第20話 柊木ミルカと柊木ハルカ4

 



 マフラーをみ始めてから、ハルカの病状は急激に悪化していった。


 手芸は思っていたよりかなり体力を使うみたいだ。私は今すぐマフラーをむのをやめるよう説得したけど、聞き入れてはくれなかった。


 ハルカはどうしても、この編みかけのマフラーを完成させたいらしい。


「病気が進行してるのはいつものことじゃん。手芸は関係ないよ」


 口ではそう言っても体は正直者で、病状悪化による弊害が顕著に現れた。異形化の際に起こる痛みがさらに頻繁するようになり、首から下のほとんどが変色を遂げて異形化していった。


 手に力が入らないのか、何度も棒針編ぼうばりあみを落として指を怪我けがしていた。


 それでもハルカは平気そうな顔をして、マフラーを編み続けた。


 日に日にハルカの笑顔や口数が減っていく中で、私はただ見守り続けることに徹した。ハルカのやりたいことを思う存分やらせて見守ることが、姉である私の役目だからだ。


 そして、苦しい日々を過ごすこと約二週間。ようやくマフラーが完成した。


「一週間あればできたはずなんだけどね。倍以上かかっちゃった」


 完成したマフラーをかかげて、ハルカは恥ずかしそうに呟いた。私は感極まって、涙ぐみながらマフラーをかかげるハルカの手を握った。


「すごい。すごいよハルちゃん!」


語彙力ごいりょく無くなってるよお姉ちゃん。はしゃぎすぎ」


「めちゃくちゃ綺麗にできてる。さすがハルちゃんだよ!」


「えへへ、そうかな。それは、よか……ゲホッ、ゲホ……ッ」


「ハルちゃんっ!」


 マフラーを地面に落として、ハルカが呼吸もままならないくらいに激しくき込み出した。


 私が背中をさすろうとすると、ハルカは息を荒くして私の二の腕をつかんでり寄ってきた。血色のない青ざめた顔を歪めながら、私と見つめ合う。


「お姉ちゃん、もう一つ、お願い聞いてもらってもいいかな」


「なに?」


「第四地区にね、すごく綺麗な花がいっぱいの庭園があるんだって。第四部隊の隊長さんがお花好きで、町中に花を植えてるんだって、ミナトさんが教えてくれたの」


「そうなんだ」


「私、第五地区の景色しか見たことないから、どんなのか見てみたい。だから、連れて行って欲しい」


「でも.....」


 今のハルカの体調は明らかに外出できる状態じゃない。それに病院の外は危険だ。第六地区ほど荒れてはいないだろうけれど、行ったこともない未知の場所にハルカを連れては行けない。


「お願い。どうしても見たいの。お姉ちゃんと、二人で」


 必死に、すがるように、辛そうな目で、ハルカが私の服を引っ張りながら懇願こんがんしてくる。


 本気で第四区にある花畑を見に行きたいらしい。ハルカにはやりたいことをやらせてあげたいし、私にできることがあるならしてあげたい。でも、もし万が一のことがあったらと考えると躊躇ちゅうちょしてしまう。


 迷う私に、ハルカが「お願い、お願い」と何度も懇願こんがんしてくる。その弱々しい声に負けて、私は決断した。


「分かった、行こう」


 私は服を引っ張るハルカの手を握って微笑ほほえむと、さっそく行動に出た。


 病院の職員に事情を伏せて第四地区の行き方をたずねてみる。


 第四地区は第五地区と第六地区の二つの地区と隣接りんせつしており、此処からだと十分ほどかけてまっすぐに歩けば最短で着くことを教えてもらった。


 消灯しょうとう時間になると、私はハルカを背負ってこっそりと病院から抜け出した。


 ほとんどの筋肉を動かせなくなっていたハルカの体は想像以上に重たくて、気を抜くと転倒してしまいそうになる。


 ハルカの足に生えたとげに気をつけながら両手で支えて、あせらずゆっくりと第四地区へと向かった。十分と言っていたけど、この状況だと倍以上かかりそうだ。


 ハルカは相当疲れているのか、私の肩に顔を伏せながら荒い吐息といきを繰り返していた。


「ねえお姉ちゃん、あとどれくらいで着く?」


「もうすぐだよ。絶対に見せてあげるから、それまで寝てていいよ」


「ありがとう。でも寝たくない」


「そうなんだ。じゃあ、お話しする?」


「うん、聞かせて。お姉ちゃんの声」


「そーだなあ。あ、この前毛糸を買いに行った時の話なんだけどさ。毛糸をゆずってくれた赤松さんが隣の店の人と喧嘩中らしくてさ、色々愚痴ぐちを聞かされたんだけど」


「うん」


「その喧嘩の内容が完全に痴話ちわ喧嘩でさ。もしかして恋愛的な付き合いなんじゃないかと思ったんだけど、赤松さんは本気で怒ってたから中々聞き出せなくてさ」


「うん……」


 私が一方的に話して、ハルカが時折相槌あいづちを打つ。そんなこと繰り返しをしているうちに、段々とハルカの相槌あいづちが聞こえなくなっていった。


 私は不安になって、後ろを振り返れずに話しかける。


「ハルちゃん、起きてる? もうすぐ着くよ」


「……」


「ハルちゃん?」


「......うぁ」


「......ハル────」


「うあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 突然ハルカが大声をあげて、私の背中で暴れ始めた。私を突き飛ばして地面に転がり落ちると、ハルカはその場をいずり回った。突き飛ばされた勢いで前のめりに倒れた私は、すぐさま起き上がってハルカの元に駆け寄った。


「ハルちゃん、ハルちゃん!」


 最初はいつもの異形化の痛みが来たのかと思ったけれど、ハルカの顔を見て異変に気付いた。


 ハルカの全身が赤黒に色濃く染まり、四肢ししが本人の意思を無視してあらぬ方向に折れ曲がり始める。


 体の内側を食い破るように大量のとげが出現して、ハルカの華奢きゃしゃな体が徐々に巨大化していく。


 私はこの現象を知っている。だって、何度も目の前で見たことがあるから。これは、末期症状に至る前触れだった。


「そんな、ハルちゃん。やだ、やだよ。ハルちゃん……待って」


 私がハルカの手を掴もうとした、その時だった。物凄い風圧が私を襲い、吹き飛ばされた。地面を二転三転と転がった私は、全身に打撲だぼくの痛みを味わって土まみれになった。


「ハル、ちゃん」


 歯を食いしばりながら体を起き上がらせて、ハルカが倒れていた方向を見つめる。


 だけどそこに、私の知っているハルカはいなかった。代わりに、全身をとげに覆われた赤黒い四足歩行のバケモノが立っていた。ハルカが末期症状へと至り、完全なるバケモノになったのだ。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 

 全長十メートルくらいのバケモノとなったハルカが、真っ赤に充血した目で周囲を見渡す。大きな牙をいてよだれを垂らしながら、四足の爪で地面を踏み荒らした。


 私は変わり果てたハルカを見上げて、呆然ぼうぜんとその場に立ち尽くした。現実を受け止めきれなくて、頭がり切れそうになる。バケモノは低い声音でヒューヒューと鳴き声を発すると、見た目に反して身軽な四つの足で移動を始めた。


 末期症状のバケモノは人を無差別に襲い暴れ回る。それは、私が何度も見てきた光景だ。


 土埃つちぼこりで私の姿が見えなかったのか、さいわい私がバケモノに襲われることはなかった。代わりに、別の人達が獲物としてバケモノに狙われることとなる。


 今私達がいる場所は第四地区と第五地区の中継地点。


 外に人が出歩くことのない第五地区と違って、第四地区や隣町の第六地区には人が密集みっしゅうしている。バケモノはそこに居る人々を本能的に襲おうとしているのだと私は理解してしまった。


「まずい。だめだよ、ハルちゃん。人を襲っちゃ……だめっ」


 私が手を伸ばして叫んでも、バケモノとなったハルカの耳には届かなかった。四つの足を駆使して高速で動き回り、赤黒い背中が私の目の前からみるみる遠ざかっていく。


 ショックのせいか、遠ざかっていくバケモノの姿が二つに分かれて見えてきた。幻覚げんかくだろうと目を擦って、もう一度その姿を視認する。


 けれどまた、同じバケモノが分身のように分かれて見えた。それどころか、二つになったバケモノの姿が今度は三つに分かれて見えた。そこで私はこの現象が幻覚じゃないことに気付く。


 これは恐らくハルカの能力。バケモノとなったハルカは能力を使って自分の分身を作り、一気に人を襲うつもりなんだ。


 このままじゃ、沢山の人が襲われて命を落とす。どうにかしてハルカを止めなくちゃいけない。今あのバケモノの存在を知っているのは私一人だけ。


 私だけが現状、ハルカをどうにかできる。でも非力な私が無謀むぼうに立ち向かったところで、返り討ちにって殺されるだけだ。


 私ではあのバケモノを止めることなんかできない。此処で何もせずじっとしているのが安全だ。


 バケモノとなったハルカは疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだんのみんなが倒してくれる。


 彼等が駆け付けるまでに多少の犠牲は出るだろうけど、仕方ない。私が立ち向かっても犠牲が一人増えるだけ。


 私は何もしなくていい。分かってる……。


 分かってるはずなのに。私は、正解と真反対の行動を取っていた。


 打撲で痛みの走る足で、全速力で遠ざかるバケモノを追いかける。埋まることのないバケモノとの距離に、必死に追いつこうとひた走った。


 やらなきゃ、らなきゃ、殺さなきゃ。


 私が、殺さなきゃ。


 ハルカに人を、殺させちゃいけない。


 お姉ちゃんの私が止めるんだ。私がハルカを殺すんだ。


 そう決意して、私は必死に走った。力も知恵もない。あんなバケモノに敵うはずないと頭では分かっているのに、体が勝手に動いていた。


 だけど四足歩行の巨体を持つバケモノに追いつけるはずもなく、あっという間に距離を離されてしまい、やがて後ろ姿すら見えなくなくなる。


「待って!」


 悪あがきで叫び、遠くへ行ってしまったハルカに手を伸ばした、その時だった。


 私の左半身が、真っ白に染まり始めた。


 それは、異形化とも少し違う。私の異形化は脇腹にかけて皮膚が青白く変色するものだ。でも今私の身に起きている現象は、そんなものと比べ物にならない異次元な何かだった。


 私は真っ白な光を左半身にまとい、体中から信じられないくらいの力をみなぎらせていった。地面を駆け抜ける速度が増していき、ハルカとの距離を急激に縮めていく。


 体が軽い。地面をると私の体は宙を舞い、十メートルの巨体の背中を見下ろせるくらいに飛び上がっていた。


 とげのある赤黒い背中を見下ろして、私は体中にみなぎる力の正体を知覚ちかくする。


 私は、能力に目覚めたんだ。この白い光は、私の能力が生み出したものなんだろう。どうしてこのタイミングで目覚めたんだろうか。


 分からない。考えるのは、後回しにしよう。今は他にやるべきことがある。


 私は赤黒い背中の上に飛び移ると、引きがされないよう背中に生えたとげに捕まった。


 流石に私の存在に気付いたようで、ハルカは私を振り払おうと暴れ回り始める。


 周りにある建物に背を向けて、そこに激突して私を圧死させようとしてくる。そうなる前に、私は真っ白なオーラをまとう左手の先から長い刀身を持つ刀を生み出した。


 これが、私の能力。


 さっき目覚めたばかりだから使い方なんて分からないはずなのに、私は本能的にそれを行使することができた。


 それは、実体のない刀。


 真っ白な光によって生み出された、さやのない刀だった。その刀の形状は心なしか、ミナトが持っている刀とよく似ている。


 頭がふわふわする。気分が心地良い。今なら、なんでもできる気がする。


 私は左手に持った刀を、ハルカの背中に突き刺した。実体のない刀はハルカの巨体を通り抜けて、血を一滴いってきも流さずに体の奥深くへともぐっていく。


 そして、私はミナトの真似をしてこうとなえた。


「〈能力半回のうりょくはんかい〉」


 その瞬間、私の目の前が真っ白に染まった。

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