全滅から始まる、俺たちの英雄譚

アールグレイ

第1話

 魔神将軍を倒した歓喜と安堵感から、束の間の休息を得た俺たち精鋭部隊。祝杯をあげ、束の間の休息を楽しんだ後、次なる脅威である魔竜退治へと旅立った。

 道中、静かな山道を歩いていると、前方から一人の少女が近づいてきた。白いワンピースに身を包み、金色の髪をなびかせた、可憐な少女。しかし、その姿からは、どこか不気味な雰囲気が漂っていた。

「お嬢ちゃん、こんなところで危ないよ」

 仲間の一人、チッチが少女に声をかける。チッチは、同じ年頃の娘を持つ父親であり、その優しさは誰からも愛されていた。

 少女は、チッチの言葉に反応し、柔らかな笑みを浮かべる。

 その刹那だった。山育ちで危険察知能力に長けたサンが、突然少女に斬りかかる。

「おい、何を!」

 しかし、その言葉はサンに届かなかった。サンの剣は空を斬り、次の瞬間、サンの姿ははるか上空へと吹き飛ばされていた。

 何が起こったのか理解する間もなく、戦慄が俺たちの背筋を走る。この少女は、ただの子供ではない。恐るべき力を持つ、何か別の存在なのだ。

 こうして、魔竜退治へと向かうはずだった俺たちの旅は、思いもよらぬ方向へと転換していく。


 俺たちは、即座に状況を理解する。こいつは敵だ。しかもかなりやばい。

「コノヤロー!」

 精鋭部隊の誇りとサンの仇を胸に、一斉に少女へと襲いかかる。剣戟が火花を散らし、魔法が空気を震わせる。しかし、少女は傷一つ負わず、楽しげに笑っているだけだ。


 ドゴオオオオン!


 凄まじい爆発音と共に、数人が吹き飛ぶ。この強さ、下手すれば魔族十二血族レベルのものかもしれない。

「チッチ、行くぞ!」

 俺はチッチと共に、息の合った連撃を叩き込む。渾身の力を込めた一撃が、少女を右隣をかすめ、わずかな隙ができる。

「いまだ!」

 絶好のチャンスだ。俺は叫び、チッチに合図を送る。しかし、剣をふるうチッチの動きが止まる。少女の無邪気な瞳と、愛する娘の姿が重なったのだろう。

 その一瞬の躊躇いが、命取りとなった。

「チッチー!」

 轟音と共に、チッチの姿が闇に呑み込まれる。絶望と怒りが、俺の心を焼き尽くす。

 即座に態勢を立て直すと少女を睨みつけた。

 その時だった。

「ユーリ、危ねぇ!」

 仲間のモブーが、間一髪で俺を突き飛ばす。次の瞬間、轟音と共に、俺が立っていた場所が消し飛んだ。モブーの姿はどこにもない。

「はぁ、はぁ……」

 俺は息を切らし、呆然と周囲を見渡す。変わり果てた戦場。倒れ伏した仲間たち。そして、その中で楽しそうに笑う少女。

 数百人はいたはずの精鋭部隊は、もはや数十人しか残っていない。絶望的な状況。それでも、まだ立ち上がれる。だって俺たちはあの魔人将軍を倒したんだから。

 俺は剣を握りしめ、再び立ち上がる。

「絶対に、諦めない」

 すると、仲間の一人、大賢者ウィズーが魔力を込めた声で叫んだ。

「いっくわよー!  アルティメット魔法!」

  その瞬間、周囲の空気が張り詰め、魔法陣が光を放ち始める。

「みんな、ウィズーを守るんだ!」

 俺たちの頼れる指揮官、タイチョの号令の下、生き残った百戦錬磨の精鋭部隊がウィズーの前に立ちはだかる。盾を構え、剣を抜き、あらゆる攻撃を防ぐ構えだ。

 だが、少女は余裕の笑みを浮かべ、指を軽く振る。

「まあまあ……健気なこと」

 次の瞬間、轟音が周囲を満たし、精鋭部隊の戦士たちが、まるで強風に煽られた紙切れのように吹き飛んでいく。

「ぐわー!」

  悲鳴が響き渡る中、ウィズーの詠唱が最高潮に達する。

「アルティマ!」

 眩い光が周囲を覆い尽くし、アルティメット魔法が少女に直撃する。爆炎が渦巻き、周囲を焼き尽くす。

「勝った……?」

  煙が晴れるのを待ちながら、タイチョが祈るような気持ちで呟く。

 この魔法は、かつて無敵を誇った魔神将軍すら倒した最強の切り札。 だが、相手はあの少女。果たして、勝てたのだろうか。

 爆炎が消え、少女の姿が露わになる。傷一つない。 そして、彼女は不気味な笑みを浮かべる。

「ふふ、ふふふふふ!」

 その高笑いは、これから始まる更なる絶望を予感させるものだった。


 戦場の煙と轟音が充満する中、指揮官タイチョはユーリに厳しい目で命令した。

「ユーリ、残りを連れて逃げろ。これは命令だ。」

 ユーリは上官を見捨てることに強い抵抗を感じ、唇を噛み締めた。

「ですが……上官を見捨てるなど、騎士の恥です!」

 タイチョはユーリの言葉を遮り、真っ直ぐな目で静かに諭した。

「多くの部下をみすみす失った俺を見捨てるどこが恥だ。それに、お前にはまだ守るべき者たちがいるだろう。」

 ユーリはタイチョの言葉に心を打たれ、深く頭を下げた。

「わかりました、指揮官。必ず生き延びてみせます。ご武運を。」

 ユーリは振り返り、生存者たちに力強い声をかけた。

「動ける者は怪我人を連れてすぐに退避するぞ!」

 兵士たちはユーリの言葉を受け、負傷者を支えながら必死に戦場を後にする。

 一方、タイチョは一人、荒廃した大地を進み、不気味な雰囲気を漂わせる少女の前に静かに立ちはだかった。タイチョの表情は、覚悟と決意に満ちていた。これから始まるであろう無謀な戦いを前に、タイチョは心の奥底で、ユーリたちの無事を祈っていた。


 タイチョは静かに剣を地面に置き、拳を構えた。それはかつて「地下街の王」と呼ばれた男の、荒々しくも洗練された喧嘩スタイル。しかし、少女はタイチョを一瞥する事もなく、遠ざかるユーリ達を見つめた。

「逃げるのかしらぁ」少女の声は嘲笑に満ちていた。

 ユーリは挑発に乗らず、タイチョを信じて足早に去っていく。

「お前の相手は、俺だ」

 タイチョの声は低く、静かな闘志を燃やしていた。

 次の瞬間、タイチョは目にも止まらぬ速さで少女に迫った。しかし、少女は既にタイチョの背後に立っていた。

「そんなことしても無駄なのよぉ」

 少女の正拳突きがタイチョの背中を捉えた。

「ぐほぁ!」

 タイチョは激痛に顔を歪め、膝をつく。少女の力は、想像をはるかに超えていた。

 少女の容赦ない連撃がタイチョを襲う。膝をついたまま、タイチョは歯を食いしばり耐え続けた。

 だが、限界は近い。全身から噴き出す汗と血が、タイチョの苦痛を物語っていた。

「うおおおおお!」

 全身全霊を込めたタイチョの反撃。しかし、少女にとっては蚊が刺す程度にも満たない。軽くあしらわれたタイチョは、崩れ落ちるように倒れた。

「ふーん、つまらないわね」

 少女は冷めた目で、動かなくなったタイチョを見下ろした。その表情には、一切の感情がなかった。


「よくも、よくもタイチョ指揮官を……!」

 ジセーキ副官の悲痛な叫びが戦場跡に響き渡った。彼女の声は怒りと悲しみで震えていた。タイチョに密かに想いを寄せていたジセーキは、彼の無残な姿を目の当たりにし、感情を抑えきれなくなっていた。

「やめろ、ジセーキ! 危険だ!」

 ユーリは必死に引き止めようとした。彼はジセーキの気持ちを知っていたが、今は感情に流される時ではない。しかし、ジセーキは聞く耳を持たず、涙で濡れた顔を歪ませながら、少女へと向かって走り出した。

「くそっ…!」

 ユーリもジセーキの後を追おうとした、その時だった。

 轟音と共に、閃光が走った。まるで太陽が一瞬爆発したかのような強烈な光が、視界を埋め尽くした。ユーリは咄嗟に地面に伏せ、両腕で頭を守った。熱風が皮膚を焦がし、鼓膜が破れんばかりの轟音が全身を貫いた。

 しばらくして、恐る恐る顔を上げたユーリの目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。先ほどまで撤退していた仲間たちの姿が、跡形もなく消え去っていたのだ。残されたのは、黒焦げの大地と、立ち昇る煙だけだった。

「まさか……」

 ユーリは絶句した。仲間たちが一瞬にして消し去られたという事実に、彼の心は凍りついた。少女の力は、彼らがこれまで戦ってきたどんな敵よりも恐ろしいものだった。絶望感がユーリの全身を覆い尽くし、彼の膝は力なく崩れ落ちた。


「アッハァ!」

 幼げな少女の嬌声が、血と魔炎の匂いが漂う荒廃した戦場を満たす。その白いワンピースは、やはりこの状況には不釣り合いで、不気味に見えた。

 俺たち、精鋭部隊と呼ばれる者たちでさえ、束になってもこの少女には歯が立たず、なすすべもなく蹂躙された。仲間たちは皆倒れ、もう俺とジセーキしか残っていない。

 大地は赤く染まり、呻き声と絶叫が虚しく響き渡る。絶望的な負け戦の様相だ。

 少女は、まるでこの状況を楽しんでいるかのように、楽しげに笑っている。その無邪気な笑顔は、この残酷な現実との対比を際立たせ、さらに恐怖を増幅させる。

「んー、そろそろお開きね〜」

 少女は飽きたように呟くと、その小さな手を軽く振る。すると、空間が歪み始め、まるでガラスが割れるような不気味な音が響き渡る。次の瞬間、巨大な爆発が起こり、周囲を焼き尽くしていく。それは、太陽の炎を彷彿とさせるほどの強烈な光と熱で、俺のいた空間を焦がした。

 俺たちは、その圧倒的な力の前に、為す術もなく崩れ落ち、消え去る運命を受け入れるしかなかった。この戦いは最初から勝ち目のない、絶望的な戦いだったのだ。

(みんな、俺もそっちに行くぜ……でも、最後に、やらせてもらおうか!)

「うああああああ!」

 そんな破滅的思考を張り巡らせていたとき、ジセーキが、ひとり突進していった。

 しかし、少女がジセーキに、軽く蹴りを入れるだけでジセーキは遥か遠くまで吹き飛んでいく。

 だが、その刹那に少女がかすかに姿勢を崩したように見えたのを俺は見逃さなかった。

「くっそおおおお! 喰らええええ!」

 その隙ついた、起死回生の一撃が、少女をかすめる。

 それは、ジセーキの捨て身の攻撃によって生まれた一瞬の隙を突いた、俺の全力の一撃だった。

 ユーリの捨て身の攻撃は、少女の頬にかすり傷をつけた。ほんの小さな、浅い傷だった。しかし、それは少女にとって致命的な一撃だった。

 少女は目を丸くし、傷口に触れた。信じられないという表情で、彼女は震える声で呟いた。

「ぁえ?」

 状況を理解できない少女は、数秒間呆然と立ち尽くした。しかし、すぐに彼女の顔は怒りで歪んだ。

「ユーリィ! あんたぁ!」

 少女の声は、怒りとともに高まっていった。

「この私が、この私が、傷をっ! バカなっ! ありえないわ!」

 少女は、まるで壊れた人形のように、言葉を繰り返した。

「ねぇどうしてよ! 教えなさいよ! なんでこの私に傷を!? あんたら矮小な人間ごときが!?」

 少女の叫びは、狂気の叫びへと変わっていった。

「答えなさいよぉおおおっ!」

 怒りに身を任せた少女は、周囲の空間を歪ませ、捻じ曲げ、焦土に変えていった。彼女の力は、もはや制御不能な状態だった。ユーリの一撃は、少女の心を深く傷つけ、彼女を狂気の淵へと突き落としたのだ。

 その隙を逃さず、「うおおおおお!」と叫びながら、俺は再び渾身の一撃を放つ。

 しかし、それは簡単に躱されてしまう。少女は、怒りに震えながらも冷静さを失っていない。むしろ、その怒りが彼女の力をさらに増幅させているようだ。

「あんたは、絶対許さないわ。だから、ここは引くわね」

 少女はそう言い残すと、その場を去っていく。その背中には、黒い翼が生えているように見えた。

「もっともっと強くしてから、刈り取ってやる。その身も心も、ボロボロになるまで痛めつけてやるわ」

 彼女の言葉は、まるで呪詛のように、俺の心に深く刻み込まれた。

 だが、俺には、不思議となんとかなるはずという思いがあった。

 あの一撃、確かにかすり傷にすらならないかもしれないが、それでも確かな自信に繋がる一撃だった。

「みんなの仇をとりたい……」

 少女の消えゆく背を見送りながら、俺は拳を握りしめた。怒り、悲しみ、絶望…様々な感情が渦巻く中、それでも諦めるわけにはいかないという強い意志が、心の奥底から湧き上がってきた。

「俺は、必ず強くなる、そして、今度こそ……」

 そう決意した俺は、倒れていたタイチョに駆け寄り、彼の脈を確認した。かすかに脈打つ心臓を感じ、安堵の息を漏らす。タイチョはまだ生きている。すぐに彼を安全な場所へ運び、治療を受けさせなければ。

「みんな、見ていてくれ。俺は、あいつを倒す」

 俺は仲間たちの亡骸に一礼し、タイチョを背負って歩き始めた。




 俺が、その少女こそが魔族12血族を纏める女王、マオであることを知るのはだいぶ後である。




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