上総介菅原孝標は源氏物語推しの娘に日記でも書かせることにした
乙島 倫
簡単解説① 平安時代って何の時代?
平安時代というのは、桓武天皇が都を移した794年を起点とし、鎌倉幕府が成立する1192年までの約400年間の時代を指します。400年は長いです。室町時代で約200年、江戸時代で約300年。明治維新以降の日本近代史が約150年です。
平安時代は桓武天皇が平安京を遷都することから始まります。平安というネーミング。源氏物語で代表されるような雅なイメージが続いたかというとそうではありません。
平安時代の前の奈良時代、天智天皇は百済再興のために大軍を送り込むものの白村江の戦いで大敗。大唐に攻め込まれる恐怖の元、国家体制の刷新が行われました。これが大化の改新です。大化の改新の結果、日本は律令制度による中央集権国家へと生まれかわりました。国司は律令国家の官僚制度の一部なのです。しかし、律令国家の手本であった唐自体が907年に滅亡。唐の律令制度を導入した新羅も後追うように935年に滅亡しました。
唐や新羅の例に倣えば律令国家の日本にも滅亡フラグが立ちます。平安時代の初期に確立した律令体制の根幹だった公地公民制は墾田永年私財法によって崩壊。全国各地に荘園が作られ、その荘園を護るために武士階層が生まれ、やがて、その武士同士が争い、やがて、平将門の乱や藤原純友の乱のような大乱へと発展したのでした。
ここで、反乱を起こしているのが平将門や藤原純友であることがポイントです。平氏は元をたどれば天皇家。藤原氏も上級貴族の代表格。平氏だろうが藤原一族だろうが、血筋や家柄だけでは都の上流貴族にとどまることができず、没落して地方で反乱を起こす。それが、平安時代中期だったのです。
さて、この物語の主人公菅原孝標は、菅原道真公の子孫。学問の神様と崇められる菅原道真は遣唐使を廃止した歴史上の人物で、官位は従二位・右大臣に登りつめています。その息子、菅原高視は従五位上であったものの大学頭。その息子、菅原雅規は従四位上。さらにその息子、菅原資忠は従四位下・右中弁でした。
菅原孝標は、十六年間の長期にわたり従五位下に留まるものの、名門としての意地を見せて二度、国司任命され、最終的な地位は従四位上でした。先祖たちと比べても、十分な出世っぷりを見せています。
しかし、更級日記を通じて感じとれる孝標一家の暮らしぶりは、うだつの上がらない感じがあります。これは時代とか身分とか関係なく、娘の日記から読む父の姿はこうなってしまうのでしょうか?
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