碧い星とシャングリラ

ひつゆ

File1 shangri-la

 ずんとした衝撃で目を覚ますと、ガラス越しに満天の星空が見えた。

 今まで見たことがないほどに、星、星、星。

 ただ圧倒されて、ああ、綺麗だということしかわからなかった。

 ――もしかしたらあの中に、

 ぼんやりとしていた意識が次第に覚醒してきた。

 そうだ、俺は……宇野うの……宇野北斗うのほくとだ。年齢は……二十六? 二十七? まあ、たぶんそれくらいだろう。

 思い出そうとすると頭が痛くなる。……仕方ないか。、眠

 そう、俺は、地球とよく似た『理想郷』とよばれる惑星――『シャングリラ』へやってきたんだ。

 環境が悪化した地球から移住しようと、五年前くらいに日本人の宇宙飛行士がシャングリラに降り立った。そこで次は一般人を三十人ほど送り込んで実験や開拓を行い、最終的には全人類がシャングリラで暮らせるようにしたいらしい。

 シャングリラの上陸時の映像は五年前に見た。岩や砂ばかりであまり理想郷らしくはなかったが、わずかに酸素があり、比較的過ごしやすい気候で、色は薄いもののなんと植物もあるそうだ。理想郷と聞いて南国のリゾート島みたいなものかと思っていたが、海は今のところないとのこと。

 まあわかるのは、『理想郷』と呼ばれるほど良い星じゃないってことだな。……そんなこと言いながらも、なんだかんだ甘い響きに惹かれて来てしまったわけだが。

 さて。そろそろ脳も働くようになってきたし、外に出てみるか。

 体を少し動かしてみる。椅子の上で寝落ちた翌朝のような体の軋みはあるが、なんとか動く……すごいな、百年も寝てたのに。地球で研修を受けたとおりに、酸素マスクをチューブでカプセルの酸素ボンベとつなぐ。無線にできないのかなーこれ。いや無責任に文句言っちゃってごめんだけど。半径五キロくらいしか動けないみたいだ。

 直接酸素マスクを通して吸う空気は、なんだか変な感じだった。あー……早くも地球に帰りたくなってきた。……もうすでに、おいしい空気もきれいな海も、地球にはないんだけどな。

 カプセルの扉を開けようとしたとき、手が一瞬止まった。……本当に死なないよな? 息してるよな? 大丈夫、だよな?

 ……はは、まだ人生に未練があるみたいだ。もう何も取り返しがつかないっていうのに。

 まあでも、じきに全人類来るらしいし。ほかの移住者との生活もなんだかんだ楽しいかもしれないし。

 ……よし。俺は一人じゃないんだ。

 扉を開けた。息をしていた。ちゃんと死ななかった。やっぱりまだ足が軋んだ。

 すぐ横を見ると、ひび割れたカプセルからぬるりとした紅い液体が流れ出ているのが見えた。

 …………。

 後ろを見る。こちらはガラスの破片のなかに人間の足が転がっている。

 周りを見渡すと、小さいころ絵本で見た地獄のような、なんとまあ凄惨な風景が広がっていた。

 くらりとした。意識がふっと遠のく。

 ……おい嘘だろ。なんでだよ。安全性ばっちりとか言ってたじゃないか。ちゃんと頑丈に作っておけよ。なんで、こんな。というか俺だけなぜ生きているんだ。

 うっ、地球に帰りたい……って言っても帰れないんだが……そうだ、地球と通信ができるんだった! すっかり忘れていた。慌てて通信機を取り出して電源を入れる。

 ……入らない。うんともすんとも言わない。

 なぜだー……。

 とうとう心が折れかけてきた。軽い気持ちでこんなところ来るんじゃなかった。完全に、地球の連中にだまされてしまった。

 いや……もしかしたら、ほかに生き残りがいるかもしれない。俺だってなぜか生きているんだから。……遠い星に一人きりとか、さすがに勘弁してほしい。マジで。

 とりあえず、遠くまで歩いてみるか。そのへんの食料と水だけ持って。若干心細いが、そんなことももう言っていられない。きっと誰かいるはず、うん、大丈夫だ。

 準備をして歩き出す。こんなときだっていうのに、今から始まる冒険に少しワクワクしている自分がいる。まったく……。いつの間にか足の軋みは消えていた。

 歩けども歩けども、岩肌と枯れかけの植物と、そして大量の死体しかない。……どこが理想郷だよ。

 それでも、ふと見上げた空に瞬く星は、どこまでもきれいだった。疲れて歩みを止めるたびに、星空を見上げて心を浄化していた。

 もう時間感覚もクソもないが、けっこう歩いた気がする。少し、いやかなり疲れてきた。体力的にも、精神的にも。「心が折れる」の表現のバリエーションもそろそろ少なくなってきたところだ。

「――! ――!」

 何だ? 後ろから何か音が聞こえた気がする。目を凝らすと、うっすらと黒っぽい影が近づいてくるのが見えた。

 ……もしかして、人間か! 生きた人がいるのか!

 振り返って衝動的に走り出す。

 足がもつれて転びそうになる。酸素マスク越しの呼吸もどこかおぼつかない。こんなに必死に走るのなんて何年ぶりだろう……五年、いや百五年ぶりくらいか?

「はあっ、はあっ……おーい!」

 大きく手を振る。鼓動が早くなり、口角が自然と上がっていくのを感じる。俺って思ってた以上に、人間が好きだったんだのかもしれない。

 向こう側から来た相手と向かい合う。十五歳くらいの華奢な少年だった。

 少年が口を開いたが、何か言う前に衝動的に飛びついてしまった。目から涙がこぼれてくる。

「なっ……」

「うっ……よかった……よかったっ……。生きていてくれて……ありがとうっ……辛かったよな、寂しかったよな……うわあああ」

 胸の内の感情があふれ出し、幼い子供のように泣きわめいてしまった。腕の中の体温が生きた人間の温かさを感じさせてくれる。

「別に寂しくなんて……そんな……っ……」

 少年もすすり泣き始めた。……寂しくなかったわけないよな。……こんな若者まで、地球を、家族を、友人を、未来を捨ててシャングリラに来ているのか。なんだかひどく不条理なことに思えてきて、許せなかった。

 そのまましばらく、ただただ二人で泣きじゃくっていた。

 星々の光だけが変わらず、大地を優しく照らしていた。

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