春に散る
大鐘寛見
種子
「お前ら付き合ってんのか〜?」
ニヤニヤという擬音の似合う顔でクラスメイトでお調子者である辻岡がからかってくる。
正直、こうやって揶揄われることは満更でもないというのが本音ではあるが、こいつから言われるのは単純に不快だった。
僕は、この辻岡という軽薄という言葉を擬人化したような人間が苦手だった。
辻岡は中学校に入ってすぐに何人もの女子と交際しては別れを繰り返し、自分が面白いと思われるためなら平気で人の気にしているところを大声でバカにする、そんなやつだった。
僕は二年生で辻岡と同じクラスになってから、吹奏楽部であることをネタに女子を紹介しろだとか、可愛い先輩がいるかとか、とにかく不快な絡まれ方をしていた。
そんな日々の中でもオアシスはちゃんと存在していて、それは同じ部活のとある女子だった。
僕はこの中学校に入学してすぐの頃、ある一人の女子生徒に一目惚れをしていた。名前は一ノ瀬優実という。
彼女は真面目で明るく優しい完璧な女子だった。おまけに顔も可愛く、好きにならない理由がなかった。
辻岡の質問に答えていなかったことを思い出し、「付き合ってはないよ。」とあしらうように答えた。
「”は”ってなんだよー!」と辻岡は耳障りな声で騒いだ。
辻岡は一ヶ月ほど前彼女に振られてから一ノ瀬のことを狙っているらしい。最近はそのことにあまり関心がないフリをしつつ、辻岡の動向を探る毎日だ。
辻岡からの揶揄いを受け流しながらどうにかこいつと離れる方法を模索しているときだった。一ノ瀬が僕たちの教室にやってきたのだ。
「おーい、一ノ瀬ー!」と無駄にでかい声で辻岡が一ノ瀬を呼んだ。
「ちょ、ばか!やめろよ!」と僕は焦って止めようとする。
迂闊だった。二年になって僕と一ノ瀬は違うクラスになり、教室では出会わないものとばかり思っていたし、実際今日まで出会うことはなかった。
しかし、そのイレギュラーが最悪のタイミングで起こってしまった。
とてつもなく嫌な予感がして、じわりと嫌な汗をかいた。
一ノ瀬が「ちょっとごめんね。」と友人らしき女子に断りをいれてこちらに近づいてくる。
辻岡が「お前、河合と付き合ってんのか?」と一ノ瀬に聞きそうになったところを、慌てて辻岡の口を塞いで途中で堰き止めた。
「私と河合くんがなんだってー?」と一ノ瀬は不思議そうな顔をして聞き返す。
僕は狼狽えながらなんとか一ノ瀬をこの場から追い出そうとするが、「い、一ノ瀬...。」と名前を呼ぶだけで次の言葉が続かなかった。
僕は辻岡が余計なことを言わないように願いながら彼の方に視線をやるが、その願いは届かず、「おい、一ノ瀬!お前、河合と付き合ってんのか?」と先ほど僕が途中で遮った言葉を最後まで言い切ってしまった。
一ノ瀬は困った顔で「え、別に付き合ってないけど...。」と少し引き気味に答えた。
僕は少しショックを受けながら、「ほら、一ノ瀬もこう言ってるし...。もうよせよ。」と辻岡に促した。
それに対して辻岡は、「へえ、まじで付き合ってないんだなあ、じゃあさ一ノ瀬、俺と付き合ってよ。」とさらりと一ノ瀬に告白した。
一瞬何を言っているのかわからなかった。
僕の頭の中で辻岡の言葉が何回も再生された。
一ノ瀬は可愛いし、明るく活発な性格だからモテる。それはわかっていた。
でも、辻岡とだけは付き合ってほしくなかった。
僕は目線を一ノ瀬の方にゆっくりと向けた。
一ノ瀬も冗談だと思っているようで、「え、いきなり?」と笑いながら聞き返す。
僕はなんとか一ノ瀬が辻岡と付き合うことを阻止したかったが、二人と僕の間に越えられない壁があるような気がして二人を交互に見ることしかできなかった。
辻岡は「俺、結構本気だよ。一ノ瀬のこと前から好きだったんだよなー。」と軽い調子で言った。
嘘を言うな、と思った。
一ヶ月ほど前まで別の女子と付き合っていたくせに、と心の中で悪態をつく。
これを口に出せたら未来は変わったのだろうか。
一ノ瀬は「うーん、返事はちょっと待ってほしいかな。」と言って、苦笑いしながら返事を濁した。
「...とりあえず、もう休み時間終わるし、戻ったら?」となんとか絞り出した言葉で解散を促した。
これ以上この会話を続けさせてはいけないと直感的に思った。
一ノ瀬はぎこちなく教室の扉に歩いて行く。
その後ろ姿に「返事待ってるからなー!」、と辻岡が声をかけた。
僕の表情は誰にも見られていなかった。
「それではみなさん、気をつけて帰るように。」と担任の先生が言う声で意識が戻ってきた。
先生に別れの挨拶を告げ、足早に音楽室へと向かう。
一ノ瀬は辻岡と付き合うのか、という不安だけがずっと僕を支配していて、ろくに先生の話など頭に入ってこなかった。
音楽室に着いたのは部員の中で僕が一番最初だったみたいで、まだ鍵も開いていなかった。
僕が告白したわけでもないのに、答えをききたいという気持ちと答えを聞きたくないという気持ちが僕の胃の底の方から迫り上がってきて少し気分が悪くなった。
階段を登る足音がして、バッと音が鳴るほど勢いよく振り向くと鍵をもった部長が驚いた顔で僕を見ていた。
「こ、こんにちは...あ、鍵ありがとうございます。」と気まずさを誤魔化すように僕は挨拶をする。
部長も気まずそうにしながら「いや、全然...大丈夫?」と言った。
僕は「え、何がですか?」と大丈夫か聞かれたことに対して聞き返す。
部長は「顔色すごい悪いけど、体調大丈夫かなって。」と今度は心配そうな顔で説明してくれた。
どうやら僕は顔色に出てしまうほど思い悩んでいるらしかった。
とりあえず「大丈夫です」と返し、少し冷静になろうと水で顔を洗った。
その間に部長は鍵を開けてくれていたようで、すでにアルトサックスを楽器庫から運び出し、練習を始めようとしていた。
僕もこんな調子ではダメだと思い直し、一ノ瀬に告白の件を聞くのは帰り道にしようと決め、練習を始める。
一人で基礎練習をしていると、部員がぞろぞろと音楽室にやってきた。
僕は一ノ瀬の姿を横目でチラチラと探すが、その中に一ノ瀬の姿はなかった。
僕と同じトロンボーンパートの先輩や後輩もやってきてパート練習が始まった。
なんだか呼吸が思うようにできず、本当に体調が悪くなったように感じる。
よっぽど僕の顔色が悪かったのか後輩からも先輩からも心配されてしまい、大丈夫と答えていたのだがとうとう先輩から早退の打診を受け、早退することになってしまった。
帰り道で一ノ瀬と話すという目標が達成できなくなってしまい、なんとか帰る前に一言話したいと思って楽器を片づけ帰る準備をしている間、横目で一ノ瀬を探していたのだが、ついぞ見つけることは叶わなかった。
帰宅した僕は水を少し飲んだ後、メッセージアプリでまだ部活をやっているだろう一ノ瀬に連絡を入れる。
「お疲れ様、本当は帰り道で聞きたかったんだけど、今日の昼の辻岡のやつ、オッケーするの?」と何度も何度も打ち直した挙句、最も当たり障りのないものに落ち着いたメッセージを送信した。
そのまま手持ち無沙汰になった僕は、勉強机に無造作に置いてあったまだ読んでいない本を手に取りベッドに座って読み始める。文字ひたすらに追いかける時間が数時間続いた。メッセージはまだ返ってきていなかった。
もう少しで午後8時になるというころ、僕は晩御飯を済ませて入浴の準備をしていた。
滅多に湯船には浸からないため、今日もシャワーだけだ。
替えの下着と寝巻きとタオルを持って、脱衣所に入ろうとした時、スマホの通知音がなった。
神経が昂っていたのか、思わずビクッとなってしまう。
僕は乱れた息を整えながら、おぼつかない足取りでリビングに置いていたスマホの元へ向かった。
ゆっくりとスマホへ手を伸ばす。
そのときピコンと通知音が鳴りスマホの画面に通知が表示された。
「もし悪い人じゃないならオッケーしようかな」と表示された画面を見て、僕はスマホに手を伸ばしたまま動けなくなってしまった。
しばらくの間放心していた僕は、とにかくメッセージを読もうとメッセージアプリを開いた。
「まだ迷ってるんだよね、辻岡くんチャラいってよく聞くし、河合くんから見てどどう?」
「もし悪い人じゃないならオッケーしようかな」と一ノ瀬から返信が来ていた。
そのメッセージは僕の手で辻岡と一ノ瀬の今後を決めろと言っているように感じた。
僕はすぐに返信を考えた。風呂なんて二の次だった。
罪悪感がないと言えば嘘になるが、僕は今日、クラスメイトの恋を終わらせた。
しかし、感情の大部分では喜びで占められていた。
「僕は人として、男として最低なんだろうな。」とシャワーを浴びながら考えていた。
僕はやめたほうがいいという旨の返信をした後、一ノ瀬からの返信は待たずにすぐに脱衣所へと向かった。
なんだか今日はこれ以上物語を進めたくない気分だった。
スマホの画面を意識的に見ないようにしながら僕は布団に入った。
おそらく返信は来ているのだろうが、今日は幸せなまま眠りにつきたかった。
翌日、学校に行く直前になってやっぱり昨日の続きが気になってしまい、返信を確認した。
頭の片隅の嫌な予感は当たっていて、「辻岡くんと直接話して考えてみる。」と一ノ瀬から返信が来ていた。
僕は昨日、クラスメイトの恋を終わらせたつもりになって喜んでいただけだった。
一ノ瀬は僕よりも辻岡を選んだみたいだった。
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