第1章 絵の具 

□■ また会えたもの。ここから始まること。 □■

 

 翌日。いや、正確には昨日の電話の時間で今日になっているから翌日ではないのだけれども……ややこしいからもう翌日。でいい! つまりは朝になったということ。

 土曜の朝7時に僕――小森裕(こもり ゆう)は目が覚めた。

「……よし」

 ひとまず第1ミッションはクリアだ。本来ならもう少し早く起きないといけないのだが、それは睡眠時間が少ないせいなので今日からは割と早めに寝ることにしよう。健康的な生活は大切だ。

 二度寝するという選択肢は眼中になく、ひょいとベットから飛び降りて洗面台に向かった。

 顔を洗って、くしや色々を使って自分の黄緑の髪を整える。よし、これも毎日していることだけどミッションは完了。いつの間にかにつけておいたスマホのストップウォッチを確認する。経過時間は約15分。簡単な整えだからそこまでの時間は必要ないけど、朝にバタバタして何かと急かすことになるならもう少し時間をとっておこう。

 それに、みんながいるなか、ある程度の身だしなみはちゃんとしておきたい。髪は当たり前で前提において、ほかのことも。

「……僕のことなんて見ているはずないんだけどね。それでもまぁ、ねぇ?」

 鏡の前で苦笑いをする。だから、そういうことだ。

 人のためでも、自分のためでもない。理由なんてないんだ。

 ヘアピンやくしなどの入った小さなポーチをきゅっと握る。

「――――それに、約束だから」

 どんなに自意識過剰だとか、見られたがりだとか、そんなこと言われても思われても、どーでもいい。第1、そんな理由じゃないし。

 これは、僕にとっての使みたいなものだから。

 そう自分に言い聞かせるように、約束をした日を噛みしめながらポーチを置いた。今日は、することが山ほどあるだからてきぱきと行動しよう。明日も日曜ではあるけど、こういうのは早めに終わらせて余裕を持たせた方がいい。

 登校前のモーニングルーティンのを。

「ほかにすることは……あっ!」

 小走り寄りの速度で自室に戻る。いつの日か、取りに行った教科書や授業で使用するノート類の収納された袋だ。ベットの下の奥に埋もれていたのを引っ張り出す。ほこりを被っているくらいの月日は経っていないけど、それなりに放置はされていた。

 袋の中の教科書はどれも信じられないくらいすべすべでつやがある。私立校の教科書類はそこまで多くはない。学業に手を抜いているというわけではないのだろうが、パラパラとみる中の単元も割と簡単そうだった。

 と、いうかすらすら答えが出てくる。最初のほうの勉強だから急にレベルの高い難かしい問題ではないのだが、それでも、僕には解くことができた。問題の答えがわかるその答え。それは紛れもなく簡単だ。

「――安藤先生。やっぱり、あの人の教え方……とても分かりやすいな」

 全部の教科書の問題をある程度で見てから、黒のネームペンで裏に名前を書いていく作業に勤しんだ。

 それから、割といろんなことが終わっていく。教科書に記入をする作業を頭に、制服を何度も脱ぎ着して肩をぐるぐる回してみたり、瑛凛えいりん高校のホームページから先生方の顔と名前を憶えてみたり、体操着の久しぶりの感覚にどこか1人で頬を赤らめてみたり――念には念をの精神で数々なことを準備していった。

「……これで、よしっ! 準備はおっけーい! ――あ、そうだ。うーん……けど、どうしようかな」

 リビングにまるで旅行前にキャリーバッグに荷造りするみたいに並べて腰に両手を置いてぬふーと胸を張る。学校としての準備は終わったのだが、1つ。……結構悩む1つの案が浮かんでしまった。

 ――でも、浮かんじゃったからなぁ。……よし、試してみよう!

 NINE《ナイン》という連絡アプリを開いて、電話をかけてみた。数少ない連絡先の中の、数少ない友達の中の、大切な親友に。

 ツーコールあったあとに、どこか低めの声。地声からイケボ、いわゆるイケメンボイスといわれる声(僕は、そう思ってる)でスマホ越しに聞こえてきた。相変わらず、気の抜けているようなどこかやる気を感じられない、投げやりな声で安心した。『――ったく、やっと出番か』

『え? なに?』

『いんや、何でもない。久しぶりだな』

『うん、久しぶり朝陽あさひ!』

 説明しよう! いや、説明ってほどじゃないかもだけど、でも説明しよう!

 彼の名は『岡本 朝陽(おかもと あさひ)』といい、中学からの付き合いで同い年の男子高校生だ。瑛凛高校の生徒。

 中学時代から野球部で、運動の能力は高い方だと思うけど、それでもとにかく動きがあんまりない。運動部特有の元気さと、お調子者感はまったくなく、クール系の代名詞といったところだろうか。割と無口でーだけど、人見知りとかじゃない。

 プラス、すごーくめんどくさがりで、何をやってもやる気が出ない。そんな人だ。

『どうした、小森から電話がかかってくるなんて、神からのお告げか?』

『そんなわけないよ! それにどういうこと、それ!』

 よかった。最近連絡を取っていないから性格とかが一変してたらどうしよう、と不安になっていた。全然、逆に僕が知っている朝陽をそのまま切り取り&貼り付けで持ってきたみたいだった。何も変わっていない。

 話を変えて、僕をからかってみるところとかホント……。

『なんだ? お前、神はいないって思っているのか? ちゃんと存在すんだぜ?』

『そーいうわけじゃなくて! 全く、いつからそんなオカルトチックな話好きになったの……。まぁ、神様がいるんだったらもっと世界はいいものになっているでしょ? 乗り物での交通事故が全部なくなるーとか、この世から松の木が全部消失するーとか、お買い物の時にコミュ障専用でセルフレジがもっと使用されるーとかさ?』

『おー確かにな』

『ふふっ、確かになんだ……』

『でも、神はそんな万能な存在じゃないぜ。あー。まぁ、神は存在するって話だけを憶えててほしいだけなんだけどな。……で、俺に連絡してきたってことはなんかあるんだろ?』

『あぁ、そうそう。あのさ、僕――』

 安藤先生に伝えたときよりかは緊張はしていないが、それでもどこか少し、胸が早くなるのは感じた。予想もできないそんな暗闇に、自ら手を伸ばしていくのはどうしても怖い。

 でも、心なしか、と。朝陽なら、その暗闇から手を引っ張ってくれるみたいに、安心している自分がいた。

『あ、明後日からさ、僕、学校行くことにした』

『……』

『……まぁ、それだけって言ったらそれだけの報告なんだけど、実は朝陽にお願いがあって…………』

『――なんだ?』

 今からお願いすることは、きっと恥ずかしいことなんだろう。それくらいなら僕にもわかる。不安ではあるし、無理といわれるんじゃないかって考えちゃうけど……朝陽なら、聞いてくれるんじゃないかなって思ってしまったから。

 僕は、恥ずかしさを打ち消すようにと、言葉が強くなったまま伝えた。

『――朝陽、あ、明後日一緒に登校してくれない!?』

 自分でもおかしいな、とは思ってるけどこれが僕には必要だと思ったから。

 無言の音が流れる。でも僕にできるのはスマホの先の朝陽からの返答を待つだけだった。少ししてから、僕の妙に緊張しているテンションとは真逆に、声色もさっきと1つも変えず、返答が来た。

『――――小森ってさ、こういうの子供っぽいよな』

『へ?』

 急なディスリにツッコミも言い返すこともできず、ぽかんしてしまう。YES/NOの返しじゃなかったから頭の整理が追い付いていなかった。けど、またすぐに朝陽からのレスポンスがきた。

『いいぜ、明後日の登校日だろ?』

『っ!! ほんと!? っっやったぁ~! ありがとーあさひぃ~休日なのにすみませんでしたーぁ~』

『っへへ、んにしても小森。お前――』

 スマホに耳を当てていたが、途端にズズズと変なノイズ音が走り耳元から遠さけてしまう。不意打ちにびっくりしてしまった。おかげで、朝陽がなんて言ったか聞き取れなかった。

『ごめん、なんて言った?』

『お、いや、別に何でもないぜ。またな』

『あ、うん。また明日』

 ツーツー。

 スマホの着信時間2分5秒の文字を意味もなく眺めていた。久々に安藤先生以外の誰かと話すということになって変に緊張していたけど、やっぱり付き合いの長い朝陽なら話してから少し経つと、そんな気持ちもあっという間にどこかに消えてしまっていた。うん、やっぱり持つべきものは友達だ、って言葉は信用ができる。今にそれを実感した。

 そのあとの僕と言ったら、何の面白みもないことを黙々と続けていた。

 不登校は不登校でも、高校はまだ始まって少ししか経っていないから勉強に追いつけるかもしれない。いや、ちゃんと追いつきたい! 安藤先生と最低限な学習はしているけど、知識はあればあるだけいい。

 こんな精神でひたすらに問題を解いてペンを持つ左手の側面をシャーペンのあとで黒くしたり、学費や今月の電気代などの問題と向き合って通帳を広げたり、もし学校に行って自己紹介をする羽目になったら……とイメージトレーニングもした。

 何の面白みもないってさっき言ったけど、自分が何かと強くなるならその面白みの欠けた物事にいかに真剣に向き合うことが大切だ。

 できるなら、周りから見られる自分なら、いい自分をから目先のことに挑んでいきたい。


 そして――。


『タン、タララララ、タンタンタララララタン』

 スマホのアラームが鳴った。

「…………くきゅゆぅ~~~ふぁあぁぁ」

 頭がぽわぽわするまま、視界を半分だけ開けて目を覚ました。いつの間にか枕に顔を向けて寝てしまっていたようだ。両手を頭の前に、土下座をするみたいな変なポーズをとって体を伸ばした。猫がリラックスするときに伸びをするときと同じポーズだった。くぁーとあくびが出る。猫飼ってないけど。

 まだ、少し眠い。目をこすりながら自分の感覚に任せて洗面所へ向かう。顔を洗うとぱっちり目が冴えた。

 昨日は今までの生活を見直して、健康的な時間に寝たため睡眠時間はばっちりだった。だから、余計に眠くなってしまう。健康的すぎる時間と十分な睡眠時間だと朝がほんとに気持ちいい。ぼーっとする気持ちもわかるけど、そんなことしている暇はないぞ! 今日は学校に行く日なんだからな、僕!

 そう鏡の前で両手を握った僕は、髪のセットも短時間で終えて、トーストを焼いてオレンジジュースと食べる。普段から小食で、朝はほとんど食べる気が起きない僕にとってはトーストの1枚で十分すぎるくらいに足りる。なんたって、命のトーストだからね!

 ぱりっ、サクッといい音を言わせて、次は制服に着替える。袖を通し、長ズボンも履く。うん、やっぱりどちらもサイズが大きい。ぶかぶかな部分を折々、最後にしわをぴしっとした。鏡の前で全体を確認してみる。変なとこは……ないよね?

 歯磨きも終えた。持っていくものに間違いはない。ガス栓もしたし、窓のカギも全部閉めた。持ち前のコミュ障は――どうしようもないっ!

 玄関に座り込み、お気に入りの白い靴を履く。学校指定の靴はないから、履きなれた靴でかつシンプルなのでこれを履いていくのはいい選択でしょう。と、心の中で僕が報告してくれた。まぁ、校内では上靴なので別に何でもいいだろう。

 足を片方入れてから顔をしかめてしまう。

「……むぅ。サイズ、変わんない……。はいはい、そうですか~」

 この靴小6に買ってもらってからずっときれいなままで使っているのに……。新しい靴を買うお金が浮いた、とポジティブにとらえよう。うん。

「――――さて、気を取り直して……行きますか!」

 勢いよく立ち上がり、玄関のドアに片手を触れる。この先、当たり前だけど何が待っているか分からない。

 ライトノベルの主人公みたいに、何らかの能力があって無双するわけでもなければ、1度知った闇にもう1回、引きずり込まれてまた引き籠ってしまう、そんなきっかけになるようなことがあるかもしれない。

 けど、それらももう。人生か、って思って進んでいくしかないよね?

「いってきまーす」

 振り返って、静まり返ったこの我が家のどこにいても聞こえるくらいの声で行ってきますを言った。お帰りとはいつも無縁だから、なんてどーでもいい。大事なのは自分の頭の中の想像だ。いってらっしゃい、と言ったら、いってらっしゃい。なんだ。

 春らしいちょうどいい温度と、眩しすぎない程度の太陽の光が待ち構え、その中に足を踏み入れた。今日のその日は、透き通るような青空に加えて、丸みを帯びた白い雲が点々と宙を漂っていた。


 ――しばらく歩いて気が付いた。

 これが普通って言ったらもちろん普通だし、なんの間違ったことも言っていないと思うんだけど、あえて言おうと思う。

 登校路って、まぁ地味なんだよね。

 そりゃあ、そうですよ、えぇ。アニメやラノベ、創作の世界だと何かしらのハプニングが起こって、何かしらのことがあるんだろうけど、ここは作り物の世界ではないので。

 曲がり角で食パンを咥えた女の子とぶつかるーとか、登校中に謎のキャラと出会って実はその子が転校生で主人公の隣の席にーとか、空から女の子がぁ! なーんて、ことは起こりうるはずがない。現実はもっと静かで、これ等と比べたら退屈で、すぐに飽きるようなことばかり。 

 だけど、僕にとって今はそんなことを考えている余裕はなかった。

「クラスの人とかに何か言われるかな……何かって、でも何だろう――。グループがきっとできているはずだから、その人たちから陰口とか言われてたら…………いやだなぁ。――――それに、もしかしたら、な――――」

「……?」

 数々の不安と問題、それと極小にある期待。道の隅っこを歩きながら鞄のひもを胸の前でぎゅっと掴み、ぶつぶつ呟く。道路の片隅を自分の世界に入り込んでいるため、足早に歩く。前は見えていないので電柱なんかにぶつかってしまう可能性があったが、そのくらい視野が狭くなっているわけではない。

 ただ、周りの音が何も聞こえないだけ。

「――いやいや、何を言ってるんだ、僕。……でも確か、あの人の家は高校に近いんだよね。いつか……また会えるのかな……」

 脳裏に映し出されるの綺麗な髪を思い出す。赤紫をした、甘くて落ち着く香りが揺れるたびに鼻をかすめる。僕は、あれからいまだに忘れることができない。……現実離れした発想が何度も頭に浮かんでしまう。頬の両方に手を当てる。

「いやいやいやいや、流石にきもいよ! これだったら僕が――僕が――」

「なに、ぶつぶつ言ってんだ?」

「ひっん!?」

 僕が――に続く言葉を口にしそうになったそのギリギリで、僕の肩を掴んだ感触がした。両手で頬を抑えたそのポーズのまま、びくっ! と軽く飛び上がった。体が物理的に跳ね上がると同時、心臓のテンポも跳ね上がる。

 おそるおそる振り向いてみるとそこには藍色の髪、真っ黒に染まった少し眠そうな半目の瞳、シュッとはしているが相変わらずポケットに手を突っ込んで気だるそうにしている岡本朝陽(おかもとあさひ)がいた。

 そう、例の電話越しに聞いた声の主。あの朝陽だ。

 僕は朝陽の胸前くらいに迫寄り、強く訴える。

「なんで脅かすの!? そういうビックリ系苦手だって知ってるよね!」

「いや、何も脅かしたつもりはないんだがな……」

 そう迫って起こる僕に目をそらしながら、ふんと鼻で笑われた。朝陽は割と無口だし、積極的にしゃべるわけじゃないけどこんな風に表情はよく変わる。まぁ、ばかにしたようににやけるか、片目だけをあげたりするくらいのバリエーションは少ないが……。目の中の瞳孔はよくいろんな方向を向いているイメージはある。呆れて、ぐるーっと回したりとか、って僕朝陽のこと詳しすぎるかな……。

 そんな朝陽が僕の全身を上から下と眺めて言った。

「んにしても小森、お前変わってないな」

 僕らはいつの間にか横並びになって学校へと歩き出す。おやおや、またその発言、カチンときちゃったよ。

「じゃあきくね? 具体的に何が変わってないの?」

 一応僕は昨日のうちにいろいろ準備はしてきたわけだ。ずぼらな生活から、割とまともの方に。そりゃあ数日じゃ難しいかもしれないけど。

 朝陽と最後に話したあの中学三年の中盤から、成長したものは成長してる……いや、ないか。自分を守るために引き籠りで忙しかったんだから。

 朝陽は僕の質問にこちらを見向きもせず、すらりと言った。

「全部変わってない」

「…………ぅ」

 じゃー何も変わってないんでしょう。反論はできない。落ち度がこちらにありすぎる。

 それにしても、朝陽は見ないうちにまた身長が伸びていた。顔つきも、うん、やっぱりイケメンだった。このやろう。イケメンというものは別にどんな人も嫉妬して、白のハンカチを噛みしめる対象のものだ。え、そうだよね?

 成長しているのはこの男の方でした……と。

「まぁ~あ? ちょーかっこいー朝陽先輩にはわからないんでしょーね! 中学の時から女の子をきゃーきゃー言わせて、さらには野球部! 高校でも野球やるんですか?」皮肉交じりに気になってたことを聞いた。

「まあな」

 返された返事は短い。まぁやるとは思ってるけどさ、一応聞いておこうと、ね。

 こんな「俺どーでもイー」みたいな朝陽だけど以外にも運動部で、結構な能力を持っていたらしい。運動はできて、元の顔がかっこよくて、それに友達を大切にする。あー役満ですよ、モテない理由がない。

 でも、彼女みたいなそういう付き合いは一度もないって言っていた。心底嫌っているのだろう。告白とかで長い感じになったら明らかに機嫌が悪くなる。

 朝陽は頭の後ろに手を置きながら、てきとーに言う。声が物語ってた。

「ってか、お前は別にじゃないだろ? いろんな人にモテたいとか、実は思ってないくせに」

「なんで、言い切れるのさ? 僕だって、かっこいいところぐらいあるから! 多分ね?」

「言い切れよ、そこは。いやだって、なる――――」

「わあぁー! わあぁぁー! ダメー! やめてー! はい、すとぉーっぷ!」

 その先の名前はあまり聞きたくない。いや、嫌な意味じゃなくて少し気恥ずかしいといいますか……。手をぶんぶん振って必死に死守した。朝陽はその人のことを知っていて、さらに僕がその人に対して――――他とは違う感情を抱いていることも知っているから余計に名前を出されたくない。

 この先になんて言おうとしたのか知る由もないけど、知ろうとしたらどこか自分がピンチになってしまいそうなので黙っておくことにした。

 朝陽も、あんなに僕がやめてほしそうにしているのがわかってくれたのか、ふーんとだけ言い、続きを話すことはしなかった。だけど、ふと思い出したかのように、あと一音呟いて僕の方を見る。

「そういやさ、その話で思い出したんだが――」

「……あんまり思い出してほしくないんだけど、一応聞くよ」

 僕らは赤信号で止まった。周りには同じような制服を着ていた瑛凛校の生徒がちらほら見えたが、朝陽が珍しく僕の目をじっと見て話しだすのであたりを気にする余裕なんてなくなってしまう。真剣な話の雰囲気に、固唾をのんだ。

「うちの高校に、一緒なんだよ」

「………………誰が?」


 朝陽は、その名前を呼んだ。僕は瞳の瞳孔部分が小さくなるのを実感した。

 朝陽の声は、今さっき通り過ぎたトラックの音にかき消されるくらいの声量で、並列で止まっている人にはほぼほぼ聞こえないくらいだった。僕も、朝陽が言ったことが本当なのか、はたまた気のせいだったのか、まだ脳が処理に間に合っていない。

 きっと、その名前を聞いた時の僕は心の底から驚いているような顔をしたと思う。

 信号が青に変わり視線が朝陽に釘付けのまま歩き出した。

 危うく前から走ってくる自転車にぶつかりそうになってしまう。「うお、あぶね」と言い、朝陽が僕の袖を掴んで躱させてくれた。

 彼女は中学の時に出会って……。また、出会える……?

「そ――」

 言いかけてた言葉が途切れた。思考が停止した僕を動かしたのは、後ろからした2つの愉快な声だった。

「おーい、朝陽ぃ! ん? それと…………こ、小森ぃ!?」

「うおぁ! マジだ! また女かと思ったけど……おーい!」

 名前を聞いた彼女との出会いを思い出しそうになったが、同時に走ってくる二人がいた。どっ、どっと元気で間隔の狭い足音がしたと思って振り返ったとき、ギリギリ青信号を渡り終えた男2人が僕と朝陽の前でぜいぜい息を切らす。

 朝陽とは違った青の髪、ツンツンしている毛先に前髪の分け目が特徴的な男子高校生。で、こっちは少し丸みの帯びた頭に橙よりの短髪、少しやんちゃっぽい見た目の同じく男子高校生。あれ、この2人もしかして……。

「え、えっ! もしかして、そら五十嵐いがらし!?」

 交互に指を2人に向けながら中学以来の顔見知りかと確認する。2人は僕がそういうとにっと笑って顔を上げた。

「おう! 久しぶり!」

 空が僕の右手にぱしっとやる。

 この、眉に掛かるか掛からないかギリギリの髪の長さをしていて、朝陽と同じくらい、いやもしかしたら朝陽よりちょい上? の伸長をした同じ歳の『長岡 空(ながおか そら)』。

「お前、来るんだったら連絡ぐらいしろよ~。それとも、1人で登校するのが怖くて、朝陽とじゃないとどうしても登校できなかったのかぁ~?」

「ち、ちがうよ!!」

 違わないけど、違う。そう僕をイジリながら肘でつんつんしているのが『五十嵐 智康(いがらし のりやす)』。

 こういう風にノリが軽くて、話しやすい人柄である。身長はもちろん僕よりも高くて、空より少し低い。見た目はどこか朝陽よりも野球部っぽくはある。唯一の短髪髪だからだろうか。

 2人とも体育系と言ったらわかりやすいか、そんな感じの見た目は昔も今見てもあんまり変わらない。僕もそんなにずっと一緒だったわけじゃないから細かな違いには気づかないけど、この2人は、前となんにも変わっていない気がする。

 前というのは僕が中学生の頃であって、確か――。


 クラスは別だったが、委員会の集まりの時に、トントンと肩をつつかれた。前では3年生の先輩が委員会の連絡事項を話している。

『――なぁ、小森。小森だよな』

『……はい?』

『小森さ、フラブラ(フラッシュブラザーズ)したことある?』

 フラッシュブラザーズ。有名な格闘ゲームで、相手を画面外に攻撃して光、フラッシュにしたら勝ちのゲーム。まぁ、簡単に言おう。

 そう考えても今のこの委員会には関係ない話だということ。

『??? ま、まぁ持ってるよ』

『まじ! 強い? いやぁ、強そう。それでさ、おれと五十嵐、どっちが強いかって話になっててさ。レートとか相性とかもあるけど、見た目的に俺の方がゲームウマそうだよな?』

『おい、見た目的にってなんだ? 誰のことかもう1回言ってみろ』

『おまえだよ、お前! 木枯らしがよぉ!』

『誰が吹きつける冷たい北風だぁ!?』

『それで、小森はどっちが強いと思う?』

『オレだよな、なぁ、こもゆう?』

『……こ、こもゆう??』

 こもこう、とはこの1件から五十嵐からずっと言われている僕の呼び名だ。”こも„り”ゆう„という訳である。5文字のフルネームから1文字だけ取ったとして何が変わるのかわからないけど、別に嫌な言い方じゃないのでノータッチにしていた。

 サイドから片手ずつ握られる。

『なぁ、おれだろ小森!』

『いーやオレだよな! な、こもゆうっ!』

『おれ!』

『オレ!』

 そう言い合い、喧嘩に入りそうになって困っていたところ、背後に強面のおじさん教師が腕組みしていた。明らかにメラメラとやばそうなオーラが先生のシルエットを包む。この先生は確か鬼教師として有名で……僕は、おびえて前を向いた。

『くるぁ! お前らなに話とんじゃぁぁ!!』

 先生の大きな声と二人の情けない声が僕の背中側から聞こえてきた。どんなことになったのか、どういう風の仲裁だったのか、今になっても知らない。


 と、いうのがこの2人との出会いだ。学年が上がって2人とは1回も同じクラスにはならなかったけど、廊下ですれ違ったりしたときに元気よく挨拶される、そんな感じの仲だ。中3の時は学校に行っていないので全く会っていないけど……まさか、僕のことを憶えていただなんて。

「いやぁ~こもゆうが学校来るなんて、案外いいものになるかもな高校生活!」

 五十嵐が僕の首に腕を回しながらまた登校路を歩いていく。太くて、いかにも健康!って感じの強さだった。勢いがあったので思わず転んでしまいそうになる。

 でもそう言ってくれるのはとても嬉しかった。僕が思っていたことを相手も思ってくれていたから。もしかしたらクラスも……。

「あのさ…………3人はクラス分けはどんな感じだったの? 同じクラス?」

 知っている人がいるとても楽になる。それにこの3人といたらどんなときでも楽しそうに思えてくるかも。朝陽はこんな感じで変に気を使わなくていいし、空と五十嵐は毎日が飽きなさそうだ。ツッコミとストッパーとしても必要だし……。

 けど、そんな理想は予想していなかった返しによって必要じゃなくなった。空が少し顔をしかめながら僕に言う。

「いやそれがまだ――――

「……え? どういうこと」

「いやそうだよな、オレらもどういうこと? っていう状況なんだよ」

 ますます頭にはてなが浮かんでしまう。クラスがまだ分けられていないということだろうか……。僕は本来行くはずだった日付に家を出ていないから、何級なのかは知らないけど、3人も知らないっていうのは……なんでなの?

 ――もしかして、この3人も引き籠……。

「あ、小森。お前まだ知らないのか……」

 朝陽が合点の言った表情で頷いていた。

「俺たち、まだ学校に行っていないんだよ」

 …………もしかしたら、ここにいるこの集団。全員やばいのかもしれない(自分を含む)。知らない間にこの3人はグレて学校にも行かない不良みたいになってしまって……!? いや、ないか。じゃあなんで制服ばちっと着こなしているんだ。

 頭の中に不良の典型的な衣装を着てヤンキー座りする3人が生まれたが、ヤンキーではないパンピー高校生の空が困惑している僕に教えてくれた。

「あのな、オレもそんな詳しくはないんだけど〝〟」

「鍵? 鍵って――」

 僕は扉を鍵で回して開くジェスチャーをして見せる。鍵って言われたらこの鍵か、武器の方しか思い浮かばない。そうそう、と空は頷いた。

「そう、鍵。なんかな、瑛凛高校の校門や校舎の鍵とかが謎に紛失したらしいんだよ。変な話だよな、原因は不明」

? どういうこと?」

 しっかり説明を受けてもよく分かっていない。つまりは……学校に入れなくなっていた。ということなのだろうか。

 空に変わり、五十嵐が説明してくれた。

「なんか消防の人たちが来て、結構な騒動になったみたいだな。ほら、そんな大々的じゃないけどニュースにもなったろ?」

 五十嵐が自分のイメージカラーと同じで橙色のスマホカバーをしたスマホの画面を僕に見せてくれる。1つのネットニュースのようだった。見出しとその下にうちの瑛凛高校の校舎の画像が張られている。B文字の目につく見出しを読み上げてみた。

「『【原因不明】瑛凛高校の全鍵類紛失。瑛凛高校、臨時休校?』」

「で、それから何日かした後に全部急に見つかったらしいけどな。県立落ちてここきた奴のいたずらだ~とか、この高校の霊の仕業だ~とか、教師内の秘密事の隠ぺいのためだ~とか。結局、何かはわかんない」

「だから俺らは今日が入学式だ」

「えっ!」

 3人があんまり気にしていなさそうに言ってくれた。3人としては学校が休みになったのがとてつもなく嬉しかったのだろう。で、今日がその休みの終わりだからテンションが下がっていると。

 でも、それなら僕は――。

 高校生活をちゃんと行える?


 そんな会話をしながら5分もかからないうちに、木々の並ぶ歩道に網の張ったその奥のグラウンド。ゆっくりと並んで歩く僕らを女子高生2人が話しながら追い抜いた。どれも懐かしくて、忘れかけようとしていた感覚が今になって蘇るように思い返してしまう。

 そして、目に入った大きな校舎。ビル群内の1つよりはもちろん高さは負けているが、横、スペースはとても大きい。

 築何年かは忘れてしまったが、全く古そうに見えない透き通る白い壁。白線の弧を描いたグラウンドに、少し遠くの隅っこの方に野球部のグラウンドの黒色の砂も見えた。

 校舎の隣に立っている体育館は大きな扉の隙間から並んだパイプ椅子が見える。あぁ、本当に入学式もまだなんだ……。

 そして、何よりも――。

 校舎のちょうど中央。一番高くて一番目立つところ。桜型の上に瑛凛高校の瑛の文字。高校の校舎がつけている名札のようだった。代表を意味する、瑛凛高校のトレードマークというのだろう。パッと見たらどの高校か分かる要素。

 そう、ここが……。こここそが――。

「私立瑛凛高校。ここが、わが母校! これから僕らが送る人生は……いったいどうなるのだろうか……」

 しみじみとそう言い、校門の前で腰に両手をついて意味もなく上を向いた。ふざけてみた僕を置いてほかの3人が置いて行ってしまう。2人で話している女子高生がそんな僕を見て、避けて校門をくぐった。

 僕も3人の男の背中を追って校門をくぐる。いよいよ、僕のsecond lifeだ。

「『わが母校ぅ!』って、お前まだここの卒業生じゃないから使い方間違っているぞ」

 『わが母校ぅ!』のところは五十嵐の裏声で言っていた。僕の真似だろうか、にしては悪意のある言い方でむっ、と口をとがらせる。使い方の話は別に反論できないから余計に何も言わない。

「細かいところ気にしすぎだって……。モテないよ?」

「関係ねぇだろ! こもゆうには!」

「おぉっ! もっと言ってやれ~小森~!」

 五十嵐が赤くなってキレるのに空が面白がって僕の後ろから茶化した。言い始めたのは僕だけど、後方支援と支援時の顔がむかつくのか、僕を壁として2人のチェイスが始まった。五十嵐が馬鹿にしてくる空を何度も捕まえようとするがひらりと交わされる。

 僕は突っ立っとくことしかできないが、内心とても後悔していた。

(あぁ、モテないなんて言わなきゃよかった……)

「――おいお前ら、騒ぐな。それより小森が天空に向かって急にナレーションいれるってことに誰かツッコめ」

 朝陽が飽きれたようにそう言うと、五十嵐と空のチェイスは終わり、ついでに僕も朝陽の方を見た。

 まるで「こ、こいつ天才か!?」「確かに言われてみたらそっちもだっ!」といった感じの目をして。

 その目にまた朝陽がため息をつく。

「いや、まずはそこだろ」

「でもさ、甘いね朝陽クン! 茶番を始めた僕が言うのもなんだけどさ」

「……急にどうした」

 僕は朝陽ににじり寄ってどや顔をしてみた。

 そして、一拍おいて名言のように言ってみる。

「ツッコミに、正解はないんだよ?」

「――じゃあ、はずれもないな」

「………………確かにぃ?」

 僕は表情を変えないまま、つつーと下に下がってフェードアウトした。

 これで僕とのくだらない論戦(約1回目)に敗北したのであった。

「弱ぁ…………」

 見事な負けっぷりに空が後ろで呟く。僕の今の様は、Lv1なのに強敵に全力で向かって行って、ていっと軽く一掃されるようだっただろう。瞬殺にもほどがある。

 そんないざ学校に来たというのに、学校要素に全く触れず、身内の世界だけで存分にふざけて楽しんでいる僕らだったが、そろそろ校内の方に、というところで何やら人だかりができているのに気が付いた。

 僕ら生徒たちより大きな白い看板の頭がその人だかりの隙間から見える。

「何だろう、あれ」

「あ、そうだ。オレたちまだクラスすら決まってないじゃん! 見に行こうぜ!」

「あーおれらはまだいいんじゃね? 人多いのだるいだろ?」

「僕らが長い茶番をしてたからじゃないかな?」

「んじゃ、空は待ってろ。俺らで行こう」

「「はーい」」

 朝陽が辛辣寄りにそう言って、ポケットに手を入れたままその看板の方へ向かう。僕と五十嵐は子供みたいに手を挙げてついていった。こういうとき、朝陽は割と自分の意志で動く。自由人、と言ったらそうなのかもしれないけど、今回の判断は正解な気がする。……茶番をしていたのは僕が始めが多かったし。

 空は1人、ぽつんとしていた。特に何もせず。何も発さず。

 少し経ってから、はぁぁ、と大きめにため息をついて

「……行くかぁぁ。おーい、悪かったおれも混ぜてくれ!」

 予想はしていたのだが、案外早かった。

 僕ら4人はそろってゆっくりとその看板へと向かった。


 看板は人だかりでまだよく見えない。身長の無いに近しい僕はジャンプしても見えない。さらに視力が悪いのデバフ。コンタクトはしているとはいえ、結局は見えない。でも、朝陽たちもまだ見えていないらしく、ここは諦めて前の人たちが空いていくのを待つことにした。

 1人分、1人分、と前に行くたびに聞こえる。

「わあ、やった同じじゃん!」

「部活メン多いなっ!」

「ほんとだ~よろしくぅ~」

「おい、マジかよ。俺のほう――」

「ちょくちょく顔出してやるって!」

 わいわいガヤガヤ。

 同じ学年の生徒たちが各々、賛否の声を上げている。その結果がわかる声のせいなのか、単に僕だけのことなのか、分かっていない。空や五十嵐は人ごみの中にいた、友達であろう人と軽く雑談して。朝陽は変わらずぼーっとして、女の子グループに話しかけられていたのを「あぁ」「そうだな」とから返事で相手している。

 僕も3人とさっきみたいな茶番じゃないけど、少しの話はした。

 した、けど……ただ僕は3人みたいににしていられなかった。

 ただ、心臓は鼓動がどんどん増して、体の内側から激しくのノックされているみたいだ。そのうち突き破ってくるんじゃないか、と真剣に不安になってしまう。

 視界がふわふわしだした。数メートル先がとても遠くに見えてきた。


 そう、緊張しているんだ。


 ネガティブな考えが、さっきまで全くなかったのに、水門を開けた水のようにいっぱいあふれ出て、頭の中にたまりに溜まってしまう。

 朝陽と一緒じゃなかったら。

 空や五十嵐と、そのうち話さなくなってしまったら。

 安藤先生と親に誓ったことが一瞬のうちに砕けてしまったら。

 のようになってしまったら。 

 それが嫌だっていうのは僕のエゴかもしれない。僕が勝手に、そう自分勝手で願っている理想でしかない。世界は僕が主軸じゃないんだ。

 確率はものすごく低いだろう。4人で、この4クラス。神なんているとは信じていない。

 それでも、願うなら……。

 

 どこからか、声がした。人ごみの中の誰かか、いや。

 僕に語り掛けるような、そんな声。逆に周囲の音が急に何も聞こえなくなった。

 不思議な感覚の中、その声はまたを言ってくる。

[願うだけなら、タダじゃないのかな]

 1つの声しかしない。そう思うと、怖い。

 1つと思った声が、数を増した。どれも違う声だった。

[みんなと一緒の方が、幸せじゃない?]

[もっと柔らかく考えたら?]

[気にしすぎだろ、固いって]

[もっと人間らしくいこうよ]

[そうでしょう?]

 だれだ、そもそも『』なのか?

 ひときわ大きな声が僕の脳裏に語り掛けた。

 その声は、ノイズ走っていたような、機械チックでよく聞き取れにくい。

 周りの音が次第に戻ってきた。ざわざわする声と朝陽たちの会話の声。

[――叶えて……h……ぃよね?]

[――――待ってて……nえ]


『カチャ』という、まるでパソコンのエンターキーをおしたみたいな音が僕に鳴り響いた。いや、僕に鳴り響いたんじゃないかもしれない。僕らが立っているこの地面、それを伝って何度も何度も鳴り響いた。その音は次第に小さくなる。

 キーボードの音が消えかけてなくなると同時、周辺の音が動き出した。


 瑛凛高校の同じ学年の生徒たちが各々、賛否の声をあげるなか……。

 いよいよ、白い看板の前。クラス分けが判明になる時間。

 ドキドキが止まらない、ひやひやして怖く、不安になってしまう。僕は、朝陽の横に並んで手を絡めていた。朝陽が僕のそんな様をのぞき込む。

「小森? 何してんだ?」

「お願いします、お願いします。僕でなら何でもします、絶対です、誓って言います。なので朝陽たちと同じクラスにしてください! お願いしますお願いしますお願いしますお願いします――――っ!」

「おぉ! 神頼みか、小森もやっとわかるようになったんだな」

 朝陽はうれしそうに笑う。だけどそんな朝陽の珍しい表情を見ている暇は全くなかった。絡める手の力にさらに力を込めて、まるで何かを召喚する呪文のように念を込めた。

「……なー。アザラシ?」

「そうやって平然とオレを呼ぶな! 母音しか合ってねぇからな!」

「なんで、朝陽のやつは嬉しそうなんだ?」

「さぁ、神頼み……だから?」

「――訳わかんねぇな」

「あぁ」

 神頼みに必死すぎて、周りに何やら術式的なオーラが出はじめた高校生の子供と、その横で、神をおかしいくらいに強調させてくる少年。その2人に周りの一般生徒たちが少し距離をとってしまう。「うわ、なにアレ……」「いや。……わからん」若干、という言葉は付かないだろう。明らかにみんなひいている。

 そんな可笑しな様子を空と五十嵐はいつの間にか少し離れて、遠くからその様子を、これまた遠い目をして見ていた。呆れるようにして、大きな看板の方に目を向ける。ここに来たとき、一番近かった最初の看板は5組だったので、次は4組だ。5組の名前一覧には誰も名前が載っていなかった。

 五十嵐が上から順に目で追っていく。

「えーっと……会田あいだ奄美あまみ伊井田いいだ、五十嵐……ってあるやん!?」

 1年4組の欄に『五十嵐 智康(いがらし のりやす)』の名前を見つけた。見つけたと刹那、白いプリント用紙を持っている空を呼んだ。

「空ぁ! あった、見つけた!」

「え! マジかよ!! ――って4かぁ~。縁起悪い数だなぁ……」

「何でもいいだろ、それより見てみろ! 他のやつらも――」

「おー~~――――わ!」

 空が言われた通り4組のクラス看板を上から目で伝っていく。言われた通り、五十嵐の名前を通過したら、石橋いしばし宇沢うざわ……のところで小森と朝陽がやってきた。

「いや~ちょっと、周りが見えてなさすぎたかな? あはは、反省反省!」

「ったく、勘弁してくれよ、小森」

「いや、朝陽も上乗せしてたよね!?」

 今更、思い返してみる……なんてすると恥ずかしさでまた我が無くなってしまいそうだったので、今日の夜、ベットの上の反省会の時にこの話題は出そう。掛布団にくるまって「あ、あぁ……なんで僕はあんなことをしちゃったんだ」って、恥ずかしく思い返しながら、いつの間にか、蛹の中にいるみたいに丸くなって寝る。――誰しもこんなことあるよね?

 僕と朝陽が揃って、いつの間にか見失っていた空と五十嵐のところにやってきた。2人はどうやら4組のクラスメイトが載っている看板をちゃんと確認していたみたいだった。どっかの神頼みと持ち上げ役とは、打って変わって。真面目でこういうところはしっかりしている。

 だけど、どうやら、少しがあったらしい。2人とも驚いた顔で看板前にフリーズしていた。

「?? どうしたの、2人とも……」

「おあ、小森。来たか。――おい、これ見てみろよ」

 僕が空の肩を指でトントンとすると、スリープしていたロボットが動き出すかのように、動作を始めた。いや、本当にスリープ状態だったのかもしれない。周りが見えていないで、冷静な判断ができていなかったのは僕だけではありませんでした、っと。

 だけど、神妙で驚いた顔はまだ変わっていない。隣から五十嵐がそっと紙を差し出してくれた。どうやらこの看板と同じでクラス分けが記載されているプリントみたいだった。そういえば、下駄箱前で配っている人を見かけたな、と思い出す。

「おーこっちの方が断然楽だな。首が痛くならない」

「僕らってそんな歳じゃないでしょ?」

 目を細めて朝陽の冗談にツッコむが、その朝陽が急に「は!」と話し声よりかは大きな声を出した。

「え!? どうしたの朝陽……。そんなにそのツッコミ嫌だった?」

 急な大きな音と、またまたの珍しい朝陽の様子に僕は少し弱気になってしまう。

 だけど、そんな心配も思い違いだったみたいだ。

「違う、見てみろ小森――」

 思ったより焼けていない朝陽の白い指がプリントの名前を順に指していく。コンタクトは付けていたので、この距離でも小さい名前ズはきちんと見えた。

 指された名前を、1つ1つ声にしてみる。

「えーっと…………『五十嵐いがらし』、『岡本おかもと』、『長岡ながおか』――――って、えぇ!! 3人とも同じクラス!? こんなことって――」

 驚いて失速する僕の声量で、その次に続く言葉の先を、空が打ち消した。男3人。僕の友達が笑顔で僕を見た。

「おおーっと、?」

「…………………………ぇ、もしかして」

 朝陽が通り過ぎた名前の方へと、指をつつーっと持っていく。そして、とんとんと。1つの場所で指の平で紙を叩いた。

 言葉に詰まる。息をのんだ、本来は聞こえない音。

 その音が聞こえた気がした。


12 小森 裕 (こもり ゆう)


 ……………………へ?

「ええええええええぇぇぇ!!??」

 周りの視線がいくつか僕らに集まった。

 そんなことも構わず、僕は朝陽に背中側から抱き着いた。

 一切の体のブレがない体幹には、今はツッコむ暇も余裕もない。

 五十嵐がその僕の背中をバシバシっと叩いたけど、それは痛みとして思わなかった。はははっ! と元気に笑いながら喜ぶ。同じ気持ちで、同じ感情だった。

「おい、マジかよっ! ははっははっ! すげーな!」

「マジでな! よっしゃ、愉快な仲間たちだな! 忙しくなりそうだ」

「どんな、確率だろうな。いや、小森の神頼みが届いたんじゃないのか?」

「うわ、マジじゃん! よかったな! こもゆう!」

「うわぁ~ん! よかった、よがったよぉ~、うれじぃ……」

「って、っはは! おい、ガチ泣きじゃねえか!」

 僕の泣き顔を見て空と五十嵐が笑う。半分おんぶの状態になっている朝陽は「よーちよち」とふざけて赤子をあやすかのように体を揺らしてくれた。泣き顔はきっとぐちゃぐちゃで見てられないものだったと思う。

 けど、今はあんまり気にしなくていいと、自分で思う。

 この涙で歪んで、ぼやけて。ろくに見えないこの視界。なんならこの大泣きのせいでコンタクトまでずれてしまったから余計に見にくい。

 それでも、分かる。見にくいのも貫通するの個性。

 キャラの濃さ。おふざけ。

 

 ここから見える歪んだ視界からの皆の笑顔――。

 なにがあっても忘れたくない、

 そうやって本気で思える……。

 個性定期な、1人1人の配色。


 僕から見える――、その綺麗な色合い。



□ ■ □ ♪ □ ■ □



 笑いあって、涙も拭いて、いや、まだ少し涙目だったかもしれないけど。

 特に意味もなく、ただなんとな~くで僕以降の名前も確認してみることにした。

 よくば、この1年で友達も作りたい。朝陽や空、五十嵐はとても大切な友達だけど、友達は良いものだからこそいろんな人と作りたい。

 そして、1番の目標、1番大切なこと――それは、自分から誰かと仲良くなること。これが、僕が変わることで、分かりやすいこと。そして何かを変わりたいと思うと一生懸命頑張るなら、乗り越える必要がある所だ。

 なーんて、言ってるけど正直に言うと友達がほしぃっ!

 1人や2人、よくはそれ以上。いい人たちと仲良くなれたらいいなぁ~、と思いながら、さっき大活躍したクラスメイトの紙を改めて上から順につたってみると……1つの名前に目がとまった。

 思わず見開いてしまう。乾ききった喉から声が出なくなってしまう。

(――――う、うそ……っ)

 声を頑張って出そうとしても、うまく声にならない変な感覚。冷静さを保とうとしても、うまく冷静になれない。脳の回転が停止する。今日で2回目だ。

「お、どうした小森、何か…………」

 朝陽が僕の可笑しな様子に疑問をもって寄ってくる。その後ろにも、同じような感情だろうか、空と五十嵐がひょこりとのぞき込んでいる。

 僕は流れの悪いロボットのように、カクカクしながらそちらの友達を見た。僕の目が点になっている表情を見て、朝陽がまた首を傾げる。僕は言葉も発せず、プリントを返した。彼らも僕が渡したプリントをのぞき込む、朝陽が「あっ」とリアクションをとっていた。

 意味もなく、青く透き通った空を眺めてみる。

 風がどこか心地よく感じ、髪が揺らされた。

 あんなに不安でいっぱいだったのに、実際にに出会ったら話せるようなことをとっさに思いつかないのに。ああやって、いい感じでの出会いじゃなかったの。

 それでも、温かさと、人柄。頬が緩んで笑ってしまう。

 そうしようと考えてもないのに、僕は目をとめたその名前。彼女の素敵な名前を呟いていた。


奈留莉なるりさん……」



□ ■ □ ♪ □ ■ □



「いやーすごいことになったなぁ~」

 白色のお気に入りの靴を靴箱に入れながら1人事が湧き出る。

 あれからクラス・担任の確認も終えて、久しぶりに再会をするかもしれない彼女のことも確認してから、4組に向かうことになった。

 だけど、朝陽、空、五十嵐は部活の先生に呼ばれてしまった。朝陽が中学生の時に顔なじみのある野球部の先生。「おー!! 朝陽じゃないか! 悪いな、少し手伝ってくれ!」と、明らかにノリがよく、ガタイもよく、声も大きい。そんな先生に空と五十嵐も巻き込まれて連れていかれてしまった。

 僕は……先生の大きな身長からは目視されなかったのだろうか。うん、そうなんでしょう。

「3人とも『ごめん、先行ってて』だからなぁ。ちゃんとごめんって言うんだもん、謝るようなことでもないのにさぁ~。尊敬尊敬!」

 もしかしたら、世間や友達同士では、これが普通で当たり前ってやつかもしれない。

 でも、僕には友達との付き合いも全然浅いし、そもそも〝ごめん〟や〝ありがとう〟をしっかりちゃんと言えることは大切だと思う。ちゃんとしたことが固まっていないと、何もかもが崩れてしまう。それでカッコよさや、プライドが邪魔するんだったら、それはホントにカッコいいものだって自信をもって言えないし、誇れるプライドでもないと思う。

 と。ロクにまともな人生を送ってない僕の言葉で、自分流に変換しておいてから、『1年4組と書かれたクラスの上によくあるやつ』が見えてきた。

 少し、いやだいぶ緊張はしているが、このクラスには僕の友達3人と、あの奈留莉さんもいるのだ。部活動だったり、顔の広い彼、彼女等は各々のことで忙しいだろうけど……。

 それでも、少しだけでもそばにいたいと思ってしまう。

(1人じゃやっぱり、何にもできない……。――じゃあ、何かができるまで頑張ってみよう! ……………よし、勇気を行動に)

 閉まっていた教室の扉を開いた。

 その立方体の教室の中は、個性あふれた、みんな1つの色を持った人たちの話声で溢れかえっていた。誰もがイキイキとしていて、肩身を狭く感じてしまう。うわぁ、高校生みたいだ……カッコいい人とかわいい人で埋まっている。

 圧倒的場違いさが自分の心の中で根っこを張った。

「うわぁ、お前も同じクラ――」

「知ってる? ここのクラス朝陽く――」

「おぉーい、そんな顔すんな――」

「知ってる知ってる! さっき隣に――」

 あちらこちらでいろんな系統の話を繰り広げていた。

 僕はなるべく人の視界に入らないよう、肩身を狭く、少し前傾姿勢になりながら、僕の席を探した。教室に入る前の扉にプリントが置かれていたので、それを頼りにする。あいにく、そこまで時間は掛かることなく、右から2番目の1番後ろの席だった。

 なにを意識しているか分からないが、すっ、と椅子を引き、姿勢よく、ピンっ。と座りながら辺りをチラチラと確認してみる。

 一方は、陽キャっぽいすでに完成されたグループが大きな笑い声で笑っている。辺りを気にしない、というか気にしているんだったら話にもっと花を咲かせたい、と思っている集団。いや、僕なりの解釈か。

 また一方は、物静かなタイプそうな2人の女の子が僕と同じように変な緊張を胸に、落ち着かないようだったが、1人が勇気をもって話しかけ、すぐに話を始めていた。お互いに笑っている。

 その情景をリアルタイムで見た僕は、胸がきゅっ、っと締め付けられたみたいだった。妬みや尊敬もあるだろう、きっと。

 1番感じているのは、僕自身の無力さだけど……。

(あんなに張り切っていたのに、結局僕はだめじゃないか!)

 机に突っ伏したまま、僕は心の中で自分をぼこぼこにした。

(な、に、が! 勇気を行動に――だよ! どうせ頭の中でしかこういうこと発っせないくせに! はぁ、朝陽帰ってこないかな……)

 だけど、どんなに自分を強めに叱っても、責めても、出てくるのは弱気。ため息すらも出てしまう。

 僕は右腕を枕にしたまま、ほんの少し左側だけ顔を少し上げて、腕にしていた腕時計を見ようとする。けど、長袖の制服に隠れて見えない。諦めて顔を上げようとしたが――。

「っ!!」

 即座にさっきのフォームに戻った。こんどは顔を見られないように頭を埋める。まるで、カタツムリだ。ビビってすぐ殻の中に閉じこもる。裾ごしの腕時計が額に当たってしまって痛い。

 思わず声が出てしまいそうになった。いや、声にもならない声は出たのだが、そういう意味じゃない。でも、今となってはそれで好都合だった。

「――――――」

「――!」 

 耳が服の布によって声が籠って聞こえなくなる。目を何度もぱちぱちと瞬きを続けるが、それでも落ち着きは取り戻せない。思わず震えたまま、勝手に上がってしまいそうになる頭を首の筋肉でぐっと抑え込んだ。

 一瞬でもすぐにわかった、まるで変っていない綺麗な声。

 視界に入った、赤紫の髪。セットはしていると思うが、ところどころ少し跳ねている毛先。のんびりともした彼女の性格を表しているようだった。もしくは、単にくせっ毛なのか。

 短時間で確認できたのはそれだけ。僕が見たのは背中側で、2人の友達と話しているようだった。

 僕はそっと体を起こす。まだちゃんとは見れない。膝の上でぎゅっと握った拳を見続ける。


(奈留莉さんが、僕の隣の席に座ってる!!)


「でさ~、そしたらアイツ――」

 奈留莉さんと話している1人の女友達であろう人が、雑談のオチ的ことを言おうとしたとき。ガラガラと教室の前の扉が音を立てた。話で盛り上がっていた教室内でも、なぜか扉の音はどこでも異様に目立つ。話し声が止んで、生徒たちは各々の席へと着いた。

 そして、開いた扉から、1人の男性の大人が入ってきた。この4組の担任である先生――『福田ふくだ先生』だ。

 席に座った生徒たちがざわざわする。僕も、さっきまで隣の席の人のことでいっぱいいっぱいったのに、教卓に着いた先生の方をいつの間にか見ていた。この高校生活の第一歩、1年間お世話になる先生だ。しっかり知っておかないと失礼になってしまう。……勿論、奈留莉さんのことがどうでもいいわけじゃなくて。

 福田先生は僕らが割と注目しているのを確認すると〝にこっ〟っと笑って――

「と! いうことでね。どうも皆さん、これから1年間担任をする『福田』っていいまーす。よろしく~」

 クラスの皆がぱちぱちぱちと拍手をした。僕も同じようにする。

 福田先生。声がどこか棒読みっぽくて、眠そうな声をしている先生だった。あのニコニコ顔はそれが素の顔なのだろう。優しそうで、いい意味で気を追わなくてよさそうなのが第一印象だった。どうやら顧問はテニス部らしい。運動、および部活動に関係のない僕には無縁だけど、先生との会話デッキには入れておこうと思う。

 どこか、早朝にゲームをしている、寝ぼけてふわふわしている安藤先生みたいだなぁ、と思った。

「は~い、じゃあ軽めに業務連絡だけして――」

 先生がぺらぺらとプリントの束をめくりながら、説明に入った。先生は青が好きなのかな。髪色も青みがかっていて、入学式用出来ているスーツのネクタイも青色だった。

 なんて考えながら入学式などの説明を軽めに聞いていると――――異様な視線を左側から感じた。

 なんとなく、予想は付いている。そういう性格の人だから。ゆっくりゆっくりと、むず痒さに身を小さくしながら、その視線の持ち主の方を見た。

 一言も発さず、先生が話しているから当たり前なんだけど、それでも口をむっと結んでいるかのように。ただ、僕をじーっと見つめている奈留莉さんの姿がそこにはあった。完全に前傾姿勢で、話している福田先生の方からしたら完全に目に入ってしまうくらいだった。

 僕は、恐る恐る同じように前傾姿勢になって小声で話す。

「……ぇ、えぇっと――どうかしました?」

「いやぁ~、なーんにも~? ……ふふっ」

 そう言ってにやけながら前傾姿勢から机に戻った。手を頬に置いてから笑っている彼女に、僕は宇宙を背景にぽかんとするしかなかった。

 どうかしてない訳ない。じゃあ、あの激レアモンスターをまじまじと観察するような視線は何だったんだって話じゃないか。ものすごく気になっているように見てきたのに、見てきたことを僕が気になっている。今となっては僕が彼女をずっと見ていた。

 そして彼女に夢中になっているこの時間。気が付けば、福田先生の説明を途中からブツ切りになってしまい、先生の説明は終わってしまった。お陰で入学式後の動きがわからない。……後で、朝陽とかに聞こう。あ、そうだ。朝陽たちは今おつかいクエストを受けているからいないんだった。

「――よぉーし、それくらいかな。挨拶はいいよ、チャイムが鳴ったら移動してね~。てことで、おっつぅ~」 

 手を小さく振って先生は教室を出て行ってしまった。必要最低限というか、あまり深くは話さない先生みたいだ。分かりやすくては助かるけど、単にめんどくさがり屋なのかもしれない。徐々にまた生徒たちが雑談を始めた。

 説明を聞いてないって言っても、今思えば今日は午前中も午前中。入学式が終わったら帰るみたいなものと同然だ。説明もそんな大丈夫だろう。

 てことで、じゃあ入学式までのこの時間。何やらのんびりして――。

『トントン、トン♪』

 ……なんては案の定できるわけなかった。

 左肩を人差し指でリズミカルにトントンされた。そう、先ほどの奈留莉さんだ。

 目を細めて、〝素〟だって分かる元気いっぱいな笑顔であいさつした。

「久しぶり~! えぇーっと……小林こばやしくん?」

「……小森だよ。覚えてない?」

「冗談、冗談だよ! これずっとやりたかったんだぁ~」 

 長年の夢がかなった! みたいに喜びで満ち溢れた笑顔に変わった。小林、と呼ぶことがやりたい! という人なんて初めて見たよ……。僕はそんな、メイドもドラゴンも家にいそうな人じゃない。

「いやー小森くんと同じクラスだなんて、私は運命を感じたよ! なんかこう、びびぃっと、刺激的でかいしんのいちげき! ……みたいなのをね!」

「僕が与えるかいしんのいちげき! ってなに?」

「クリティカル攻撃のことだよ」

「いや、意味あんまり変わってないよ!?」

 はっ!! いけないいけない、ペースを掴まされてしまった。あんなに緊張していて、喉を締め付けられていた声しか出せないようなテンションだったのに、無意識に割としっかりツッコんでしまった。僕の反応と掛け合いが好評だったのか、ケラケラと奈留莉さんは笑っていた。

 改めて、奈留莉さんの容姿について見とれてしまう。本人は横に揺れ揺れしながら、ニコニコしているから気づかれていないけど。

 彼女は、やっぱり顔がよく、小顔で可愛い系の顔つきで、どこか少し幼さも見て取れる。ほっぺの斜め線がいつもあるかのように、表情豊かな人だ。

 紫より赤みかかった『ピオニー』という色だろうか、鮮やかな髪色のショートカット。左側にある三つ編みは彼女の動作と同じように、ぴょこぴょこ動く。これは僕が言うのは少し気持ちが悪いかもだけど、フローラルな甘い香りがする。

 と、いうか。僕の周りには顔のいい人ばかりが、なぜか集まっていて、その隣にいると場違い感が僕をヒシヒシ、ヒシヒシと……。なんとかそれは顔に出さないようにしているけど、やっぱり僕が呼吸していいのかと心配になってしまう。

「ところでさ、小森くん。今日って早く終わるじゃん?」

「うん、そうだね」

「だ、だからさ~? この後一緒にご飯でもどう?」

 奈留莉さんはなぜかモジモジしながらそんなことを聞いてきた。僕は首を傾げる。お昼はもちろん用意なんてしていない。帰ってから作るつもりだったから全然ご一緒したい。だけど、疑問が浮かぶ。

 なんてったって、さっき通りに友達もすでに何人かいて、人気な奈留莉さんのことだ。

「……僕より他に誘われてるんじゃないの?」

「まっさかぁ、ないないよ! 私以外と友達少ないんだよ~? 私はがいいんだよ!」

「…………ほ、っ。わかった、行くよ」

 奈留莉さんの言葉に少しむず痒くなってしまう。

「やったぁ! ふふふっ、実はねぇ~中学の時から変わらないままの小森くんの可愛さについて、食事をしながら語ろうかと思っていまして――」

「……ダウト」

「嘘じゃないよ~! 小森くんがまだ知らないだけ!」

「おーい、奈留莉ちゃーん! ちょっとさぁ――」

 割と大きめの声で奈留莉さんが、教室の前の方でグループを作っている女子たちに呼ばれた。さっき話していた人たちのようだ。その自信のある声と同じく、少しやんちゃそうに見える女の子だった。

「あ、はーい今行きまーす! ごめーん、私から言っておきながらとても失礼なんだけど……ぉ~、呼ばれちゃったから行くね?」

「あ、うん。気にしなくていいよ」

「ホントごめんね! じゃあ、お昼忘れないでね! あ。おともだちも呼んでいいからね、その方が小森くんも楽だと思うし!」

「え、それって――」

 どういう意味なの? と聞こうとしたがやめておいた。奈留莉さんは急いでいる。

「じゃあ、あとでねー!」

 奈留莉さんは行ってしまった。1つの机に集まって話しているところに、駆け足で向かうその背中を眺める。楽しそうに話している女子グループの中に後からでもきれいに溶け込んだ、奈留莉さんの立ち回りには脱帽だ。「おー」と小声で漏れてしまっていたかもしれない。

 というか、奈留莉さんがいなくなり、僕は引き出しから筆箱を取り出そうとして――1つ気が付いた。我に返った、の言い方が正しいのか。


(……僕、今から奈留莉さんとご飯に行くの!?)


「よぉ、小森」

「ひぃぃっ!?」

「おいおい、何度目だよ」

 朝陽が呆れた声を出す。悲鳴のような声を上げる僕を馬鹿にするかのように笑い、情けなさに肩をおとし……。何度目だよ、だって? まだまだ、これからたくさんありますよ!

「あ、朝陽。用事は済んだの? また何だけど、いや今回は僕がスタートじゃなくて……」

 ついさっき言われた奈留莉さんとのお昼についての話を持ち出そうとしたが、朝陽は1点を向いていた。さっきまで僕がじっと見ていた方だ。そう、奈留莉さんを。ただ、目を細めて。

 その目線も表情も、今日も今日とて何を考えているか分からない。

「えーっと、朝陽?」

「……おう。あれ奈留莉か」

「え? あ、うん。そうだね……」

 朝陽はそこから何も言わない。どこか考え事でもしているのだろうか、実際は奈留莉さんを見ているかどうかも分からない。

 僕と朝陽は、ただ奈留莉さんが友達と話して、笑っているその表情を眺めていた。笑ってはいた、楽しそうに。けど、やっぱりあのとき、人だから普通の感性は持っていないのだろう。失礼だけど。

 今だって。ケラケラ笑うときの表情も、どこか眉が内側を向いていたような気がする。

(どうも、奈留莉さんはどこか…………)

「――おい、小森。いくら何でもじっと見すぎじゃないか?」

「……へ!? そ、そんな何の話!?」

「いくら、前から奈留莉のことが気になっているとはいえ――」

「ちょ、ちょっと!! ホントに何の話!?」

「あ、気づかれた」

「え?」

 朝陽のからかいに必死になったためか、声が大きかったみたいだ。奈留莉含め、話している女子グループが僕と朝陽の方を見てくる。

 2、3人くらいの女子が「わっ、朝陽くんだ」「ホントだ~」とキャッキャしていたけど、その小声話は「隣の小さい子だれ?」「さぁ、知らなーい」と不安感を煽る話になってしまう。胃がキリっと、電流が走ったみたいに痛い。

 だが、そんなことは気にもしていないのか、はたまたどうでもいいと思っているのか。奈留莉さんがニコッと笑ってぶんぶん大きく手を振った。

 教室のおよそ端と端とはいっても、別にそこまで遠いわけじゃない。でも彼女は、緑の澄んだ、だだっ広い草原を走ってくるか元気な少女か、というように大きくて手を振る。元気な少女だというのは、変わらないか。

 僕は少し悩んだけど、周りからの視線をぐっっと飲み込み、控えめに小さく手を振ってみた。


 それからという時間は、特に何の問題もなく。ごくごく普通の、想像のしやすい1般の入学式を終え、プリントの配布、校則について話。超難関ハイパー鬼畜ミニイベント――『〝自 己 紹 介〟』。も、なんとか普通に乗り越え、クラスのスローガン決め(陽キャの半大喜利大会)みたいなやつも終わった。

 ここで、僕は空と五十嵐のすごさについて改めて実感した。2人は自分で言っていたけど、そこまで陽キャっぽい感じじゃないらしく、自分からはぐいぐい主張するのが苦手なタイプらしい。なーんて、きっと半分嘘でダウナー系を装っているだけだと思う。じゃないと、アレは無理だ。

 アレ、というのは、さっき終わったスローガン大喜利大会のことで、クラスの割と陽キャっぽい奴から急に空が、無茶ぶりを振られた。


「うえぇ~い、じゃー空!」

「お、なんだよ急に――」

「はい、『こんなスローガンはいやだ。どんなスローガン?』」

「いや超無茶ぶりだな!? あーこんなスローガンはいやだ、うーん……。よし、はい。いくぞ――」

「お! 早えぇな! じゃあ――『こんなスローガンはいやだ、どんなスローガン?』」


「――分からない問題なら。ググろう(キリッ)」


「いはははっ! サイテーだ!」

 クラスの一同が笑っていた。男女問わず、誰もが。隣の奈留莉さんも肩を揺らして爆笑して、なんなら僕もくすっと吹き出すように笑ってしまった。大喜利ももちろん上手だったけど、それよりか空の(キリッ)と顔が面白かった。

 一方、五十嵐も次に同じように大喜利に挑んでいたけど、五十嵐の方はいわゆる『すべりネタ』として、いた。

 その後、しくしくしている五十嵐の肩を、僕がぽんっ、としたのは言わなくていいだろう。


 そして、その五十嵐にぽんっ、としたタイミングで朝陽、空、五十嵐を、奈留莉さんから誘われたお昼の話を切り出してみたが、空と五十嵐には頭を下げられてしまった。

「悪い! おれら、他のやつらと約束しちゃっててさ」

「あ、そーなんだ。じゃあ悪かったね、気にしないで!」

「ごめんな~小森~」

「てか、こもゆうぅ~。お前、奈留莉ちゃんと行くんだろ~? かーッ! 卑しかーねぇ~! 楽しみなんだろぉ?」

 五十嵐は肩に腕を回す。

「いや、べ、別にご飯食べるだけだし! 楽しみじゃないって言ったら……失礼だからそんなことは言わないけど……」

 自分の両手は意識していないのに勝手に動く。勝手に両手の人差し指を先っぽ同士でツンツンしていた。

「うんうん、そっかそっか!」

「う、うぅーっ、そんな立派になって! 母さんは嬉しいわよ~っ!」

「別に何も間違ってないでしょ! って、その完成度の低いお母さんのモノマネの空はなに!? 誰なの! ていうか、やめてよ!!」


 と、いう感じだった。いや、どんな感じだよ。と言われても、こういう感じだとしか言いようがない。僕の周りの人たちは、僕をからかってくる人が多い気がする。

「まったく……勘弁してほしいよ」

 誰にも聞こえないくらいの声量で、鞄に筆箱やファイルを詰める。結局、昨日の夜にあんなに確認したのにどれも使わなかったな。まぁ、無くて困るより、準備して余る方が、十中八九いいか。うん、そういうことにしておこう。

 入学式も、その後のプリントの配布も、全て終わり。今はもう、帰宅用意の時間になっている。用意とはいっても、特に荷物という荷物もなくクラスの皆は、ここの教室に来た最初みたく、口々と雑談に花を咲かせていた。僕も、何人かと話した。たいそれた事ではないけど、1言、2言の掛け合いのように。

 でも、今日、このクラスになってから1番ずっと話している人は――。

「ねぇねぇ、小森くんは何か好きなものとかあるの? なんか、趣味とか!」

 そう、お隣さんの奈留莉さん。彼女はこんな僕にも他の人となんの差もなく、愛嬌よく話してくれる。最初のうちは僕の方も緊張して、しどろもどろになっていたものの、奈留莉さんの人を引き付ける謎の力によって、ごく普通の調子で話すことができた。

 実は奈留莉さんは右手で謎の力を使えるのかもしれない。

 以外にも早く、鞄等を机の上にきっちりと並べてある奈留莉さんのこの質問は、今のを合わせて祝5回目だ。さらに雑談等は除かれる。自分としては、話してくれるからうれしい。人とこんなに話すのも、なんだかんだ久しぶりだし。

 それに、ずっと話したい相手だったから……。

 僕は、体を奈留莉さんの方に向けて、投げられた質問に対してしっかり考える。

「う~ん、好きなものか……あ、ゲームとか?」

「あぁ~! そうだったね、ゲーム最近は全然やってないなぁ~。あ、でも私、めっちゃ格ゲー強いよ!」

「奈留莉さん、そういうゲームするんだ?」

「やる、やるよ~。元をと言えば、お母さんから教えてもらったんだけどね! ホント、娘をゲーヲタにさせようなんて……」

 奈留莉さんはしくしくと下手な演技をする。以外に奈留莉さんはゲーマーなのかもしれない。気が合う話が、これからできるかもしれない。そう思うと、どこか親近感がわいた。

「お母さんから格ゲー…………珍しいね」

「えへへ、そーだよねぇ」

 今の時代は誰もがゲームに夢中になるからそういうのは良くないかもしれなかった。僕だって、母からは音楽を教わって、きっかけになったし、そういえば僕の母もゲーマーだった。

 キーンコーン、カーンコーン。

 チャイムが鳴った。学校終了のお知らせ。今日は、もうおしまいだ。

 予想通り、あっという間だった。午前中までしかないからすぐだとは思っていたけど、緊張で肩に力が入っていたか、集中していたか。

 もしくは、とても楽しいことがあって、時間の流れが速かったからか。

 1生徒の掛け声で僕らは席を立った。

「起立、礼。ありがとうございましたー」

「「「ありがとうございましたー」」」

「くぅ~終わったなぁ」

「しゃぁ、部活見に行こうぜ!」

「帰りスタベとかでも行くー?」

 またもや口々に、鞄をもって教室をダッシュで出ていく生徒が何人かいた。もしかしたりすると、僕のクラスは元気で明るい人が多いのかもしれない。

 僕が、そんなに明るい人間じゃないから明るい人が近くにいるのは、とても参考の材料になる。真似をしたいし、いいところを吸収して取り入れたい。誰かの考え方や性格、思考回路を知るのはとても楽しいことだ。

「くぅー、疲れたぁ~」

 奈留莉さんが隣で伸びをしている。その姿をなんとなく、見ていた。

 それに、明るい人といたら自分まで明るくなれるから。

 空と五十嵐が、他の友達囲まれてふざけている。朝陽が、少人数の生徒と真剣な話をしている。

「――じゃあ、行こう? 小森くん」

 奈留莉さんは、鞄を手にして僕の方を向く。くすっと笑ってから手を差し伸べた。それがどういう意味なのかは分からず、ただ途方に暮れていると、それが『手をつないで一緒に行こう!』と、いう意味を指していることに気が付き、ボッと赤くなってしまう。

「て、手をつなぐって……っ! 僕そんな歳じゃないよ!」

「え~ざんねーん」

 と言いながらも奈留莉さんは笑っている。単にからかっただけだろう。はぁ、高校1年生の女子高生って誰もがこうなんですか? それとも奈留莉さんが希少個体? さっきからペースを掴まれっぱなしだ。

 必死な僕を見て、ニコニコしながら奈留莉さんは教室を出ようとした。腕を大きく振って、かなりご機嫌のようで……。僕は「はぁ……」と深く1つ、ため息をついてから机の鞄を手に取った。

 そのとき――――。


〝カラ カラ コロン〟

 

 プラスチックの物質が、木製の床を叩く音が、やけに大きく聞こえた。

 僕が鞄を手にしたときに、1つ。何度も見た、嫌気のさす。

 そんな、が、教室の床をころころと回転して進んだ。


「――っ!!」

 息をのむ。

 その1つの棒が、机から落下していくとき、世界の時間の流れが、とても遅く感じた。床に指揮棒の先端が着くとき、僕は言葉を失った。

 棒の真ん中に、テーピングがしてある。紛れもない、僕のものだ。

「……ぇ…………なんで……?」

 かろうじて出せた声も、さっきまでのごく普通な声は出ない。誰かに、喉の中に砂を流し込まれたみたいに。カラカラと乾いてかすかすな声。胸の前に手を持っていてしまう。

 コロコロと転がる指揮棒は、に当たって、停止した。

 唖然として、床に落ちた指揮棒しか見れていない。

 だが、その指揮棒は綺麗な手によってそっと握られる。手から腕、腕から上の方へと視線を移していくと、誰だか分かる。奈留莉さんだ。

「……あ、ごめん、拾ってくれて――」

 奈留莉さんにとっては関係ないことだと、首をふるふる振って脳を稼働させる。――ありがとう、と言葉を続けようとしたとき、僕は言葉通り、声を失った。瞳の瞳孔が小さく、指揮棒が急に出てきた時よりも驚いてしまう。


 僕の目の前には、指揮棒を胸の前で握りながら、涙を流している奈留莉さんが僕を見ていた。透明なしずくが頬を伝う。隠そうとも、拭おうともしない。

 もしかして、泣いていることに


「え、え、え!? どどど、どうしたの!? ど、どこか……痛い? 大丈夫?」

 おどおどして、変な動きをしてしまう。様子を伺おうにも、さっきまでごく普通に笑って、話していたから余計に困惑してしまう。自分もあせって、どうしていいか分からなくて……目が、ぐるぐるする。

 僕が驚きのあまり、急に大きな声を出してしまったため、何人か残っている教室内の生徒たちが僕と奈留莉さんを囲むように見てくる。残っているとは言ったものの、まだ結構人数はあって、ざわざわ、こそこそ。そんな声や視線が、僕の全身を尖ったナイフのように突き刺してくるが、そんなことはどうでもいい!

 僕は、奈留莉さんの左手を取って

「な、奈留莉さん、とりあえず保健室とかに行こ――」

 颯爽と教室を出ていこうと、手を掴んだが、その手はそのまま、強い力に引き寄せられてしまい、ぎゅーっと。固い力と拘束によって抱き寄せられてしまった。

「ぅぅえええ!?!? な、なっなな奈留莉さん!?!?」

 甘い香りと、柔らかくて、温かい肌と。赤紫のさらさらした髪が僕の顔をかすめて、くすぐったい。辺りのざわめきが増して、動揺と困惑、もう、何か分かんないいろんな声が僕と奈留莉さんを包んだ。今度はどうでもいい、とは言ってられず、この様を見られていることと、抱き枕みたいな抱き着き方に体温が上がり、それに何より――奈留莉さんというのが僕の情緒がおかしくなるのに拍車をかけている。

 昔からよく発生する、持病みたいなもの。目がぐる目になっていた。

「あ、あぁあの、あの! 奈留莉さん……?」

「……gめ……ね」

 嗚咽の混じったような、号泣して声が出せないような。そんな声がかすかに届いた。けど、何を言っているのかがわからない。

「え、えーっと……」

「……ごめ、んね。――ごめんね」

 耳元ぐらいの距離、きっと周りで見ているクラスメイトにはかろうじて聞こえないくらいの声量。僕はようやく聞き取れた。

 彼女が僕に言うその『ごめんね』に。

「……な、なんで。なんで奈留莉さんが謝るの?」

 奈留莉さんの制服の袖から、なんとか顔を出して僕は問いた。

 だけど、返ってくるのはその解答じゃなかった。ぎゅっっと、力が込められただけ。奈留莉さんのそのハグで窒息してしまいそうなくらい、強く、力だった。

 冷え性で、いつも体が冷たい僕に〝他の人〟による体温で、自分の体が温かくなったように感じた。

「――ずっと こうして いたかった……」

「――っ」

 僕は、そのセリフを聞いた時、ようやくが分かった。

 嘆いていたようで、後悔していたようで、そんなその言葉は。おかしな話だけど、高校の中の教室でみんながいるなかでこんなことをするのもおかしいけど。


 僕と、奈留莉さん、2人にしか分からない。  


 でも、だから。

 意味が分かる僕からしたら、今のこの床に座り込んで、抱きしめられているのはどんなに、源 奈留莉が気に留めていたのかが分かってしまう。それほど、この人は1人の。たった、1人の人間のために。こんなにも悩んで、寄り添ってくれるくらい優しい心の持ち主だっていうのが、今、直で伝わってくる。 

「――――」 

 今、ふと力を抜いてしまったら。奈留莉さんみたいに泣いてしまいそうだ……。

 僕は、そっと背中に手を運び、ぎこちない動作のまま、小さくて、柔くて、そして

 きっと、いっぱいの闇を背負っているであろう奈留莉さんの背中を、ぽんぽんと撫でた。


 

□ ■ □ ♪ □ ■ □ 



「ったく、世話の焼ける」

 後ろを向くと、朝陽が左の足の靴を履きながらこっちに近づいてくるのが見えた。片方の足でとんとんと、地面を蹴って、跳ねながら靴を履いた。すごい体幹だ、なんか動きが様になってかっこいい。朝陽は愚痴を吐きながらこちらに来る。

 あっ、今のは靴をと、愚痴をで掛けた訳ではない。断じて違う。僕はそんな、即興で韻は踏めないし、前世がラッパーだった訳でもない。そもそも、僕が韻を踏むなら――「小森が歌う子守歌、計り知れないこの歌は…………」。以降は、思いつかないけど。

「……で、お前らは何があったんだ?」

「おっ!!」 

 気が付けば朝陽は僕の隣に来ていた。奈留莉さんと揃って驚く。 

 そう、なにを隠そうこの男。瞬間移動が使える――なんてのは嘘で、単に気配を殺すのがとてもうまく、こういった風に背後を取られたりすることが多い。

 ……あれ? 瞬間移動と同様にすごいのでは? まぁ、いいか。

 あの後、クラスでのいざこざがあったあと、僕と奈留莉さんは、2人ともとっさに行動することができず、朝陽から手を貸してもらってここまでやってきた。ホント、気が付けば教室から出ていたというように、さっきまでのことは唐突すぎてあんまり丁寧に思い出せない、かもしれない。

 僕と奈留莉さんは、きょとんとした顔で見合わせる。

 たまたま、返答の声も揃ってしまう。

「「え? 何のこと?」」

「息ぴったりか、お前ら……」

「あ、シンリマ曲増えるんだ~」

 僕は、スマホを手にして新情報を見る。

「ねぇねぇ、早くいこーよ~、お腹すいちゃった」

 奈留莉さんはゆらゆらしながら言う。

「……いや、お前らどっちも自分勝手かよ」

「「冗談、冗談!」」

 朝陽は、肩を落とした。相変わらずの無表情が、どこか呆れた表情に見える。泣いたり、シリアスになったり、急に息ぴったりで冗談を言ったり――朝陽からしたら、僕らはもうだろう。でも、朝陽のこの半目みたいなジト目は結構好き。

 けど、なんとなーくが伝わってくれたのか。朝陽はのことはそれ以上追及してこなかった。こういうところは、やっぱりかっこよくて、親愛なる友達だ。

 ――そんな冗談なんか、やり取りなんかをしていると、いつの間にか、ごく普通に雑談を始めてて、さらには横3人で歩きながら会話に花を咲かせていた。もちろん、車線側には奈留莉さんではなく、僕……が、ほんとは良かったんですけど、無意識にいつの間にか朝陽がいました。ムムム……何か悔しい。

「な~んか久しぶりだなぁ、こうやってご飯に行くの! ほんとは1列に並んで歩きたいんだけどね~」

「1列? どういうこと?」

 雑談の隙間に、訳の分からないことを奈留莉さんがニコニコしながら言っていた。僕がそれを尋ねる。

「ん~? いやぁさ、こういう何人かのパーティならさ、1列じゃないとテンション上がらなくない?」

「あぁ、RPGのことか」

「そうそう、そーいうこと~!」

 奈留莉さんは、伝わったのが嬉しかったのか、人差し指をふるふると振った。

「だってさ、1列じゃないとエンカウントしたときに部隊壊滅しちゃうでしょ? ばらばらじゃ化け物に、すーぐやられちゃう」

「んー……何か理由が理由になってない気がするけど……。それと、RPGなのにいろいろ混ざっちゃってるし……」

「GAME OVERだな。RPGなら」

 朝陽が言ったそれに、奈留莉さんが、なるほど! と首を縦に振った。何の何かも分からない自分のメモ帳にメモメモしながら。

「じゃあさ! RPG繋がりで〝もしも、異世界とかゲームとかで役職を選ぶとしたら何がいい?〟のコーナ~! ぱちぱち~!」

 奈留莉さんが、可愛い動作で手をぱちぱちした。僕も、戸惑いながらぱちぱちする。役職……RPGの役職……う~ん。

「え、なんか始まっちゃったよ!」

「ゲーム好き定番の話題だな」

「お、思いつかないな……何でもいいの?」

「うん、何でもいい、何でもいい! 私もただ即興で思いついた謎コーナーだから!」

「言っちゃうんだそれ……」

 なんてツッコみながら、僕も腕組みして考えてみる。RPG……『ロールプレイングゲーム』といい、プレイヤーがキャラクターを操ってストーリーを進めていくゲーム。その中でも王道だと、勇者や、魔法使い。盗賊といったところかな。

 昔、興味半分で調べてみたとき、ものすごい量があったのを思い出す。1つ1つのその設定に、目をキラキラさせて食いついている当時8歳の僕がいたものだ。でも、その8歳の僕から今の僕まで、何も変わってない。たぶんこの先も変わらないと思う。

 先頭は朝陽がいった。

「俺は銃使い1っ択なんだよ、珍しいけどな」

「いいね~『ガンナー』!」

 奈留莉さんは、指で銃を作ってウィンクする。それは、それは、きれいなウィンクだった。ガンナーは、簡単に言えば銃を使うキャラのことだ。あんまり、有名で分かりやすいものじゃないけど、パッと頭に浮かんだのは〝最後の空想〟か〝雪国にある病院の少年〟だろうか。偏った知識だけど。

「銃ってかっこいいよね! 私は、武器を使わないタイプが好きだけど!」

「ほう、じゃあ奈留莉は何なんだ?」

 聞かれた奈留莉さんは、拳をぐっと握りしめて体の前に出した。

「私はねぇ~『ファイター』!」

「ファイター?」

「おぉーコアだな、お前」

 朝陽は、興味深そうに声をあげたが、僕はパッとは理解しにくいものだった。何をもってファイターとするかが分からなかった。ファイターというのは戦士をはじめとして、戦う人のこと全体を指すことができるからだ。

「格闘、格闘家だね。物理攻撃をメインとした、時々手に炎をまとわせて殴ったり、投げ飛ばしたりするやつ!」

 しゅっ、しゅっと言いながら、奈留莉さんはシャドウボクシングをする。可愛い声で、可愛い笑顔で、とんでもないことを言っている気がするけど……あー。雲がきれいだなぁ。

 軽めの現実逃避中だけど、言っておかないと、と僕は奈留莉さんに頭を下げる。

「とりあえず。奈留莉さんには舐めたようなことを言わないようにします」

「あっはは! やめてよーそれ! 大丈夫、私は小森くんを守るときだけしか暴力は使わないから!」

「奈留莉さん……」

 そういう彼女の顔は、へらぁ~としたさっきまでの可愛らしい顔ではなく、キリッ! とした、イケメン顔だった。――実は心の中で『きゅんっ』と何かが鳴ったのは……誰にも内緒っ。

「お、それなら俺もー。だな」

「朝陽……」

 腕を頭の後ろで組みながら、さらりと言った朝陽。朝陽らしくは棒読みではあったけど、2人のそのという気遣いに、体の内側が熱く、ぶわっと……。

「……ぐすっ」

「いや、大げさだよ!」

 僕は、泣き真似をした。泣き真似っぽい演技だけど、実際に涙を流しながら。

 ツッコミなのに、笑いながらツッコむ奈留莉さんを見て、僕も涙を拭いながら笑ってしまう。こんな、気も使わなくていい、肩の力も全くいらない、誰かとの会話。初めてしたなぁ。

 誰とも、顔の1つも変えることなく自然体で、それに楽しそうに話してくれる。……こんな僕でも、相手してくれる。朝陽は中学の時に、話したことがあるとはいっても、奈留莉さんなんか今日久しぶりに再会した人だ。それなのに、こんな――。

 だから2人は人望も厚く、人気者で――。

「……で、小森は何なんだ?」

「え?」

「いや、この流れだったらお前の番だろ」

「小森くんのこと知りたーい!」

「…………あぁ~」

 考え事をしていたため、朝陽に的確過ぎる指摘をくらってしまった。そうじゃないか、さっきまでこの話で盛り上がっていたというのに……自分でも呆れてしまう。早く、やめるようにしなければ、この小説の回想みたいな自分の世界に入る癖。

 僕が、好きな役職は2人みたいにバトル向けではないし、つまんない回答で冷めた感じになってしまいそう、と不安になってしまったが、他に上手い嘘も思いつかなかったので正直に答えることにした。

「えーっと、僕は昔から武器屋さんとか、道具屋さんとかの『商人』に憧れてたんだ……」

 朝陽は方眉をあげ、奈留莉さんは目を丸くしてから、僕に問いかける。

「ショップ? 冒険じゃないのか」

「う、うん……」

「なるほど、いいね! 小森くんは異世界スローライフがお好きですかぁ~」

 そう言い、にやにやとする奈留莉さんに、納得したような表情で朝陽がうなずいた。僕は2人に内緒で、ほっ。と胸を撫で下ろした。異世界スローライフ、僕もその発想はなかった。よかった……。

 そのひらめきが僕を安心させたのか、さっきまでの不安はもう消えてしまっていた。自分の気持ちと、欲と、自由に話せる。それもきっと、2人も望んでいるはず!

「うん、RPGだったら5つ目のよさげな街でゆっくりと暮らしたいなぁ~。成長しだした勇者パーティのすこーしレアな素材を売ってもらったりとかして」

「凄い、理想が超具体的!」

 奈留莉さんは『ビシッ!』という効果音が本当に聞こえそうなくらい、楽しそーにツッコんでくれた。

 高校生、割と成人への階段を上がっている終盤の方。

 なのに3人は、こんな話をする。知的さを感じない、ホント子供みたいな会話を。

 でも、それでもいい気がした。

 おかしな話だけど、今みたいな考え方は、話している間に出てこなかったから。

 それほど、笑えたからいい気がする。

 僕らは、笑いながら東京の道、灰色をした道のタイルを靴音立てながら歩く。ちょうど正午あたりの時間帯は、通行人もそれほど多くなく、人の目線なんか気にする必要もない。清々しいほどに晴れた空は、少し日差しが眩しい。道に生えた木々の葉と、瑛凛高校の制服である奈留莉さんのスカートをかすかに揺らした。風が心地いい。後ろ髪が揺れるのを感じた。

 車道で、引っ越し業者のトラックがぶんっと通り過ぎる。

「いいな~なんだか小森くんたちと話してたら、異世界とかゲームの中とか行きたくなっちゃったなぁ~。というか、今から行く!? 行こう! いち、にい、さん!」

 奈留莉さんがジャンプするが何も起こらない。

 すたっ、と軽い着地音のあと、環境音がすべて消えて『・・・』と、シュールな時が過ぎた。

「いや、いけないでしょ? ちょっと何かありえそうな気がしちゃったけど」

「えへへ~無理だったみたい」


「――行けたらこの作品のジャンルが変わるからな(小声)」


 朝陽がボソッと何かを呟いたが、良く聞き取れなかった。

「え、なんて言った?」

「いや、何でもないぜ」

 またいつもの朝陽の独り言だ。時々、前髪で目元が隠れてほんのり怖さを感じてしまうその表情は、朝陽が今みたいな独り言を漏らすときによく見る。毎回、なんと言っているのかを聞き逃してしまい、もはや朝陽の癖のようだった。もしかしたら、あえて僕や奈留莉さんに聞かれないようにしているのかもしれない。でも、だったらなぜ言葉にして言う必要が?

 まぁ、僕も似たようなもので、自分の世界に入ることが多々ある為、人のことは言えない。

 でもこれは、僕の中での永遠の謎だ。

「ってか、着いたな」

 朝陽がそう言って、1つの建物の前で止まる。そこはかの有名ファーストフードチェーン店『ナクドナルド』だった。略称は『ナック』。色々、その略語で派閥があるのは知っているけど、僕はどちらとも怒らせないために声を大にして言っておこう。

 僕は、

 よし。決意表明を終えて、謎に満足した顔でいる僕は、改めてナックを見た。

 ここのナックは瑛凛高校の最寄りで、周りはTHE東京のビル群! みたいな風景にも違和感を感じず、1つの風景感じにマッチしている。配色や、サイズのでかさはどうしているんだろう……と、別に建築知識が豊富っていう訳でもないのに考えてしまった。完全にアワクラのせいだ、あの現実にまで侵食してきたヤバいゲームめ。……それとこれは別で、家に帰ったらこのナックを創ろう。

 けど、こんなきれいな外装の中で、欠かせない派手なマーク。赤の看板に黄色で『N』の文字。

 普段、こういう風にちゃんと、街並みなんか見たことがなかった。どこかいつも視界が限られていて……。見たくないものを見ないように、というより、見たくないものだと気にもしないくらいに。

 視野を広く、前方に広がったビル群を見てみると、東京の街はどこもかしこもその店をファ-ストコンタクトで覚えてもらえるようにと、工夫した看板。何度も行けばもうそれはお馴染みのお店となるような、分かりやすい配色。

 僕は、こんなにもカラフルで、文字通り多種多様な色が住む東京の街がいつも可笑しくて、興味深い。そして、とても好きだ。

 僕と奈留莉さんと朝陽の3人は、お店の中へと入っていった。


 入ってすぐ、朝陽が呟く。

「中は思ったよりきれいだな」

「なんだか寒いわね……じゃ、ないよ!!」

「ぉお、小森。ノリツッコミまでできるようになったんだな」

 謎に感心したように言う朝陽に、僕は方をおとした。女の子みたいな口調になって、別に寒くもないのにあんなことを言ったのは――僕にも分からない。なんで、言ったんだろう? そんなやり取りしている間に、奈留莉さんは定員さんに「こちらどーぞ~」と呼ばれて注文しちゃってるし。仕方ない、別々にしよう。

 あいにく平日だからだろうか、周りのお客さんはそんなに多くなく、前に2、3人並んでいる程度だった。急に空いたレジに呼ばれた奈留莉さんは運がいい。

 僕は、朝陽の後ろに隠れるようにした。

 なんか、明るい店内と、きれいな女性店員さんの「いらっしゃいませー!」だったりとか、少し僕にはなんか。引き籠り明けにはちょっと居心地が狭い。

「なぁ、小森。あー。なんとなく様子はわかったが、注文はどうするんだ?」

「ちゅ、注文?」

 朝陽が僕を見て、そんなことを聞いてくる。

 ちゅう、もん……。注文! そうじゃないか!

 ナックでは、というよりかほとんどのご飯屋さんでは『注文』というのが発生する。これはそれは、超絶鬼畜なイベントであり、さらには昨日まで僕はただの『引き小森ひきこもり』!! 

 必死に脳裏の隅っこの方にある、小学2年生だっただろうか、僕がナックに行って注文したもの……注文したもの……っ!

「僕は――チーズバーガーにしようかな? あ、あれおいしかったし!」

 なんとか、引きずり出すことができた。オフシーズンの服が入っているタンスの中から100円玉1枚を見つけ出す、みたいな大変さだった。

「チーズバーガーか? ホントに? ほぅ?」

「う、うん……」

 朝陽は、何度も確認する。僕の目の中を読んでいるみたいだった。朝陽は時々、考えていることを手に取るように理解されたりするときがある。本人曰く「小森は顔に出やすい」とのことだけど。

 何の意味がある確認なのかは分からないが、少し間を取って目を閉じながらすーっと息を吸った。ぱち、と黒い瞳が開く。

「なぁ、〝〟って、知ってるか?」

 だぶる……チーズバーガー? 僕は首を傾げた。ダブルというのは2つの意味だろうか。1回の注文で2つも僕はハンバーガーを食べれる自信はない。

「えーっと、僕は昔に1、2回くらいしかナックに行ったことがなくて、今回が3回目なんだよね。ごめん、分かんないかも……」

「な、そうだろうな。だから聞いたんだ。で、今度はお前が聞く番だ」


 僕は朝陽を見る目に力が入ってしまい、変な空気にごくりと息をのんだ。

「――ダブルチーズバーガーはな、チーズと肉が2つずつ入ってんだ」

 ……………………へ?

「ええええええええぇぇぇ!!??」

 僕の口を押える手から絶叫が漏れそうになった。さすがに、他の人たちもいるから常識人のいろはは分かっている。でも、それでもこの驚きは隠しきれない。

「お前、俺らが同じクラスになったときと同じくらい驚いているな」

「え、えぇっ? いいの、そういうの!? 赤字になったりしないの!?」

「あぁ、いいんだ」

 チーズを2つも食べちゃう!? ミートも2つも食べちゃうの!?

 2つ、しかもセットで!?

 なんて世の中になったのだ……。

「次の方ーどうぞ~!」

「ひぃっ!」

 情けない声がでる。僕は朝陽の後ろに隠れるじゃ気が済まず、背中のシャツを軽く握った。朝陽の背中は当たり前だけど、身長と比例して大きく、心強い背中だった。男の子っぽい、そんな背中。

 だけど、それよりも店員さんに話すときを想像して、台本を創っていく。

 台本は次第に出来上がっていくけど、頭の中の僕でも呂律が回っていなかった。

(誰か、偉い人ぉ~! セルフレジを大量量産してくださいぃ……)

「いらっしゃいませ、こんにちは~! 店内でお召し上がりですか?)

「はい」

「わかりました! ご注文どうぞ~」

「え~っと? ダブルチーズバーガーセットをひと……いや2つ。あぁ1つはナゲットで」

「…………あれ? 朝陽2つ分食べるの?」

 思わず、朝陽の陰からひょいと顔を出し、小声で聞いてしまう。

 すると朝陽は首をちょっとだけ傾けて、僕を見ながら

「何言ってんだ、おまえの分だろ?」

 そういうのであった。

 僕はそれから何も言えない。なんだ、この男といったら…………かっこよすぎやしないか。

 僕は、朝陽に出会ってよかった。

「ふふっ、すみません。セットのドリンクはいかがなさいますか?」

 大人の店員さんが、微笑んでから聞いてくる。しまった、僕は邪魔をしてしまっただろうか。朝陽は「すんません」と言ってレジにあるメニュー表に再び目を向けた。

「あーじゃあ、アイスコーヒーと……小森は?」

「…………白ぶどう」

 メニュー表を見て、僕より高い位置にいる(僕には少なくともそう見える)店員さんを上目遣いになりながら言った。

「はははっ、だそうです」

「はい! ナゲットのソースはバーベキューソースか期間限定のどちらになさいますか?」

「バーベキューの方を」

「はいっ! ありがとうございます! 他にご注文はありませんでしょうか?」

「大丈夫っす」

「えーお客様のお会計合計で――1900円です!」

 よし、きたっ! このタイミングを待っていたんだ!

 実は、こっそりと後ろの方で財布を握っていて、お会計の時にしゅばばっ! と出そうとしたのだが、あと少し。2枚のお札がトレイを叩く――そのギリギリで朝陽がすっと払ってしまった。

 店員さんは少し困った様子だったけど、すぐにお金を回収し、レシートと順番の番号が書かれた紙を朝陽に手渡した。

「2000円お預かりします。こちらお釣りと、あちらで少々お待ちください~! ありがとうございましたー! 次の方――」

 そう言って手で誘導されたところへ向かう。笑顔で接客した女性店員は最後まで元気が絶えない様子だった。もはやプロだ……。ウィンと自動ドアが開いて、別のお客さんが入ってくるのを眺める。

「はい、さっきの僕の分」

 僕は、さっき朝陽に払われてしまった2000円から1000円を朝陽に手渡す。

「いや、いい」

 だけど、朝陽はきっぱりとそういうのだった。短い、レスポンスの早い返しにまた戸惑う。

「でも、そういう訳にはいかないでしょ? 朝陽が払う理由がないよ、申し訳ないし」

「理由ならあるだろ――」

 朝陽は人差し指を立てる。それを僕に向けた。

「お前の、引き籠り明け記念だ。ここは奢られてろ?」

「――――朝陽」

「お待たせしましたぁ~」

 あっという間に番号が呼ばれ、女性店員さんが僕らを呼んだ。朝陽がトレイを取りに歩いていく。僕は、温かいその気持ちに少しの間動けない。自分の靴を見て、前髪で目元が隠れる。きゅっと唇を少し噛んだ。

 朝陽の足音が異様に聞こえる。距離を増していく、小さくなっていくその音は、どこか不安がこみ上げてくるように――。

 鼻を啜って、僕は朝陽のところへ駆け寄った。

 自分でも、信じられないくらいに、ちゃんと笑えた。

 

「小森く~ん、朝陽く~ん! 注文終わったー?」

 奈留莉さんの声がした。階段の手前にいて同じようにトレイを持っている。

「へいへい」

 と、朝陽が同じようにトレイを持って奈留莉さんの方へ向かう。僕も行かなきゃ。

 数十秒の遅延があったことに申し訳なくなりながら、僕はトレイを手にした。トレイは非力な僕でも持てるけど、軽めのトレイだからこそ真ん中で重量を感じるバーガーたちが不安定に感じる。落とさないようにしなければ。

 朝陽たちの背中を追って数歩歩いたところで、僕はふと振り返ってみる。僕らを呼んだ女性店員さんと目が合ってしまった。

 どうするのが正解か、と悩む時間もなく、自分のせいで遅くなったことと、親切に対応してくれたことを自分勝手に心の中で感謝、謝罪しながら頭を下げてみた。

 一瞬、店員さんが驚いていたけど、またニコニコ笑顔になって、軽く僕に手を振ってくれた。『櫻田』と胸に名札があった。そしてまた、働きに戻る。ナックの帽子が似合う、きれいな女性の人だった。



□ ■ □ ♪ □ ■ □



 階段を上り、2階へと向かった。

 朝陽の言う通り、中は思ったより広くて、階段の横幅ですらもでかい。踊り場付近で、ナックの運送員とすれ違った。背中に背負っている鞄は、とても大きく、ナックのステッカーがでかでかと貼られている。きっと、おいしいハンバーガーやポテトフライを届けているのだろう。

 運送員からチラリと視線を前に戻して、コツコツ靴音を鳴らし、階段を上りきると2階が見えてくる。

 窓際のカウンターのような形状の席には、コンセントに充電ケーブルを指し、スマホを眺めている人だったり、パソコンに映っている論文のようなものと、腕を組みながらにらめっこしている人がいたり。

 はたまた、窓際とちょうど逆の位置だろうか、4、5歳くらいの女の子と男の子。そして、その母親と思われる女の人。3人が一緒にハンバーガーを食べていた。男の子の頬に着いたケチャップを、お母さんが拭ってあげている。

 その家族団欒に、僕は目を背けた。

 今までは引き籠っていて、あんまり無駄な外出をしないように(音ゲーを除く。あれは第2の家)していたのだが。時々、出ざる負えない食料の買い出しの時でさえ、気を付けていた。

 あれから、もう長い月日が経ってっていうのに、いまだに僕は抜け落ちない。

 濃くて、濃厚で、粘着力の強い呪いのようで……。

 外でも、中でも、たまに点けるテレビでも。僕にとっては、誰かの家族の愛情を見るのが辛い。辛くて、苦しい。

 無邪気な女の子が、ポテトを手にしてお母さんに食べさせる。お母さんはそれを咥えて、3人で笑う。小さな手は、まだまだ全然子供っぽくて、どんなことも知らなくて……言った通り、無邪気だ。

(この子たちは、僕みたいになりませんように)

 なーんて、心の中で願ってみる。は! いけないいけない、さっき目を逸らしていたのに、いつの間にかまた目を釘付けにしてしまっていた。まぁ、心配しなくてもそんなこと起こるはずがないだろう。神に誓っても言えるね!

「あ、小森くん、朝陽くん! ここでいいよね?」

 聞いているが、奈留莉さんは窓際の外がガラス張りになっているところのテーブルにトレイを置いた。ちょうど、3人用の席だ。2階のこの席からは、車道を走る車を上から見下ろせる。

 僕と朝陽も腰を下ろした。トレイの上に置かれているウエットシートで、手をキレイキレイしてから、いよいよ。そう、いよいよ。

 僕は生唾を飲んだ。茶色の紙袋から、小さな包み、手に持ったら意外と大きかったハンバーガーの包みをそっと出してみる。

 謎に緊張している僕をスルーし、奈留莉さんは「いっただきまーす」朝陽も「いただきます」と口々。おいしそうに2人は食べ始めた。「んんっ~」と声も漏らす、片手に持ったハンバーガーに、意外と小さめの食べ口が付いた奈留莉さんは幸せそうだった。……かわいいその表情に対して、僕の方が表情に出ないよう気を付ける。

 カサカサ、包みが触れ合う音を鳴らし、鉱脈から貴重な鉱石を掘り出すかの如く。

慎重に開いてみたその先は――。

 ふっくらとした綺麗な形と、持った時に指に感じる温かみ。ホカホカなバンズ。いい感じにだら~んとはみ出している黄色いチーズは、店内の照明に照らされるほど艶があり、2段になって、まるで高さを稼ぐために入れられた2つのミート。包みを開けただけなのに、漂ってくる香ばしい香り――は、隣で食べている奈留莉さんの方かもしれないけど。

「い、いただきます」

 小声で言った後に、1かじり。ハンバーガーを頬張ってみる。口の中を一瞬で占領するチーズとミートの味濃い風味に、少し多すぎ? くらいに感じてしまうケチャップ、だけどバンズとのバランスが、ちょうどよささを物語る。こんなにも形も味も、元々の食材も違うというのに、どうして挟んで一緒に食べてみようと思いついたんだろうか。家に帰ったら『ハンバーガー 発案者』で調べてみよう。

 朝陽から教えてもらったダブルチーズバーガー。なんなら、奢ってもらいもした。


 思い出も込み。今まで食べたおいしいご飯のTOP5に入るのは確定だ。


「小森くん? そんなにおいしい?」

 僕が、よほど目を輝かせているか、おいしそうに食べているかで、奈留莉さんが顔をのぞき込んでくる。い、いけない! また顔に出てしまっていたかも? 子供ぽいって思われてしまう。

「う、うん。久しぶりだったから……」

「ふ~ん、そうなんだ! あぁー私も朝陽くんにおごってもらったらよかったなぁ」

「おい、勘弁してくれ。勝手に事を進めるなよ」

「えへへ」

 奈留莉さんはそう言いながら、ちぅーとストローを啜る。中のドリンクはアイスティーで、白ブドウを頼んでしまった僕は、また子供っぽさの羞恥心がこみ上げてしまう。コーヒーにすればよかった、ブラックはそこまで好きじゃないけどある程度は飲める。……今言ったら言い訳にしか聞こえないなぁ。

 そして、今みたいな小会話を挟み挟み、ハンバーガーを食べ終えた。

 久しぶりにカロリーの高いジャンクフードなんか食べた為、胃の中に重いものを感じる。今日の夜には胃腸の調子に気を付けて眠ることになりそうだ。

 ポテトとドリンクだけが残った机。僕は朝陽と何でもないただの雑談をする。

 だけど、さっきまでごく普通に話していた奈留莉さんは、だんだんと口数が少なくなって、今となっては全然話に入ってこない。アイスティーを片手に、目元が前髪で隠れている。もう3分くらいストローを口にしているんじゃない? さすがに心配で声をかけてみた。

「な、奈留莉さん? 大丈夫、何かあったの?」

「…………へ、あ! い、いや何でも?」

 明らかに動揺している。一瞬返信にもラグがあったし。

「じゃあ……そのストローは――。ストローには何の恨みもないでしょ?」

「え?」

 僕は奈留莉さんがずっと口にしていたストローを指さした。ドリンクに刺さったそのストローは、先端がガジガジと噛んだ跡がついている。お陰で完全にぺちゃんこだ。

「こっ! これはぁ……その――――」

 もじもじ、顔を赤くして奈留莉さんが下を向いた。きょとんと首を傾げる。

 やっぱり様子がおかしい。何か悩みでも――と、また声をかけようとしたとき。

 さっきまでの明るい声色で、急に両手を机についた。びっくりして後ずさりする。

「――よし、思い切って言っちゃおう!」

 そう決心した奈留莉さんが僕を見る。そのあとに、椅子に深く座りながらブラックコーヒーを飲んでいる朝陽を見た。

「あ、あのさ!」 

 パチン! 奈留莉さんが両手を合わせてお願いのポーズをとる。


「2人ともお願い! 一緒に〝鈴歌祭りんかさい〟でのメンバーになってくれないかな!?」


 周りに座っていたお客さんは、奈留莉さんの声が思ったより大きかったらしく、チラリと僕らの方を見て、また各々元の視線に目を戻した。

 深々と頭を下げたまま、合わせた両手を神様に祈るかのように、すりすりこすり合わせる。ズズズ……朝陽は表情の何1つ変えることなく、アイスコーヒーを啜り。僕は唖然とした顔で『・・・』と時がとまった状態で、奈留莉さんの頭に生えているアホ毛が揺らぐのを見ていた。


『鈴歌祭』。

 それは、僕らの高校、私立瑛凛えいりん高校が1年に2回開催している、音楽を主軸に置いた学校行事の1つである。元々、鈴のような綺麗な歌唱力、歌声が由来みたいな噂もあるが、それは明らかになっていない。

 クラス、学年、性別を問わず、好きなメンバーで共に音楽を楽しみ、ステージの上でパフォーマンスを繰り広げ、最終的にどのメンバーの投票数が多いいかを競う、音楽にとっての体育祭のようなものである。

 文化祭である学生バンドの延長で、それに結構の労力と力を入れたもの――と、いったらわかりやすいだろうか。

 生徒はもちろん、先生方、保護者、一般人からも好印象を受けており〝瑛凛高校といったら!〟のイメージもついている1つのイベントだ。生徒たちの参加も結構多い。

 なにしろ、パフォーマンスのステージは高校の隣にある、ちゃんとしたホールを使わせてもらっているので、年々本気度と演出のすごさは増しているらしい。そこから、プロの音楽関係の仕事をしている人が見に来ていて、連絡先を交換した卒業生がいるとかいないとか……。

 学生からしたら、バンド! ライブ! 一致団結してかっこいい個性あふれるパフォーマンスを! そして、鳴り響く観客からの黄色い、熱い歓声っ!

 ……そんな、超っている(青春している)行事に僕が?

「……………………」

「……へっ」 

 朝陽は、おそらく中が氷だけになったカップを机の上に叩くように置くと、腕組みしながら言った。

「いいぜ」

「え?」

「えぇっ!?」

「面白い」

 朝陽はそれだけ言うと、にやりと挑戦的な笑みを浮かべた。うわ、なんかダークヒーロー的なかっこよさでかっこい――じゃなくて!!

 奈留莉さんのはその朝陽の返答を聞くと、にぱーっと目を輝かせて乗り上げる。

「――ホントっ!?」

「あぁ、どうせ暇だからな」

「やった! やったぁ! ありがとう朝陽くん!」

「へへ。別にいいぜ」

 奈留莉さんは、ぴょんぴょんと跳ねる。薄いスカートが上下に揺れた。スカートと同じように、髪にある三つ編みも揺れる。ほんと、極限まで喜ぶ奈留莉さんは、自分の感情に正直で楽しそうだ。

 そう、思ったことを何のためらいもなく言える。勿論、悪い意味じゃない。

 ――今みたいな、メンバーのスカウトのように。

「ん、で? 小森はどうするんだ?」

「へ!? い、いや、ちょ、ちょっとまって……!」

 朝陽が僕に注目させた。そう、それだ。来るとは分かっていたけど、の言葉。僕は、両手を前にしてあせあせしてしまう。呂律が回らなくなった。

 奈留莉さんの方をちらりと見てみる。喜んでいたその表情は変わらないまま、目をキラキラ、キラキラキラキラキラキラさせて。ただ何も言わずに僕を見ていた。何も言わない、それが僕をまた焦らさせる。

(どうしよう。どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう!)

 落ち着くを選んだ。けど、落ち着くことはできない。

 次第に、キラキラの、にこにこ顔でそのまま。ゆーっくりと僕の方に迫ってくる。タイムリミットというか、少しギャグみたいなその様子。いつもの僕だったら笑ってしまっていたかもしれないけど、今取っては焦りの種でしかない。

 ――発作のぐる目が出てしまう。前がよく見えなくて、頬が赤くなってしまう。

 HELP! の意味で座っている朝陽を見たけど、何の感情も読めない瞳で僕と奈留莉さんを見ていた。

(あんなパンフレットで見た、大きなステージの上に立って全校生徒の視線を全部集められるなんて耐えられないっ! け、けど、奈留莉さんが折角僕に声をかけてくれたんだ。願望には答えたいし、役にも立ちたい! ……けど、朝陽とか奈留莉さんとなんであんな引き籠りのやつが、とか色々言われるだろうし、2人にも迷惑になってしまう……。ぼ、僕は――そんな幸せな気持ちになっていいはずがない人間なのに……。逃げようとした僕は――頑張っている人たちに失礼だ)

 話が飛躍しすぎてしまっている。普段、ふさぎ込んでいる、いけない気持ちでさえネガティブな気持ちと同時に門を開く。僕が考えたいのは、そんなことじゃないのに。

 分かっている、分かっている! けど、そ、それでも……。

 抉られた身体と心の傷は、大きい。そう簡単には治癒できない。

 自分の考えに嘘をついていないか? と聞かれたら嘘になる。僕だって、僕だって! 鈴歌祭に出てみたい。それほど音楽が好きだし、もうちょっとでも、奈留莉さんや朝陽たちと笑っていたい。そうすれば、一瞬だけでも忘れられるから。

 頭の中で死闘を繰り広げているなか、ぱっと目を開いてみたら奈留莉さんは、鼻先と鼻先が触れてもおかしくない距離にいた。

「……へぅ、ひぃあっ!?」

 思わず変な声が出てしまう。うわぁ~まつ毛ながーい。じゃない!?

 心配も、不安も、今は吹き飛んだ。少し間違った動きをしてしまったらとんでもないことになるんじゃないか、と考えてしまい、動きには気を付ける。肩がセメントにつけられたみたいに固まる。甘い、心の底が熱くて、こんな距離じゃなかったら落ち着くような奈留莉さんの香りに、赤紫の前髪の毛先がちょこんと僕の鼻に当たって「ん//」と軽く息が漏れた。くしゃみが出そうに、いやもはや出てほしかった。そしたら一息つける。

 きれいな奈留莉さんの瞳には、ぐるぐると目を回した僕が映る。1つ。バカみたいなものを思いついてしまった。平常な考えに至らない僕は、それがとても両案だーとか思ってしまう。

 左手で体の重心を支え、震えている右手を何とか必死に伸ばした。机の上のものがいくつか倒れてしまったけど……仕方ない、あとで直そう。死に物狂いで何とかナックの紙袋をつかめた。

 甘さと、狂った調子と、近距離なその顔に。意識を手放してしまいそう――ギリギリで、掴んだ紙袋を顔の横に持って行って〝第1回 鈴歌祭レスポンス大会 小森脳内試行錯誤の部 栄冠を手にした回答〟の発表に至った。




「……すーっ。1回、テイクアウトということで」


 

 



 

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小森くんと、おとおともだち! 『かいくらり』 @yo_zora

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