第27話 口蜜腹剣…madでvery happy

「しかし、あの子もよくやるもんだねぇ」


 同時刻、水煙草屋〈紫紺の霧〉にて。用心棒、兼、話し相手を買って出たレフレーズに対して、ナゴンは正直な感想を述べていた。


「そんな言い方だと、自己犠牲みたいに聞こえちゃうでしょー。そんなんじゃないよー」


 カウンターに肘をついて、レフレーズは妹の昔の姿に思いを馳せる。


「今でこそアンニュイ系〜のクールな女の子に育ったけど、小さい頃のエリーちゃん、意外とアホな子供だったんだよー」

「そうなのかい?」

「ふふ、想像つかないかもねー。家が没落して路頭に迷うまでは、その辺に咲いてるお花の蜜とか吸いまくる子だったのー」

「確かにガキの頃はみんなやるけどね」

「普通の子でもしょっちゃうやってたかもしれないけど、エリーちゃんときたらほぼずっと。お花見つけたら必ず吸うくらいでねー」

「マジか……ていうか、ひもじいから吸ってたわけじゃないんだね? 普通逆じゃないのかい? 没落した後になりふり構わず吸い始めたんじゃなく?」

「アホなお嬢様だったエリーちゃんが、ヒョーちゃんに恋しちゃったから、そんなはしたないことはしないようになったってことー」

「納得」

「でしょー? かわいいよねー」


 レフレーズ自身、あまり妹のことを言えないのだが、そこは棚上げするとして。


「お蜜大好きなエリーちゃんだから、蜜を錬成するって固有魔術が発現したんだと思うけど。それとは別に、何度か倒れるくらいに吸いまくった怪我の功名で、あの子自身には耐性ができちゃってるんだよねー」

「獣人の肉体活性を貫通して効かされてるってのが、どんな量を摂取してたんだって話でね」

「皮膚に付いただけだと効かないけど、それも大量で長時間だとまた別だからねー。大袈裟に思える耐性も、結果的には必要だったんだー」


 今度は現在の妹、今夜同じ月の下で戦うエロイーズに、思いを馳せるレフレーズ。


「今回は上手く使う機会があるかなー、エリーちゃん?」




 複雑に編み込んだ髪を掻き上げ、その両手を獣化変貌し、発現した鉤爪を構えるエロイーズに対し、呼応するようにアズロラも、手首から先だけを竜化変貌、黒く硬い鱗を生成して拳を握る。

 互いに接近し、数度の受け捌きを経て放った鉤爪の斬撃を、アズロラの拳に弾かれたエロイーズは、不自然なほどの大ダメージを受けて、腕の骨が折られたことに驚く。


 大山猫人リュンケウスも魔族の例に漏れず、再生能力を持つため数秒で繋がるのだが、生じた隙を見逃さず、深く踏み込むアズロラの突きが、エロイーズの腹に叩き込まれた。


「むぐっ!?」


 腕力や拳の硬さだけの話ではない。体重移動などの技術にも留まらない。

 なんとか反撃して距離を取り、口の中に溜まっていた血を左手に吐き出してから、ようやくその内訳を口にするエロイーズ。


「おえぇっ……な、なるほどね……それがあんたの内部循環ってわけだ……」

「ご名答♫」


 音響息吹ヴォイスブレスの振動を、拳や足から相手の体内に打ち込むというものなのだろう。

 アズロラの近接主体の戦闘スタイルと合っているし、エロイーズ……というより、この状況との相性が良い。


 警備任務に当たる際、施設や資料を破損したのでは意味がない。自分が血を流すのも相手に流させるのも可能な限り避けたい。

 繊細な保管庫では敵をブッ飛ばす怪力も派手派手魔術も、外部放出も生体物質もお呼びでない。


 かと言って猫系獣人の柔軟な体を、極め技や絞め技で捕縛するのは難しい。

 投げ技など論外も論外、武器を振り回すのも望ましいとは言えない。


 ではどうするか。単純なパワーやスピードに頼らず、素手で静かに慎ましく制圧するのが最善である。

 やたらうるさい外部放出とは対照的に、アズロラの内部循環は暗殺拳の極意そのものだ。


 部分変貌を解いて両手で拳を作り、ヒョードリックに習った我流の格闘術を駆使するエロイーズだが、アズロラは根底的に格闘の練度が違う。

 プロの戦闘職である祓魔官エクソシストだというだけではない。おそらく小さな頃から鍛錬を続けていると見える。元がお嬢様のエロイーズとは、モノが違う。


 だが、それが負けてやる理由にはならない。全身ズタボロにされても諦めず、再度距離を取るエロイーズ。

 その狙いすらバレているようで、アズロラは薄く笑んで指摘してくる。


「使わないの? その左手……」


 そう、さっき吐血を握り込んで大山猫石リュンクリウムを生成し、投げつけて攻撃する機会を、さっきからずっと伺っていたのだ。

 硬いとはいえ、小さな石コロが数個である。仮に銃弾のような速度で撃ち込めたとしても、受け捌きも一流のアズロラを制せるかは微妙なところだ。


「切り札だと思ってるなら、やってみればいいのに」


 あまつさえ煽ってくる。真面目に殴り合うのが面倒になってきたところだ、渡りに船と乗るエロイーズ。


「切り札だと思ってる……? 違うわね、実際に切り札なの……よ!」


 繰り返しになるが猫系獣人は関節がすこぶる柔らかい。銃弾の速度には程遠いが、腕のしなりを駆使して、かなりの勢いで投げつけることに成功した。

 七つ同時に放たれた大山猫石リュンクリウムは一つは外れ、一つは靴で、一つは鉤爪で弾かれ、一つはアズロラの頬を掠めて、残りの三つは制服を裂きつつも腕、脚、脇腹に、浅い傷を付けるだけで終わった。


 つまり大成功ということだ。

 投擲の残心姿勢で対峙しながら、端的に訊くエロイーズ。


「……なんで肌で受けたの?」


 アズロラは避けるでもなく、全身を竜化変貌して硬い鱗で受けるでもなく、漫然と石を看過した。

 理由はわかっている。どうせ大した威力ではないのだから、周囲に弾き飛ばすより我が身で受ける方がいいと考えたのだろう。


 その判断はおおむね正しい。献身でこそあれ慢心ではない。

 投げた大山猫石リュンクリウムにも仕込みはない、ただ硬く鋭いだけのものである……それ自体は、だが。


「……!?」


 ぐらり、と完璧だったアズロラの体幹がわずかに揺らいだ。初期症状は酩酊感程度でしかない、逆になにをされたかわからないかもしれない。

 だが三度みたび接近するエロイーズと打ち合うごとに、己の技が精彩を欠いていくことに、アズロラ自身が気づかざるを得ないだろう。


「なに、を……?」

「したのかって?」


 今度はアズロラが警戒して距離を取る番だったが、もう遅い。悪心、眩暈めまい、多汗、脱力感や倦怠感、ついでに感覚異常なんてのもあることを思い出し、質問に質問で返すエロイーズ。


「見てたでしょ。ついでにこっちからもう一個訊いていいかしら? 竜人族ドラゴニュートって嗅覚はどんなもんだっけ?」


 答えてもらう必要はない。質問の意図がわかればいい。エロイーズは戦闘開始時にしたのと同じ仕草を、わざとらしくもう一度繰り返す。

 複雑に編み込んだ桃色の髪をこれ見よがしに掻き上げてやると、アズロラが瞠目する。


「そっちか……!」

「恥じなくていいわよ。たぶん人狼じゃなきゃ気付けないわ」


 固有魔術による生成物質の匂いが術者の体に染み付くことは想像に難くないだろう。

 一方でこれはまた別の話だが、エロイーズの固有魔術は糖蜜や蜂蜜、あるいはそれらによる加工物の類を錬成できるという能力である。


 ゆえに「ある系統の有毒植物が生成する蜜の成分を再現する」というのは難しい。そちらはどちらかというと「毒の生成能力」の領分だからだ。

 なので……俗にマッドハニーと呼ばれる物質を、普通に買ったりして集め、研究して、耐性のできているエロイーズ自身には効かないギリギリ上限の毒性があるものを練り上げ、「仕事」の際にはで髪をセットしていく。


 話を戻すと、かなりの精度の嗅覚を持つ者でなければ、エロイーズから漂うのが彼女の固有魔術由来の匂いなのか、髪にたっぷり塗りたくっているものなのかがわからないのだ。

 だが安心するといい。人間時代には軍の一隊をヘロヘロにしたという記録もある毒だが、逆に言うとそれだけ。人間ですら二十四時間以内に代謝し後遺症も残らず、翌日にはみんな回復するという代物でしかない。


 ただし今この場には適している。高い精度の格闘能力を持つアズロラの体調を、ほんのひととき狂わせるだけ。

 だけなのだが、やられている方は「ふーん、ならいいか」とはならない。


 肉体活性の高い種族は代謝が早いが、それは血の巡りが速いということでもある。翌日どころか数時間後、下手すれば数分後には全快するだろう。以降は耐性を獲得し、二度と効かなくなるだろう。

 しかしそれでいい。今このときだけ動きを鈍らせ、袋叩きにできればそれでいい!


「うぶっ……!」


 さっきのお返しに腕を叩いて腹を突いてやるが、もはやアズロラは反応すら鈍い。

 彼女が睨み上げながら堪えている嘔吐が毒か打撃、どちらのダメージによるものなのかエロイーズにはわからない。


 もちろん、エロイーズは容赦しない。マッドハニーをたっぷり塗った鉤爪を振るって、おかわりどうぞと押し付ける。

 もはや回避するのも難しいアズロラは、完全竜化変貌で全身に鱗を纏って防御に徹する。


 とはいえ最初からそうされていても、とどのつまりは同じこと。

 大山猫石リュンクリウムは靭性こそ大したものではないが、硬度は高い。


 削るだけしかできないが、むしろそれがいいのだ。動きを止めれば的当て状態となる、どうやらおかわりが欲しかったらしい。

 そしてついにアズロラは屈した。といっても単純に太腿の筋肉が麻痺するせいで、立っていられなくなっただけだが。


 顔面から倒れ、竜化変貌も解けて、ビクビク痙攣するその姿は、えも言われず……端的に言って、なんかエロいとエロイーズは思った。

 マッドハニーの効果には波がある。迂闊に近づく愚は犯さない。無防備に除くアズロラの後頭部に向かって、エロイーズは言い捨てる。


「あともう一つ勘違い。あんたと戦いながら、片手間で探すって? どうやらあんたに足りていないのは、多種族社会に必要な、他族理解のお勉強だったようね」


 大山猫リュンクスの伝承に同じく、大山猫人リュンケウスの眼は透視と遠視の力を標準装備している。

 植物園に入るや否や目当ての木を見つけ出すエロイーズの眼力が、数十列程度の棚に煩わされるわけがない。


 数秒で配架状態を把握したエロイーズは一瞬たりとも迷わず歩き、保管されているお化けの木のサンプルをあっさりゲット。

 これで徒労だけは免れる。あとの問題はヒョードの安否だけとなった。


 生の木は何本か並んでいたが、それらのすべてに木神精ドリュアスが宿っているのが見ただけでわかった。

 なので、わかっていてヒョードを送り出したエロイーズの責任は大きいのだが……ま、なんとかなるだろう。


 入口近くへ戻ると、アズロラがなんとか動こうとして頑張った痕跡がある。

 いまだプルプルするしかできない彼女に向かって、エロイーズは軽く手を振り去っていった。

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