暁のファンタズマ

福来一葉

第1話 怪盗ファントム登場

 ゾーラきっての成金として知られているカネモッテーラの屋敷は広い。その中でもとりわけ大広間はカネモッテーラの虚勢を如実に表しており、みっちり集めた警備兵たちがひしめいている。それはいいのだが……。


「なぜこのような開けた場所に?」


 疑問に思ったセルゲイ・ダルマゲバが率直に尋ねると、カネモッテーラは露骨に顔をしかめた。が、いちおう理由を説明してくれる。


「確かに狭い場所にコッソリ保管しておくことだってできるだろうな。だがそれでは警備兵の配置もできず、結局私の目の届かない場所でコッソリ盗まれていくだけだ。君らにとっても困る事態だと思うが?」

「それは、まあ……」


 セルゲイの愛想のない返事にますます機嫌を悪くしたようで、イライラと爪を噛み始めるカネモッテーラに、セルゲイの相棒がにこやかに話しかけてくれた。


「で、ですよねーっ! 申し訳ありません、浅慮極まりない質問をしてしまって! ほらセルゲイくん、君も謝って!」

「は? なんで俺が」

「いいからっ!」

「痛……す、すみませんでした……」

「フン……」


 セルゲイが頭を下げても、カネモッテーラはまだ不満そうに睨みつけてくる。そこまで酷い失言をしたわけではないだろう。この男は元々セルゲイたちのことが嫌いなのだ。正確には、ジュナス教会の祓魔官エクソシストという存在そのものが。


 セルゲイは灰白色の髪の少年で、相棒にして幼馴染のアズロラ・ソノブラムは灰黒色の髪の少女。ラグラウル族という竜人の一部族に共通する特徴として、二人とも琥珀色の眼をしている。そして二人とも故郷を出てきて、即戦力として採用されたばかりの、十五歳の新米祓魔官である。


 対するカネモッテーラは悪どい噂も多々聞くものの、曲がりなりにも一代で財を成した傑物であり、貫禄のある肥満体を持つ五十絡みの巨漢である(種族はトドかなにかの獣人だと聞いているが、それが確かな情報なのか、同僚たちの冗談なのかをセルゲイは知らない)。子供どころか孫でもおかしくない年齢のガキどもに、あれやこれやと口を出されるのが面白くないというのはもちろんわかる。


 事実、カネモッテーラは苛立った……それでいていささかの同情を含んだ眼で、セルゲイとアズロラを諭してくる。


「君らも大変だな。教会のメンツを保つためだけに、こんな夜遅くに駆り出されているのだから。なんなら帰ってくれても構わないのだよ? 君らの上司には、私の方から良い感じに言っておいてやってもいい」

「お気遣いありがとうございます。しかしこれが我々の仕事ですので」

「遠回しに要らんと言っているのだが」

「お役に立ってご覧に入れます」


 またしてもセルゲイの頭頂部に幼馴染の掌が叩きつけられ、無理矢理押さえつけられる。


「ほんっとうに申し訳ありませんっ、カネモッテーラ卿! 邪魔にならないように隅っこに居させていただきますのでどうかご容赦を!」

「そうしてもらえると助かるんだがね」

「ほんっっとうに緊急事態になるまで絶っ対に出しゃばらないよう徹底しますのでっ! なにかありましたら是非なんでもお申し付けください邪魔はいたしませんので!」


 そそくさと大広間の一角に引きずられていくセルゲイは、無表情のまま苦言を呈した。


「おい、アズ、さっきからひどくないか、俺の扱い」

「君こそなんなのさっきから!? なんで先方の尖り切った神経をさらに逆撫でするようなことばっかり言うわけ!?」

「俺はただ与えられた職務を忠実に遂行しようとしているだけであって……」

「そうやってカッチカチの石頭だから、好きな相手にも結局告白できずじまいだったんだよ」

「うっ……い、今それは関係ないだろ」


 気まずくなったので視線を逸らして、話題を変えるセルゲイ。


「……しかし何度見ても、この絵に三億ペリシもの価値があるとは思えないな」


 人間リカルド・ゲパルド作『自意識過剰』。抽象画ではあるが表現したいイメージはなんとなく伝わってくるし、素人目にも巧い……一般的に「良い絵」ではあるのだが、なにかこう、なんだろう……気に入らない。しっくりこないというか、なぜか受容しがたくあるのだ。


「絵の値段はオークションで決まるものだからね、門外漢のわたしたちがどうこう言っても仕方ないの。それよりほら、またそんなこと言ってると、カネモッテーラ卿に聞こえちゃうよ」


 アズロラの双眸がキラリと光り、要諦を穿つ寸鉄を放った。


「今この場で重要なのは、怪盗〈亡霊ファントム〉がこの絵を狙っていること……でしょ?」

「ああ」


 怪盗〈亡霊ファントム〉とは、1553年現在この〈聖都〉ゾーラを騒がせている連続窃盗犯の通り名だ。

「煙のように神出鬼没」「狙った獲物は逃がさない」が謳い文句で、毎度気取った予告状を送って寄越し、その通りに遂行するのが特徴である。


「とは言え、今回は少し気になる点がある」


 セルゲイが取り出したメモ帳には、〈亡霊ファントム〉が今回カネモッテーラ邸に送ってきたという予告状の文面が、一字一句、記号の一つ違わず書き写してある。内容はこうだ。


『今夜あなたの過剰な自意識を頂きに参ります

 怪盗〈亡霊ファントム〉』


「この文面がどうかしたの?」


 横から覗き込んでくるアズロラに、セルゲイは指折り数えて聞かせる。


「一つ。〈亡霊ファントム〉は自分の犯行に誇りを持ち、そして盗みの獲物に一定の敬意を払っている。宝石などに通り名があればそれを、美術品などに正式な作品名があればそれを予告状に精確に記載する」

「『自意識過剰』が『過剰な自意識』と書いてあるのが気になるわけ? 単なる洒落っ気で言い換えてあるだけじゃない?」

「もう一つある。〈亡霊ファントム〉は予告状に作品名を記載する際、必ず『“”』で囲む。今回はそれがない。アズロラ、お前だって文章を書くときに癖の一つや二つあるだろう。そういったものは無意識に発現するため、意味があって変えない限り変わらないものだ。これは額面通りに受け取っていいような、〈亡霊ファントム〉の通常の予告状ではない。そもそも〈亡霊ファントム〉の犯行は……」

「真面目な奴が真面目に捜査してるだけなのになんでこうもストーカーっぽくなっちゃうんだろうね」


 アズロラがなにを言っているのかよくわからないので、勝手に話を続けるセルゲイ。


「そして、これは予告状の文面とは関係ないんだが、もう一つある。奴の犯行スタイルからも理解できると思うが、〈亡霊ファントム〉が狙うのは宝石類や貴金属がほとんどだ。絵画を狙ったケースは、すべてが片手で小脇に抱えることのできる、一辺が二十センチ以下のものばかり……つまり」


 もう一度二人して振り向く。名画『自意識過剰』はどちらの意味でも大作であり、長辺が一メートルほどある。


「大きすぎる……ってこと?」

「そうだ」

「もしかしてこの予告状って、偽物?〈亡霊ファントム〉本人からのものじゃない?」

「そこまでは言わん。筆跡などはこれまで見てきた奴自身のものだった。だから、もし異なるとすれば……」


 言いかけたセルゲイは、手振りを交えて部下たちに指示を出しているカネモッテーラの、両手に嵌めた一連の指輪が目に留まる。

 カネモッテーラの悪い噂の一つに、こんなものがある。彼が両手にゴテゴテとデカい宝石のついた指輪を嵌めまくっているのは、襲ってくる敵や失態を犯した部下を殴るとき、威力が上がるからという理由なのだと。


 実際デタラメでもないようで、宝石たちの煌びやかな輝きは燻み、黒ずんだ鈍い光を放つばかりだ。複数の意味で悪趣味だと言わざるを得ない。

 怪盗〈亡霊ファントム〉はどう思うだろう……いや、奴は獲物に対する敬意こそあれど、それを理由に盗みを働くわけではない。


 奴はロマンチックではあっても、センチメンタルではない。宝石たちが可哀想だから盗んであげよう、などという感性は……。


「!?」


 セルゲイの取り留めのない思考は、そこまでしか続かなかった。

 突如として広間の窓を破り、燭台の火を揺らめかせて、一人の男が姿を現したからだ。


 赤毛の巻き毛に細身の体、黒い全身タイツに赤いマフラー。目元を隠すのは青い魔石の嵌まったファントムマスク。背格好はセルゲイとさほど違わない、少年のように見える。


 あまりにも出し抜けかつ捻りのない登場に、カネモッテーラも警備の兵たちも、呆気に取られる只中で、そいつは堂々と、簡潔に名乗りを上げた。


「怪盗〈亡霊ファントム〉ここに参上!」

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