九、困った男
五月に入り気温的にも冬を完全に忘れ、居心地の良さを感じるようになった。月曜日。少し雲が多いが、それでも陽光は注ぎ、地表を明るく照らしていた。晴れた朝は良い。アスファルトの上を伸び伸びと歩き、意気揚々とした気持ちで一日を始められる。
みんないつも週明けはどこか気だるげに登校してくるものだけど、今日はいつにも増してだった。理由は明らか、ゴールデンウィーク中の休みに挟まれた平日の学校だから。何だか休みなのに登校させられているみたいな気分になってしまうらしい。
学校が好きな僕はあまりそういう経験がないけどね。特に今回はこの月曜日を待ち遠しく思っていた。学校がないと、泉くんに会えないからね。
しかし肝心の泉くんは、朝の予鈴が鳴っても姿を見せない。先生がホームルームに来て、全体を見渡したあと座席表を確認して言った。
「泉がいないな。どうした? 誰か知ってるか」
誰も答えない。
「まったく。また遅刻か?」
先生は溜め息交じりにそう言った。また、ということは前にも遅刻があったんだ。そういえば泉くんが遅れてきたこと、あったな。
でももしかしたら休みかもしれない。あの体調が悪いと言っていたのは本当のことで、まだ治っていないのでは。
しかしその心配は杞憂に終わる。九時過ぎ、一時間目の真っ只中に、泉くんはがらりと扉を開けて堂々とした態度でクラスに入ってきた。
「おい、泉! お前また遅刻してるのかっ。いい加減にしろよ」
数学の授業を担当していた湯浅先生が声を荒らげて怒る。ちょっと首をひねる。川西先生が「また遅刻か」というのはわかるけど、担任でもない湯浅先生が泉くんにそう言うのは少し変ではないか。前に遅刻していたのも数学の授業中だったのだろうか。
いや、もしくは一年のときか? 湯浅先生は去年一年六組の担任だった。泉くんは一年のとき六組で、遅刻が多くて湯浅先生に怒られていた。だとしたらあの反応も頷ける。
ああ、泉くんは生活態度で先生にも目をつけられていたのか。本当、人によく頭を抱えさせる男だ。
お昼休み、普段通りに一人でいる泉くんの前にお弁当を手に持って立った。彼はコンビニで買ったパンとペットボトルのお茶を机に広げていた。
「泉くん、今日の体調はどう?」
そう尋ねると泉くんは眉間に皺を寄せた。
「……なぜそんなことを訊かれなければならないんだ?」
何だかこの流れ、デジャヴを覚える。
「学級委員長だから?」
僕は適当に答えた。
「馬鹿だろ」
「えー」
やっぱりまた同じ流れを繰り返しているような。
「そんなに成績は悪くないんだけどな。……あっ」
泉くんが細い目で睨んでくる。言ってから自分でも気づいた。僕もまた前と同じ返し方をしてしまった。芸がなくてよろしくない。
明るい声で切り替える。
「泉くん、いまゴールデンウィークだけど、お昼一緒に食べない?」
「…………は?」
泉くんが聞き返すのも当然だ。咳払いする。
「ごめん。何か混じった」
ゴールデンウィークの予定を訊くかお昼を一緒に食べようと誘うかどちらを先に言うか迷いながら口を開いたので変なふうに言ってしまった。
改めて。
「今日はどうして遅刻したの」
「ああ?」
コロッケパンの袋を開けようとしていた泉くんが手を止めて眉根を寄せてそう声を上げた。
「さっき言ったのは何なんだよ」
おお、突っ込んでくれた。嬉しくなり身振り手振りを加えて解説する。
「いや二つ言いかけたことがあったんだけど、どっちか片方から言い直すのは普通でしょ? こういうときはあえて第三の質問をしたほうが面白いと思って」
「お前は何を言ってるんだ……」
理解できないと言わんばかりの困惑の滲む声で言われてしまう。
「寝坊したの?」
そう訊くと泉くんは溜め息をつきながらパンの袋を開けた。違うのかな。
「自転車が故障したとか」
彼はパンを食べようと口に持ってきていたのを中断して、「いやお前、自転車通学は禁止だろうが」と言葉を挟んだ。
「あ、そっか」
うっかりしていた。
「お前本当に学級委員長か? なぜ俺がお前に常識の面で突っ込まないといけないんだ?」
泉くんの至極真っ当な指摘に僕は口を開けて笑う。
「本当その通りだね。でも遅刻は良くないよ。一年のときも多かったの?」
泉くんは大きな手の平を僕の前に立てる。
「俺は遅刻などしていない。俺が登校した時間を学校が勝手に規律に反してると言っているだけだ」
「それを遅刻って言うんだよ?」
泉くんはふんと鼻を鳴らし、コロッケパンを食べ始める。遅刻を認めないなんて困ったものだ。
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