第36話 匿名希望妖精現る
〈紫紺の霧〉の営業時間になったので、レフレーズと一緒に入店するヒョード。
店主のナゴンに手振りで合図され、奥に導かれると、二階への階段の前に、彼女の弟で店の用心棒、ガルサが二人を待っていた。
「よう、大将、お嬢。あんたたちに客だ」
言われていつもの応接室に入るが、誰もいなかった。
二人してもう一度ガルサの顔を見ると、彼は苦笑している。
「ちょっと訳ありなようでな、別室で待たせてある。どうやら素性を知られたくないようで、帽子を目深に被って現れたかと思うと、『怪盗〈
「匿名で会いたい……?」
自分でそうできる能力を持っているのなら、そうしてここで待っているだろう。
つまりそいつは、〈
二人の警戒が高まるのを読み取ったようで、ガルサは顔の前で軽く手を振った。
「大丈夫だ。それなりに心を読んだが、俺らを害する意図はない。複雑な事情があるようではあるが、それは直接聞けばいい。会うか?」
「……エロイーズは?」
「エリーちゃんは友達と遊びに行ってるー」
「じゃあ、あいつのを貸すか」
二人の了承を受け、ガルサがエロイーズ用のファントムマスクを持って部屋を出る。
その間にヒョードとレフレーズは服を脱ぎ、全身タイツのみとなって、認識阻害能力付きのファントムマスクを装着する。
戻ってきたガルサは二人と同じく、誰なのかわからない状態になった客を連れている。
服装は作業着にブーツ。身長百八十センチ程度、体重は……相当鍛え込んである、百キロはあるだろう。装着させたファントムマスクと合わないようでいて、なぜか微妙にマッチしているように見える。
暗褐色の髪に暗緑色の眼。左頬に火傷痕あり……魔族社会では珍しいが、こういった外見的特徴も、特製魔石を埋め込んだファントムマスクの作用により、少しでも視線を外すと忘れてしまうようになっている。
もちろんメモなどしておくことはできるのだが、それをしないのが信頼関係を築くための礼儀というやつだろう。そうでなくても、そもそも依頼主の素性に興味などない。
ロマンを運んできてくれるかどうか、それだけだ。その点こいつはおそらく悪くない。
男にソファを勧めて、自分たちもその対面に腰を下ろすヒョードとレフレーズ。
もとより寡黙なタイプなようで、作業着の男は自分からは口を開かない。
ガルサが「じゃ、後よろしく」と立ち去ったのをきっかけに、ヒョードが話しかける。
「なんて呼べばいい?」
「好きに呼んでくれ。普段からそうしている」
ということは妖精族の一員だ。ガタイがデカすぎるのが気になるが、こんな時代だ、他族との混血なのだろう。妖精で筋肉というと、まず思いつくのが
こういうどうでもいいときに限って加速するヒョードの思考が、早くも導き出した結論を、男はこともなげに裏付けしてくれる。
「人品宝物真贋是非を検めるのに慣れている、当代一の怪盗一味を相手に、あまりなにもかも隠しても仕方があるまい」
「ずいぶん買い被られたもんだ」
「実際、お前より上といえば、かのドロテホ氏しかいないだろう」
「彼を知ってるのか?」
「会ったことはないが、噂は聞き及んでいる」
「なかなか気が合いそうだぜ」
「同感だ。話を戻すと、どうせ能力などでバレるから言うが、俺の種族は
「おいおい、そこまで言っちまっていいのか」
「信用は無償で買えない。そうだろう?」
言って、男は作業着のいくつもある大きなポケットの一つから、真っ赤な帽子を取り出した。伝承通り、殺した相手の血で染めているのだろう。習性というよりは、社会の一員として認められた、種族の風習として。
人類滅亡が完全に成ったとされるのが今から約十五年前だ。こいつが十五歳以下というのは有り得ない……嘘を吐いていなければだが。
あまり一方的に喋らせるのもどうかと思い、ヒョードとレフレーズも自己紹介する。
「申し遅れた。ご存じ怪盗〈
「名乗りに謙虚さがなさすぎるー。初めましてこんにちはー。新聞では最近〈
「ああ、知ってるとも。よろしくお願いする、〈
殊勝な態度が好ましく、茶と茶菓子の一つも出したいところだが、そういうサービスは行わないようにしている。
いくら依頼主とはいえ、犯罪者の根城で、犯罪者が出す飲食物に手を出したくはないだろうという、逆の配慮からだ。
そうでなくても目の前のこいつは、明らかに殺しの臭いがする。さっき街で財布丸々一個をお恵みくださった(意訳:油断ぶっこいて盗ませてくれやがったバーカ)、橙色の法衣の男と違って、こいつは明確に己の手を汚している。
巧言令色は仁が少ないらしいが利も少ない。単刀直入に本題へ移ることにする。
「先に用件を伺おうか」
「そうだな。ある品物を探す……あるいは作ることを求められている」
「相手は〈輝く夜の巫女〉?」
「さすがに話が早い。そういうことだ」
「ったく、どいつもこいつも好き者だね。参考までに尋ねたいんだが、あんたはなぜあの女と結婚したいんだ?」
「ちょっと〈
「構わない。もし俺があの女に惚れていたら、失礼な質問になっていただろうが」
「ということは……」
匿名希望妖精は自分の膝に肘を突き、両手を顎の下で組む。
ファントムマスクの上からも、暗緑色の眼に宿る、暗い情念が伺える。
「ああ、そうだ。少し長くなるが、事情を話すので、聞いてもらえるか?」
姿勢を正した二人の様子を肯定と受け取り、匿名希望妖精は語り始めた。
「あれはもう十五年くらい前のことだ。いや、さっき少し触れたな。俺はこの世界でおそらく最後から何番目かまで生き残り、妖精族の結界内に匿われていた、人間の少女と交流を持っていた。必然的に、彼女はすでに死んでいるわけだが、ある事件が起き惨殺されたんだ」
「もしかして、それに……」
「いや、そこに〈巫女〉が関わっていたという話ではない。その人間の少女……支障ないので出してしまうが、メイミア・ハーケンローツという名だ。彼女を殺した実行犯は俺がその場で処分した。おそらく黒幕らしき存在はいない、突発的な犯行というやつだ。
世界に絶望した俺が、彼女の遺体から逃げるように外へ走ったところで、近くの……あれは孤児院なのかな、〈巫女〉が当時共同生活を送っていたらしき、少女の一人を殺しているところに出くわした」
聞いていると頭がおかしくなってきそうだ。そして少なくとも話しているこいつは頭がおかしいことがわかったが、身振りで続きを促す。
「当時の俺は三歳、衝撃と衝動に従って走っただけであり、〈巫女〉が言ったこともほとんど理解できなかったが……一つだけ覚えている。〈巫女〉はこう言った、『世界は一つ、みんな平和』。素晴らしい題目なのかもしれないが、多族社会の悪弊を最低の形で目の当たりにした俺は到底受け入れられなかった。以後俺は世界秩序そのものを乱す……いや、逆か。整えようとしている存在として、昼夜付け狙い、暗殺を仕掛け続けるようになった」
「なるほどね」
「〈巫女〉もそれは了承済みだ。彼女は『わたくしがあなたの聖女となりましょう』と言ってくれた。いつでも殺しにきてくれていいという意味だ。彼女に甘えているという自覚はあるんだが、俺はそれをやめられない」
「純愛なんじゃね?」
「だといいんだが、そもそもが普通に一対一で戦っても俺は彼女に勝てないところへ、最近は彼女の側にはいつも護衛の
「それで、お前はどうしたんだ?」
「俺は〈巫女〉に直接訊いてみた。お前を殺すにはどうすればいいだろうかと」
「それはまた……」
「そこで〈巫女〉が出してきたのが、お前たちならもう知っているだろうが、例の難題というやつだ」
「……つまり?」
「〈巫女〉と結婚すれば彼女と住居を共にし、いつでも彼女の命を狙える、そんな理想の生活環境を入手できる。名案だと思わないか?」
さっきからレフレーズがずっと絶句しているのだが、正直ヒョードも同感だ。
ここへ来てめちゃくちゃ拗らせたクソやばい奴を引き当ててしまった。
今からでもお帰りいただきたいのだが、どうやらそういうわけにもいかなさそうだ。
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