないわよ。ボウヤ」


 ムーア商会に囚われていた魔族を助け、医療魔法をロザリンドに受けさせてから、少し経ち。

 夜明けが近づいてきた頃、ロザリンドはようやく目を覚ました。


「ごめん。でも、それだけ言えるなら大丈夫そうだね」

「世話、かけたわね……ごめんなさい」


 目を伏せる彼女に、僕は頭を振った。


「言っただろ。僕は恩を売っただけだ。いずれ返してもらうよ」

「ホントにお人好しなんだから……バカね」


 ロザリンドの口元に、笑みが戻る。

 木と獣の皮で作られた粗末なベッドから起き上がろうとする彼女を、僕は押し留めた。


「お腹、空いてるだろ。持ってくるから、ここで食べると良い」

「助かるわ」


 僕は焚き火の傍で温めておいた保存用の固いパンと干し肉、それからキノコのスープを持ってきた。

 この砦を根城にしていたムーア商会の連中の保存食だ。


「一応聞いておくけど、この食事、ボウヤが用意したんじゃないわよね?」

「ララ・シェだよ。……なんで分かったの」

「なんとなくよ」


 ロザリンドはゆっくりとスープを含み。

 それから、空腹を思い出したのだろう、あっという間にすべてを平らげていった。


 最後に、口元のパンくずを拭いながら、


「……ふふ、はは」


 唐突な吐息。

 笑みになりそこねたような、力のない。


「なんなのかしら、この状況」


 その問いは、答えを求めているようには聞こえなかった。


「騎士どもに追われて、逃げ切ったと思ったら牢にぶち込まれて、脱獄して衛兵に追われて、挙句、こんな山奥で固いパンをかじって」


 ただ、空になった器の底を見つめたまま。

 彼女は独りごちる。


「娼婦の暮らしが良かったとは言わないけど……これじゃ、その辺の野盗と同じよね」


 自分を嘲るような呟き。

 何か、励ます言葉があればよかったのだろうが。 


「……確かにね」


 僕は、ロザリンドの横顔を見つめることしかできない。


「正直、軽い気持ちだったのよ。自由都市で適当な運び屋を捕まえて、お嬢と一緒にノルドスク領まで逃げ切れば、あとはどうにかなると思ってたの」


 その目論見が間違っていたとは思えない。

 ザブロフ――いや、ムーア商会の動きがここまで早く、影響力が強いと知らなければ。


「……後悔してる? ミーリアを助けたこと」


 彼女が顔を上げ、こちらを振り向いた。

 傷ついたような表情で、


「悪かったわね。みんながみんな、ボウヤみたいな筋金入りのお人好しだと思わないで」


 僕は首を振った。


「僕も、後悔してるよ」

「アナタが? 一体、何を後悔するっていうのよ。魔王だって倒せる無敵の勇者サマなら、これぐらいの窮地は楽勝でしょう?」


 そうじゃない。


「あの日――神聖ゼラ皇国の首都が魔王軍に奇襲を受けた日。聖剣なんて、引き抜かなきゃよかったと思ってる」


 目の前で魔王軍に殺されそうだったメイゼルを救わなければ。

 臣民を救うためにしんがりをかって出たラフェンディを手伝わなければ。

 騎士としての務めを果たそうと飛び出したヴァネッサを追わなければ。

 取り残された市民を助けるために街中を駆け回るシェルスカと出会わなければ。


 彼らと手を組んで、魔王軍に立ち向かわなければ。

 すべてを見捨ててしまえば。


「みんなを失うことも、世界中から爪弾きにされることもなかったんじゃないかって」


 戦いの中で、大切な仲間を失うと知っていたら。

 最後の最後に、信じていた人達から裏切られると知っていたら。


 初めから、戦う意味なんて無いと分かっていたら。


「まあ、そうね。ボウヤが戦わなかったらアタシは生きてなかっただろうし……それなら、アタシもこんな風に悩まずに済んだのかもね」


 ロザリンドの溜息。


「アタシが住んでた街も魔王軍に襲われそうになったことがあったのよ。その時は、どこか遠くでウワサの勇者サマが魔族を撃退してくれたんだって、人づてに聞いただけだったけど」


 僕は改めて彼女の顔を見た。

 疲れて、傷ついているけれど、それでもまだ、笑おうとしている。


「アナタに後悔なんてされたら、助けられたアタシ達はどうしたらいいのよ」

「……つまり、なんていうか。そういうことだと思うんだ、ロザリンド」


 僕は、上手い言葉を探そうとしたが。


「やるしかなかったんだ。僕も、君も」


 何故かロザリンドが吹き出す。


「まさかと思うけど……魔王を倒して世界を救ったボウヤと、オッサンの頭をぶん殴って衛兵に追われてるアタシが、同じだって言ってる?」

「違うのは、聖剣のあるなしぐらいだろ。必要ならあげるよ。折れてるけど」


 自分でもムキになっていると分かっていたが、僕は反駁した。


 僕もロザリンドも、ただ目の前の人を救いたかっただけなのに。

 それだけのはずなのに――こんなところまで来てしまった。


「……まったく。娼婦風情を随分と高く買ってくれるのね」

「僕だって、ただの子供だった。貴族連中が逃げる時間を稼ぐために、捨て駒にされた少年兵だったよ」


 笑いとともにこぼれた涙を、指で拭ってから。

 ロザリンドは僕を見た。


「ありがと。ボウヤって、人を励ますのだけは上手いのね」

「……それ、褒めてる? それとも何かの皮肉?」


 ぼやく僕の頭に、ロザリンドが手を乗せた。


 ……髪を撫でる手つきは、ひどくやさしい。


「悪かったわよ。感謝してるの。色々ね」

「……別に。貸してるだけだから、気にしなくていい」


 どういう訳か、その瞬間。

 家族のことが思い浮かんだ。

 記憶のどこにも残っていない――生まれて間もない僕を捨てた家族のことが。


「へ~」


 ――はっとして、部屋の隅を見ると。

 いつの間にか目を覚ましたララ・シェが、頭まで被ったマントの隙間からこちらを見ていた。


「二人とも~そういう顔、できるんだ~」

「……いつから起きてたのよ」

「スープの匂いがしたから~あたしも、お腹すいたな~って思って~」


 こういうとき、どう対応するのが正解なんだろうか。

 迷っているうちに、ララ・シェはまたも意地悪く笑う。


「照れなくていいよ~続けて~」

「いいからさっさと起きて、食べなさいな。……お嬢達を、探しに行かなきゃいけないんだから」


 何かを諦めたように――あるいは意思を固めたように。

 小さく付け加えたロザリンドに、僕は頷き返した。


 ……そのとき、ふと。


 どこかで枝が折れる音がした。

 葉の擦れ、枝のしなり、土を蹴り起こす――獣の吐息。


(野生の獣か……いや)


 他にも何かが聞こえる。

 人の会話か。


(こんなとき、ブエナがいたら聞き取ってくれたのに)


 気づけば夜も明け始めている。

 そろそろ敵も動き出す頃合いだ。


「二人とも、静かにしてくれ。追っ手かもしれない」

「嘘……本当に? そんなに早くこっちを見つけたっていうの? どれだけの人数を狩りだしたのよ、あのクソヒゲオヤジ」


 確かに、信じがたい早さだ。

 自由都市の近くにあるこの森林地帯はまだまだ未開拓で、決して狭くなかったはずだ。

 どんな手練の追跡者でも、この広大な森からたった五人を探し出すには、相当な時間がかかる。


(ブエナのような獣人なら、もっと早く見つけられるかも――)


 ――と、考えているうちに。

 音はどんどん廃墟に近づいてくる。


 人の声と、獣の息。


「……そうか。そういうことか」


 僕はロザリンドとララ・シェに向かって、


「ミーリアとブエナを探し出す手段が、見つかったかもしれない」

「……え~? ちょ、なんで、いきなり~何の話~?」

「少し待ってて」


 困惑する二人を置いて。

 僕は、侵入したときと同じく、屋根になっている木々の隙間から廃墟の上に出ると。

 身を伏せて、近づいてくる追跡者達を待った。


(そういえば、シェルスカに教わったな。待ち伏せのコツ)


 動くな。心臓すら動かすな。己を石とせよ。

 しかし止まるな。一瞬で最大の力を発揮できるよう、溜めておけ。


 ――予想通り。

 茂みをかき分けながら騎士達――アルタンジェの家紋を身につけたムーア商会の傭兵達が現れた。


「オイ、なんだこれ。遺跡か? この森に、こんなモンあったのか?」

「さあな。商会が寄越してきた地図だと、この辺は範囲外だ」

「情報の出し惜しみかよ。相変わらず戦場を舐めてやがるな、クソ商人ども。魔王戦争のときも、ああいう連中のせいでどれだけ仲間が死んだか……」


 敵は三人――いや、四人か。


「オメーの昔話は長いんだよ。それより、商会が隠してたってことは、何か金目のものがあるかもしれねーぞ」

「よせよ。雇い主の財布に手を突っ込むと、団長がうるさいぞ」

「んなもん、知らなかったで通せばいいんだよ。もし後ろ暗い金なら、商会だって表立ってはケチつけてこねーだろ」


 加えて猟犬が一匹。

 鼻を鳴らして、何かの匂いを辿っている。


「バカ話は後にして、そろそろ警戒しろ。匂いのもとはこのあたりで間違いなさそうだ」

「お嬢様の香水ってやつか? ホントにそんな匂いするかァ?」

「いいねえ、俺は金よりオンナの方が好きだぜ。最近ご無沙汰だったしよ」

「浮かれてんじゃねえ! ゴードンの旦那がやられるほどの腕利きがついてるんだぞ!」

「バカ野郎、あんな筋肉バカのデブより、知的で身軽な俺の方が強いに決まってんだろ――」


 傭兵達が十分に近づいてくるのを待って。

 僕は、廃墟の屋根を蹴った。


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