第-1話 捕食・破創
(今にして思えば。異世界転移を確信した時点で勘ぐるべきだったな)
シュウは倒れた体躯を立て直すフェンリルを見つめながら思う。
佇むシュウに向かいフェンリルが駆けた。
その隻眼には紛れもなく怒りの色が浮かんでいる。
彼我の距離は10m足らず。その距離を刹那の内に詰め切り、シュウを自らの間合いの中に捉え——
(チート能力。逸脱の力。まぁある種のお約束っちゃあお約束だが、いざ自分が振るうとなると——)
「——手に余るな。」
音もなく背中から触手がさらに生える。
しかしそれは左肩から生える手足よりなお太い三本のものとは違い、せいぜいロープ程の太さしかない。
――それで、十分だった。
振るわれる左前足をしなる一閃で迎撃、弾き飛ばし、続けて物理を無視した軌道で滑り込む右前足も迎撃。
続けざまの咬合の一撃が繰り出されるより先に顎先を強打。一瞬宙に浮いた体に二本同時に叩き込み、怯んだ所を素早く締め上げ振り子の勢いで投げ飛ばす。
(逃がさない。)
冗談みたいな勢いで吹き飛ぶフェンリルに触手を飛ばして再拘束し、ワイヤーのように素早く巻き取る。
一度離れた敵の体躯が再びシュウの方へリターンバック。
「ラアッ!」
隙だらけの体に、三本。
今度は太い本体での一撃を叩き込む。
ドゴン、と重量のある音。
衝突の衝撃波に耐えかね、周囲にある木がべきべきとへし折れる。
足元をくらつかせながらもなお立ち上がってきたフェンリルと触手で打ち合いながらもシュウは脳のもう半分のリソースで思索を回す。
左手に生えた自らの異形を認識した瞬間、シュウは自らに宿った力が何であるかを把握した。把握というよりは、脳内に情報の渦が流れ込んできたという方が正しいかもしれない。
その力を概して言うのであれば、<補食>。消化によるエネルギー補給効率の異常促進と、摂取した生命体の能力の限定的再現及びそれに伴う肉体形状の再編。料理人が『喰らう』事に纏わる能力を手に入れるとは、これは皮肉が偶然か。
しかし、シュウはここに降り立って以降、触手状生命は愚か一切の食物を口にしていない。ならば振るわれるこれは一体何なのか。
それの答えもシュウは朧げに得ていた。
(圧縮筋繊維で構成された体外露出型消化臓器……まぁ捕食器官ってところか)
要はおまけ。捕食による模倣という能力の本質を補助、補佐するためだけの力。
しかし、おまけと呼ぶには、あまりにも――
叩きつけられる左前足を拘束。ぐいと引っ張ってバランスを崩す。無防備を晒す巨体。シュウの口角がにいっと上がる。
次の瞬間、大小二種類の触手が次々とフェンリルに叩き込まれた。繰り返し、繰り返し。
最早眼で捉えようとすることすら、振るわれる攻撃を数えようとすることすらバカバカしく感じるほどの猛打。
一打、一撃ごとに空気が震え、空間が響く。
ラッシュの最終段、すくい上げるかのような一撃が突き刺さった。
上に吹き飛ぶ敵を追いかけ、ワイヤーアクションの要領で枝を掴んでシュウも高空に舞い上がる。
「落ちろ。」
ガゴォン!
重力を加味した上空からの一撃がフェンリルをハエのように叩き落とす。
着地点――否、着弾点は大きく抉れ、小規模のクレーターのような様相を呈していた。
――あまりにも。
――あまりにも、圧倒的。
地面に落ちたフェンリルを追いかけてシュウも着地する。
「――まだ立つかよ。」
クレーターの中心点、落ちくぼみ激しくひび割れた地面の底から、四つ足の獣がよろりと立ち上がった。
流石にラッシュは応えたのか、動きの各所にダメージが見られるものの、致命的な程ではない。
(包丁やらあの兵士達の獲物を一切通さなかった時点で表皮の防御力は生半じゃないとは思っていたが、流石に想定外だなこれは……
パワーでもスピードでも勝ってる相手だ、戦う分には問題ない……だが、かと言ってそのまま殺せるわけでもない。絶対に負けないが勝てない……千日手か。
壊せないこともないだろうが、時間がかかり過ぎる……)
ジクリ、と鈍痛。
(チッ……やっぱり長くは持たないな……所詮応急処置、当然か……ッ!)
シュウの腹部の傷痍には触手と同質の肉塊が埋め込まれ、模型に用いるエボパテのように傷口を塞いでいる。
これにより出血を止め、行動不能の重症から戦闘可能なまでに回復させたがあくまで即興、長時間の戦闘機動には耐えられず血が滲む。
バックステップで絶命域から離脱。
いい加減慣れてきた攻撃を弾きつつ、戦術を組み立てる。
(外から命に手がかからないなら、体の内側から壊すのがベター……実際片目潰せてる以上、効かないってことはないだろ。だがこの打ち合いの中でどうやってそこを狙う……!?)
実際、幾度となく間隙をついて、眼、鼻、口などへ触手を飛ばしているのだが、先ほどの攻防でフェンリルの警戒心が上がったのか、それらは避けられ、内部に侵入することが叶わない。
「チッ……!」
舌打ちが漏れた、瞬間。
ドゴォン!
腹の底まで震える様な地響き。胃の腑の裏側がビリビリと痙攣するかのような重低音。踏みしめているはずの大地が揺らぐ。
姿勢を保つことが出来ず、両者ともたたらを踏んだ。
「──ッ!なんだ!?」
乱れた体勢の中、現状を把握しようと目を見開いたシュウが目にしたのは、
大きくうねり、歪んだ、地面だった。
人間の力は愚か、天然自然の力を以てしても不可能と断じることができる、広範囲強力かつ繊細な変形。
地図の書き直しを要求するほどの地形変更であるが、その範囲には一切の地割れもない。
「なんか出来た……!?」
響くは成した偉業に似つかわしくない少女の素っ頓狂な声。
木に寄りかかり、動けないままのハルカ。
<
「体が触れた」物を一度破壊、後再構築する能力。
「体が触れた」の解釈――すなわち能力の効果範囲や発動条件――は使用者の思考、イメージ次第であり、更に現状、この能力で変形不可能な物はこの世界に存在しない。
――万物は流転する。例外はない。
知恵持たぬ巨狼は勿論、目の前で戦闘を行うシュウや、果てはこの能力に覚醒した直後の本人すら把握していないが、世界の理を単純明確に押し付ける、ハルカの能力である。
「ハルカ!それもっかいできるか!?」
「えっ!?たぶんいける!」
「
「分かった!」
再び地響き。
音を立てて、世界が変わる。
全ては少女の意思のままに。
地はその巨躯を繋ぎ止める巨大なトラバサミに変わり四肢を拘束。森林を構成する草木は刺股のような形状に変わり、敵の首根っこを抑え込む。
それは恐怖か敵意か。
咆哮が再び森林に響き渡る。
「――ッ!」
その中をシュウは駆ける。
睨み据える隻眼の眼光に歪めた口の端で応えながら。
「――行けッ!」
前に突き出される掌の動きに合わせて、背中に背負う触手がその大小を問わずに射出される。
怖気をふるうような湿った音と共に空間を飛翔するグロテスクな捕食器官は、遺されたもう一つの眼球を破壊し、耳孔、口腔、鼻孔から体内に侵入。
「味はどうだ?まぁ美味くはねぇだろうな。
――存分に
握りしめられたシュウの中指がパキリと鳴った。
――蠢動。
質量を伴った肉塊が、狼の内側で荒れ狂う。
甲状腺、内頚動脈、総頸動脈、気管、食道、上大静脈、上行大動脈、大動脈弓を乱雑に引きちぎる。
続けて右肺、左肺から始まって、肺動脈、上行横隔膜、下行横隔膜、第一肝臓並びに第二肝臓、胆嚢、第一から第四腎臓、副腎、下大動脈、腹部大動脈をグチャグチャにかき回す。
さらに、第一から第三胃、上行結腸、横行結腸、下行結腸、十二指腸、空腸、回腸、盲腸、S状結腸、膵臓、膀胱までを破壊。
最後に、他臓器と比べて一際大きな心臓を、出来損ないの折り紙細工のように握り潰した。
巨躯が揺らぐ。
体機能の大半を喪失したフェンリルはもはや直立すらままならない。
体の各所から洪水めいて溢れ出る夥しい量の血液で、白い体毛を汚しながら。
ズシリと、倒れ伏した。
その体に、命の灯は、もう無い。
◆
シュウとハルカによるフェンリルの殺害と同時刻。
座標不明。どことも知れぬ暗闇の中にその男はいた。
泰然と、悠然と、そして或いは凛然と。余裕に満ちた態度で、椅子に腰かけている。
その表情は暗闇の中に呑まれている——否、暗闇そのものにその体を変えているため、余人に伺い知ることはできない。
「……ン」
何かを感じ取ったのか、吐息が彼の口から漏れる。
男の名はエルキガンド。
約■■■年前、この地に絶大なる動乱を巻き起こした■■戦争において■を殺し、■■・■■を握する者。
それ以来、滅びすらも知らず、幾何の時が流れようとも支配者として玉座に在り続ける怪物。
この御世に置ける紛うことなき超越者。
男は、『魔王』である。
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