第5話 残光

 予期していた激痛は、訪れなかった。

 余りの痛覚で、神経が焼き切れたのだろうか。体の内側を弄られる不快感こそあるものの、その死は、予想よりもずっと、静かなものだった。


 心臓が引きちぎられていくのを感じる。

 口と胸に空いた穴から、真赤な血が零れ落ちた。金属にも似た死の香りが、ツンと鼻を刺す。

 その体躯は膝からドウ、と崩れ落ち、無残な地面に横たわる。

 もはや指一つ、動かす余力はない。完全な敗着。


 冷えていく体の内にありながら、キュリアスはこれまでの人生を述懐していた。


 (ここまでに、御座いますか。いやはや、やはり敵いませんでしたなぁ……

 思えば、陛下にお仕え申し上げて早60余年。円卓に取り立てられてよりも20年。老いる筈です)


 剣と勉学の冴えを認められ、見習いとして魔王に取り立てられたのが13の秋のこと。


 それより、直向きに走り続けてきた。

 振り返ることもなく。ただひたすらに。


 ――その、道すがら。


 視てきた。

 観てきた。

 見てきた。


 王は、どうしようもなく孤独で、窮屈だった。

 自らを鋭いとは思わぬが、こうも長く見ていれば自ずから分かる。


 不義があった。不和があった。憎悪があった。怨嗟があった。

 恐れがあった。畏れがあった。怖れがあった。

 そして、彼の傍らには、誰もいなかった。


 当然だ。

 

 力を以て、力を制する。

 強者を屈服させ、弱者を踏みにじる。


 有り余る『魔法』の力を以て体現した、王のその在り方。弱肉強食の大原則。踏み躙られた者は敵意を抱き、端で見ていた者はその在り方に恐怖を抱く。結果として、側には誰も残らない。


 裏切りもあっただろう。

 復讐を志す者もいただろう。

 その感情を否定することは出来ない。

 いずれ、彼は自らが放った怨恨により、自業自得の滅びを迎えるのかも知れない。


 だが、覇道を歩む者に常にある当然の孤独。

 それを、侘しいと感じたのだ。


 勿論、それを絶対である王が是であるとしたのであれば、自分から口を出せることなど一つもない。


 だから、覚えていようと思った。

 せめて、覚えていようと思った。

 自分だけが知る、その孤独を、記憶していようと思った。


 それが理由。己がこの生涯を良しとした理由。


 自らは剣。魔王の傍らにある剣。たとえ錆びつこうとも、その身は彼の手に。


 ――陛下よ、御照覧あれ。これなるは、老骨の最後の献身なれば。


    ◆


 キュリアスの胸から、シュウが右腕を引き抜く。

 血に濡れそぼったその掌には、赤々と脈打つ臓器が握られていた。

 握り拳程もあるそれを、果実のように食い千切り、頬張る。

 

 (——不味い)


 胸元に右腕を突き入れた瞬間の歓喜と対照的に、口中に残るのは不快感だけだった。

 ぐにり、と歪む食感も、鼻を刺す生臭さも、名状しがたい生肉の味わいも、嚥下の瞬間までずっと厭わしい。


 引き攣る口元を堪えて、全て喰らいつくした。


 「……ハァ」


 シュウの全身から煙にも似た蒸気が噴き出す。

 そう間を置かず、欠損した右腕を含めてこの戦いで負った傷は快癒するだろう。

 

 (さて、どんなツラしてくたばったか……)


 屈辱に塗れた顔か、それとも分不相応な相手に喧嘩を売ったことに対する後悔と恐怖が張り付いた顔か。

 どちらにしても、味わった不快感を慰める程度にはなるだろう。

 

 昏い憎悪と快楽のままにそんなことを思いつつ、爪先で倒れ伏したキュリアスの面を蹴り上げ……シュウは慄然とした。


 (笑ってやがる……!)


 末期の吐血に塗れた、皺だらけの口元には紛れもない笑みが浮かんでいる。

 背筋を這う悪寒。この男は死に際に何か仕掛けている。


 「——この老骨の勝負は、ここからで御座います」

 

 シュウがその掠れた呟きを耳にした瞬間、木陰から黒い影達が飛び出した。

 宙を裂くは鋭い暗器の群れ。

 暗殺集団『パララジア』。


 「すごすご引き下がった負け犬どもが、今更何の用だ!」


 触手を再度展開する。傷はまだ快癒しきっていないが、この程度の敵を相手するには問題ないと判断。飛来する刃物を次々と叩き落す。

 

 横たわるキュリアスへ一直線に近づく『パララジア』。彼我の距離は15mもない。その間をインタラプトするかのようにシュウが立ちはだかる。


 「何が目的か知らんが——<武装アームド>ッ!」


 右の義手が狼の前足に変わる。爪の先が容赦なく一人の胸を貫いた。

 しかし、ただでは死なぬと言わぬがばかりにシュウの頭を抱え込む。


 「グボッ——行ってくださ——」

 

 「邪魔だ。」


 吐き捨てたシュウは右腕を振り、体を両断し地面に叩きつける。

 しかしその間に残り二人がキュリアスの回収に成功していた。


 「——チッ!」


 木々を蹴り、離脱を試みようとする『パララジア』の二名に対してシュウが触手を解き放つ。


 二人が進む後を追うかの如くうねる触手が付け狙う。

 触手が掠めた木々は砕け散り、倒落していく。


 崩落の森林の中を駆け巡る黒衣に、幾度となく死が襲い掛かる。


 急角度で旋回した触手の一本が、二人のうちキュリアスを抱えた方に襲い掛かった。


 「手間、かけさせやが——」


 それを庇った一人が顔を刺し貫かれ、地表へと落下する。


 「……抱えておるのは、『無顔の徒フェイスレス』か?」


 キュリアスが口を開いた。


 「はい……主よ、願わくば口を開かれぬよう……」


 「よい。どうせ儂は助からぬ。死に際まで、お主達には迷惑をかけさせたの」


 「ッ……!」


 「後は、頼むぞ、我が、暗殺者」

 

 しわがれた掌が、暗殺者の口元を隠すマスクに触れた。

 その体にもはや熱はない。

 暗殺者は少し上を向いた後、どこへともなく呟いた。


 「……必ずや。」


 一人の暗殺者と、一つの亡骸は、黒い闇の中に溶けて失せた。


    ◆


 「クッソ!」


 シュウの視界から暗殺者が消える。思わず漏れる悪罵。


 「クッ、逃がしたか。詰めが甘い。この先面倒なことになるぞ。」


 シビュティアが笑う。

  

 「面倒なこととはなんだ?」


 「言われねば分からぬか。つくづく盆暗極まるの、貴様」


    ◆


 「——陛下!」


 窓より侵入した黒衣の暗殺者が、素早く跪く。


 「騒々しいぞ、貴様。

 ——貴様はキュリアスの所の……」


 「ハッ、火急伝えねばならぬことにて、この狼藉の罰は後程如何様にも!」


 『無貌の徒』はその腕に抱えた遺体を降ろす。


 「……ほう」


    ◆


 「あの若造が貴様に勝負を挑んだのは何故だと思う?」


 「何故もクソも——」


 「総合的には貴様に戦闘力は劣っていた。ヤツはそれが分からぬほどの阿呆ではない。挑むにしても初めから『恩寵』を使い速攻で畳みかけるべきだった。」


 少し間を置き。


 「―—勝つつもりならな。」


    ◆


 「【リインカーネの森】奥深くにて、キュリアス殿が『漂泊者ワンダラー』と交戦!奮戦なさるも、一歩、ほんの一歩及ばず敗死なされました!」


 「下手人の『異能』は!」


 「ハッ!触手を用いた攻撃と、肉体形状の変化、それに加え——」


    ◆


 「キュリアスは最初から俺に殺されるつもりだった……?」


 「惜しいの、75点。速攻をかけなかった理由が説明できておらぬ。

 ……我が思うに、ヤツは貴様の手札を晒した上で、貴様という存在を魔王に知らしめる気だった。自らの遺骸はその信憑性付け。貴様が取り逃した暗殺者は観測者オブザーバー伝達者メッセンジャーだな。」


    ◆


 (——ハッ、キュリアスめ。あの定例会議の場で俺が『漂泊者ワンダラー』の存在を疑っていることを見抜いていたな。本当に喰えぬ狸だよ、貴様は。だがその狸で以て、命を賭して、俺の憂いを取り払おうとしたその忠義こそ見事。動く理由、動かせる動機ができた。いいだろう、繋いでやる。)


 「円卓ラウンズを今すぐ集めろ!国家の大事である!今すぐにだ!」


 「承知いたしました、魔王陛下イエス、ユア・マジェスティ


    ◆


 「恐らく魔王は、貴様の存在に気づいておらぬか、もしくは気付いていようと表立っては動けぬ状況下にあった。だが、『円卓の十二人ダース・ラウンズ』の戦死、それもNo.2。これは十分に国全体を動かす理由になりうる。」


 。それがキュリアスの思惑だった。


 「まんまと一本取られたったって訳か……!」


 思わず歯噛みするシュウに、シビュティアが語り掛ける。


 「……来るぞ。貴様の存在を知り、貴様の敵意を知り、貴様の能力を知る者達が、貴様を叩き潰しに。

 最早背後から闇討ちでグサリ、という訳にはいかぬ。全面戦争だ、退けはせぬぞ。

 ――覚悟はできているか?」


 息を吸い込み、腹を決める。

 口にするのは誓いの言葉。


 「あぁ、どの道やることは変わらねえんだ。望み通り、正面から——」 


    ◆

 

 慌ただしく側近たちが去った後、魔王は一人、天井を睨む。


 (『漂泊者ワンダラー』……報告ではシュウという名前だったか。貴様が何を企み、何を考えているかなど知らぬ、くだらぬ、心底興味もない。ただ、俺に対して歯節はぶしを剥き出して喧嘩を売るというのなら——)


    ◆


 「——殺してやるよ。」


 (——殺してやろう。)


 遠く離れた二つの地点で、殺意と殺意が交錯した。

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