俺と彼女はドッペルゲンガー...たぶん
あちゅ
プロローグ
ドッペルゲンガーというのを知っているだろうか
ドッペルゲンガーは世間一般では、自分の姿を自分で見るという現象の事をさし、「自己像幻視」とも呼ばれている
この現象では、色々な特徴が知られている。例えば、本人に関係のある場所に出現するであったり、有名な話で言うと、ドッペルゲンガーに遭遇すると、どちらかが死んでしまうという物だ
ただ、俺は初めの特徴については同意をするけど、後半については嘘だと思っている
大体、自分の姿を見たら自分が死ぬってどういう原理だよ。こちとら自分の姿なんか鏡で毎日嫌というほど見ているというのに死んでいないじゃないか
自分と全く同じ他人を見ると、それに対して酷い恐怖心を抱いてパニックを起こして死んでしまうという話も聞いたことがあるが、それもいまいち共感できない
というか、俺が思うドッペルゲンガーというのは、自分と真逆の性質を持った人間じゃないだろうか
人間だれしも、自己嫌悪という感情は持っているものだ、自分のこういうところが嫌いだ、自分の顔が嫌いだ、自分のこの考え方が嫌いだ
そんな誰しもが感じたことがある感情というのは、基本的に理想があるから生まれるのだ
どうして俺は〇〇みたいに愛想良くできないのだろうか、どうして俺は〇〇みたいに頭が良くないんだろうか、どうして俺は―
という感じで理想と自分との違いにひどくコンプレックスを持っているからこそ、自分の嫌いな部分が見えてくるのだ
だが、俺からすれば、「そんなくだらない感情はさっさと捨てちまえ」だ
理想と違う?そんなの当り前だろ。だから理想なんだ
理想というのは前提として、自分の望む姿だ、自分がなりたいものになっていたらそれは理想ではないじゃないか
理想はこれ、だけど、それはそれとして今の自分はこれなんだと、どうして胸を張ってあげれないんだ?
自分で自分の事を認めてあげないと、それはこの世の誰からも認められないという思考に陥ることもある
まぁ、そんな簡単に割り切れる奴は最初からコンプレックスなんて持たないが―
人間というのは本当に複雑な生き物だ
俺だって、こんな理想論を語っているけど、実際にはコンプレックスを抱えているし、自分の理想そのものみたいな人間が目の前を闊歩しているような現実だ
だからこそ、これまでの過去でも自分に絶望をしたこともあるし、理想に近づこうと必死こいて努力をしたこともあったが、結果は散々だった
努力をしても理想に近づくことはできないし、絶望をしても絶望をもたらす元凶が目の前を歩ているのだから一種の地獄のようなものだ
じゃあ結局どうすればいいのだろうか?
簡単だ、全て諦めてあこがれの感情を持つだけにすればいい
だからこそ、俺、
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