不幸蒐集人間。

テタンレール

第一話、若しくは零話『微睡淀という非行少女との巡り合い』

001



 登校中、アスファルトの歩道に倒れている人を見つけた。

 新鮮な光景だった。

 バーエンドバーに体重を任せ、いつものように歩道を高速で走っていたら、数メートル先の地面に【何か】が見えたのだ。最初は陽炎かと思ったが違う。

 その【何か】を僕が【人】だと理解するまで、そこまでの時間は必要なかった。

 新鮮で当然だ。現代の日本で道端に倒れたことのある人はなかなかいない。躓いて転ぶことだって少ないだろう。当然僕にもそんな経験はなかった。

「――大丈夫ですか?」

 僕はサドルを身長の割にオーバーに上げたクロスバイクから降り、スタンドを立て、うつ伏せの体勢で突っ伏したその人に声をかけてみた。

 今更だが倒れていたのはスーツを着た女性である。十人にOLの絵を描かせたら、全員がこの人の絵を書く――そんな見た目だ。顔を覗いてみると随分と顔色が悪いが、きめ細やかな肌や艶のある綺麗な黒髪を見ると二十代だと思われる。若いのだが、若さ特有の青々しい感じは一切と言って良いほどなかった。

 そんな分析をしている間も、返事がない。しかし、ただの屍ではないので放置しては置けまい。

 そういえば、脈があるか確認していなかったなと、俺はティファニーの銀の腕時計がついた右手を取った。時計に目立った傷はない。

 これでもし、脈がなかったら『あなたは救急車を!』とか『あなたはAEDを!』なんて、柄にもなく大声で初対面の人に懇願を強いられるのかと思うと少し憂鬱な気分にもなったが、やらないわけにもいかない。

 とくとくとくとく。

 脈も息もあったのでAEDは不要だった。

 「大丈夫ですかー」と、何度か肩を叩いていたらOLさんはゲホゲホと咳き込みながら重たそうな上半身を起こした。

 見ているこっちが怠くなりそうな顔で僕を見つめるOLさん。

 よかった、命に別状がなくて。

「あ、起きた。大丈夫ですか?」

 かしこまりすぎてもあれなので、僕は崩した敬語で話しかける。

「――あ、ありがとうございます。えっと、あ、今何時ですか」

 寝ぼけ眼をあちらこちらに泳がせながら僕に聞いてきた。なかなかいい声なのだが、大人が高校生にオドオドしながらお礼を言うのは、なんとも言えないかっこ悪さがある。僕の顧問とは真逆タイプか。

 僕はまだ掴んだままでいたOLさんの腕に巻かれたティファニーの腕時計で時間を確認した。

 午前八時二十六分。

「八時半ですね」

「八時半――、八時!?――七時半じゃなくて」

「八時二十六分です。あ、今二十七分になりました」

 女性は僕に掴まれたままの時計を凝視し、現実逃避を続けている。それはひどく惨めだった。笑わないが。

「何時に家を出たんですか?」

 沈黙が続いても何も進展しない、どころかこの人の場合は事態を悪化させそうな予感があったので僕は適当に思いついたことを聞いてみた。

「――七時半」

 ボソリと呟くOLさん。

 やはり惨めだった。

「現実見ましょう。後ろ乗ってきます?」

 僕は自分のクロスバイクを指差し提案してみた。

「いやいや、カゴも荷台も、泥除けもないじゃないですか。現実見ましょうよ」

 ツッコミ能力は健在のようだ。

 あーそうだった。僕の自転車は二人乗り用ではなかったのだった。いや気づいていたのだが――ていうかただのボケだった。

 しかし、そういえば僕は二人乗りをしている人を見たことが一度もない。あれは漫画やドラマの世界の話だったようだ。

 そもそも今の時代、あれをテレビで放映するのだって一悶着あるのかもしれない。輝かしい夢の青春の一ページを、時代に破かれる感覚。ビリリと音が聞こえた気がする。

「じゃあ貸しますよ。僕は学校すぐそこなので、では」

 僕のクロスバイクも、授業も真面目に受けずに、ただ決められた時間決められた場所に座りに行く僕より、今日も今日とて社会のために働くOLさんに跨られるほうを望むだろう。一般的な人間はそうだろうから、おそらくクロスバイクもそうだと思う。

「え、あ、ありがとう…ございます。本当にいいんですか」

 女性はもじもじしながらも僕のクロスバイクに跨る。割と図太いのかもしれない。そもそも図太くなければ、路上で寝れない。

 かなりサドルを高く上げておいたはずなのだが両足の爪先が地面に設置している。随分とスタイルが良いようだ。非常に悔しいけれど、男の成長期は二十歳までって言うし。僕の成長期もまだ終わってない――はずだ。諦めたらそこ、試合決定で。

「ではお気をつけて」

 僕は右手を挙げて颯爽と軽やかに、学校へ向かい歩き出す。

 実に格好良い。

 困っている人がいたら助ける。それが彼女と決めた僕のルール。

 結構ギリギリになってしまうが、一限には間に合うだろう。好きじゃない科目の授業を受けに行くと考えるとどうしても足が重く感じるがしょうがない。

「あの!お名前を聞いても!」

 背後からOLさんが声を張り上げた。出し慣れていないのか、少し枯れ気味。僕はそれを惨めだとは思わない。

 あまりコミュニケーションを得意としない部類の人なのだろう。それが今、一所懸命に僕の名前を聞いているのだ。なんと素晴らしい。

 ならば応えよう。気に入らない名前だけれど。

 僕は振り返ってから生まれた時よりは少し、いや、遥かにマシになった名乗る。

「古城悲鳴」


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