テオドール・フライフォーゲル〜神の剣と破魔の御子〜

風詠溜歌(かざよみるぅか)

第1章 現出せし運命

はじまり

 かつて世界には、闇より出し悪きものがいた。人々は幾度も戦いを繰り返し、そのたびにそれは封じられ、復活し、数多の血が流れた。これは、永遠に続いていく輪廻の歴史の一片である──。 




***




 太陽の光は街を照らして輝いている。頬を撫でる風は温かく心地いい。

 ある者はパンを売り、ある者は肉を買い、ある者は洗濯をし、またある者は料理をする。そうして街の人々はせわしなく生活を続けている。

 そんな何でもない日常の一片。黒いフードを被った少女は立ち止まった連れの青年に気づいて振り返った。彼女の長い睫毛が上下に動くとその紫色に煌めく宝石のような瞳が金髪の青年を覗き込む。

「テオ。……テオお兄ちゃん。なにぼーっとしてるの?」

「いや、なんでもないよ、エリー」

 転がる鈴の音のような声にハッとしたテオは、覗き込む妹に微笑む。

 テオの視線の先には城の兵士たちがいた。なにやら険悪な雰囲気の彼らの存在をテオは妹のエリーに教えるつもりはないのだ。

 なるべく平穏でないものは見せたくない、そう思っていた。

 彼は妹の肩を優しく押して先を歩くことを促した。彼女は不思議そうに兄を見遣ったがすぐに好きなものを見つけてその店に駆け寄った。

「お兄ちゃん! あのお花、とっても綺麗!」

 そう言って振り向いた彼女の表情こそ、大輪の花が咲いたような美しさで、その可憐さに兄はまた微笑んだ。少女が指差した白い薔薇は彼女によく似合いそうで、テオは店主に声をかける。

「おじさん、それ五本もらえる?」

「え、いいの?」

「たまにはね、今日はエリーの誕生日だし」

 テオはそう言うと店主に言われた額の小銭を渡す。エリーは受け取った花束を見て顔を綻ばせた。

「おじさん、なんか多くない?」

「いいのいいの、嬢ちゃんの顔。なんだか優しかった亡き王妃様を思い出してな。おまけだ! ちゃんと世話するんだぞ!」

「わぁ、ありがとうおじさま!」

 エリーはまた微笑み、店主もつられて笑顔になった。店を離れてもエリーはご機嫌だ。

 彼女の笑顔はこちらまで元気になる。テオにとって、エリーの笑顔こそが守るべき全てだった。

 前を歩く少女はずっと笑顔だ。あれも素敵、これも素敵と街にあるもの全てを新鮮そうに眺める彼女は今日初めてこの街に来た。

 いつもならテオが一人で買い出しに来るが、彼女ももう十八歳。成人の誕生日なのだからどうしてもと懇願する妹に根負けしてしまったのだ。

 テオはふと、道端の石につまづいて転んでしまった少女に気がついた。彼は急いで少女に近寄ると助け起こす。

「君、大丈夫?」

 少女は泣いていて、見ると膝を擦りむいて怪我をしていた。テオは首に巻いていたスカーフをちぎると少女の傷に巻いていく。

「よし、これで大丈夫! 立てる?」

 少女はゆっくり立ち上がったが、まだ泣き止んではいなかった。

 いつのまにかテオの横に並んだエリーは持っていた花束から一本薔薇を分けると少女に手渡す。すると少女の表情はパァッと輝き、その涙はいつのまにか止まっていた。

「ありがとう、お姉ちゃん、お兄ちゃん!」

 少女は元気に駆けて行く。それをテオは優しく見守り、エリーは微笑んで見送った。

「エリー、そろそろ帰ろうか。暗くなってしまうとよくないし」

「うん……あれ?」

 兄に促された妹は何かに気がつくと足を止める。

「お兄ちゃん、あれは?」

「あ……あれはお城で働いている兵士さんたちだよ」

 少女の目線の先にいたのは先ほど何やら揉めていた兵士たちだった。彼らはなぜかこちらに向かってきて、気づいたテオはエリーの腕を掴むと踵を返した。引っ張られた少女はお兄ちゃん? と、首を傾げる。


「おい、お前ら。止まれ」

 兵士たちの声がかかる。テオは止まろうとしないが、エリーは立ち止まった。

 三人の兵士は皆武装している。背の小さい男と、魔道士の格好をした少女、そして髭を生やした司令塔のような男の顔には大きな傷が一筋入っていた。

 エリーが止まったならテオも歩みを止めずにはいられない。彼は振り向いて少女の前に歩み出る。

「なんでしょう、兵士さん」

 テオの顔には冷や汗が浮いている。エリーと繋いだ手が少し震えていた。

「用があるのはお前ではない。そっちの女だ」

「彼女は僕の妹です。ただの街娘に何か……」

「いいから顔を見せろ!」

 傷の男は勢いよくテオを突き飛ばし、後ろにいたエリーは驚いてテオを支えた。男は彼女のフードを乱暴に引っ剥がし、その姿を露わにする。

 現れた少女の髪は月光のように煌めく銀色だ。まるで宝石のように煌めくそれをみて男の口の端が引かれる。醜悪な笑い声が漏れた。

「はは……ははははは! ついに見つけたぞ! ようやく……ようやくこの時が来た!」

 男は歓喜に震えて、そしてなぜかテオを見ていた。

「これでようやく、ようやく……!」

 男が手を伸ばそうとしたその寸前、テオがエリーの手を取って走り出した。半ば引きずられるように彼女も走り出す。

「追え! 奴らが目標だ!」

 雑踏の中を縫っていく彼らを兵士たちが追いかけていく。魔道士の少女が捕縛の魔法を放ち、エリーが足を取られて転がった。

「エリー! ……塵芥よ、我に力を!」

 テオが叫ぶと地面から土煙が上がった。街の住人達の混乱の声が聞こえる。その隙にテオはエリーにかかった捕縛の魔法を解く。不安そうな顔をしたエリーはゆっくりと立ち上がった。

「お兄ちゃん、なんであの人たち、私を……」

「……俺にもわからない。でもとにかく、逃げるよ!」

 そうしてまた二人は走り出した。しかし、追手の手は緩まらない。土煙の魔法も反対呪文でかき消され、いつのまにか傷の男が近づいてきていた。

 背後からの殺気に気づいてテオは腰に下げていた短剣を抜き、エリーは悲鳴を上げる。響く金属の音。

「国家の安全を守るのが兵士の役目じゃないのか!」

「国家の敵を消すのも兵士の仕事ってね?」

 テオに切り掛かったのは背の低い男で、彼は一度長剣を引くと再び振り下ろした。テオは勢いよくそれを弾く。

「塵芥よ!」

 再び土煙が舞い上がり雑踏は混乱に陥る。それを利用してテオとエリーは奥まった通路へと逃げ込んだのだった。




「……はぁ、はぁ。エリー、怪我はしてない?」

「うん……お兄ちゃんが守ってくれたから……お兄ちゃん、血!」

 テオの腕からは鮮血が流れていた。先ほど斬りかかられた時に掠っていたのだ。

「こんなの大丈夫。それより早く……」

「だめ!」

 エリーはテオの怪我に自分の手をかざすと俯いた。長いまつ毛が伏せられ、凛とした声が呪文を唱える。

「命の輝きよ。我が生命力を用い、流れる血を止めたまえ」

 暖かい陽の色の光がエリーの手から迸る。それは傷を癒す魔法だ。テオの傷はゆっくりと塞がっていき、やがてその血は止まった。しかしエリーは魔法を使った疲労か、その場に座り込んでしまった。

「エリー……とにかく、早く帰ろう。ここにいちゃ危ない」

「でも、あの人、私のこと知ってるみたいだった。変だよ、会ったこともないのに」

「勘違いだよ。エリーのことを知ってるはずがない」

 言い切ったテオの言葉は断定的で、そうではないとは言わせない雰囲気を伴っていた。エリーは普段優しい兄が初めて見せた表情に戸惑う。

「でも、お兄ちゃん……」

「見つけたぞ! こっちだ!」

 先ほどの背の低い男の声だ。追手はすぐそばまで迫っていた。

「エリー、早く!」

 エリーに伸ばされたテオの腕、彼女はその手を取ろうか取らまいか迷っていた。そのうちに声の主は二人が逃げ込んだ路地へと辿り着く。

「こんな狭い場所に逃げ込むなんて、都合が良いね」

「民間人に当たると困っちゃうもんね」

 魔導士の少女は弓を携えていて、その矢には魔力がこもっているようだった。狙いを定めようとするそれをみてテオはエリーを反対側へと走らせる。

「塵芥よ!」

 テオが振り返りざまに放った魔法はすぐにかき消されたがそれでも時間を稼ぐには十分だった。しかし、テオは振り向いて走り出そうとした瞬間、立ち尽くしたエリーにぶつかりそうになって急停止した。

 彼女の目線の先には傷の男がいた。そしてその腕の中には見覚えのある少女がいた。先ほど転んだのを助けた少女だ。彼女は怯えた顔をしてテオ達を見つめている。

「この子供の命と交換だ。大人しく拘束されろ」

「お前!」

 テオが叫ぶと男は卑劣な笑いを浮かべた。人質を取られた上に挟み撃ちにされては逃げ場はない。彼にはこの状況を打開するような閃きは降りてこなかった。

 どうする。どうしたら。テオにはエリーを差し出すと言う選択肢はなかった。だからといってあの少女を犠牲にすることはできない。彼が傷口に結えたスカーフが目に入って、怒りが湧いてくる。

 緊張が走る状況の中、動いたのはエリーだった。星屑のように煌めく銀髪の彼女はゆっくりと前に進む、彼女の目はまっすぐで、毅然としていた。

「わかった。私がそっちに行きます」

「エリー!」

 テオは彼女の腕を掴もうとしたがその手は彼女によって振り解かれた。彼女の後ろ姿はテオが知っているそれではなかった。

 テオが恐れていたことが今、起きようとしていた。彼女が遠くに行ってしまう。守るべき存在の彼女が。

「それでいい。おかえりなさいませ、エルネスティーネ王女。死に損ないの愚かな小娘よ」

 傷の男はそう言うと恭しく礼をした。しかし彼の瞳に宿るのは紛れもない敵意だ。エリーは立ち止まると驚愕の声を上げる。

「待って、王女?」

「自分のこともわからないのか?」

「いいえわかる。私はエリー。ただのエリーよ」

「くっ……ははっははははは! なるほどな、記憶を封印されているわけだ。お前は知っているのだろう。今までずっと隠していたのか?」

 エリーは目を見開くとテオを振り返ると。彼女の瞳の中のテオの姿は揺れていて、今にも溢れてしまいそうなほど涙で潤んでいる。

「違う、違うんだエリー。俺はずっと……!」

「よかろう、解いてやる。お前が何故死ななければいけないのか、理解する時間ぐらい与えてやろう! 魂に刻まれし記憶よ、この者の出自の記憶を閉ざされし魂の檻から解放せよ、全ての記憶はこの者の所有物となる。出でよ!」

「っ……やめろ!」

 男の詠唱は流れるようだった。テオが邪魔をするために魔法を放とうと伸ばした手を止めたのはエリーだった。男が放った魔法は青色の流線となり、彼女の周りを渦巻いた。

 彼女にその全てが取り込まれると、次の瞬間青色の光が放たれ、路地裏にいた皆がその光に取り込まれたのだった──。

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