フロイス日本史などでの黒人の記述について
黒井丸@旧穀潰
第1話 1549~1569年までのフロイスの黒人の記述(2か所
トーマスロックリーというイギリス出身の英語教育者。日本大学法学部准教授にしてNPO法人難民支援教会の支援者が戦国時代の弥助について独自の妄想を書籍にし、海外のWIKIでそれを根拠に記載をしている事が話題になっている。
筆者はフロイス日本史で89章1569年7月12日までの記述をデータ化し、まとめている途中だが、黒人に関する記述は殆ど見ておらず、彼の黒人の説明は非常に疑わしく思われた。
そこで黒人奴隷貿易を主導していた欧州人と同郷である来日したイエズス会宣教師たちの記録をまとめて一大史書とまとめたルイス=フロイスが記述した黒人に関する記述を、1549年~1569年までの20年間、章にして89章の中から抜粋してみた。
なお引用箇所は文庫版フロイス日本史は(日(巻数)P(ページ数))で表記し
ハードカバー版の初期に発行されたフロイス日本史(解説が詳細)の方は(原本P)で表記する。
1;1550年12月ザビエルの記述。(日1P24~5)
ザビエルは都へ1550年の末、降誕祭(12月25日)の8日前に旅立った。
膝が没する雪の中を歩いたり、家の畳をかぶったり、凍るような川を腰まで浸かって越え、(楊井?)港で乗船すると堺に向かった(日1P24。楊井は今の柳井港。原本4p22では1554年12月5日メンデス・ピント書状には厳島に寄ったとザビエルに聞いた。と書かれている)
船の中では●商人がそばに座っており丁寧な言葉遣いで話していたが、司祭が一度他人の席に横たわった所ひどく憤り、罵倒叱責した。
●別の若者は黒人や理性のない動物に対するように話しかけるので「なぜあなたは私にそのように言うのか。自分はあなたを非常に愛し、救いの道を願っている事を判って貰いたい」と言ったが何の感銘も与えなかった。
解説;
フロイス日本史で初めて黒人に関する記述が出た箇所と思われる。
ザビエル司祭とフェルナンデス修道士が船内で非難を受けた時、黒人と動物を同列に扱って例えており、彼等にとっての黒人がどのような位置づけだったかわかる。
なおこの時、黒人が奴隷貿易で日本にいたならば存在すれば例え話で書かれる事はないはずで、さらに重要視されていれば、その扱いについてザビエルは絶対に記述したはずである。
2;1557年 豊後(日6巻P156~7)
(メストレ・ベルショール師がインドに帰還した後、豊後で生じた幾つかのことについて。より)
この頃、府内では、通常1日に8名、別の日には14、5名がキリシタンとなり、ほかに大勢の人が洗礼を授けてもらいたいと乞うた。しかし司祭たちは真実に霊の救いを求めて教会に来たかどうかを見て、よく教理を授け、指導された後、ようやく洗礼を受けた。(6巻P156)
☆国主は府内の外にいたし、国内には大勢の盗賊がいたので、僧たちは幾人かの兇悪な連中に我らイエズス会の同僚を殺すよう煽動した。《宗麟は臼杵の丹生島城にいたと思われる。原本6p187》
そして彼らはほとんど当(1556年)年の冬中から4旬節中われらの同僚たちを殺す機会を窺っていた。彼らに殺されることが真実らしく思われたので、重要な幾つかの品は家【カーザ】の外に隠し、夜通し交替で見張りをした。
国主は司祭たちに、「御身らは自衛されたい。御身らを保護できぬことは予のはなはだ悲しむところである」と家臣をして言わしめた。
僧たちは司祭たちに対し幾多の偽証を捏造しようと奔走し、血染めの布を教会の入口に投げつけ、
「伴天連たちは人間を喰うのだ。奴らは人間の身体の中に閉じ籠められた悪魔だ。伴天連や伊留満が語ることはすべて、彼らをして言わせている悪魔の入れ知恵なのだ」と言った。
彼らは教会の入口に「何ぴとも悪魔であるこの連中を信じるな」と書いた紙片を貼った。
僧は幾多の侮辱を加え、司祭が街路を歩いていると「犬め」と呼ばわり、若者たちが投石し、地上のもっとも嫌悪すべきものと見なし、汚らわしい言葉で罵りながら、まるで黒人に対するように言葉をかけた。
そのようにしたのは賤しい下層の人々で、上流の人は司祭らに敬意と尊敬を表した。(6巻P157)
解説;
ザビエルが1549年に来日してから8年。後任の司祭でさえごく自然に黒人差別をしている事は人種差別の根深さを痛感する。
と、執筆中の記事で書いたが、この時点でも日本には黒人は存在しておらず、司祭たちも黒人への蔑視を隠そうともしていない。
仮に大名たちに仕えていた黒人がいるなら、庇護者を求めて領主に取り入ろうとしていたイエズス会宣教師がこのような表現を使用する事はありえないだろう。
以上、たった2か所である。
しかも自分たちを非難する日本人の蔑視の例えとして、非常に低い地位の人間に対するような扱いをされたと嘆くものである。
仮に黒人が日本人主導で奴隷貿易をされていれば、彼等に関する記述はもっと多いだろうし、大名に珍重されていれば、その驚きからもっと記述は多いだろう。
早い話が日本にはザビエルが来てから20年、黒人についてとりたてて記述するような事はなかったと結論付けられる。
日本史を研究している者にとっては当たり前の事だが、その当たり前を根拠付きで提示するのは論戦で意義のある事と思い、乱筆ながらここに記す。
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