雪代野乃の平々凡々な日々
田無 竜
「超能力者」
この世には二種類の人間がいる。
ただの人間と、ただものではない人間。
しかし、『その女』はただものではない人間であると同時に、ただの人間でしかなかった。
*
◇新日本大学付属高等学校 超能力研究室部室◇
「……あのぅ、これ、解いてくれません?」
男──
周囲には真っ黒なフードを被った謎の集団が彼を囲っていて、目の前にはその連中の長と見られる女がいた。
「何故でしょう? 是非ともわけを教えていただきたいですわ」
「いや動けないからでしょうよ。他に理由がご入用ですか?」
「まあ」
「『まあ』じゃないでしょ。貴婦人かアンタは」
「あらご明察。確かにわたくしは、それはそれは身分の高い女性ですわ。貴方のような雑種……もとい一般の方とは一線を画し、尚且つ画した一線の上に、煉瓦で壁を作ってしまったほどに」
「壁を作ったのがアンタの意志なら、そのまま距離を置いとくべきだった。縛られて迷惑を被ってるのは俺だ」
「しかして」
「?」
その女は、スカートの艶めかしいスリットを見せつけつつ、足を組む。
そもそも何故制服にスリットがあるのか。
というかそれ以前に学校でこんなことして許されるのか。
快太の疑問は絶えないが、言葉に出すのも億劫になりつつある。
「しかして……わたくしは一人になったのですわ。しかし、蕭条たる孤独な日々とも、これにて別れを告げさせていただきたい所存……。わたくしは一歩、社会に足を踏み出したのです」
「誰かッ。翻訳連れて来てッ。早くッ」
「君口快太君……貴方の秘密を、わたくしは知っていますのよ」
「……!?」
その一言だけで、快太は自分が縛られている理由を知った。
彼にとって予測できていた事態。全ての原因は、初めから…………彼自身にあった。
「…………俺が怖くないのか? ここにいる連中全員……今すぐにでもぶっ殺せるんだぜ?」
快太がそう言うと、周囲のフードたちは皆ざわめき始めた。
中には出入り口の確保を目論む者もいる。
だが、目の前のこの女だけはそうならない。この女だけは、全くもって動揺していない。
「わたくしは、貴方のことを保護したいのですわ」
「ほほぅ。んでもってどっか特殊な施設に連れていくとかですか? いやぁ、三食トイレ睡眠シャワーが確保されてる生活なんて、夢の様だなぁ」
「……あらあら。そんな話はしていないのですけれど……」
「どこで知った?」
快太の目付きが鋭くなる。
彼女は仕方なさそうに溜息を吐いた。
「わたくしの名前は、
そんな簡単な自己紹介だけで、快太は様々なことを予想できた。
この国で『雪代』という名前は特別な意味を持つ。
ある者は実業家を連想させ、またある者は政治家を連想させ、またある者は一人の少女を連想させる。
新日本大学付属高等学校に通う『雪代野乃』を知らない国民はいない……というと流石に言い過ぎではあるが、少なくとも同じ高校に通う快太が知らないはずがない人物。
警察庁長官とお友達で、警視庁長官と顏馴染。
十七歳の少女でありながら、何度か警察から感謝状を貰っている彼女は、巷ではいわゆる『高校生探偵』と呼ばれている──
「ちなみにわたくくしが『探偵』と呼ばれているというような噂を流したのは、このわたくし自身ですわ」
「はい?」
「箔が付くでしょう?」
「……」
自信満々な表情の彼女を見ると、快太はやる気を削がれる。
だがこの状況をそのままにはしておけない。
「……取り敢えず……縄を解いてくださいよ。雪代先輩」
*
いつの間にかフードの連中は消えていった。
どうやらこの部室の住人ではないらしい。
あるいは、部室が狭くて全員だと苦しかったのか。
「これを」
「うん?」
野乃は一冊の雑誌を快太に渡した。
タイトルは『実録! 週間ミステリアス・サスペンス』。
見ただけで分かる胡散臭い雑誌だ。
「何ですかコレ」
「七十三ページ」
言われたままそのページまで捲る。
「!?」
そこには、快太にとって驚愕の内容が記されていた。
【本物の超能力者!? S大学付属高校に潜む謎とは!】
快太は、そのページを見るや否や、雑誌を空中に投げ飛ばした。
そして、その投げ飛ばされた雑誌はそのまま弧を描き、地面に落下する──ことはなかった。
「……なるほど」
冷静に微笑んでいる野乃に苛つきつつ、快太はドサッと椅子に座り込んだ。
「……何だよコレは……」
雑誌は地面に付かないで、ふわりと『力』に支えられて机上に帰還する。
そう、これは『力』。快太の持つ、本物の──
「流石は超能力者。サイコキネシス……もしくはテレキネシスと呼ぶべきかしら? 貴方だけの特別な才能ですわね」
「ふざけんな! どういうことだよ……どうして俺の『力』が……バレて……」
「今みたいに、どこかで感情的に使ったからでは?」
「……よく言うよ。それを見て、アンタは俺を売ったんだな?」
「…………」
野乃は微笑を崩さない。
そんな彼女の表情から、彼女の意図を探ることなど出来なかった。
「嫌でしたの? ご自分のお名前が売れるのは」
「……当たり前でしょう。世間がどういう反応するか分かったもんじゃない」
「……」
「どこかの施設で実験体にされるかもしれない。そうでなくても毎日取材やらなにやらで忙しくなるのは確定だ。これからの俺の人生、もう平凡ではいられなくなる……」
「……」
野乃の微笑に、僅かな亀裂が入った。
だが、当の快太はそのことに気付いていない。
「………………まあ…………いいか」
「はい?」
唐突に、風向きが変わった。
「いつかはこうなると思ってた。アンタは余計なことしてくれたけど……まあいいさ。それじゃ」
「わたくしに、他に言うことはないのかしら?」
「? ああ……何で拘束してきたんですか?」
「貴方を保護するためですわ」
「……何? 俺、狙われてる?」
「いいえ。ただ……警告したかったのですわ。これから貴方は自身の身を案じなければならない。今日のように……簡単に捕まるようなことであってはいけない、と」
「……図太い人だなぁ。自分で売っといてさ」
「……」
毒を吐きつつも、快太は何故か微笑んでいた。
この男もまた、あらゆる意味でただものではなかったのだ。
彼は立ちあがり、出入り口へと向かっていく。
「ああそうだ」
彼は扉を開けつつ、立ち止まった。
「もちろんご存知ですよ。入学式の日に、この俺を『超能力研究会』に勧誘してきた……何も知らない雪代先輩は」
その台詞は、果たしてこの『超能力研究会』に、よりにもよって彼を勧誘したことに対する皮肉なのか、あるいは──
*
君口快太が出ていって少しすると、部室のロッカーが開いた。
「あ、あの……雪代さん?」
ロッカーの中から、一人の女子が出て来た。
もちろんこの学校の生徒らしく指定の制服を着ていて、どういうわけか申し訳なさそうな顔をしている。
「わたくしが『出ていい』というまで出ない約束ですわよ?」
「あ……ご、ごめんなさい!」
「……まあいいですわ。結果は……想定内でしたもの」
「……あ、あの人……どうして私を庇って……」
雪代野乃は微笑んだ。
「だから言ったでしょう? 彼は『本物の超能力者』だと。今度、彼のことを雑誌の記者に直接会わせましょう。彼らもきっと……貴方のことなんて、すぐ忘れますわ」
「で、でも……良かったんですか? 彼は……」
「……」
野乃は初めて君口快太という男と出会った日のことを思い出していた。
本当の意味で、何も知らない時のことを。
*
◇一年前 とある歩道橋◇
野乃はその日、風邪をひいてマスクをしていた。
当時の髪型はポニーテールで、下ろしている今とは違う。
「う……」
病院からの帰り道、熱が酷くなった彼女は意識を飛ばしてしまいそうになる。
この歩道橋を越えた先に迎えの車があるのだが、彼女はここで、危機に陥った。
(しまった……!)
階段の途中でバランスを崩し、彼女は倒れ込む。
病院に行くだけの体力はあったので、せめて受け身を取る体勢は取れるだろう。
だがしかし、怪我は避けられない。
彼女は、迎えの車を逆側に止めさせなかったことを悔い始め、そして──
「大丈夫ですか?」
浮いていた。
彼女は、階段の上で一瞬浮いていた。
そのことはきっと本人にしか分からない感覚だろう。
それくらい一瞬、彼女は確かに浮いていた。
「……あ、貴方……」
一人の男が自分を抱えてくれているが、彼女はもう確信していた。
今、この男は確かに自分を一瞬浮かし、そしてそれから受け止めた。
「あ。なんかお知り合いっぽい人が」
どうやら迎えの車の運転手が、心配してこちらに向かってきていたらしい。
「それじゃあまた」
「あ……」
野乃は、この日彼に『ありがとう』を言えなかったことを、永遠に後悔することになる。
普段隠している力を使ってでも自分を助けてくれた、君口快太という男。
いつかその言葉を言える日を、彼女は待ち続け、そして──
*
◇現在 車内◇
野乃は学校からの帰宅中だった。
彼女に話しかけるのは、運転手である執事の一人。
「よろしかったのですか? お嬢様……」
「は? 何がですの?」
「……差し出がましいことを申し上げました。申し訳ありません」
執事は野乃にバックミラー越しに睨まれて、肩を竦めた。
「…………この方法が一番の解決法でしたわ。彼女は記者に捏造されて、ありもしない事実に振り回され、この先の青春を失うところでしたもの」
野乃は酷く疲れを見せながら、大きく溜息を吐いた。
彼女に助けを求めた少女の名前は、
マジシャンを夢見ている彼女は、友人にマジックを見せびらかしているところを、三流雑誌の記者に目撃される。
マジックの種を教えてほしいとせがまれた彼女は、しつこいその記者にとって芳しくない態度を取り、その場を去っていった。
結果として、その記者は彼女に関して嘘を若干交えた誇張記事を作成する。
それこそが、『彼女を超能力者扱いする』というものだった。
マジックの説明を誇張すれば、それは超能力に思えなくもない。
それでも所詮は三流雑誌。また下らない内容を載せているだけだと流されるのが常だったのだが、今回は他のトピックに対する食いつきが良すぎた。
雑誌はいつも以上に売れ、当然彼女に関する記事も多くの読者に目を通される。
おまけに記事の内容の所為で、『本物の超能力者』がこの学校にいることが特定されてしまった。
このままでは記者と実際に接触した夢美が、多勢のマスコミに押し寄せられるかもしれない。そして、実際に一社から接触があった。
だからこそ彼女は怯え、クラスメイトである野乃に相談したのだ。
「……彼女がないがしろにした三流の雑種記者も、快太君の情報を聞いて目の色を変えてましたわ。もう二度と彼女に迷惑を掛けないと仰っていましたが……取り敢えず、会社は辞めてもらいましょうかね?」
「お嬢様……そ、それは流石に……」
「冗談ですわ。でも……こんなのは、運が良かっただけ。わたくしは……きっと、やってはいけないことをしてしまった」
完全に偶然でしかなかった。
だが、彼女は知ってしまっていた。
この学校には、本当に『本物の超能力者』がいるということを。
誰よりも何よりもそのことをずっと覚えて抱えていた彼女が、一番にこれを有効な手段ではないかと考えてしまうのは、致し方のないことだった。
「……しかし、彼はあまり気にしていなかったのでは?」
「……あら? どうしてそう思いますの?」
「以前、彼は言っていたのでしょう? 困った時は……自分を頼っていいと」
「…………」
それは今年の入学式の日のこと。
些細な質問に対して、彼は適当な調子でそう答えただけだ。
「
「え? お嬢様が嬉々として仰っていたでは……いたたたた」
背後から野乃に首をつねられるが、高度な技術を持つ彼にとって、運転に支障は無い。
だがしかしとにもかくにも、主の懸想は明らかだった。
「……確かに言っていましたわ。でも、それとこれとは別。彼はきっと……今後二度とこのわたくしを許さない。きっと……二度と……」
実のところ、君口快太という男は、まるで全然これっぽっちも気にしていない。
だが野乃がそれを知る術は無い。
彼の心を覗き見ることができればあるいはだが、そんなことは出来ない。
彼女は超能力者ではない、ただの人間なのだから──
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